第23章 背徳の術師 3. 目の前に、炭化した紙の束が落ちていた。 よくよく観察して、それが燃えた本であることに気付く。普段も得た本など見ないので、すぐに判別できなかった。なんの本かの見当はすぐについた。ユーディアはさっき、リズの精霊と出くわして、目的を聞いている。まさか、燃やしてしまうとは思わなかったが。 ダガーに会ったあと。足手まといだと言われてしまったが、やはり心配になって、様子を見ようとこの地下へ向かった。途中、なんの用事か同じく地下へ向かうクラウスと出くわして、そのまま一緒にこの地下研究室まで来たのだ。そして、燃えたセルヴィスの手記を見つけた。 それはもう、見事に炭と化してる。内容などほとんど読めない。あるページに触れてみると、そっと触れただけなのぼろぼろと崩れ落ちてしまった。他のページも同じ有様だろう。無事な部分は望めない。 「まさか2度も侵入を許してしまったとはね……」 クラウスは苦々しげに呟く。1度目は城内をよく知っている者の仕業、2度目は姿を自由に消したり現したりできる精霊なのだから、仕方ない。特に、精霊など一般には知られていないのだから。 あの忌々しい双子め、とキースは吐き捨てる。どうやら彼はリグとリズの2人とただならぬ因縁があるらしい。 「それで、術のほうはできるのか?」 クラウスの言葉に、ユーディアは溜め息を吐いた。手記があるのだ、予想はしていたが、改めて禁術を使うつもりがあるとクラウス本人の口から語られると悲しくなる。 「大方な。ただ、もう1つ付け加えたいことがあるから、もう少し掛かるが……。あと1時間もあれば」 「では、予定通りで構わないね」 行こう、と促されて、ユーディアはクラウスについていく。 「予定って?」 もはや口で止めても無駄だということは分かっている。合成獣を作っていると知ったとき――いや、アリシエウスに行くと聞いたときから諦めていた。ならば、行動で阻止するしかない。そのためには、なにをするのかを知らなければならない。もちろん、これでまともな返事が返ってくることなど期待はしていないが、なにか得るものはあるかもしれない。 「混乱状態の中に、更に火薬を投げ込んでやろうと思ってね」 「火薬……?」 「禁術だよ」 予想通りの答えに、ユーディアは黙する。どんな術を使うか知らないが、更に状況を悪化させるつもりらしい。どうしてそんなことをするのか皆目検討がつかないが、ただ勝つためにやっているわけではなさそうだ。 本当にどうしたのだろうか。こんな人ではなかったはずなのに、最近人が変わったようである。ユーディアがクレールに戻ってからだろうか。いや、その前。手記が欲しいなどというその前からか。 変化の予兆を見逃してしまったのだろうか。どうして、という言葉ばかりが頭の中を巡る。――だが、もっとわからないのは、否定するばかりのユーディアをいつまでも傍に置いていることだ。 「ねえ、ユーディア」 思考の海に沈んでいたユーディアに、クラウスは声を掛けた。階段の少し先を行っていた彼は、振り返ってユーディアを不思議そうに見下ろしている。その目は、ユーディアが知る過去のクラウスのものとも、理解できない今のものとも違っていた。 思わずたじろぐ。――本当に彼はどうしてしまったのか。 「どうして君は、俺を止めないのかな?」 あまりに予想だにしない言葉に、ユーディアは瞠目し、声を失った。 クラウスが去った後、キースは机に向かい、大きな紙を広げた。ペンをインクに浸し、文字や式、図で黒く埋めていく。どうやらインクを浸しすぎたようで、滴り落ちたものが紙を汚した。 あの忌々しい双子。貴重な手記を燃やした使い魔を見てから、キースの黒く混沌とした怒りは収まらない。あの双子は、昔から気に食わなかった。塔長の孫というだけでちやほやされ、術開発に協力しただけで天才の友人の功績をあたかも自らのもののように受け取っている。魔力の大きさや技術は認めるが、彼らの現在の処遇は、全て周囲の人間による恩恵を受けただけに過ぎない。加えて、兄のほうは、妹の手が汚れているのにも構わず、高潔であるかのように振る舞っている。妹のほうは、まだその自覚はあるようだが、勧善懲悪の英雄気取りだ。キースのときなど、世界を乱すなどと神のようなことまで言っていた。 自分の研究を否定され、〈木の塔〉を追い出され、その腹立たしさと言ったら。 いつか復讐をしてやろうと思っていた。そのために逃げ延びた。サリスバーグでは試料を全て殺されてしまったが、クラウスに拾われ、クレールで実験をすることができた。彼に会えたのは僥倖だった。彼が自分を拾ったことで、なにを考えているのかは未だ掴めていないが、研究を続けることができて満足だった。手記を手に入れてからは、偉大な魔術師の偉大な知識に触れることができて、それはもう夢見心地だ。短い夢で終わってしまったが。 それにしても、セルヴィスの手記を燃やすなど、あそこまで愚かだとは思わなかった。200年以上継がれてきた叡智の塊を破壊してしまうなど、これ以上の愚行はないだろう。だが、おかげで恨みは増した。それを全てぶつけて苦しめることを考えると、笑いが止まらない。 あの精霊は、主とともに自分を殺しに来ると言っていた。これほど都合のいいことはない。自らのこのことやってくるのだから、しっかりと歓迎の準備をしなければ。 30分ほどかけて紙を埋めた。持ち上げて、確認してみる。間違いは見当たらない。資料と照らし合わせてみても、理論上の問題はないように思える。あとは実践したとき次第だが、その場で修正できる自信はあった。 紙を丸めて机に置き、準備の道具を取りそろえる。それを持ち、地上へと上がっていった。 [小説TOP] |