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昔々、あるところに。
「部下に見捨てられた不憫な魔王さまと、実に適当な理由で拉致を正当化された可哀想な美少女がおりましたとか」
「待てよ」
魔王城に拉致されてから幾日か過ぎた。毎日代わり映えしない部屋に引き篭もって、魔王さまの奇行を眺めるのも飽きてきた次第でございまして。
継ぎ目が分からないくらい真っ黒けなベッドの上で膝を抱えている私。ちょっ
とした現実逃避を行っていただけだというに、何故邪魔をするのだ、魔王。
「何だよ、そのおっさんとかが言いそうな渋い台詞は」
やっぱり真っ黒な安楽椅子に腰掛けて「優雅なティータイム」を演出していた魔王さまは、その「優雅」な雰囲気をぶち壊されて頬を膨らませながら私にツッコミを入れる。
「人の心の中に土足で入らないで下さいよ」
乙女のプライバシー侵害反対。
「プライバシーは未成年に関係ありませーん」
わざとだみ声を甲高くしたような変な声で魔王さまは反論する。思わず笑うとこだったじゃないの。
「それは保護者の庇護下における場合でしょう?」
そう返すと魔王さまは声を詰まらせた。
「お、俺はお前の保護者だぞ!」
少しの沈黙の後、苦し紛れな声音で魔王さまは宣った。まさかまさかの保護者発言ですか。家事が出来るのは凄く有難い保護者だけど、こんな辛気臭い保護者は嫌だ。
「そう仰る割には全体的に人事の管理が出来ていないですよねー。主に部下とか重臣とか下っ端とか」
長い間休暇がない、と部下達に泣き付かれて休暇を与えていたら、いつの間にやら城内に独りだったという魔王さま。……もしや、あまりにも暇だから私を拉致したとか、そんなんではなかろうか。
「そ、それはたまたま偶然が重なっただけであり、俺の管理不行き届きではないぞ! ……多分」
いつにも増して口調も弱々しく、辛気臭い魔王さま。うざいです。
「別に魔王さまの苦し紛れな言い訳なんて興味ないですから。そんなことよりも私を家に帰して下さいよ」
徒歩十分で人間界なんだから。
「お前んち、すぐそこだろ? だったら別に帰る必要なくね?」
怪訝げな表情で立ち上がった魔王さまは、つい昨日トンカチと気合いで作り上げていた台所に向かった。
「その、すぐそこが辛いんですよ」
まさに生殺しも同然。この部屋から景色が見えないのが唯一の救いというかなんというか。
感情の起伏があまり見られない私の台詞に、手元をがちゃがちゃと動かしたまま魔王さまは振り返る。
「えー。なんか嘘臭いんだが」
疑いの眼差しを向けてくる魔王さま。失礼な、私だって寂しがったり喜んだりするわ。
「ま、魔王さまなんて未確認生物として試験体にされて色んな薬飲まされればいいのよ!」
やり場のない怒りを魔王さまが最近お熱だというツンデレ風で表現してみる。
「俺を殺す気か。しかも殺り方むごくね?」
あら、通じなかったわ。愛って難しいわねベルベット。
「ベルベットって誰だよ」
魔王さまそっちのけで一人漫談を開始しようとしたところに、彼は間髪入れず突っ込む。この寂しがり屋さんめ。
言葉を返す前に背中を向けられてしまったので、タイミングを掴めず口を閉ざ
す私。少し間をおいて、魔王さまはぼんやりしている私に話し掛けてきた。
「アリスちゃんも紅茶いる?」
最初は鳥肌が立つ程嫌だったちゃん付けにももう慣れた。 魔王さまに声を掛けられ、はっとした私は濃厚な紅茶の香りが漂っていることに今更気付く。
やる気ない黒い瞳と目が合うや否や、彼は湯気が立ったポットをくいと持ち上げて返答を促してきた。
ここ数日で分かったことは沢山ある。案外優しい面もあるのである。魔王のくせに、人を気遣おうとするのだ。
魔王さまも私の扱い方を段々覚えてきたらしく、最近都合良く扱われることが増えた気がする。それがまた悔しいこと悔しいこと。
「……いただきます」
素直にその事実を認めるのは嫌だけども、懇意には甘えさせて貰う。私は客だ。もっと敬え。
「図々しいぞ」
私の心境を察知してはっはっは、と乾いた笑い声を上げた魔王さまは慣れた手付きで小洒落たカップに紅茶を注ぎ、それをお盆に載せて私の前に差し出した。
微かに渋味がある芳醇な香り。血の色とはまた違う紅は、黒いカップの色に負けて残念な程に黒ずんでいる。
「いつかアリスちゃんには魔界特製の紅茶も飲んで欲しいんだけど」
「お断り致します」
にこにこしながら告げる魔王さまの無茶な要望を笑顔で受け流しながら、私はカップを手に取り一口。濃すぎず、薄すぎないそれは香り高く、こういったことはよく分からない素人の私が相手でも美味しいと唸らせる。……見掛けは最悪だけど。
魔王さまの隠し芸、ってやつですか。
「照れるな」
「読心術反対です」
後頭部を掻きながらはにかむ魔王さまに釘を刺すのは忘れない。でもやっぱり美味しい。
「だってお前、隠そうとしないじゃねーか。わざとなのか否かは知らんが」
ぶすっとむくれた魔王さまはお盆を台所に戻しながら反論してきた。
今更ながら何故心中が分かるのかと問うてみたら、魔力の波長がどうのこうので意思に関係なく読めてしまうのだとか。魔王さまは身振り手振りで懸命に説明してくれているが、よく分からない。
小難しい話を肴に紅茶をのんびり頂いていると、不意に黒塗りの部屋の壁が一瞬、煌めいた。ような気がした。
「げっ」
目を丸くして手を止めた私に対し、あからさまに嫌そうな顔をする魔王さま。
「どうしたんですか?」
状況が一切把握出来ていない私は魔王さまに問い掛ける。一見、嫌そうな顔をする要素はないような気がするのだけれども。
「あいつが来やがった」
うえー、なんて呻き声を出しつつ、ほぼ壁と同化している真っ黒けな扉に、重い足取りで向かう魔王さま。
息つく間も与えずこんこん、っと小気味よいノックの音が聞こえ、魔王さまは扉に手を掛けながら盛大な溜息をついた。
「無断で侵入するなと何回言ったか覚えているか? 魔術師」
あれ、一階の大広間までは見学自由ではなかったっけ。
「そんなこと……忘れたな」
魔術師と呼ばれた、扉の向こうにいると思われる人物は、若い男の声で魔王さまに答えた。魔王さま、げんなりとした様子で更に溜息をついている模様。
「折角遊びに来てやったというに、客人をもてなさずに門前払いを食らわせる気か?」
魔術師のおにーさんは扉越しでも表情が伝わってくる声音で魔王さまをおちょくる。絶対ににやにやしてるね、このおにーさん。うわあ、ドエスだ。あ、また溜息ついてるよ魔王さま。
「……入れ」
渋々許可を出した魔王さま。きっと様々な葛藤があったに違いない。なんせ私がこの部屋にいるんだもの。魔王さまの私生活部屋に。家に帰してくれない魔王さまなんてロリコンだとか誘拐犯だとか罵られればいいんだ。
「おっじゃまっしまーす」
おもむろに開かれた扉から滑るように入り込んできたのは、やはり若いおにーさん。そしてかなりのいけめんである。
肩まで伸びた金の髪は緩く波を描き、黒い空間によく映え。魔術師の証でもある黒のローブはこの空間によく溶け込んでいた。
ふと、目が合う。
一言も言葉を発しない私に気付いたらしく、おにーさんも何も喋らずおもむろに私に近付いてきた。私、何かやらかしたかしら。
「――なあ、魔王」
ベッドの手前でしゃがみこんで私に目線を合わせたおにーさんが、傍らでそわそわしている魔王さまに話し掛ける。
「なんだよ」
ちらりと私の様子を確認しつつおにーさんに応える魔王さま。
形良い眉を顰め、おにーさんは珍妙なものを見るような表情で続けた。「何で俺の孫がここにいんの?」
私の中で何かが凍り付いたのを感じた。
さらりと落とされた爆弾は、魔王さまにも被弾したらしく。驚きで二の句が継げないのか、彼は口をぱくぱくとしたままおにーさんと私を見比べている。
「え、孫!?」
一拍置いて、魔王さまは私の言葉を代辯した。
「そう、孫」
事もなげに頷いたおにーさんは続ける。
「ほら、目元とか似てない?」
目元が似ているか否かはともかく、確かに私と彼の目の色は海底と例えられるであろう深い蒼だ。だからといって、親族とは限らない。
「言われてみれば似ているような……」
顎に手をあて神妙な顔付きで曖昧な同意をする魔王さま。待て、騙されるな魔王。あなたはオレオレ詐欺に引っ掛かる祖父か、老いぼれ爺なのか。魔王さましっかり!
「あ、いや、目元じゃなくてだな」
私の心の叫びをあっさり否定し、魔王さまはふーむと唸りながら私の顔を見つめた。……照れるじゃない。嘘だけど。
「な、似てるだろ?」
にやりと笑んだおにーさん、もといおじーさまらしき人は魔王さまに同意を求める。
「似てるっつーか……」
若干顔を引き攣らせ、魔王さまは一歩後ろに退いて答えた。
「魔力の質はお前そのまんまだし、よくよく考えれば性格も相通ずる箇所が多々あるわけなんだが」
魔王さまは言葉を濁し、頭を抱える。
「何故気付かなかった俺。俺の大馬鹿野郎」
つまりおじーさま確定なわけだ。
こんな若いおじーさまがいていいのかしら、私困っちゃーう。
「最初とキャラ違くね? というかこいつ、外見と性格はあれだが俺よりもかなり年上だぞ?」
妻に浮気現場を目撃されて、誤解を解かんとせんばかりの夫のごとき口早な魔王さまのツッコミに、私はこう返した。
「悠久なる時の許、人間である限り、不変は避けられぬ事態なのです」
「お前はどっかの教祖様か」
折角胸の前で手を組んでそれっぽく言ってみたのに、高尚なる私の説法にけちをつけるおつもりらしいですよ、この魔王さまは。
「よっ。さすが俺の孫」
何も考えていないと思しき適当な合いの手が素晴らしいです御祖父様。
「ところで」
魔王さまが絶句して固まっているので、融解させるために話を引き戻す。
「このおじーさまは何者なんですか?」
先程決まった本日の最重要事項。
物心付いた頃から身寄りもなく独りだった私にとっては、身内と思しき人物の正体は非常に興味深いものだ。
「うんうん、そーだよなあ。気になるよなあ」
適当な笑みを浮かべて適当に頷くおじーさま。殴っていいのかしら。
困ったような表情を浮かべた魔王さまはおにーさんの顔色を伺い、一息ついて口を開いた。
「本人に訊いた方が無難だろ」
当たり障りのない無難な返答。
それもそうね、と納得した私は改めて仔細知れずの魔術師に向き直った。
「私、アリスって言います。あなたは私のことを知ってるかもしれないけど、私は何も知らないのよ。あなたのことも、私のことも」
笑顔を払拭した魔術師はじっと私の方を見、耳を傾ける。
「差し支えなければ、お教え願いたいのだけれど」
正直、答えてくれるなんて微塵も思っていなかった。駄目元で尋ねてみたのだ。
だが、そんな心境を露程も知れぬおにーさんは、朗らかな笑みを浮かべるとゆっくり口を開いた。「お前は、アリシア」
懐かしくもあり、聞き慣れぬ故か、咀嚼し難いその名前。
「間違いなく俺の孫。以上、説明終わり!」
「待てい」
強引にも程がある。
そう思ったのは私だけではなかったようで、私が口を開くよりも早く突っ込んだ魔王さま。
「なんだ?」
きょとんとしているおじーさまは、向けられる冷たい視線をものともせず首を傾げた。
「なんだも何も、もう少し……こう。丁寧に説明してやれよ」
保護者宣言をしただけあって、魔王さまは今日は饒舌に私の心情を語って下さること下さること。
「いや、大人の事情が」
笑顔で素早い切り返しを行う魔術師さん。確かに、私はこの人の血をひいているのかもしれないと錯覚したくなる。
「大人の事情をばらさない程度にでも……駄目?」
身を乗り出し、心持ち目を潤ませておにーさんに問い掛けてみた。
「駄目」
ちっ、駄目だったか。
「腹黒……」
笑顔で一蹴されてしまい、思わず舌打ちする。傍らで呟いたのは勿論魔王さまだ。殴ろうかしら。
「いやー、いいコンビだな。お前ら」
愉快愉快、とわざとらしく笑い声を上げながらおにーさんは立ち上がった。
突拍子ない台詞に何と返せば良いか分からず、魔王さまを見上げる私。
「良い暇潰しになった、また来るよ」
魔王さまを押し退け、颯爽と扉に向かったおにーさんは、あ、と何か忘れ物を思い出したかのように私を振り返った。
悪戯を思い付いたが如く、一物秘めた視線を注いでくる。結構、私ですら精神的にくるものがある。
もう来るな、と毒づく魔王さまに苦笑した魔術師は、取っ手に手を掛けながら最後の爆弾を投下した。
「アリスを人間界代表にしちゃって、和親の証として結婚すれば?」
理解の範疇を超えた驚異的な発想は、ただ面白いだけでなく、にわかに信じ難いものだったらしい。そのことを初めて知った私はおにーさんの言葉を解析するのにかなりの時間を要した。
魔王さまも同じくして長い間同じ場所にて硬直しており。
ようやく現実を受け入れようとした途端、あんぐりと情けなく口を開けている魔王さまと目が合い。
青白い閃光が走ると同時に、魔王城の半分が音もなく消え去ったのは少し後のお話。
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