余分なものが一つもないような丁寧な手つきで彼がスープを飲むのを見て、わたしはふと「ゾルフって食べ方が綺麗ね」と呟いた。
 窓から差し込んだ光に照らされた彼の鼻筋は、ちょうどテーブルに飾っていた北ヒマワリのように白い。それはみるからにきらきらしく外の眩しい太陽を示している。その日は朝からいい天気で、昼休憩で営業を一時停止した〈ストークス・メンテナンス〉は、営業事務所兼住居であるレンガ造りの家で従業員三名集まって昼食を囲んでいた。
 彼は一度わたしを見たが、何事もなかったようにもう一度銀色のスプーンでスープを掬って口に運び、唇につける前に「はっ」となってもう一度わたしを見た。

「いきなりなに」
「だってそう思ったから」

 師匠もそう思いますよね?と、向かい合うわたしとゾルフに挟まれる位置に座る師匠に話を振った。実際は四角いテーブルを囲んで北から順にゾルフ、ストークス師匠、わたしの順に座っていたので師匠はわたしたちと直角の位置にいたが、ことあるごとに喧嘩したり嫌味を飛ばし合う我々の間で静かに黙る羽目になることが多い師匠は挟まれているように見える。師匠は奥まった瞳でちらとゾルフを見、口をモゴモゴ動かしてスープを飲み干すと「そうだな」とだけ言った。

「師匠、ユレーに話合わせなくてもいいんですよ」
「合わせてないし!……この前も、師匠とあんたの話してたってだけ」
「あんたじゃなくて名前で呼べよ」
「あんただってわたしのこと、おいとかンとか言って名前で呼ばないじゃん」

 ゾルフは鼻を鳴らしてまたスープを飲み始める。
――その頃のわたしは、生まれて初めてできた後輩のことを自分の実の弟のように思っていた節があった。つまり、弟を持つ姉がしばしばそうするように、ゾルフのことを召使いかパシリのように扱ってはゾルフに鬱陶しがられた。

「そういう常日頃の言葉遣いが品を形づくるんだよ、ユレー」ゾルフはシニカルに目元を細めて酷薄な笑みを浮かべたが、「でもオレの食べ方なんて普通だ」とどこか気に障ったかのように妙に嫌な顔をする。
「うざい。その品ってやつ……まあ食べ方は綺麗だけど、全然ゾルフから感じないから。わたしの方が女の子だし品はある。食べ方だって……」

 一々言葉の揚げ足を取るところがカチンとくる。わたしは必死でゾルフに言い返す言葉を探したが、うまい言い方が見つからない。師匠は喧々囂々の中黙ってスープを口に運んでいたが、「そんなに気になるなら真似してみろ」と突然口を出した。

「え」
「真似る、つまり学ぶということだ」

 師匠に言われたら仕方がない。わたしはスープを飲むゾルフをじっと見つめた。

「おいユレー、見るなよ飲みにくいから。師匠もあんまり焚きつけないでください」
「早く飲みなよ、真似するんだから」
「こっちを見るなって」
「スープは冷める前に飲むのが礼儀なんでしょ?早く飲め」

 いつぞやの夕飯で聞いた文言をそのまま返してやると、ゾルフは眉を寄せて嫌そうに、しばらくスプーンを上げたり下げたりしていたが、やがて首を振ってわたしを無視して飲み始めた。

「……」

 背筋は真っすぐ、左手は皿の淵に軽く添えて、スプーンは真ん中くらいを持つ。長い指が銀のスプーンをそっと持っている。スプーンにスープを入れて口に運び、口を開ける。綺麗な歯並びに、血色の良い赤い舌が一瞬だけ見えて、一口でスプーンを加えてすぐに出す。二、三回噛んで……喉仏が動き、飲みこむ。スプーンをもう一度スープに浸して、奥から手前に動かして具とスープを掬う。飲む。その繰り返し。
 うーん、わかったようなわからないような感じだわ。そもそもわたし、いつもどんなふうにスープを飲んでいたかしら?なんでゾルフのほうが、”スープの飲み方が綺麗”だなんて思ったのだろう。

「……本当に飲みにくい。今度はオレが見てるからおまえ飲めよ」
「え、うーん、いいよ」

 言い方が悪いけど、ゾルフは正直目つきが悪い。ゾルフの切れ長の三白眼ににらまれると、こっちがちゃんとした言い分や理論を持っていない場合かなり心理的不利を感じる。
 今回は、わたしから勝手に見始めたのだから向こうの要望にも応えるのが道理ってものだ、と十二歳のわたしは考えた。でないとなんとなくずるい気がする、そう等価交換の法則的に。わたしはゾルフの食べ方を思い出して居住まいを正しスープを飲んだ。

「………」
「……なんか言ってよ」
「ぎこちない」
「うるさい」

 じわじわと恥ずかしさと苛立ちが滲んできて、思わずスプーンを投げつけた。ゾルフは習ったばかりの錬成陣が書かれた紙をパッと取り出してわたしのスプーンを受け止める――錬成反応が輝き、それはフォークになってゾルフの手に収まった。いや、いいけどなんでフォークにした?と思うや否や今度はゾルフがフォークをこちらに飛ばしてくる。
 スプーンとフォーク、どちらが殺傷能力が高いか言うまでもない。なんと非道な男だろうか!!わたしは急いでナプキンに錬成陣を書こうとするが間に合わず――

「食事は静かに」

 次の瞬間、ひときわ明るい錬成反応が部屋を照らした。青白い輝きに目を細めて、やがて光が収まるとフォークは空中で消え去り、師匠の掌に小さな花瓶がおさまっている。師匠は花瓶をテーブルの真ん中に置いた。

「……ガラスの花瓶だ」

 わたしは呟いた。「透明……二酸化ケイ素ですか?」とゾルフ。
 フォークは銀食器――つまり銀でできている。対して広義のガラス、つまり今師匠が作ったものは二酸化ケイ素でできている。物質の構造だけでなく物質のより細かい次元――つまり分子の並びや結合の仕方だけでなく原子の中身の構造まで分解し、再構築したことになる。
 通常、錬金術で原子や分子の結合や並び方を変えることまでは容易だが、それより一段階細かい錬成となるとわけがちがう。銀食器と硫酸を硫化銀にするのは容易だし、銀食器を銀のアクセサリーにするのも難しくないが、銀を二酸化ケイ素にするには銀原子三つのうち一つをケイ素、二つを酸素に変えなければならない。こういう錬成は厳密に不可能ではないが、膨大なエネルギーが必要になるうえ不安定ですぐに崩壊してしまうので、コストパフォーマンスが悪くあまり上手い錬成とは言わない。通常は。

「これくらい小さなものなら、元素の根本から錬成しなおして固定させることもできるんだ」
「へえぇ〜〜!すごーい!」
「錬成陣はどうなっているんですか?」

 目ざといゾルフに師匠は、いつの間に書いたのか錬成陣が描かれたナフキンを見せる。
 師匠は凄い。あんなわずかな間に元素変換型の錬成陣を一から構築できるなんて……わたしはスープの飲み方なんてすっかり忘れてその美しい小さな花瓶を見つめた。

「お前たちのいうとおり、このレベルの錬成は簡単にはいかない。これはわたしが溶解の錬金術師として、特にガラスに詳しかったからだ。二酸化ケイ素は研究で飽きるほど使ったからね」

 師匠は、「花でも摘んで、さしておいてくれ」と言って席を立った。花瓶は既にいつも使っているものがあったが、何故か花を飾るのが好きな師匠にとって幾つあっても良いものだ。
 午後の営業時間が迫っている。今日は午後から師匠が出かけるからゾルフとわたしで来客、電話対応をしたり、納品の対応をしたりしないといけない。錬金術の修行は夜から再開になるだろう。
 わたしは慌ただしく皿を片付けて、ゾルフは夕飯の下準備にかかった。穏やかな日々だった。



 彼と出会ったのは、良く晴れた冬の日だった。
 新しく弟子入りする子が街にやってくるときいてわたしは少しどきどきしながら朝食の皿を洗っていた。師匠は食後のコーヒーを飲んでいた。キッチンは埃っぽい機械油に混じってコーヒー豆の香りが漂っていて、暖炉の薪がパチパチ音を立てて部屋を暖かく照らしていた。外の凍てつく寒さに囲まれた橙色の部屋がわたしは好きだった。
 しばらくして靴音がして、コンコン、と扉を叩く音が聞こえた。『閉店中』の釣り看板を傾けて扉が開き、黒いカンカン帽にグレーのコートを着た少年が入ってきた。
 13歳にしては大人びた行儀のいい顔だ。鼻の頂上が寒さですこし赤らんでいる。彼は小さい声で「失礼します」と言った。

 機械自動車修理工場〈ストークス・メンテナンス〉は、セントラルから北西部に2時間ほど鉄道に揺られた工業地帯に居を構える。わたしが、修理工場のオーナーで元国家錬金術師だった”師匠”の元で修行をはじめて2年が経っていた。
 わたしの故郷は工業ベルト地帯を更に北上したブリックス山脈のふもとにあり、その小さな村で炭鉱夫の父、酒場で働く母、足の悪い祖母の4人で暮らしていた。しかし4人家族だった頃の思い出は殆どない。幼い頃に父が炭鉱の爆発で死んで、すぐ母は夕方から朝にかけて働き始めたのでわたしはいつも祖母と二人だった。たぶん貧乏だった。
 一家の稼ぎ頭だった父が死んで、母は1人で3人分稼がないといけなくなった。でも、自分が貧乏だったことを知ったのは師匠のところに来てからで、故郷にいた頃は「母が仕事を変えた」ということしかわからなかった。
 わたしは母が、今まではしなかったようなお洒落な……動きやすいからと言って着ていた襦袢を脱いで、ヒラヒラしたスカートに鎖骨が見えるような格好をして出かけていくのを不思議な気持ちで眺めていた。母は夕方家を出て朝早くに帰宅し、わたしと祖母の朝食を作るために台所に立つ。その前に、キッチンの椅子に腰を下ろして一杯のコーヒーを飲む。
 母の椅子をよく覚えている。
 母は、店用のドレスに厚手のガウンを引っ掛けた姿のまま椅子に座る。香水の匂い、埃っぽい外の匂い、コーヒー豆の匂い。空が白み始める頃、母の飲むコーヒーの香りでわたしは目を覚ます。母は必ず椅子にもたれて、一杯のコーヒーを片手に僅かの間読書する。棚に飾られた父の写真を見上げながら――。
 そんな母の気配を感じながらまどろむ朝は、もはや懐かしい思い出だ。まだ幼かったわたしは、自分もなにかお母さんの役に立てたらいいのに、と思いながら申し訳ない気持ちで毎朝学校に行っていた。別に勉強は好きじゃなかったけれど、なぜか初等学校では成績が良かった。
 しばらくして、母の遠い知り合いだという整備士の男に預けられた。10歳のことだ。
 それから2年間、わたしは師匠の元で錬金術と機械いじりを学んでいる。師匠――アイゼン・B・ストークスは二つ名"溶解"を戴く元国家錬金術師で、御歳51になる。機械自動車の修理工を営みながら、現役時代の貯金と店での売上を基に今も錬金術の研究を細々と続ける愛嬌のない男だ。彼のそっけなさといったら、親元を離れた10歳の少女が部屋に閉じこもって泣いていても気にしないばかりか、「錬金術の基礎を覚えろ」とかいう言い分で東の果て・クセルクセス遺跡付近の砂漠に一ヵ月ほったらかしにするほどである。優しい家族に囲まれて育ったわたしにとって彼の教え方は衝撃的だったが、それももう慣れた。
 アメストリス北東部にあるこの街では10月にはもう冷たい風が吹き始め、人々は毎晩温かいウォッカを煽る。でも、師匠は寒くなると早く寝て、その分早く起きて湯を沸かしコーヒーを飲む。コーヒー豆の香ばしいかおりが染み付いた師匠の背中は、仕事帰りの母を思わせて好きだった。

「ユレー、お前に後輩ができる。ゾルフ・キンブリーって子だ」
 
 弟弟子ができることは、師匠から唐突に聞かされた。びっくりして目を見開きスプーンを取り落とすわたしをよそに、師匠は彼の身の上話を始めた。
 ゾルフ少年は、幼い頃に両親をクレタ国境紛争で亡くし教会運営の孤児院で育ったそうだ。孤児が軍人を目指すのは珍しいことではないが、士官学校は18歳以上にならないと入れない。それでどういうわけか、国家錬金術師の資格を取ることにしたという。つまり、最初から軍に仕えることを目的とした国家錬金術師志望の男の子ということだ。
 ゾルフ・キンブリーか……どんな子だろう。軍に仕えたいとか、国の為に働きたいとか思ったことないから、そういう風に考える人の気持ちって全然分からない。士官学校に入りたいってことはやっぱり正義感の強いちゃんとした子なのか、それとも孤児だから早くちゃんとした生活を送れるだけのお金と身分が欲しいということなのか。
 後者かな、となんとなく思いながらわたしは少年が帽子を取るのを眺めた。

「ゾルフ・キンブリーです。不束者ですが、よろしくお願いします」

 刈り上げた黒髪に切れ長の瞳。むすっとした口元はぴくりとも笑わない。なるほど、少なくとも大事に育てられたお坊ちゃんという感じはしないな。
 師匠は手を差し出し、それが握手の為だと気づいた少年がその手を取るとブンブンと大きく握った。

「どうも。わたしはアイゼン・B・ストークス!こっちのはお前の姉弟子にあたる、ユレーだ」
「ユレー・レイリー。よろしく」
「……よろしく」

 ゾルフはちらりとわたしを見て軽く会釈したが、すぐに師匠を見上げてなにやら話し始める
 なぁんか、あんまり可愛くない弟分が来たな。ユレー・レイリーは年下の可愛い後輩が欲しかったので妙にガッカリした。生意気そうだし、そもそも男の子だ。これから仲良くできるかな…と心配になったところで「こいつの世話はお前がしろ」という師匠の一声で現実に引き戻された。
 なんですって?という視線を込めて師匠を見る。ゾルフくんも俄かにうろたえているが、師匠は既に日々のルーティーンを始めるべくコーヒーカップを飲み干し席を立って上着を持ち、奥の作業場に引っ込もうとしている。師匠は子どもの無言の訴えに応えてくれるほど優しくないのだ。

「世話って、どこまで?案内とか?」
「これから一緒に住むんだ、不便がないように案内すればいい。日課の仕事は今後お前ら二人で分担してやれ。こいつの錬金術の修行については後で伝える」

 師匠は「そもそもまだなんにも決めちゃいないからな……」と言って頭を掻き、今度こそ作業場に引っ込んだ。部屋には、わたしとゾルフが残された。
 薪が爆ぜる音が聞こえる。わたしは荷物と上着を持って所在なく立ち尽くす彼を見て、「ついてきて」と言って二階の私室に向かった。彼の部屋はわたしの隣の空き部屋になることが決まっている。

「わたし、後片付けしてるから。動きやすい格好に着替えたら下に降りて待ってて」
「はい」
「畏まらなくていいよ……これから一緒に住むんだし。じゃ」

 うまく喋れない。わたしは、弟弟子という存在とどんな距離感を保てばいいのかてんでわからなくてとても気まずい気持ちだった。なんとなく目線を反らして口早に言い、階段を降りようとしたところで「あ!」と声を上げた。

「あんた、朝食食べたの?」

 まだ冷蔵庫に卵とベーコンがあったはずだ。コーヒーもまだ少し残っていたかも……いや、この子はまだ飲まないか。
 ゾルフは片眉をあげて「食べてない」と答えた。

「じゃあ用意しとくから」
「……ありがとう、ユレー」

 後から聞いた話だと、ゾルフは親からよく”行儀良くしなさい”と教え込まれたそうだ。だから、このとき初対面のユレーを”面倒くさそうな先輩がいるな”と見下していたにもかかわらず、親からの教えを思い出してちゃんと感謝の気持ちを述べたらしい。
 ゾルフは思った通りコーヒーを遠慮した。「君はコーヒー飲めるの?」と聞かれて、得意げに「飲むよ。べつに、普通に美味しいよ」と嘯くと、彼は納得いかなさそうに「そうなんだ」と呟いた。そして……多分その次の日からだろう、段々わたしを馬鹿にするようになった。
 母や師匠の真似をしてうまくもないコーヒーを一生懸命飲んでいたのを、やせ我慢だと見透かされたのだ。わたしは恥ずかしいやらむかつくやらで胸がカッとなった。それからゾルフとはチクチクした嫌味の応酬が常になり――とはいえ子どもなので仲直りと喧嘩を頻繁に繰り返した――少しずつ打ち解けていった。



 子どもの頃のわたしは早く大人になりたいとそればかり思っていた。師匠の元に来てからもう2年も経っているのに機械工マスターまでの道のりは遠く(勿論錬金術師など更に遠く)、いつになったら己の食い扶持を己で稼げるようになるのだろうと毎日焦っていた。将校の息子だとか、医者の娘だとかいう育ちのいい子にコンプレックスを持っていたのもある。実際、わたしは特に問題なくちゃんと成長していたけれど、ああどうして子どもの時間は大人と比べて途方もないほど長くて、刺激的なものだから、大人になるまでの時間がまるで永遠のように感じられた。
 師匠は自らの錬金術の腕前を決して人前で見せびらかさなかったので、師匠が元国家錬金術師であることは、その街ではあまり有名ではなかった。なので、街でもわたしたちが錬金術を習いに来ているということはあまり知られておらず、いつも煤けた格好をした孤児だと思われていた。修理工場のレイリーとキンブリーの名前がセットで知られるようになってからも、若くして親元を離れた見習い修理工というのが二人の肩書だった。わたしたちは若く、知識と愛に飢えていて、水を吸収するスポンジのように修理工技術も錬金術も覚えていった。
 わたしとゾルフは一見よく似ていた子どもだったろう。しかし、わたしにはゾルフがその辺の子どもとは違って見えた。
 ゾルフは孤児のくせに妙にお行儀が良く、なんていえばいいか、そう、品がある。身振り、素振りや言葉遣いの節々に、かつてはそれなりにいいところで育ったような名残が見えた。野放図にのびた雑草のようなガサツさと、強い”執着”を持った目つきと相まって、それらは美しく歪に映った。自分にはまねできないその振る舞いがわたしは少しうらやましく、でも、彼が自分の弟であるというだけでそれら全てが愛らしく映った。

 夕方、家の裏手の河川敷。
 錬金術の野外実習を終えた帰り道、ゾルフが手を服でしきりに拭くようなしぐさをしているのが目に留まった。例えばわたしは、皿を洗った後手ぬぐいがなかったとき新しい手ぬぐいを出さずにその辺の布で適当に拭ったり、爪の隙間に入り込んだ土をちょいちょいっとエプロンで拭いたりして誤魔化すが、ゾルフがそういったことをしているのは見たことがない。

「怪我したの?」

 声をかけると案の定「別に」といって指をぱっと離したので、駆け寄って「見せてみな」と言った。
 ゾルフは僅かに抵抗する素振りを見せたがガンとした態度で彼の前に立ちふさがるとしばらくして根負けし、その赤く皮の向けた指と服についた血があらわになった。

「うわー、痛そう。ちょっと待って」
「いいよ、構わないで」

 構うなと言われて「まあいっか」となるほど浅い傷じゃない。多分、外での組手の最中河川敷に転がっていたビニールパイプの破片で切ったのだろう。むしろなんでこれを師匠に報告しないんだ、と思うような中怪我(大けがではないので)だ。
 水と草の汁でアルコールもどきをつくり、服にしみこませてその赤く汚れた指にぽんぽんとつける。ポケットに入っていたハンカチを割いて指に巻く。

「できた。痛くない?」
「そのアルコールっぽいもの、ちゃんと錬成できてるのか?」
「できてるできてる。帰ったらちゃんと師匠に見せなね」
「こんなのすぐ治るって」
「いや、さすがにこれはすぐは治らないでしょ……」
 
 呆れて言うと、ゾルフは片方の眉をあげて「まあ」とぼやき少し笑った。あ、笑った。わたしはそういう、ひょんなときに見せる彼の笑みが好きで、敢えてバカみたいなことを言ったり進んでツッコミ役に興じることがある。彼は上等な横っ面にいつもすまし顔を張り付けていたが、たまにわたしに笑いかけてくれた。
 彼は可愛い弟弟子だった。いつも、今までも、ずっと。

冬の朝、いとけない横顔

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