突風襲来(2/12)

春香さんの家は囲いと庭もついた立派な一軒家で、とても彼女ひとりが暮らしているとは思えない大きさだった。案内された一室で、私は彼女の手当てを受けることになる。

「うん、よかった。思ったより酷い怪我じゃなさそうだ。肩も外れていないし、これなら薬を当てるまでもなさそうだ。冷やすものを貸そう」
「よかったねー、立花ちゃん」
「はい、ありがとうございます。黒鋼さんも、さっきはありがとうございました」
「…ふん」

座っていた彼女は外に出て、手巾を濡らしてまた私達の下へ戻ってくる。皆さんの視界に入らない部屋の隅、箪笥と壁の間に移動して、肩を冷やしながら壁にもたれかかった。そうしていると随分と体が楽で、一息つけそう。
皆さんも安心したように笑ってくれるから、同じように笑って応えた。黒鋼さんも興味がなさそうにしているけれど、さり気なく座る位置をずらしてくれる。マガニャンを読みたいだけかもしれないけど。優しさに溢れているなあ。
私の手当てに使った道具をとても丁寧に片付けた後、春香さんは居住まいを正して私達をじっと見つめた。

「さて、突然すまないが。おまえ達言うことはないか?」
「え?え?」
「言いたいこと、ですか?」
「ないか!?」
「いやあの、おれ達はこの国には来たばかりで、君とも会ったばかりだし…」
「ほんとにないのか!?」

春香さんの様子は真剣そのもので、ふざけている様子は微塵もない。本当に私達が何か、春香さんに言うべきことがあるのだと彼女は考えているのだろう。詰め寄られている小狼さんはたじたじだ。いつもの頼みの綱であるファイさんは、家の調度品が気になるのかそちらを向いてばかりである。哀れなり、小狼さん。
困惑するばかりだった小狼さんの様子に、春香さんは自分の勘違いに気づいたようで深く溜息をつく。その中に聞き覚えのない単語が混ざっていて、一斉に聞き返すことになった。

「あめんおさ?」
「暗行御吏はこの国の政府が放った隠密だ。それぞれの地域を治めている領主達が私利私欲に溺れていないか、圧制を強いていないか、監視する役目を負って諸国を旅している」

暗行御吏と書くらしい。隠密というと忍びの印象が先立つが、どちらかというと国の役人のような印象を受ける。なるほど、しかしその人達がなす事になんだか既視感がある。はて、何だったか。考え込んでいると、モコナさんが嬉しそうに飛び跳ねた。

「水戸黄門だー!!!ひゃっほーい!!」
「それです!!!」
「侑子は初代の黄門様が一番好きなんだって!!」
「えっ、魔女さん水戸黄門見てるんですか!?」

お年寄りしか見てないと思っていたのに。もしかして、あの魔女さん実は見た目とお年が一致していない?いやいやいや、力ある女性にはありがちな話だ、現に夢見姫さまだって……、あの方おいくつなのだろう。悶々と考え込んでいれば、今まで話に加わっていなかったファイさんが前へ出ていく。春香さんはモコナさんの見た目に驚き、もちもちとした体に突撃されていた。なんと可愛らしい。

「オレ達をその暗行御吏だと思ったのかな?えっと…」
「春香」
「春香ちゃんね。おれはファイ。で、こっちが小狼君。こっちがサクラちゃん。隅っこの子が立花ちゃん。で、そっちが黒ぷー」
「黒鋼だっ!!」
「おー、いつものやり取りです!」
「漫才扱いしてんじゃねぇよ」

わいわいとした空気を前にしても、春香さんの顔色は変わらない。ずっと気がかりなことを抱えていて、歯がゆくて仕方ないといった佇まいだ。その様子をファイさんは敏感に感じ取ったのだろう。それに市場での出来事や彼女の必死さからも、何を望んでいるか痛いほど理解できる。

「つまりその暗行御吏が来て欲しいくらい、ここの領主は良くないヤツなのかな?」
「最低だ!それにあいつ、母さんを…」

母さんを。何と続けたかったのか、碌でもないことであることには間違いない。唇を噛み、眉を強くしかめた彼女が続けようとした言葉は、突然の物音に邪魔されてしまう。
木造家屋が軋む音を立てるほどの強い風が、外で吹き荒れているのだろうか。立ち上がったファイさんに釣られて、窓の外を確認しようと近寄る。

「風の音?」
「いきなりどうしたんでしょう…外で何が、」
「外に出ちゃだめだ!!」
「え…ッ……ふぎゃっ!?」

なんと。その時を見計らっていたのではないかと疑うくらい、タイミングよく風によって窓が風に押し開かれた。鼻先を掠めた窓の角に、情けない悲鳴をあげるしかできない。間一髪で避けられた幸運に、感謝するしかなかった。冷や汗を拭ったが、まだまだ脅威は止む様子はないようだ。依然として風は吹き荒れ、開かれた窓はバタバタと揺れる。それは近くにあった大きな鏡を、今にも割りそうになっていた。

「……あ!」

似たようなものを何度も見てきたから、ひと目見て分かる。あれは呪具や祭具の類のものだ。そんな貴重なものを、そう簡単に割らせるわけにはいかない。
外からの風の襲撃は第二波に及び、それなりの重さがあるはずの鏡が"浮き上がる"。そのチャンスを逃すまいと、体全体を使って抱き抱えて床へ転がった。いや、吹き飛ばされたという方が、正しいかもしれない。

「く……ッ」
「きゃああ!」
「きゃーー、飛ばされる!」

外から家を押しつぶさんばかりの勢いで吹き荒れる風。受け身を取って転がりながら、目を閉じる。腕の痛みが引いていて良かった。私達は各々風に飛ばされないようにして、嵐が過ぎるのを待った。


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