『ここ数年、池袋は物騒だ』
 いつだったか、池袋警察署の葛原宗司がそう吐きこぼしたことがある。
 確かに、最近ではカラーギャングやら何やらが蠢き始め、一般人にも被害が出ていることがあるのだが、その理由は一体何なのか。
 恐らく、池袋警察署に長く居る者なら、二人の人物の名が上げられることだろう。
「いーざーやーくーん? 忘れ物でもしたのかなぁ……? 何回忘れ物取りに戻ってんだ、手前! もう次はねぇっつったよなぁ!? てことは引き千切られても文句は言えねぇよなあ!!!?」
「ハハハ、やだなぁ、俺が忘れ物なんてするわけないじゃない。しかも何度も取りに戻るなんて醜態を曝すわけないでしょ、シズちゃんじゃないんだからさ」
「よし殴る、蹴る、踏む、すり潰す!!」
「こっわぁ」
『折原臨也』と『平和島静雄』
 この二人が邂逅したことにより、池袋という街の歯車は狂い始めたのではないだろうか。
 平和島静雄は一度大掛かりな補導をされたことがあり、折原臨也の方も中学時代に同級生への傷害事件で一度だけ補導されたことがある。
 どちらも補導歴は一回。
 なぜ今までで一回だけなのかと疑いたくなるほどだが、事実であるものは仕方がない。
 そのことだけを聞いていれば、少しやんちゃをやっていただけの青年たちのように思えるかもしれないが、それは大きな間違いだ。
 折原臨也と平和島静雄は、警察署長もお手上げするほどの問題児である。
「また自動販売機? バリエーションなさすぎでしょ。ていうか、自動販売機は投げるためにあるんじゃないの、分かってる? それじゃあ自動販売機が可哀想だよ」
「手前に同情されるほうがよっぽど可哀想……だろよっ!!!!」
 目に見える危うさは平和島。
 目に見えない危うさは折原。
 両者共に、危うさのジャンルは違えど周囲に与える影響力というものは異常に高い。
 折原臨也と平和島静雄。二人の存在が、この街を、この池袋を変えてしまったのだ。
 そして、今日……
 ブラックリストの一番上に記載された折原臨也と平和島静雄が、ブラックリストの中に名前を入れられている二人の少女の手によって、印象が玉砕されることになるのだった。

ドガシャア!!!


 喧しい避難警報が、池袋という賑やかな街に轟めく。
 街行く人々はそそくさと二人から離れ、投げ飛ばされた自動販売機から無事に逃げ果せた。
「チッ……避けるなよ」
「やーだね、俺は的じゃないんだから当たってやらないよ」
「じゃあ次で……仕留めてやるさぁ!!」
 唸るように叫び、足の裏にありったけの力をこめて力強く地面を蹴ると、その反動を巧みに利用して勢い良く臨也に殴りかかる。
 腹の立つ笑みを浮かべた端整な顔に拳がめり込む
 寸前で、
 臨也は踊るように軽快に身を捩らせると、コートをふわりと翻して、いとも容易く拳を回避した。
 宙を切った拳は目標を失い、静雄がバランスを崩したのを気配だけで察知すると、臨也は臆病なくらいの速さでその場を逃げ出した。
「ああ!? てめっ……待ちやがれ!」
「うっわ、追いかけてきたよ! 来ないでシズちゃんセクハラぁ〜!」
「意味わかんねぇことほざくなッッ!!」
 動揺する人々を掻き分けながら静雄を撒こうとする臨也と、それを鬼の形相で追いかける静雄。
 人々を巻き込みながら街中を奔走する彼らは、どう考えても迷惑だ。


♂♀

池袋 明治通り

 数分間全力疾走をした結果、なんとか静雄を撒くことに成功した臨也は、どうやって新宿に帰るかを思案しながら歩いていた。
 ――このまま潔く諦めてくれてたらいいけど……駅で待ち伏せとかもあり得るしなぁ……。
 ――完全に撒けたわけじゃないから、タクシーでも拾うかな
 そう決めてタクシーを探し始めた、その時、


「あ! イザ兄だ!!」


 少し懐かしい……というよりも、あまり聞きたくない声が、鳴った。
『まさか』と、苦い表情を浮かべて声のした方向に顔を渋々向けてみると、想像通りの人物がいた。
 対称しているようで非対称な恰好をした二人の少女。同じ顔が、二つ。
 そこにいたのは、臨也の双子の妹、現在中学校に通っている折原九瑠璃と折原舞流だった。
「クルリ、マイル……」
 二人を見つけてしまった臨也は、思わず数歩後退る。そんなことお構いなしに、舞流が満面の笑みを浮かべて臨也へと駆け出した。
「ひっっっさしぶりだね、イザ兄! 元気してたぁ?」
 そのまま速度を緩めることなくタックルすれば、短い苦悶を上げながら臨也の体が後ろへとよろめく。
「兄(兄さん)……久(久しぶり)……」
 兄妹の再会に喜ぶ九瑠璃と舞流は、臨也の顔を見て顔を綻ばせた。
 しかし、臨也の顔は依然として強張ったままだ。
 口許を引き吊らせながら無理矢理形だけの笑みを作ると、すぐさま舞流を引き剥がす。
「ひっどぉい、イザ兄! 可愛い可愛い妹たちに会えて嬉しくないのぉ!?」
「……そんなデカい声で騒ぐ必要ないだろ」
「沈(悲しい)……」
「九瑠璃は落ち込み過ぎだよ……」
 困ったように溜め息を吐き出して、『厄介なのに遭遇したな』と心中で独白する臨也は、相当参っているように見えた。
 しかし、不意に何かを感じ取り、硬直する。
 頬を、背中を、冷たい汗が伝う。
 嫌な予感しか、してこない。
 不思議そうな目で自分を見上げてくる妹たちに気を取られることなく、臨也は頭を両手で守るように包むと、一気に膝を折ってその場にしゃがんだ。
 途端に、


「ニャアッ!」


 一瞬で頭上を猫の声が通過していった。
 通過したと思われる猫は、臨也と少し離れた向かい側にいた九瑠璃によって上手い具合にキャッチされている。
 ――流石俺の勘。鍛え上げられてるねぇ……
 なんて余裕でいられたのも、その時までだ。
「イーザーヤーく〜ん」
 背中から、声。
 振り向かなくても分かる。
 見つかった。
「また避けやがったなあ?」
「ハハハ、確かにワンパターンだとは言ったけど、そう指摘すればこうなるのか。……野良猫には何の罪もないと思うけどねぇ、シズちゃん?」
 臨也の表情は自然と歪み、笑顔を張り付けようとした頬は思わず痙攣してしまう。
 振り返りたくないとは思いつつも、顔を後ろに向けてみれば、予想通り、平和島静雄の姿があった。
 臨也の顔を見た途端に、静雄は子供が泣き出してしまいそうなほど凶的な笑みを浮かべる。
「投げつけてやれるもんがなくてよ。電柱やら街頭引っこ抜いてぶつけてやっても良かったんだけどな、音がしちまうだろ?」
「……だからって普通猫を投げる? 非常識だよ」
「手前を見つけたら全力で打ちのめす。それが俺の常識だ」
「出たよジャイアニズム120パーセント発言。呆れるね」
「ああ、なんとでも言いやがれ……どうせすぐに何も言えなくなるんだからよぉ……!!」
 ゆっくりゆっくり、それでも着実に距離を詰めてくる静雄からは、殺気が滲み出ている。
『滲み出る』というよりも、『溢れ出る』と言ったほうが正しいかもしれない。それくらいの勢いで殺意剥き出し状態だ。
 そんな静雄に、臨也は今度は逃げることなく悠然とその場に佇んでいる。
 冷たい笑顔で、憎悪嫌悪を身に纏って、鋭い瞳で静雄を睨みつけていた。
『やってやろうじゃないか』 そう決めて、コートに忍ばせた携帯用のナイフを取り出す――筈だった。
「キャー! 静雄さんだぁあ!!」
 鼓膜を劈くような、甲高くて黄色い絶叫。
 その叫び声に驚いて、不覚にもビクリと肩を震わせてしまった臨也だったが、どうやらそれは静雄も同じだったらしく、見れば肩が上がっていた。
「やったぁ、静雄さんに会えるなんて! ありがとイザ兄! 今漸くイザ兄に会えて良かったと思えたよ!」
「……遠回しに俺よりシズちゃんに会えたことが嬉しいって言ってるよな、それ」
「灼(妬いてる)……?」
「違う、嫉妬じゃない」
「え、イザ兄静雄さんにヤキモチ灼いちゃったの? かっわいー!」
「違うってば」
 臨也と二人の少女の会話を聞いたことにより、静雄の視界に漸く九瑠璃と舞流が映し出された。一瞬誰だか分からなかったらしく首を捻った静雄だが、二人の臨也と同じくらいに整っている顔を見て、『ああ』と納得したように手を打った。
「クルリとマイルか」
 折原美人三兄妹。
 名前を呼ばれた九瑠璃は控えめに微笑み、舞流はニコッと無邪気に笑った。
 ――ノミ蟲野郎とは違う笑顔だよな。
 ――野郎の笑顔はぶん殴りたくなる……!
 そんなことを頭の片隅で考えて、臨也を睨み付ける。
 かち合った目と目。火花が散る。
 静雄は大股で臨也の前まで辿り着くと、愛用のサングラスを胸ポケットに仕舞い込んだ。
「静雄さんイザ兄のこと殴るの? じゃあ顔はやめてね! 私、イザ兄のルックスは総合的に好きだけど、特に顔が大好きなの!」
「ルックスっつーことは中身は好きじゃねぇってことだよな?」
「勿論!」
「肯(うん)……」
 九瑠璃と舞流の応答を聞いた臨也は冷淡な顔をしたままだったが、静雄は愉快そうに口の端を歪めて嘲るように笑った。
「とんだ嫌われようだな、イザヤ兄ちゃん?」
 わざと『兄ちゃん』を強調して言ってやれば、臨也が大きく舌打ちをする。
「別に構わないさ。……弟を溺愛するどっかのブラコン兄貴よりはマシだと思うよ、静雄お兄ちゃん?」
 にっこりと、腹黒い笑みを湛える臨也に、静雄はムッとして口を結ぶ。
 そして何か言い返そうと口を開いた、ところで――
「静雄さんを否定するなんて、それは幽平様を否定してるのと同じだよ、イザ兄!」
「許……否(許せない)……」
 折原双子姉妹に、遮られた。
「はあ?」
「今さっきの言葉は幽平様への侮辱の言葉に聞こえた」
「酷(ヒドい)……」
「……そんなつもりで言ったわけじゃないんだけど。言葉の意味を深く取りすぎじゃない?」
「それはただの言い訳に聞こえるね」
「……」
『――やっぱり扱いにくい妹達だ』と改めて確信する。
 臨也は自分の妹たちを、疎ましげに見つめた。
「故(だから)」
 途端に、
 九瑠璃の腕の中に収まっていた猫が急に暴れ出したかと思うと、腕をすり抜けて、そのままどこかへと消え去ってしまう。
 それを目で追いかけていた隙に、九瑠璃と舞流が臨也の後ろへと回り込み――


 臨也の両手を後ろで束にして、そのまま手の動きを封じ込めた。




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