「池袋には来んなって……言ってんだろぉが…… 臨也ぁあ……!!」
「おやおや、シズちゃんじゃない。俺を見つけるなんて毎度毎度ご苦労なこったねー」
「……うるせぇ黙れテメ、」
「……?」
 言葉の途中でゴホゴホと咳き込む静雄。
 臨也は静雄がいつもと違うことにふと気がついた。
 よく見たら足はおぼつかないし、肩で息をしている上に、きちんとこちらを睨みつけてくる双眸はなぜか虚ろで、顔は少し上気している。
「……シズちゃん?」
 おかしい。明らかに、絶対おかしい。
 チョイチョイと軽快なステップで静雄に近寄り臨也が顔を覗きこむと、静雄は小さく舌打ちをしてから拳を振り上げた。
 ――殴られるのかな?
 あまりにも迫力のない動作を見て、思わず語尾が疑問系になってしまう。
 のそり、と、重力まかせに降ってきた拳は予想通り容易く回避できた。
 ――なにこいつ。
 ――気味が悪いくらい、変だ。
 普段の静雄らしくないと、強い違和感を感じた臨也は思わず眉を潜める。
 潜めたのと同時に、静雄が拳もろとも崩れるように前に傾いてきた。
「ちょっ……と……!」
 そのまま臨也に被さる形で静雄がぐったりと倒れ込む。
 静雄と共にそのまま倒れそうになった臨也は、偶々背中にあったコンクリートの壁により、それを免れることができた。
「……なに、新手の嫌がらせ? ふーん、シズちゃんにしては考えたじゃない。確かにこれは最悪だ」
「……る、せぇ……」
 口数が少ない。しかも、体が焼けるように熱い。辛そうに吐かれる息だって、熱がこもっていた。
「……シズちゃん?」
 反応がない。
 臨也は静雄を左手と一緒に支えていた右手をどうにか動かし、その手を静雄の額へと伸ばした。
「あっつ! ウソ、シズちゃん熱あるの!?」
 今世紀初の生物を発見したかのような声を上げて、純粋な驚きに目を見開く臨也。
 そんな臨也の声が頭に響いたのか、顔を歪める静雄を見て、臨也は今度は静かな声で面罵を繋いだ。
「へぇ……馬鹿は風邪を引かないってよく言うのにねぇ……。あ、そっか。シズちゃんは馬鹿じゃなくて単細胞だったもんね、ハハ!」
「……」
「……無言? えー、詰まんないのー……」
 静雄に触れている部分が尋常ではないほど熱い。
 ――さて、どうしたものか……。
 ――このままここに放置するのもアリかな?
 ――でもなぁ、いくら宿敵とは言え流石にこの状態は……。
 ――シズちゃんが俺ならどうしただろう?
 ――こいつはなんだかんだで心根は優しいから、きっと俺を助けちゃうんだろうな……。
 ――じゃあせめて、新羅のとこだけでも連れて行ってやるか。
 ――でもここから新羅の家は遠いな。
 ――じゃあ……運んでもらうしかないか……。
 すると臨也はよいしょよいしょと右手をコートのポケットへと忍ばせて、スライド式の携帯を取り出した。
 そして、ある人物の電話番号を引き出し、通話ボタンを押した。
「……。あ、運び屋ぁ? 急で悪いんだけどあんたにお願いしたいことがあってね。人を一人運んでほしいんだ」
 ブツリ
 後にツーツーという虚しい音が鼓膜を揺らす。
「……」
 臨也は暫く何か考えたあと、再び同じ名前を表示させて電話を繋いだ。
「……切らないで。人一人っていうのは死体とかそういう意味じゃないよ、そのまんまの意味さ。実は、その……運んでほしいのはシズちゃんなんだよね」
 当然のことながら向こうから声は返されず、ただ徒に沈黙だけが吐き出されている。
「なんか熱があるみたいなの。タフなシズちゃんでさえ参ってるんだから、かなり重症なんじゃないかな? だいっきらいなシズちゃんだから、俺としてはこのまま野垂れ死んでくれても良かったんだけど、目の前で茹だりながら死なれるのは流石に見苦しいよ。でも俺はシズちゃんを助けてやるつもりはさらさらない。だから――運び屋、引き取りに来てくれないかな? 君、シズちゃんと仲いいでしょ?」
『……』
 ブツリ、ツー、ツー……
 セルティが引き受けてくれたのかはあの沈黙ではわからない。
 だがセルティは寛大な心を持つ女性だ。
 きっと来てくれるに違いない。そう自分に言い聞かせながらスライドを閉じると、別の番号から着信を受けた。
 ――新羅?
 疑問に首を傾げつつも、通話ボタンを押す。
 耳に携帯を当てた途端、聞こえたのは新羅の声ではなく、ひどく苦しげな咳だった。
「……大丈夫?」
『……ああ、ごめんね、臨也』
「ひどい声だね、一体どうしちゃったのさ? まさか新羅も風邪?」
『ははは……うん、そうなんだ……』
電話越しでもわかる。喋るだけでも辛そうだ。これには流石の臨也も心配になってしまう。
「シズちゃん診てあげられる……わけないか。んー、困ったなぁ……」
『……ていうかね』
「ん?」
『僕がこんな状態になったのは……静雄を診てやってからなんだ』
「――え……」
『道端で酔っ払いのリーマンと一緒になって倒れ込んでいる静雄をセルティが拾ってきてね。その時静雄を診てあげたんだけど……。多分、静雄の風邪が移ったのかな?』
「……」
『だから臨也、悪いんだけど静雄を静雄の家まで運んで行ってくれないかな?』
「はあ!? イヤだよそんなの!」
 ゴホゴホと咳き込む新羅。
 それを聞いて思わず口を結ぶ。
『君が静雄を嫌いなのは充分……充分すぎるほど分かっているんだけどさ、それを承知の上でお願いしてるんだ。臨也、頼むよ。今回だけでいいんだ。我慢してくれ』
「……」
 ――嫌。
 ――絶・対、イヤだ。
 ――だってシズちゃんだよ?
 ――なんで俺が世界で唯一嫌いな奴をその家まで運んでいかなきゃならないのさ?
 ――考えてもみろ
 ――あの、平和島静雄だぞ?
 ――この俺が……
 ――折原臨也が……
 ――平和島静雄を、助ける……だって……?
『……臨也』
「……わかったよ。運べばいいんでしょ、運べば」
 半ばヤケになりながら言い捨てて、携帯を引き剥がす。
 通話終了ボタンを押す直前に、受話器越しから新羅が安堵したような声で『ありがとう』と呟いたのは聞こえないふりだ。
 臨也は、携帯をポケットに仕舞い込むと、心の底から長い溜め息を吐き出した。
「……ほら、行くよ、シズちゃん」
「……」
 自分より背の高い静雄を支えてやりながら、ゆっくりゆっくりと路地裏を歩き進める。
 ――なるべく人目のつかない道を通ろう
 ――こんなの目立ちすぎるし、シズちゃんに関して俺も噂の餌食にはなりたくないしねぇ……


♂♀

池袋某所 静雄のアパート

「タバコ臭い」
 部屋に入ってからの臨也の第一声は、これだった。
「シズちゃん、ちゃんと換気してるの? こんな汚い酸素、とてもじゃないけど俺は吸いたくない」
「……じゃあ息するな」
「あー、もう! シズちゃんなんて放置すれば良かった! こんだけタバコ吸ってるんだから、肺ガンにでもなってさっさと死んでくれないかなぁー?」
「俺だって、手前を家に上がらせるなんて最悪だ。……つか、もういい。手前とっとと帰りやがれ」
「それが助けてやった人に対する言葉かなぁ?」
「出てけ」
「はいはい。そのまま孤独死でもしちゃってよ。まったく、これだから単細胞は……」
 背を向け玄関の戸を開けたところで、ズダン、と大きな音が背中から鳴る。
 ゆっくりと振り返ってみると、そこには力尽きたかのように床に倒れ付す静雄の姿があった。
「……」
「……」
 数秒の沈黙。
 意識はあるのだろうが、ぐったりとしたままピクリとも動かない静雄。それを眺める臨也。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……はぁ〜〜〜〜……」
 莫大な溜め息を吐きこぼすと、臨也は玄関の戸を閉めて、タバコ臭い室内へと上がり込む。
「シーズちゃーん」
 静雄の側へ行くと膝を折って静雄を鑑賞する臨也。
 それこそ、死体を検証する刑事のように。
 しかし静雄に反応はない。
 両目は確かに開かれているのに、何も言い返してこない静雄は、大人しすぎる。異常だ。
「……」
「ありゃりゃ。こりゃ重症だわ」
 肩を竦めると、臨也はズルズルと静雄を引きずりながら部屋の奥へと進んでいった。


♂♀

「――はい、水。ちゃんと飲まなきゃダメだよ?脱水症状起こしちゃうからね」
「……」
 部屋にあった適当なコップに水を入れて静雄に差し出す臨也。
 静雄がしぶしぶそれを受け取ると、臨也は自分の部屋を歩くような軽い足取りでキッチンへと向かい、一切の躊躇いもなく冷蔵庫を開けた。
「貧相な冷蔵庫。ビールの一本や二本入ってくれてれば、それなりの報酬にはなるのに」
「俺はビールは飲まねぇ。……つーか……手前、どういうつもりだ。こんなことしたって礼は言わねぇ、ゴホッゴホ!」
「無理して喋らないの。俺、シズちゃんとそんなに言葉交わしたくないんだ。イライラするからね」
『自分自身に』という言葉はあえて飲み込んで、冷蔵庫の中から一本ヤクルトを抜き取って蓋をあける臨也。
『勝手に飲むな』という静雄の声はスルーという方向にしておこう。
「ま、その質問にあえて答えるとしたなら――嫌がらせだよ。だっていくらキツイとは言え、君の大嫌いな俺なんかに家まで運ばれておまけに看病してもらった、なんて、シズちゃんにとって汚点になるでしょ? それだけのことさ」
「……サイテーだな、手前」
「うん、知ってる。最低最悪な人間だよねぇ……」
 ヤクルトを飲み干すと、清々しいくらいの笑顔を浮かべて静雄の隣に腰掛ける。
 なるほど、これは確かに効果的な嫌がらせだ。
 臨也と肩を並べて座る、なんて光景、静雄には汚点にしかならない。
 ……もっとも、臨也にも汚点となるのだが。
「意味がわからねぇ」
 そんな臨也に対して、静雄はそれだけを吐き捨てた。
「シズちゃんみたいなのに理解できるほど、俺は単純にできてないから仕方ないよ」
 芝居がかった口調で故意的に困ったような顔をする臨也を見て、静雄のこめかみに血管が浮かぶ。
 ――漸くいつもの調子に戻ってきたな
 このまま長居をすれば怪我を負いかねないと判断した臨也は、携帯の時計を見て時刻を確認すると、静雄に向き直る。
「それじゃあ、俺はそろそろ帰るとするよ。せいぜい病原体との奮闘、頑張りたまえ」
 言って立ち上がろうとした瞬間、不意に静雄によって手首をガシリと掴まれた。
「……なに?」
「手前だけに汚垢を塗らせるわけにはいかねぇさ」
「へぇ……汚垢なんて言葉、シズちゃん知ってたんだ」
 なんとかその場を誤魔化して逃げようと試みるものの、手首を掴む手は貼り付いたまま離れない。
 臨也は僅かに眉間に皺を寄せて、忌々しげに静雄を睨みつけた。
「どういうつもり?」
「……手前風に答えてやるとだな……」


「――嫌がらせ、だ」


 ニィ、と口許を歪めて凶悪な笑みを浮かべる静雄に、嫌な予感がした。
 そして、予感は的中したのだった。




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