平和島静雄 | ナノ




さよなら、愛した人


静雄が私を大事にしてくれているということは分かっていた。
いや、そう思っていただけだったのかもしれない。

私と静雄は中学、高校と一緒だった。
高校2年生の春、私からの告白でお付き合いできることになったのだった。

今思い出しても、まるで昨日の事のように鮮明に思い出すことができる。
放課後、夕日で赤く染まる教室。
教室の、張りつめた空気。
静雄の、真っ赤になった耳。
静雄の、私を優しく見つめる視線。
静雄の、微かに震える唇。

けれど。それまでも、いままでも、恐らくこれからも。
静雄から私に触れる事は一切無かった。

不安になってどうして!って迫ったこともあった。

その時静雄は
「壊しちまいそうで、怖くて触れないんだ。大切だから」
と困ったような、照れたような顔で言った。

それを私は信じて、鵜呑みにしていた。
静雄が私に触れないのは私の事を大切にしてくれてるからだと。

しかしこの前の平日、夕暮れ時に見てしまったのだ。
私が静雄に告白した時のような真っ赤な夕焼けの日だった。

私はお夕飯の買い出しに行っていた。
静雄からはお仕事で遅くなるという旨の連絡を受けていた。

大きな交差点の向こう、バーテンダーの恰好をした金髪で長身の彼の姿。
中学生の時散々お世話になったトムさん。
それから外国人らしき綺麗な金髪の女性。

静雄は優しく微笑んで女性の頭を撫でていた。
女性も満更でも無さそうな表情だった。

その時、私は悟った。何もかも悟ったのだ。

静雄が私に触れないのは単に触れたいと思わないから。
想い人がいるから、と言ったほうが正確か。
もしかしたら私が静雄の自由を奪ってしまっているのではないか。

私はお夕飯のことなどどうでも良くなり、家に戻った。

それから一週間が経った。
今日は静雄のお仕事がお休みだとかで、静雄のアパートに来ている。

この一週間、考えに考えた。

もう、静雄を縛るのは止めよう。自由にしてあげよう。

『静雄』

私の隣に座ってぼんやりテレビを眺める静雄に呼びかける。

静雄は少し不思議そうな顔をこちらに向ける。

『静雄、別れましょう』

静雄は驚いたように目を見開く。

『もう、貴方の自由を奪うわけにはいかないわ。今までごめんね。静雄』

静雄は何か言いたそうに口をパクパクと動かす。

『静雄、さよなら』

最後、静雄はどんな顔をしていたのだろうか。
表情を見る前に私は自分の足元に置いてあった荷物を掴んで部屋を出る。

そのまま玄関から外に出る。

涙が頬を伝う。

ああ、私は静雄に少し、ほんの少し期待していたみたいだ。
もしかしたら、別れを告げた時に抱きしめてくれるかもしれない。
もしかしたら、部屋を出る前に引き止めてくれるかもしれない。
もしかしたら、玄関を出た私を追いかけて来てくれるかもしれない。
もしかそたら、もしかしたら……。

そんな淡い期待は見事に打ち砕かれた訳で。

それでも静雄の事は憎めないどころか、大好きだ。

さよなら、大好きでした。
さよなら、愛した人。
さよなら。




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