レイネシア姫とクラスティが延々とシロエについて語る話。5巻後6、7巻前あたりのつもり。
相変わらずの捏造ぶりだよ





影の少女は言った、彼は強い人だと。
花のような女性は言った、彼は優しい人だと。
赤毛の戦士は彼を稀代の策略家だと絶賛し、商人は要領の悪い人だと苦笑した。
彼と親しい面々は一様にその顔に優しい色を乗せるのに──街に流れる彼の噂は色良くない。

「クラスティ様、シロエ様は一体どのような方なのです?」
「おや、不思議なことを。姫も彼とは浅からぬ仲だろうに」

昼下がりのお茶会にクラスティの姿があることにはとうに慣れた。気にしてなどいられない。カップを傾けた騎士はうっそりと笑う。
確かに交流がない訳ではないが。

「私には…分からないのです。街の噂とみなさんの言葉と。どちらも、私が見た彼の姿に重なって…」
「優しくて、悪辣な人?」

妖怪心読みはすかさずレイネシアに囁いた。

「…そう、いえ、分かりません。私には分かりません。その全てであるようでどれも当て嵌まらない、そんなあの方が分からないのです」

酷く厳しく、酷く優しい。レイネシアにとってのシロエとはその両極端を兼ね備えているのだ。切り捨てるべきものに容赦はない。必要であれば悪辣な策略をも張り巡らせ、使えるものならばそのてのひらで転がし、全ては彼の盤上の駒。
一方で、親しくしている影の少女に微笑む姿を知っている。アキバを見て満足そうに頬を緩ませる姿も、書類に埋もれながらもひたむきな姿勢も──毅然と立ってみせながら、人の視線から逃げるように俯くその一瞬があることも。
悪辣で、優しくて、物悲しい。
どれが、本当の彼なのか。
どの彼を信じればいいのか。

「それは選ばなければならないことですか?」

クラスティは問い掛けた。え、と驚きに目を丸くしたレイネシアを底光りする赤い目がとらえている。

「彼は、彼です。それら全てが彼を構成する重要な要素で、ひとつ欠ければ私の知る彼ではなくなる。ひとつが欠けていても、それは誰かにとっての彼である。私はそう思っていますよ。
どれも、彼です。全てを受け入れろだなんて言いません。ただ、いちいち挙げ連ねて否定するものでもないでしょう?
姫も知っている筈だ、その心に反して笑えることを。どんなに辛くても演じるべき自身がいることを」

その言葉で考える。確かにレイネシアにも演じるべき自身がいる。怠惰な自身を物憂げという言葉に擦り変えて、ひきつりそうな頬を叱咤して微笑む“冬薔薇のような姫君”。
その自分を別人だと考えたことはない。それも引っ括めて自身なのだから。
そして更に考える。悪辣な噂。優しい姿。寂しげな横顔──そうだ、少し考えれば分かることなのだ。
冒険者とは自由である。誰に強制されることもない。誰におもねる必要もない。ならばレイネシアが信頼する冒険者──アカツキやリーゼ、マリエールや高山──それにクラスティも──彼らが目に掛け気に掛ける人物がただの悪辣な男な筈がないではないか。

「つまりシロエ様はわざと嫌われる振る舞いをしている、ということですわね?…私たち大地人だけではなく、アキバの一般の冒険者の方々にも。
でも、何故?同じ冒険者ではありませんか…何故そんなことをシロエ様がせねばならないのですか?仲間に嫌われてまで、なにを為そうと言うのですか…?」

辿り着いた答え。それにレイネシアは身を震わせた。
シロエがアキバを想っていることは知っている。アカツキの口から、マリエの、クラスティの語るそれが誰よりもアキバを想う人だと知らしめるのだから。
シロエは悪役を演じている──それも、ただひとりで。

「彼が望む、平穏な世界の為に」

クラスティの返す答え。何故、それがシロエが自身を嫌わせることに繋がるのか理解ができなかった。
レイネシアを見る赤い瞳は揺らぎもせずに思い出したとでも言うように付け足した。

「ああ、姫。彼に感謝なさい。彼がいなければ私は姫を、姫とその親しき者を──私に歯向かう全ての大地人を殺して回っていたかも知れない。
私の邪魔をするもの全て、躊躇もせず、慈悲もなく、無為に、無価値に、ただの肉塊へと。人権を認めぬままに狩り尽くして殺し尽くして、私が望む者だけの世界を作ることだって出来た」
「そんなこと…クラスティ様はなさいませんよね!?」

余りにも突飛なクラスティの言葉にレイネシアは口に手を当ててか細い悲鳴を上げた。信頼とも取れる彼女の願望は、けれど揺るぎもせず真顔で見下ろされて居竦んでしまう。
それこそ、冒険者は自由なのだから。
彼らには彼ら独自の倫理観がある。
一部の貴族が持つ選民思想が他を虐げる歴史は多い。それを何故冒険者が持たないと言えるだろうか。大地人など目がない程に強く逞しく美しい彼らが大地人を軽んじてもなんらおかしくない。

「するしないはともかく、出来ますよ。そうですね、私や──ミナミの女狐ならば」

確かに、アキバの最大規模を誇る戦闘ギルドD.D.D.は勿論、ミナミをひとつのギルドとしてまとめ上げた濡羽が望めば各地で戦乱の狼煙が上がるだろう。
レイネシアはクラスティの言う女狐を知らない。けれど彼をしてそう言わしめるなら事実なのだろう。彼と肩を並べるものなどそうといないことは彼女でも分かった。
クラスティの目が弓形に細まって愉悦の光が浮かぶ。それはレイネシアが初めて戦闘の場に立ったあの──ザントリーフ掃討戦を指揮した狂戦士の顔。
おののく少女に、クラスティはおどけるように片眉を跳ね上げると肩を竦めて見せた。

「…大丈夫ですよ、そんなことしませんから」

クラスティの微苦笑にレイネシアの表情は少しだけ和らいだ。
彼の言葉は本心だが、しかし全てを伝えていないことに彼女は気付いただろうか。
言葉を付け加えるとしたら「今はまだ」。
もしも大地人が冒険者に敵対することがあれば。クラスティの目の届く人に害を与えようとするならば──その時は、容赦しない。
跡形も無く捻り潰して、後悔する間もなく殺してやる。
そんな想いを欠片も匂わせずにクラスティはにじりと瞳を細めた。

「しかし北の情勢は知っているでしょう、一部のギルドが大地人の人身売買を行っていたことを」

彼の提示した話題に少女の顔色は暗くなる。
勿論それはレイネシアも聞き及んでいた事柄だ。本来政治に携わる者ではない彼女さえもが知る事件。人形のような存在だった冒険者に人格が宿ったと知らしめた事件。

「アキバでも名の通っていた戦闘ギルドであるシルバーソードの移住を機に落ち着いたけれど、未だ全てが解決した訳ではない。冒険者にとって大地人とは"同じ生物"ではなかった。
…恥ずかしい話ですが、それは大地人のみならず同じ冒険者の中でも言えました。強さによる支配。虐げるもの、虐げられるものの格差が生まれた──私自身も、積極的に害そうとは思いませんでしたがそれを止めることが出来なかった。咎める理由を持ち合わせていませんでしたから」
「そんな…」

あんまりな言葉にレイネシアは唇を震わせた。
冒険者の自由とはつまり、共通の倫理感というものもないということだ。完全なる弱肉強食。強い者に弱い者が食い散らかされる世の理。それを否定することはできない。

「それをシロエくんは“格好悪い”と嫌った。優しくない、潔くない、無様で惨めで狭量で──彼が理想とする“人間”の姿に当て嵌まらなかった。
だから彼はアキバを変えた。
分かりますか?シロエくんは、己の価値観だけで全てを変えてしまったんです。アキバの全ての冒険者を巻き込んで世界を一転させ、大地人に価値というものを与えた。冒険者に誇りと生き甲斐を与えた」

語るクラスティの声は気のせいか酷く愉悦に弾んでいる。普段より熱を帯びているような。
褒め称える教師のような。舌舐めずりして獲物を狙う肉食獣のような。
このクラスティという男をしてこうも語らせるシロエという存在がレイネシアには恐ろしく、また、憐れにも思えた。爽やかに凶悪で粘着質なこの男につきまとわれるなんて不運にも程がある──お互い様だが。

「しかし、そんな方が何故自身を悪く見せ掛けなければならないのですか?」

本来ならばシロエの行った改革は褒め称えられて然るべきものだ。
しかし実際は彼の名は表にはならず円卓会議全体としての手柄のようなものになっている。彼がそう望んだとしても余りにも周知されないそれはどこか異常である。
レイネシアが知らなかったように、冒険者の中でも知らない者はいるだろう。しかし、クラスティが説明してくれたように、それは知ろうと思えば隠されることなく開示される情報であるのだ。多くの者が知らず──知ろうとせず。彼の撒いた切ない嘘で彼を悪者として認識して。
アキバの為に。仲間の為に。シロエは、そうと心に決めながらも一瞬でも背中を丸め、寂しく肩を震わせてしまうことすらあるのに。
それをレイネシアは知っている。
疑問にも思わない彼らと、疑問に思わせないシロエ。悪いのはどちらかなど、どちらとも。
だからこそ、不思議でならないのだ。
シロエが何故そうまでして嫌われなくてはならないのか。
問われ、クラスティは唇を吊り上げる。

「彼が自身を省みることなく、理想高く夢見がちだから、かな?」

与えられた答えにレイネシアはその細い眉を寄せた。何故それがシロエが悪役になる理由になるのか。
レイネシアは貴族だ。けれど女性である。一般の大地人と比べれば格段の教養を持つが、しかし貴族の男子のように政治に関わるべき専門的な教育を受けていない。
それでも彼女は頭の良い部類だ。ひとつヒントを与えれば自力で答えに辿り着く。それをクラスティに気に入られていることを気付きもせずに少女は考えた。

「どこの世界にも一枚岩の体制なんてないんですよ」

クラスティは端的に言い放った。
貴族も、平民も、冒険者も──みんな突き詰めれば人間だ。種族がどうとかではなく、思考し、感情を持つ知的生物ということだ。
好みを持ち、悪意を持ち、ひとつとして同じものを持たない生物。他者との格差に、差別に、受け入れることをせずに滅ぼすことを選ぶ、野蛮で、愚かしい、無為に血で血を洗うような戦いの歴史を繰り返す呆れたまでの狂った生物。

「人間とは、とても厄介な生き物なんですよ。少しの差異で優越感に浸り簡単に人を蔑み貶め、少しの差異で劣等感に浸り簡単に人を妬み恨む。好意や尊敬の感情の裏で不満を溜める、そんな彼らの感情は厄介で、統制を取るには難しい。
それでも、ひとつだけ簡単に出来ることがあるのです」

つ、と指を突き出したクラスティにレイネシアはじっとその答えを待った。ごくりと唾を飲む少女にクラスティの薄い唇が三日月のように弧を描く。

「悪意、憎悪、嫌悪、嫌忌、倦厭──そういった負の感情さえ共感できれば、人は連携する。嘘のように簡単に。多くの人間関係で小さないがみ合いが起こったとしてもその鬱憤は双方ではなく、元々嫌っていた大元へと加算されるから大きな問題にはならないんですよ。
不思議ですね、好意やなんだで集まる集団ほど貶し合い妬み合い、嫌い合って潰し合って壊れていくのに。反対になれば結果すら反対になっていくのです」

好意と悪意はぶつかり合うものだ。何故なら、それは反対の性質を持ち、混じり合うことがないから。けれど同時に遠いものである。割りきってしまえば、近寄らなければ、それで全て解決する。
見たくないものは見ない。聞きたくないものは聞かない。見たいものだけを見て、聞きたいものだけを聞く。とても傲慢だが、合理的でとても理に敵っている。
逆に好意程ぶつかり合うものはないのではないか。少しの差異で色を変えてしまう。近いから目につき易く逃れることが出来ない。
だから同質でありながら反発するのだ。
そして嫌悪程、共感し合うことに寛容なものはない。根が「嫌い」であれば多少の違いを気にすることなく円満に意見をまとめて見せるのだ。

「大地人の領主の多くはシロエくんの存在を快く思っていない。何故だかわかるかい?それは、彼が参謀としてこちらが有利となる手札を揃え、交渉の席で流れを作る役割を果たしているからだ。そしてそれは、悪意と好意の天秤を揺らせることだ」

シロエの打つ手は情報面に限らず心理面にも及ぶ。
相手を貶める発言、否定する発言。嫌悪を抱かせるそれをシロエが進んで執り行う。それらは反対に肯定する者、フォローを回す者、シロエを窘める者へと無意識ながら好意を覚えさせるものだ。またクラスティに従順を装ってみせるから、癖のある人物を上手く御しているという印象を与えて相手のクラスティへの信頼感を大幅に引き上げるように操作をする。
ろくに話したことのない人間だとて、小さな一言が先の全体の好悪を決めることが多い。
好きなものを嫌いになるのは一瞬だ。けれど、嫌いなものを好きになるにはとてつもない労力がいる。それも双方間でもって。
シロエは自身を悪役に据えることによって相対的にそれを操作しているのだ。

「嫌いなものに便宜を図ろうとは思わないだろう。同じ条件であれば利は少なくとも好きなものを贔屓してしまうものもある。
それは、長く付き合いを続けてもいい、という思考が働くから。長期的に見て利が大きくなるのならば、現在──初期の不利は今後の投資、今後の交渉の優位性を買う為に多少目を瞑るという選択肢を作り出す。嫌いなものにはそうは思わない。無意識の内にね。
…姫に対してもね、彼は同じことをしているよ。自身を嫌わせて、君が頼る相手に私を選ぶように配置して」
「それは…」

む、とレイネシアは眉を寄せた。
彼女とてクラスティを頼りたい訳ではない。どちらかと言えば他人に全てを任せていられれば楽だが、一度負ってしまった責任を放棄することが出来ないのだ。祖父に言われたそれは、彼女が選んだ道に対する義務なのだから。
さりとて、考える。天秤祭の時に南の貴族の粗末な策にまんまと嵌められそうになった時、一番に駆け付けたのはシロエだった。彼が、クラスティとミチタカを引き連れたのだ。言われてみればシロエはレイネシアを軽んじる発言をして見せた。肯定された相手貴族は優越に笑みを浮かべその精神に隙を作っていた。そこに差し込まれたシロエの一打は相手貴族にとって酷く手痛いものだっただろう。
そして、パニックに陥ったレイネシアはついと一番に親しい…気安いクラスティにぽろりと救いを求めて──嗚呼、そうだ。まんまと彼の言う通り。
これがもしも、助けに来たのがクラスティではなかったら?
例えばもしもアイザックだとしたら。彼とは警備の関係上何度か顔を合わせたことがあるが話したことは少なく、粗暴な様子に正直なところ苦手意識をを持っているレイネシアが、そうと泣き付くことがあっただろうか。
レイネシアの判断力を失わせるように貶め追い込んだのも配置をしたのも、そもそもトラウマを作ったのもあの魔法使いの青年だ。彼に感情を操る鍵を握られていると考えた方がいい。
では、もしも場所を提供してくれたのがミチタカではなかったら?
例えばシロエに似た、栗毛のひょろりとした魔法使い。彼もまた顔見知りであり、シロエの策の片棒を担ぎレイネシアに恥ずかしい格好をさせた内のひとりであるが、けれどその持ち前の愛嬌ある笑みで謝られては怒りを持ち続けることは難しい。相手の心にするりと入り込むのが彼の持ち味だが、しかし自尊心だけは高いあの貴族にそれが通じただろうか。へらりと笑うカラシンに彼は引くことをしただろうか。
いや、しなかっただろう。カラシンはナメられたに違いない。レイネシアにとってミチタカは今となっては気の良い隣人だが初対面は恐ろしくも思えたのだ。カラシンの笑顔、幼い容貌の彼の副官がいたからこそ彼女は警戒心を解いてあの破廉恥な鎧を纏うことになった。
だからシロエは、あの貴族には同じ商人と言えど筋骨粒々、威圧感があり自信に溢れたミチタカを選んだのではないか。
──つまり、見た目における印象でもってさえシロエはその場の流れを作り出したということだ。
更に聞くと、全体の騒動の原因を見抜いたのも対処したのもあの細身の青年なのだと。レイネシアの前で彼女を軽んじる発言をし、敵方の貴族にまるでおもねる素振りをして見せたのも、途中から自身を舞台から──彼の作った盤上からフェードアウトさせクラスティに脚光を浴びさせたことも──全ては、シロエの掌の上。
気付いた少女にクラスティは満足げに微笑んだ。それはさながら、出来の良い生徒を誉める教師のように。

「シロエくんがやっていることはモンスター相手の戦闘と同じだ。いや、正しく戦闘をこなしているんだ。壁となる者がヘイトを──攻撃を集めて、その隙に他の者が叩く。戦いの基本。
それを彼は取り零しもせずに全てを己に集めてしまっている──遣り遂げて、しまっている。
何故それが問題か、姫とて分かるでしょう?」

クラスティの問いに少女は頷いて見せた。レイネシアとて知っている。

「ええ。ヘイトが溜まれば攻撃を受けやすくなる。一人が対多数を捌き切るには無理があるので、本来ならば一人に集中させず分散し、管理せねばならない。集中しすぎたそれはいつか捌き切れなくなる時が来るだろうから、と。
たとえ周りに敵を叩く者がいたとしても、濁流が流れ込む一点がどれだけ耐え切れるものだというのでしょうか」

レイネシアの語るそれにクラスティは深く頷いた。

「そう。分散しないんだ、彼は。基礎中の基礎であるのに。戦場管制は彼が得意とするものであるのに」

彼は優しい。だから、己の両腕で足りないものまで護ろうとする。
誰かを傷付けることでその先の大きな絶望から救っているんだよ、などと言って誰が理解するだろうか。大きな犠牲の前に小さな犠牲は必要だと言いながらなるべくしてそれを己ひとりに降り掛かるように転がして、なんでもない顔をして笑う。
傷付けることを厭わない癖に傷付けることが嫌などと。なんて矛盾しているのだろうか。なんて傲慢なのだろうか。それが誰かを傷付けていると気付きもせず。助力を求めようともしない。

「それどころか援助すらもさせてくれないんですよ。彼は優秀だから、見なくて良いものまで見て、その夢のような理想を現実に昇華する力を持っている。やり遂げてしまうんだ、ただのひとりで。攻撃を捌いて、ひとりでそれらを磨り潰す。並大抵のことではないだろうに。周りに多くの彼を心配する人、力になりたいと思う人がいても、彼は結局ひとりなんだ」

人との関わりが大切だと説いたのは彼自身だと言うのに。

「ザントリーフ掃討戦は、彼に取ってはチェスを打つようなものだっただろう。彼がすべきは駒を配置すること、盤上を整えること。それさえ揃えばあとはエンターキーを叩くだけなものだ。勝手に戦場は踊り出す。モンスターの断末魔と冒険者の鬨の声を伴奏にしてね。
彼が本気を出したのはただ一度きり…」

──ルンデルハウスの蘇生。
あの時の魔力の波動を誤魔化せる者はいないだろう。新しい魔法の生成、ルールと施行。
後に聞かされたそれは彼が冬の間に為そう計画していることへの説明に必要だったからだ。そうでもない限り、彼はいつまでも秘匿し続けただろう。

「私たちはなにも彼に課していない。だから、窘めもしない。それは何故か。君たち大地人を人と認識していなかった頃の無関心な判断とは違う。彼が、そう望んで、そう進んでしまったから。彼が何も言わないから。彼に何を言っても聞かないから私たちにはなにも出来ない。
──彼は私たちを“使う”のが上手だ。姫も分かるだろう?」

全く困ったものだ、とクラスティは肩を竦めた。
シロエは自身ひとりでどうにか出来ないのならば周りを「使う」。彼にとっては頼っているつもりだろうが現実は彼のてのひらで転がる駒に過ぎない。絶対に無理無謀をしない。楽観から周りを巻き込んで自滅に追い込むなどという愚を犯しはしない。
ただ、それに自身が含まれないだけ。
勘定に入らないシロエはいつだって傷だらけ。疲れた溜め息に誰がどれだけ、悔しい想いをしているか知りもしないままに振り向かず前だけを見る。

「シロエくんのその強さ。シロエくんの──“やると決めたら、どんな無茶なことでもやる。誰の言葉にも耳を貸さずに…”」

詠うようなクラスティの言葉。楽しそうに弧を描く赤い眼に見下ろされながらレイネシアはつい口を開いた。

「“どんな手段を用いても、ただのひとりでやり遂げる”──やはり、そういう方なのですね…」

初めにレイネシアが抱いたシロエの印象。それだけは壊れることもなく、違われることもなく。ひくりと頬を引きつらせるレイネシアにクラスティは溜め息を吐いた。

「彼はね。シロエくんはね。自分が傷付いていることに気付いていないんだ」

きっと。彼は不意に寂しい溜め息をしているのを自覚していないだろう。そして、誰かが自身の為に悲しんでいることに気が付いていない。

「私にとって彼は面白いおも…興味深い人物であるけれど」
「クラスティ様、今、おもちゃと言い掛けませんでしたか」

ごほんと咳払いしたクラスティの誤魔化し切れない発言に思わずレイネシアは突っ込んだ。が、さらっとスルーされてしまった。

「それ以上に気の良い友人で、アキバの街に必要な人材だ」

クラスティの友人、というのに違和感を覚えてしまうのは先の発言の所為だろうか。
しかし、この規格外の狂人とかの常識外れの策士であれば釣り合いも取れるのかも知れない。

「いつか、彼が壊れてしまう──壊されてしまうことがないように願っているよ。シロエくんが自覚してくれたら一番なのだけどね。
なかなか“アキバの腹黒参謀”の名前は伊達じゃないらしい、良いエサとして各地の諜報などの雑魚をよく釣り上げてくれる」
「クラスティ様も十分にシロエ様を“使って”いらっしゃいますのね」
「まぁ、それはお互い様であるし。彼の筋書きからは逸れていないよ」

心配だと宣う口は直ぐ様に利用価値を評価する。これが男の友情なのかとげんなりしたが、けれどそうではないのだろうなとレイネシアは内心で頭を抱えた。
彼ら妖怪と悪魔だからこそ可能な意思の疎通なのだろう。

「…クラスティ様は、どうにかしたいとお思いにならないのですか?」
「シロエくんを?」
「ええ」

問われ、ぱちりとクラスティは目を瞬かせた。そして馬鹿かと問う視線でレイネシアを見下ろす。

「無理ですよ。さっきも言ったじゃないですか。頑固頭の説得ほど厄介で面倒なものはないですから」
「貴方本当にシロエ様のことをご友人だと思っていらっしゃるんですか!?」
「ええ、勿論。そもそも友人か否かなどこちらの判断でさせて頂きたいものです。男女では価値観や在り方というものは違うんですから。それに」

ええーとレイネシアはクラスティをねめつけた。が、涼しい顔で狂戦士は冷めてしまった茶を啜ってかわす。

「男は意地の生き物ですから。彼は馬鹿ではないから、どうしようもなくなる前に助けを求めることくらい出来ますし」

彼がなにを危惧しなにを目指しているかは知らないがそれが今のアキバの在り方を悪く変えるものではないだろう。シロエの構想はシンプルに見せ掛けて複雑で、彼とて説明の仕方が分からないのではないか。慧眼の魔法使いの不器用さを想う。
最善を模索し足掻く姿には好感を持つがそれがいつまで保つのか。過度な情報規制に時折クラスティですら腹立たしさを感じることがある。
クラスティのシロエへの信頼。それが買い被りにならないことを願いながら、青年はそれをおくびにも出さずにこりと微笑むとそれでねと囁いた。

「友人、ですから。私も、アイザックも、円卓の皆も。彼が転びそうになったらいつでも手を貸す準備は出来ているんですよ」

注意するのは容易い。聞き入れて貰えなくても言うだけならば。
しかしそれでも、シロエを信頼しているからこそ口出しを慎む。それが彼らの信頼の証とでも言うように。ただ、いつだって彼が手を伸ばした時に掴めるようにと。
ですからどうか。クラスティはレイネシアの目を真っ直ぐに見据えて口にした。

「シロエくんのことをきちんと見てあげてください」

周りの余計な言葉に惑わされずに。
ありのままに。
その上で受け入れられないのならば仕方がない。けれど、シロエという人物ときちんと接することが出来るのは稀なのだ。
シロエは気難しい人だけれど、一度打ち解ければあれほど面白く、あれほど極端な人間はなかなかいないとクラスティは思う。
アキバの冒険者の大半がそれを知らない。
シロエの手の中でも踊らされて、知らない。
それを可哀想とも思うのだが、しかしてシロエを思えばそれも良いのだろう。道具扱いを嫌った彼だから。
個として認めてくれる誰かがいたらそれだけで良いのだろう。
勿体ないことだが、しかしてその一人に選ばれたことに微かな優越と大きな喜びが胸に広がる。これは、きっとクラスティだけではない。アイザックも、マリエールも、カラシンも──彼を本当の意味で知る者にだけ許された特権。

「…私は、」

友人と言いつつまるで利害関係だけかのように思えたクラスティの真面目なその表情に、レイネシアはたじろいだ。彼は、シロエのことを本当に友人として見て、友人として心配しているのだろう。
レイネシアにとって友人というものは近いようで遠いものだった。
貴族の娘たる彼女の交遊はまた貴族の子息令嬢が主で、それは各家の繋がりを維持する政治的関係でもある。レイネシアの怠惰を知る者は屋敷の者しかいない。弱味など見せてはいけないのだ。家の為、自身の為、冬薔薇の姫の本質など打ち明けられたりなどしない。
また、親しいとするエリッサ達も結局は召し使いである。姉のようなエリッサも、その立場を忘れはしない。いつまでも大きな溝がそこには横たわるのだ。だから、レイネシアは友達というものを知らない。
友達とは、物語で読んで、遠い世界を夢想するものだった。

「私は」

影の少女の無表情の中に気遣いを知った。
花のような女性の輝く笑顔に勇気を貰った。
嵐のような女性にもみくちゃにされながら、家族以外から愛されるくすぐったい気持ちを味わった。
レイネシアの館には多くの人が訪れる。アカツキもマリエールもヘンリエッタも、高山三佐やナズナやミカカゲや。時にくだらない喧嘩をすることもある。けれど、いつの間にか笑い合ってる彼女らを羨ましいと思うのだ。

「シロエ様は酷い方だと思います」

そこまで自由なのは彼女らが冒険者だからだろうか。思いかけたそれをレイネシアは否定する。
冒険者だからなどではない。彼女らが、互いを認め互いを信じ合った、友人だからだろう。
羨ましいと思う。けれどそれは嫌な気持ちになどはなりはしないことだ。
レイネシアは顔を上げた。砂色の髪の端正な男。赤い目が興味深そうにレイネシアを見下ろしている。

「それでも」

レイネシアには友達というものはわからないけれど、あの優しい人達が、このひねくれた男が、そうして気を配るのなら。

「優しい方だということも知っておりますわ」

シロエ自身のことは未だよく分からない。けれど、レイネシアが知る優しい人達は一様に彼を心配している。そしてレイネシアはそれを信じたいと思った。
眼鏡を光らせた悪どい笑顔にはそれはレイネシアだって近寄りがたいと思いはするものの、俯く横顔も、ぎこちなく笑う不器用な笑顔も。
──噂に聞く「腹黒眼鏡」に結び付かない。

「…余計な心配だったかな」
「意外と心配性なのですね、クラスティ様」

毅然としたレイネシアにクラスティは目を見張った。あっさりというか、なんというか。レイネシアは聡明だがこうもあっさり納得されるとは思わなかった。
少女はにじりと目を細める。見くびらないで頂きたいものです、と澄まし顔で返されるとクラスティは次いで肩を揺らして喉奥で笑った。

「失礼、姫」

あまりにさらりと言われたそれに悪いと思っていないだろうと心の中で呟くと「今、全然悪いと思ってない癖に、とか思いました?」とすかさず囁かれる。

「そう思いましたが、なにか?」
「ふふ、姫も強かになりましたね」

互いに織り込み済みの茶番劇。冷めてしまった紅茶を啜ると、クラスティふと片耳に手を添えた。それは冒険者の伝達ツール、念話の受信を意味する。

「っと、もう時間のようです。長々とすみませんね、また来ます」
「クラスティ様もお忙しいのですから無理しなくてよろしいのですよ」
「いいえ、姫のお顔を窺うだけで元気が出ますから」

薄らと透けて見える嫌気に気付いてなお楽しんでいるクラスティは、それを察したレイネシアに艶然と笑いかける。

「それでは失礼します」

相変わらずもやもやとした敗北感をレイネシアに植え付けたクラスティは、ふっと笑って背を翻す。レイネシアは立ち上がってスカートの裾を軽く持ち上げると小さく礼をした。

「ええ、楽しみにしておりますわ」

その日が来ないことを、と有り得ない未来を夢想しながら。
青い背中が見えなくなると倒れるようにレイネシアは席に腰かけテーブルに突っ伏した。考えることは多い。考えさせられることは多い。
レイネシアに出来ることはなんだろう。
未だ14歳のレイネシアは社交界にも出たばかりのこどもでしかなく、冒険者との窓口としても実務はまだ勉強中だ。大地人や冒険者の双方から助けられ、また、双方から侮られ、日々を回すことに必死になっている。

「私は何が出来るのだろう」

シロエのように身を切ることは出来ない。けれど、そこまで打ち込めることはすごいことだ。
けれど。

「…今は、温かいお茶が飲みたいな」

クラスティとの会話は疲れるのだ。疲弊した脳も体も糖分を欲している。
考えるのはさておいて、レイネシアは口煩いが姉のように慕うエリッサに猫撫で声を上げてお茶のおかわりを所望した。




──余談だが、シロエにクラスティは友人なのかと尋ねたら渋い顔で「えっ……そう、かなぁ………?」と返されたので、今度少しだけクラスティに優しくしてあげよう、と思ったレイネシアだった。






20141207

捏造ですがこんなお話があったらいいな。
友人論挟んだら無駄に長くなってしまった…。



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