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「じゃあ、あたしは行きますから…何かあれば呼んでくださいね」


雛森が気を遣って退出してくれたおかげで五番隊執務室は妙な雰囲気が漂っている。湯呑みからのぼる湯気だけが時間の経過を教えてくれるだけで、誰も声を出さない、目も合わせない、それでも出ていくわけでもない、微妙で曖昧で居心地の悪い空気。だが、平子と浦は平然としている。なまえだけが現実を受け止めきれないで冷や汗を流していた。

(平子隊長…本当に本物だったんだ、生きてたんだ…でも何話したらいいんだろう、だいたい私はまだここに来たくなかったのに)

恨めしそうに浦を睨んだが、効果はない。重たい沈黙に耐えきれずまだ熱いままの湯呑みを一息にあおった。いてもたってもいられず、そうするほかなかったのだ。カラカラに乾いた喉が燃えるように熱くなり、ぶわっと涙が込み上げてくる。


「ううっ…!!」
「アホかお前、そない急に飲みなや!」
「…ひ、ひ……あ、あ…あの…か、髪の毛…切ったんですね…?」


絞り出すようにして言う。平子は中腰になったまま少し顔をしかめ、やがて座り直した。


「…今言わんでええやろ」
「…短くって、なんか一瞬…分からなくて」
「嘘つけ」
「えっ。いえ、ほ、本当に……分からなかったんです」
「はん。オマエはなんも変わらへんのォ。おもんな」


長いあいだ、ずっとずっと待ち望んでいた言葉を聞いて、なまえの目が大きく開かれた。泣くのだろうか。浦はじっと注視していたが、心配をよそに大きな瞳はふっとほほ笑んだ。


「…すみません。なんにも……変わらないままで…」
「髪型ぐらい変えへんか?普通」
「…えへへ……」
「待ってたんですよ。こいつだけあなたを信じて待っていました」
「う、浦くん」
「待っとったぁ?」
「ま、待ってたというか…そ、そうだったらいいなって…平子隊長が…いなくなるわけないって…思って…」


なまえは落ち着きのない様子で髪を何度も耳にかけた。耳朶が真っ赤になっていることに気付いていないのだろう、平子は今にも触れたい衝動に駆られる。胸に溢れるあたたかなものを感じ、ソファの背もたれにどっかりと縋りついた。体がじんわりと火照る。なまえを、抱きしめてやりたくなった。誰かが自分を、自分たちを待っていたなんて。少し重い気もしたが、救われた気がした。それだけ卑屈になっていたと、平子は今初めて自分の心に気がついた。
死神だった日々を忘れたことはないが、忘れた方がましなほど暗い時間を過ごしてきたのだ。
不名誉を着せられ、救われるどころか追放され、見放され。仲間や浦原、黒崎がいなければ戻ることなど永遠になかっただろう。なまえや部下に思い入れがないわけではなかったが、仮面の軍勢となった自分が死神に会うことは二度とないと決別のけじめをつけていたし、夜一や浦原のように逃亡・追放というわけではなく虚として処分されたことになった自分たちの無事を待つ者がいたとは、考えもしなかった。


「そら待たせたのォ。すまんかった」
「そ、そんな、隊長が謝ることじゃないです」
「それでも」
「…平子隊長……お、おかえりなさい」
「ただいま。…ありがとうな」


猿柿ひよ里がいたら怒鳴り散らすかもしれない場面で、平子は思う以上に柔らかな声で返事をした。
誘われるような懐かしい光景が蘇ってくる。
不必要だと切り捨てたはずの思い出たちが手を伸ばしてやってくる。
平子は、深く深く息を吐き出した。瀞霊廷の地を踏んで初めて深呼吸できた気がした。


「元気しとったん、なまえも浦クンも───」
「ちなみにこいつ、まだ斬魄刀の解放できないままです。席次もありません」
「…は?」
「ちょっと!余計なこと言わないでよ」
「できひんの?マジか?」
「でっ…い、いや、まだ練習中で……」
「アホかおまえ、何年経ったと思っとんねん」
「ちなみに俺は六席です」
「はーん。俺かて隊長やもーん」
「変わり映えしませんね」
「なんやこいつ、ハラ立つわぁ!」




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