▼ ▲ ▼

屋根の上は、京楽が仕事から逃げる際に使うお気に入りのひとつになっていた。そこでいつも通りのんびり寝転がって酒を飲む彼の視界には、いつもと変わらない平和な瀞霊廷が遠くまで広がっているずっとこのまま平穏でいてくれたら仕事をせずに助かるものだとぼうっとしていると、視界の端に、図書館へ入ろうとした女の背中に向かって飛び蹴りをかました男の姿が見えた。
女の子に酷いことするもんだと憤った京楽が駆けつけるよりも、体勢を立て直した女が男の胸ぐらを掴んで怒鳴りつける方が早かった。

(ちょっとちょっと、すごい子がいるねえ)


『急になにするの!』
『さっきのアレは一体なんだ、俺を馬鹿にしているのか!?花を持たせるようなことをして…侮辱するな!』
『侮辱って……助けてあげたんでしょ!?』
『助けなど必要ない、ひとりで対処できたんだ!』
『動けなかったくせに!』
『違っ……』
『ほんッと最近さぁ…浦くんさぁ……!トキに勝てなかったからって私に八つ当たりばっかり!馬鹿なんじゃないの!?同期だからって助けて損した、あのまま死ねばよかったのに───』


話してる内容はさっぱりだが、女の方には見覚えがあった。しかしどうしても名前が出てこない。八番隊の女隊員ならば漏れなく覚えているのでおそらく他の隊員だ。はてさていったいどこでどう知り合ったのだろうと記憶を引っ張り上げていると、通りがかったた男が彼女の後ろから息巻くその口をぱっと手で制して黙らせた。平子だ。


『そこまでや。勢いで言うてええことちゃうやろ』
『っ…ひ、平子隊長………』
『やいやい言いなや。オマエのでかい声よぉ響いとったで』


秋風に絹のような金色の髪がさらりとなびく。平子は彼女を自分の方へ引き寄せ、心底面倒だといった口調で呆れ返った。隊長の出現によって二人はそれまでの勢いを失くし、ばつの悪そうな顔をする。
そこでやっと京楽は女があのときの迷子の子猫だと気がついた。


『お前ら仲エエのはええことやけど、演習の報告書どないしたん?』
『図書館で書こうと思ったのに浦くんが邪魔したんです』
『勘弁してや、浦クン。こないぽんこつ虐めたかて何の足しにもならへんで』
『ぽ、ぽんこつ?私ですか?』
『他に誰がおるねん』


相手の男はぐっと唇を噛み締め、何か言いたそうに二人を見据えていたが、やがて大きく舌打ちをして去っていった。


『なまえは意外と声でかいねんなァ』
『……だって』
『ほんでどないするん?中入るんか?』
『大騒ぎしちゃったし……報告書は隊舎で書きます』
『せやったら一緒行こか』
『はい』


思わず笑いが出るほどの過保護ぶりに、京楽は口の端を吊り上げて『いい隊長さんだねえ』と独りごちた。
もう興味が失せたようで、ごろんと寝転がって気が遠くなるほど高い秋空を見上げる。気持ちよさそうに目を閉じ、平穏の音を聞きながらウトウトと微睡み始めてしまった。

+++

道中、上官が『グチってもええんやで』と距離を詰めてくれたので、なまえは厚意に甘えて今朝からの合同演習での出来事について話し始めた。

流魂街で行われた五番隊と六番隊による合同演習には虚討伐を始めとした流魂街の治安維持活動や設備点検など多岐にわたる活動項目が含まれていて、それらを初めて目の当たりにする新入隊士たちは昼前になるともうすっかり疲れ切っていた。

だから、うっかり取り逃した一体の虚に気がつくのが遅れてしまったそうだ。

その虚は六番隊の浦松洞に狙いを定めて襲い掛かったらしい。しかし浦はとっくに臨戦体制をとっていたし、彼の周りには経験を積んだ席官たちが斬魄刀を抜いて控えていたので本来なら手出し無用の場面であった。

しかしその一瞬、なまえは浦にトキを重ねてしまい、駆けつけてしまったのだ。


『ば、縛道の四、這縄っ………!』
『おい、余計な真似を!』
『う、浦くんっ、早くやって!』
『くそッ…!』

指先から弾き出した眩い霊圧の管は細いながらも虚の脚を絡め取り、浦の直前で引き止めることに成功した。身動きの取れなくなった虚は浦によって無事討伐され、演習は何事もなく終わりを迎えたのだった。
新人の詠唱破棄を危険だと咎める者もいたが、直属の上司にあたる女性死神は興奮気味に『みょうじさんすごいっ、かっこいいね!これは平子隊長にもご報告しなきゃ!』と自分ごとのように喜んでくれたという。


『今になって考えたら、浦くんは私なんかに助けられるような人じゃないから放っておけばよかったんです。あの人、プライドの塊だし、ああいうのすごい嫌うんですよね。……余計なことしちゃいました』


手出しするまでもなかったと今なら分かる。
先輩や浦に任せるべきだったと自分でも思っている。
しかし、万が一が起きたときの無力感や絶望感をもう二度と味わいたくないという気持ちが前のめりになりなまえを突き動かしてしまったのだ。
平子は眠たそうに目を細め、はん、と笑い飛ばした。


『間違ってへんやろ』
『そうですかね…』
『しっかし詠唱破棄とは恐れ入ったわ。なんや報告上がってきとったのォ。まだ見とらへんけど』
『えへへ…』
『まァ言うとしたらアレやな、百発百中狙うんやったら詠唱省かんときっちり言うこっちゃ。イザッてときほど焦らんとな』
『はい。……浦くん、怒らせちゃいました。元々好かれてませんけど』
『男っちゅうんは案外単純やで。酒でも飲ませたらええやんけ』
『あの堅物が飲みの席にいたらすごい白けそうです』
『せやけど仲良ォしたりや、同期っちゅうんは特別なもんやで』
『平子隊長は同期と仲良しですか?』
『まあまあや』


五番隊舎が見えてきた。
演習の際になまえを誉めてくれた先輩死神が、『平子隊長、聞いてくださいよ、みょうじさんすごかったんですよ』と晴れやかな笑顔で出迎えてくれた。



- ナノ -