▼ ▲ ▼

※現パロ



60分もない僅かな昼休みは、ランチのあと歯磨きしてメイクを直すとなる短すぎて心もとない。特に今日のような日は。

綾瀬川さんが来ているのだ。

下着メーカーの私たちと化粧品メーカーの彼らがコラボ商品を企画販売することとなったおかげでうちへよく顔を出すようになった綾瀬川さんは彫刻のように整った完璧なお顔をきらりとさせたイケメンだ。向こうの会社の人たちは彼をとんでもないナルシストだと言うが、そんなもの当然だろう、何せ彼は本当にとてもものすごく美しいのだから。
企画や経営戦略を任せられた綾瀬川さんたちチームと、彼をバックアップする立場にあるお偉いさんの京楽さんは、頻繁にうちを訪れては細やかな気遣いと甘いマスクでぴりついた雰囲気を和らげてくれる。ボディケア商品を生み出すため女性の意見を反映させたい私たちと、商品デザインやコンセプトにあれこれ口を出してくる上のオジサン連中とがうまく繋ぎ合わず、揉めることが多々あったのだけど、その度に彼らは丸く収めてくれるのだ。顔もよくて仕事もできるなんて、天は二物どころか三物も四物も彼に与えている。


「一緒のチームいいね、羨ましい。次も打ち合わせあるんでしょ?」
「ふふ、いいでしょ」
「綾瀬川さんに彼女いるか聞いてきてよ」
「やだ、恥ずかしいもん。みょうじさんに聞いてもらおっか」
「みょうじさんならサラッと聞いてくれそう」
「あの人彼氏いるんだっけ?」
「聞いたことないかも」
「私もあっちの会社入ればよかった」
「目の保養ばっかりよね。京楽さんはちょっと年が上すぎるけど」
「でもさ、セクの星さん、絶対京楽さん狙いだよね。態度に出すぎ」
「分かりやすいわよね。てか京楽さんって奥さんいないの?独身?」
「バツイチってきいたことある」
「ああ、そんな感じするかも」
「ハードル高いわ…」
「打ち合わせ緊張してきた…もう一回トイレ行ってくる」
「女子か」
「女子です」


女性ばかりの会社なので、ここのパウダールームは気が利いている。トイレのほか、カーテンに仕切られた、5人ぐらいは余裕で並べる幅広い鏡が3台。そこにはコットンや綿棒、紙コップとマウスウォッシュまで用意されているのだ。
お手洗いのあともう一度鏡でチェックしようとカーテンを開くと、難しい顔をしてコンシーラーを首筋へ滑らせるみょうじさんの姿があった。


「あれ、みょうじさん」
「お疲れさま」
「そんなの首に塗って荒れませんか?」
「肌荒れで引っ掻きすぎて跡になったの。もう治ってるし大丈夫」
「綾瀬川さんたち来てるし、ちゃんとしないとですもんね」
「あ、もう来てたの?それでみんなソワソワしてたんだ」
「だって綾瀬川さんですよ」
「きれいすぎて近寄りがたいなあ…もっと年上の人がいいかも」
「京楽さんとかですか?」
「…上の人のほうが甘やかしてくれるよ」
「そりゃまあそうかもですけど」


みょうじさんの首には、たしかに、赤い傷のようなものがいくつか走っていた。肌が弱いのだろう、冬はハンドクリームやリップバームが手放せないと言っていたことを思い出した。
3つ上の彼女は、リップとアイブロウ、香水のアトマイザーが入っているだけの必要最低限のコスメを収めたレースのポーチにコンシーラーをしまい込んで鏡に向き直し、肩までの髪をするんと撫で、打ち合わせ緊張するねと目尻を下げた。
服装もシンプルだし、髪だって時々巻くぐらい、ただ仕事は文句を言わずにこなすし、彼女に聞けばだいたいのことは解決するし、香水をぶんぶん撒き散らしてわざとらしい色気を振りまく女よりも、しっとりと控えめな香りをまとって静かにしているみょうじさんのほうがいい女の雰囲気が漂っている。3つしか違わないのに、この差はいったいなんだろうか。


「しっかりカバーしてくれます?それ」
「うん。涼宮さんコンシーラーとか使う?肌すごくきれいなのに」
「使いますよお。そんなに歳違わないじゃないですか、気になるところいっぱいですもん」
「そんなきらきらのお肌して言われてもねえ」
「みょうじさん色白いから気にするかもですけど、ぜんぜん目立ちませんよ。気になります?」
「そうかな?まあこういうのって本人しか気にしなかったりするよね」
「あ、首のとこまだ赤いですよ」
「ほんと?」
「絆創膏あげましょうか?」
「う、ううん、大丈夫。ありがとね。ていうかそのチークいいね、かわいい」
「えへへ。去年のクリスマスコフレのおまけです」
「へえ。私もそろそろコスメ買い直したいな」


静かでいて、ちょっとおしゃれで、おしとやか。綾瀬川さんのタイプがもしこういう人なら、私はきっとダメかもしれない。しかしみょうじさんは誰が相手でも態度を変えないので、そこはちょっと、安心だった。


「打ち合わせ、一緒にいきませんか?」
「あ、まだ時間あるから、倉庫で備品のチェックしてから行く。また後でね」
「はーい」


彼女が出ていった後、ふわりと嗅ぎ慣れない甘い残り香が漂った。いつもみょうじさんがつける香水ではない香りだ。花の甘い匂いは、嫌みがなかった。

女性ばかりのフロアにスーツをまとう綾瀬川さんや京楽さんの姿があり、オフィスの雰囲気が普段よりキュッと引き締まって見えた。
愛想の良い彼らは顔見知りの女性社員たちに声をかけては丁寧な雑談を交わしていて、顔のいい紳士を前にすると気性の荒いお局や強気な先輩たちが飼い猫のような愛らしさを帯びるので、なんだか笑ってしまう。私も同じようなものなのに、彼女たちの性格を知っているからか、とても間抜けだった。
デスクで準備を整えていると、京楽さんが私に向かって片手を上げた。緩くウェーブのかかった長い髪が似合う伊達男は、とろけるような笑みを浮かべて言った。


「みょうじさんいるかい」
「みょうじさんですか?倉庫にいますよ。なにか用ですか?」
「このあいだ渡したデータの数値が違っててさ。彼女が気づいてメールしてくれたんだよ。一言お礼言っときたくてね」
「呼んできましょうか?発注するだけって言ってたし……」
「いんや、自分で探すよ」
「廊下の突き当たりですから」
「はいはい、どうも」


軽やかな足取りでフロアを出る彼から、うっとりする甘く残り香が漂った。どこかで香ったことのある匂いだ。イランイランだろうか?


+++


「なまえちゃん。会いたくて顔見にきちゃった」
「あ。ちょっと言いたいことあるんだけど」
「…急に怒ってどうしたの」
「見てココ、見て。首。つけたでしょ」
「あらまあ」
「隠すの大変なんだから!」
「じゃあ今度から見えないところにつけようね」
「どすけべ」
「そのどすけべが好きなくせに」
「はいはい」
「夜と昼とじゃ顔違うね」
「そっちこそ…」
「昨日の情熱的なきみも、今の素っ気ないきみも、どっちも素敵だよ。狙ってやってんのかい、おじさんはそういうのに弱いってのに」
「や、やめて、そういうの今言わないで」
「どうして」
「京楽さん、…はずかしいから、」
「恥ずかしいのかい、可愛いね。じゃあまた後で」
「…うん」
「なまえちゃん、お泊まりの準備してきた?」
「し、したよ」
「楽しみだね」
「……うん」





- ナノ -