〜A bloody score〜 「君は、君自身しか、受け入れられずにいるんだね」 リンクの声は響くこともなく消えた。再び歩き出し、先にいる『同胞』へと向かう。ぴちゃん、と音が鳴り、リンクがひとつ灯りを越えると、後から追うように灯りが消えていった。おそらく、もう二度と地上に帰れない。しかし、リンクはそれで良かった。 いっそう怪しく光る灯火が揺らめく中に、あの少年はいた。もう背後の光は闇色へと換わり、頼りないその光だけが唯一視界を保たせる。少年は微動だにしない。もう完全に時が止まっていた。 「私の旋律はお気に召さなかったかな、カノン」 リンクは敢えてカノンと呼んだ。終焉のカノン、それは血塗られた楽譜の曲だった。今思えば、初めて聞いた日から、誰より魅せられていたのかも知れない、とリンクは苦笑を溢す。 「今一度言おう。私と共に逝く気はないか」 楽譜は震えた。拒絶ととったのか、リンクは困ったように肩をすくめた。パラパラと捲れていくページは、ある一定の場所で止まる。そこには、誰かの字があった。 「そうだ…私と君は唯一無二の友人だった」 リンクの周囲の灯りだけが眩しい程に輝く。それを背に、楽譜は中空をリンクを囲むように旋回する。 「君は私の大切なものを奪った。それは決して許さない。けれど君も私を許してはいけない。何故なら、君から私は安息を奪ってしまったから」 過去を自分の中に蘇らせ、リンクはそれを静かに読み返していく。そこには、世界の知らない事実があった。楽譜を目覚めさせたのは自分だった。楽譜の存在を知らしめたのも自分だった。大切な人を殺したのは楽譜だった。最後まで、『リンク』といたのは、紛れもない楽譜だった。 リンクは刀身に映る自分を見た。リンクの顔が、あのリンクの言葉を思い出させる。 「私は君を許さない」 リンクは弓を構えた。キリキリと張りつめた弦を矢と同時に放つ。パリン、と砕け散る音が聞こえた。楽譜は旋回し、リンクの奏でた旋律と同じものを響かせ始めた。それはリンクの脳を狂わせ、立つことすらもままならなくさせる。しかし、リンクはふらつきながらも、またひとつ弓矢で射た。 「これでもないなら…」 膝をつき、開ききらない目で、定まらない目標を撃ち抜く。先程までの音とは違い、ガシャンという音に次いで、カチリという音が聞こえた。途端、そこに暗闇が満ちる。 リンクは、好機とばかりに見えない楽譜へ刃を突き立てた。あまりに呆気ないくらいに、リンクは楽譜を貫いた。 「何で、逃げないのかな…」 リンクですらも、理解できなかった。確かに、ここの暗闇では、楽譜はリンクを見失い、力を十分に発揮できないだろう。リンクはそれを知っていて、そして過去に似たような仕掛けに遭っていたからこそ、これを行った。しかし、簡単過ぎる。 一時の暗闇が明け、再び光が灯った時、そこには鮮血を滲ませた楽譜が、刃に貫かれて止まっていた。そのページには五線譜に浮かぶ音符と、自身の文字があった。 「…本当に、君は待っていたんだね…」 ここにきて、やっとリンクは、あのリンクの言葉を理解した。自分の中に生まれる罪悪感が、孤独感が、悲壮感が、虚無感が、忌々しい程に喉の奥を熱くさせる。振り切るように床に振り降ろした刃から、楽譜が飛んだ。 「そうだ…憎くなんてない。私は、憎くなんてなかった」 《そう、憎くなんてなかった》 普通の人間には、単なる音の羅列にしか聞こえない筈のそれは、リンクには懐かしい声に聞こえ、立っている事ができなくなった。 《お前は人が好きだった。拒絶は人への悲しみに、裏切りは人への哀れみに。それでもお前は憎まなかった。そうだ、誰より人を愛するが故に、お前は道を誤った》 リンクは、大切な人を思い出す。そうあれたのは、彼女と彼のお陰だったろう。人を愛した二人、その人間に殺された二人。勇者となった自分を、異端と蔑みながらも生かした人々。異端であるが故に、向き合うしかなかった敵。 強大な力は、畏怖を呼んだ。そのものが本来、どういう想いから生まれて来たのかも知らないで。 強大な力は重宝され疎まれた。その保険のために、また命を犠牲にして。 これが啜ってきた血の量は、どこまでが人間の流させた血だったか。 「終わりが来るのを待っていたんだ」 《もう、失わなくてすむように》 「あの日から、ずっと、本当は」 《我等は同じ道を歩いていた》 じわりじわりと滲む血は、再び吸い込まれることなく流れていく。終わりが近いことは、リンクも、楽譜も、理解せざるをえなかった。 《もう、見失わない》 「うん。…もう、私は自分を見失わない。」 《なら、剣を取れ。…お前でよかった》 大切なものを、また失う。そう思うと、リンクは剣を振り上げる事はできても、それ以上動かなかった。沢山の誤解と、沢山の過ちを受け入れてくれた友人に、どうして終わりを与えられようか。 《また会える》 「でも、私は君にそんな事を望んでいい訳がない」 《望んでくれ。我もそう望もう。そして終わりを》 やっと、と言った楽譜は、悟ったわけでも、諦めたわけでもなかった。それこそ、死を希望であると、救いであると言うように、音を繋ぐ。二人は分かっていた。今の自分たちにとって、死は救いであるのだと。 《いこう。在るべき所へ》 「そうだね、もう、大丈夫。…還るべき場所に」 そして、ひとつの音が、辺りに響き渡った。 ******* 眠りに落ちたあの時間から、既に七年が経過していた。リンクは青年へと成長し、勇者たる証であるマスターソードを手に、一心にある場所を目指していた。 ガノンドロフ、それが全ての元凶。 『リンク…』 労るようなか細い声が聞こえた。リンクはそれに視線だけを動かす。 『辛かっタ、ヨネ。だって、あの魔物、友達だっタんでしょウ…?』 「ああ…大好きだった」 思い出すだけでも、胸の辺りが重苦しくなる。リンクは微かに顔を歪めた。 「でも、立ち止まらない」 それでも、リンクは顔を上げ、強い光の宿る目をナビィに向けた。その目は、純粋すぎる程に真っ直ぐで、ナビィは少し不安を感じたが、同時に安心する。 『どうシテ、大丈夫なノ?』 「分からない。でも、アイツはアイツで苦しんでた。あのままじゃ、いけなかった。…何だか分からないけど、でも、本当に大切なら、やらなきゃならない事があるって、やらなきゃならない時があるって、そう思うんだ」 リンクは、心の底で、そう繰り返した。一体何故そう思うのか、リンクは分からなかったが、知りたいとも思わない。子供の時、勇者というものに重圧を感じた。けれど、リンクは再び勇者を、世界を背負うことを自分の意志で決めた。 誰かの言葉が、蘇る。しかし、その言葉がいつ誰に言われたか、リンクは思い出せない。もしかしたら、知らないのかも知れない、とリンクは思う。 『凄いネ、リンク。凄ク変わっタ』 「そうかも知れないな、でも」 風がザアッと音を立てて駆け抜けた。リンクは足を止め、目を閉じながらそれを受ける。 目を開けたとき、そこはやはり、守りたい世界で。 「俺が俺なのは、変わらないから」 言葉は、ハイラルの風に混じり、空へと消えた。ナビィが静かに瞬く。 「さあ、行こうか。皆が待ってる」 リンクは決意を込めて、また踏み出した。 【END of one STORY】 ←*| (10/10) ←戻る |