早朝、空気は澄み渡り、少しばかり鋭くなった冷気が、晒された肌を刺した。リンクのぼんやりとした思考も、外気のお陰で今は随分とはっきりしている。
目が覚めて、リンクは夢が頭から離れなくなった。普段ならば、起きたら消えてしまうようなものが、何故こうも鮮明に残るのか…リンクは頭を振り、気にしないよう切り替えようとした。ふと、周りを見ると、いつもなら見える辺りにいるはずの妖精がいなくなっていることに気がついた。
「チャット…?」
呼ばれた名前の主が、どんなに待っても姿を現すことはなく、リンクは慌てて海岸に向かった。
結果、早朝の肌寒さに肌を擦りながら、霞がかった海の、入り口に来たのである。
「チャット、おーいチャット!」
人気の無い海岸に、リンクの声はよく響いたが、肝心の返答はない。どうしたものか、と歩いていると、不意に声がかけられた。
「君!」
リンクは驚いて剣に手を伸ばしたが、相手を見てすぐに敵ではないことを理解した。ゾーラ族――独特の姿を持つ彼らは、この海に住む者であり、友好的な種族のひとつである。
しかしこの海岸にこのようにいるのは珍しく、理解は眉を寄せながら尋ねた。
「どうかしましたか?」
「いや、海に行くのかと思ってね。まさか子供がこんな朝の寒い中わざわざ泳ごうとしているとは思えないが…」
一応声をかけた、というゾーラ族。聞けば、今日の海は魚の姿も何処に隠れてしまったのか疎らであり、霞のようなもので視界もあまりよろしくないのだと言う。
「最近、何だか海の様子がおかしいからね。気をつけた方がいい」
「有難うございます。すいませんが、妖精をみませんでしたか?」
「妖精かい?…ああ!そういえば友人が、海をふらふらと飛び回る妖精を見たと言っていたなあ」
「海を?」
リンクははっとして、お礼を言うと、その男性が去ったのを確認して、ひとつの仮面を身につけた。
刹那、体が異様な感覚に包まれ、まるで何かに形を無理矢理造り変えられているような錯覚が起きる。
数秒の後、そこにいたのは、ゾーラ族の様相に成り変わったリンクだった。
ゾーラリンクは、躊躇いなく海に飛び込むと、魚類さながらのスピードで、目的地も分からないままに泳いだ。冷たい水が、妙に心地好い。
海面上を見たときは少し先でも白く見えなくなっていたのだが、海の中はそれとは全く違い、驚くほど穏やかに澄んでいた。ただ、魚の姿が、前の男性の言う通り見えなかった。
途中で海面から顔を出すと、その辺りだけはもやもやしたものは無くなるのだが、一様に周囲は白いままだった。しかし、その中に朧気な光を見つけて、リンクは光に近寄った。
「チャット!」
『あっ…!』
漸く気づいたようで、チャットは呆然としたように明滅した。
「何してたんだ、勝手にいなくなって」
『別に…関係ないじゃない。気がついたら、ここにいたのよ』
「そうか…あ!」
チャットの無事に安心すると、今度は奥から例のあの蝶が飛んできた。二人の周りをくるくると飛び回ると、ゾーラリンクの伸ばした指先に留まった。
『それ…』
「呼んでいる、みたいだ」
蝶の異質な美しさに、それでもリンクは恐怖を覚えることはなかった。純粋なまでのその美は、何処かで知っている気がしてならなかった。
「行ってくる」
『行くって…』
チャットの問いに、リンクは視線で答えた。深い深い底知れぬ海の、その何処か。ひらり、と蝶が舞い上がり、海の中へと溶けていく。リンクは、迷い無く青の中に潜り込んだ。
海は綺麗だった。澄んで静かな海。否、綺麗という言葉すらも飲み込んでしまうくらいに。数分前まで泳いでいた海と、全く別になってしまったかと錯覚してしまうくらいに―――リンクはその奇妙さを疑うことをしなかった。
その中に埋もれてもなお、あの蝶は姿を消すことはなかった。海の青を映したような、それでいて異質な青。
(…あ)
歌が、聴こえる。誰かが歌っているというよりも、自分を包む周り全てが緩やかに音に変わっていくような、柔らかな歌。揺らぐことなく進む蝶は、この音に引き寄せられているのだろうか、進む度に、音が濃くなっていく。
気がつけば、下には歪な瓦礫の残骸が散らばっていた。遺跡というには、少し乱雑で、廃墟というには整いすぎているようなもの。
その中に、それはあった。
蝶は瞬く間にそれに近づくと、リンクに訴えるように回り始めた。
歌も、そこから溢れているようだった。
(…一体、これ、は?)
少し速度をあげて、近くに降り立つ。
言葉が、聞こえた。
【ずっと、ずっと】
それは、仮面だった。酷く悲しげで、孤独に満ちた、とても綺麗な仮面。その美しさはまるで。
(あの、蝶みたいだ)
リンクが手を伸ばす。また、言葉が聞こえた。
【待ってた】
(待って、た?)
リンクにその意味は分からなかった。触れようとした直前、仮面は浮き上がり、リンクと向き合うように止まった。
【聴こえますか】
リンクは、頭に直接響いてくるようなそれに、小さく頷いた。不思議な気分だった。
何なのかは分からない。それでも、この仮面の言葉を、産み出された思いを、聞きたいと思った。
【やっと、見つけた】
(俺を?)
【やっと、気づいてもらえた】
そう言った仮面は、くるりくるりとリンクの周りを浮遊し、リンクの手元へと降りていった。咄嗟に受け止めるリンク。
その瞬間、見覚えのある光景が頭の中に流れてきた。
泣いている巨人。
訴えかける声。
響いた歌。
伝えたかった思い。
―――どうか、忘れないで。
【届けて】
踊るように飛び回る蝶。仮面から流れる音が止み、蝶も静かに仮面へと留まった。
(あっ…!)
途端、溢れ出る泡。何もかもを覆い尽くしてしまうように、その泡は辺りに吹き出し、リンクの視界を埋め尽くした。手に収まっていた筈の仮面は、その姿を徐々に無くし、一時続いた泡沫の終わりが見えた時には、既に消え失せてしまっていた。
揺らめいた蝶。リンクはそれを見て、誓う。


必ず届けるから。


蝶は応えるように舞うと、リンクの鼻の辺りに飛んで行き、触れるその瞬間に、綺麗な青い泡となって消えた。
【届けて】
そこに残ったのは、リンクと託された思いだけ。



*******




『わっ…!』
リンクが勢いよく顔を出すと、そこには見晴らしのよくなった青空と、瞬く妖精がいた。
『ちょ、ちょっと!…どうだったの?』
「…そうか、そうだったんだ」
『えっ?』
リンクは一部始終を伝え、空を仰いだ。あの青とは違う、爽やかな青。
「寂しかったんだろうな」
知っていた。あの美しさの意味を。かつて自分が他人に見た、羨ましいくらいに綺麗だったもの。
純粋で一途で、真っ直ぐな思い。誰かに一心に向けられた、感情。
それが、あれなのだ。届けてと願う、朧気な形無きもの。
リンクは理解した。だからこそ、届けようと思った。
「行こうチャット。大切な“誰か”に会いに」
チャットは無言でリンクに寄った。歌が聴こえた気がした。
そして二人は時計台へ向かう。泡沫の帳に消えた、幽玄な蝶の導くままに―――。



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