月と星






 ゾーラ流の泳法――飛び魚のように跳ねる水面ジャンプに悪戦苦闘したせいで、海上にある海洋研究所の足場にたどり着いた頃には、とうに太陽は中天を過ぎていた。

 梯子を上って研究所の薄い扉を開いた瞬間、怒鳴り声が鼓膜を貫いた。心臓がジャンプする。

「おそい! いったいあんたらはナニしとるんじゃ。急がんとタマゴは死んでしまうぞ」
「何だって」リンクが顔色を変える。巨大な水槽をバックに従えた初老の博士は、ぎろりと目をすがめた。

「だから何度も説明したじゃろう。ゾーラのタマゴは生まれてから、かえるのに一日から三日はかかる。それまでに、この水槽に入れなければたぶん……死んでしまうじゃろう」
『なんでよ? 海の水じゃダメなの』

 軽んじた調子のチャットに、博士は般若の面様を向けた。

「ダメじゃ。さいきんの異常気象でこのあたりの海の水の温度が上がり、温度の変化に弱いゾーラの卵をかえすことができるのは、今では、ワシが昔とっておいたこの水槽の水だけじゃからのう。
 しかも困ったことに、いっしょに生まれたタマゴがすべてそろってなければ、かえらないんじゃ。確かルルは七つ子を産んだのじゃろう?」
『なっ七つ子って……』

 絶句するチャット。

「タマゴが海賊ゲルドとやらに盗まれてしまったのだが」と切り出せば、
「今すぐ取り返してこい!」間髪入れず指示が飛んだ。うんざりした妖精は、研究所の暗い天井を仰ぐ。

『分かった分かった、で、海賊ゲルドってどこにいるの』
「この海岸のはしっこに砦がある。見張りが厳しくて、カンタンには忍び込めぬそうじゃ」
『……』チャットが露骨にげんなりする一方で、
「まあ、なんとかなるだろう」

 リンクの口の端には「勝算あり」の笑みが浮かんでいた。



 海賊の砦は海洋研究所から、さらに北に位置していた。岩肌に身を隠すように穿たれた入り口を抜けると、ちょっとした内海に出る。そこには何隻ものボートが哨戒しており、ものものしく砦を囲っていた。

 子供が一人で侵入するには荷が勝ちすぎる――と思われたが、あらゆる面で常人でないリンクは、あっさりとこれを突破してしまった。ある時はわずかな隙間に身を隠し、またある時は大胆不敵に通路を駆け抜ける。その手際の良さには、彼と付き合いを重ねるうちに滅多に驚かなくなったチャットすら、脱帽するほどだった。

(わーまた見張りがいるわ。次こそ絶対、見つかるっ! ……あら、大丈夫だった。ふう。ちょっと、アイツら弛んでるんじゃないの?)

 ひやひやと安堵が交互にやってきて、なかなか忙しいチャットであった。

 砦の攻略には、背の高いゾーラと小柄なリンクの姿を自在に使い分けられるようになったことが、もっとも貢献した。砦内部が雑然としていたので助かった部分もある。手頃な遮蔽物には事欠かなかったのだ。

 反面、難局を迎える時があった。というのも、遠距離への攻撃手段がないのだ。今回多用した、見当違いの箇所で音を立てて相手の注意を引きつける陽動作戦だって、相応の道具があればこんなに苦労しなかったに違いない。

『アンタ、弓矢はどうしたのよ?』
「今朝にはもうなくなっていた。もともとあれはロマニーのものだったからな、エポナとは違うさ」

「前回」のオバケ退治では借りた弓を使っていた。大幅な戦力ダウンである。だが、実のところ矢の確保が難しいので、宝の持ち腐れになっていたかもしれない。リンクの経済事情に余裕はないのだ。

(無い物ねだりをしたって仕方ない。まずは目の前のタマゴ奪還からだ)

 ルルのタマゴは、いわゆる宝物庫に保管されている可能性が高い。そういう大切な部屋は、何重にも守りを固めるのが鉄則だ。つまり奥の奥に位置する。最深部に近づけば近づくほど海賊の密度が高まったので、現在の通路として利用しているのは、奥の部屋に空気を通すための狭い穴だった。

 小回りの利くリンクの姿に戻ってしばらく行くと、広めの部屋に出た。それまでの通路のように岩盤がむき出しになっておらず、どぎつい色の壁紙が張られている。足下には毛の長い緋色の絨毯。天井には、なんと蜂の巣がぶらさがっていた。時折、ぶぶぶ……と不穏な低音が響く。

 そして、中央にでんと鎮座まします悪趣味なイスの上には、一人の女がふんぞりかえっていた。ギラギラときらめくアクセサリーで素肌を埋め尽くしている。あの景気の良さは、海賊ゲルドの頭領にちがいない。

『ビンゴ!』

 口笛を吹く感覚で、チャットがちりんと羽根を鳴らす。部屋の隅に据えられた水槽――調度に不釣り合いだ――には、これ見よがしにタマゴが沈んでいたのだ。明かりに反射して、真珠のような光沢を披露している。どことなく元気がなく、今にも水に溶けてしまいそうだった。


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