月と星





「鬼神様、ご無事ですか」
 白くたおやかな手が、無骨な手甲を優しく握っていた。
 またいつもの夢だとゼロは思う。しかしいつもよりも格段に視界が悪い。手の主は女性のようだが、どのような姿をしているのかよく分からなかった。
 鬼神の体はうまく動かない。どうやら怪我をして、地面に横たえられているらしい。
 ゼロはその女性の声を確かに知っていた。春の木漏れ日のようにあたたかく、耳に入るだけで心が穏やかになる。どうやら、鬼神も同じように声の主に親愛の情を抱いているようだった。
「大妖精様」とゼロの――鬼神の唇が動く。なるほど目の前の女性は、四方の大妖精たちと似た雰囲気をまとっていた。鬼神と大妖精はイカーナ王国で協力関係にあったということだろうか。
 鬼神はかさかさになった唇を開き、事実を伝えた。
 ――死神が裏切った。喪服の少女は大鎌を持ち、ガロを指揮してイカーナ王国に攻め入った。
「死神様が!? そんな……」
 ごくりと大妖精の喉が動く。
「おそらく狙いは『あれ』なのでしょう。ならば……彼女の力を封じる手立てが、私にはあります」
 鬼神は上半身を起こそうとした。
「まだお休みになってください」
 だが大妖精の制止は無視された。大きな羽音が近づいてきたのだ。
「お二人とも、ここにおられたのか」
「予言の大翼」という称号を持つフクロウが、二人のそばに舞い降りてくる。ゼロは動揺した。胸がざわめく。あのフクロウを見るたびに湧いていた負の感情は、何よりも己の中に残る鬼神が抱いていたものだと知った。
「あなたは大翼の……」
 唐突な登場に、大妖精が目を丸くする。フクロウはくちばしを開いた。
「月と太陽は同じ空には昇らぬ」
 ゼロは目を見開いた。
 月、太陽。どこかでそんな話を聞いた気がする。
 必死に考えを巡らせるゼロをよそに、鬼神は痛みを振り払って膝に力を込め、立ち上がった。
 ――自分が死神と戦うのも、さだめであったということか。
 常に平静を保つ鬼神が、珍しく怒りをにじませている。
「落ち着いてください。予言はあくまで予言です、さだめではありません」大妖精がとりなし、
「今は他にやることがあるじゃろう?」
 焚きつけるような言葉を吐くフクロウを、鬼神は睨みつける。
 ――死神と、いやムジュラと、決着をつける。
 鬼神は傍に置いてあった剣を手に取った。が、刀身が半ばから折れている。これでは使えそうにない。
「お待ちください。これを……」
 折れた剣に大妖精が手をかざした。指先から光が生まれる。鬼神が瞬きすると、光は特徴的なシルエットを持った剣の形をとった。
 鍔の部分からふたつの刃が螺旋を描いて生え、切っ先で一つに交わる。子供の身の丈ほどもあろうかという大剣だ。
「どうぞ使ってください」
 かたじけない、と呟いた鬼神は大剣を受け取り、うまく動かない体を無理に引きずるようにしながら走って行く。
「鬼神様……」
 大妖精は胸に手を当ててうつむいていたが、すぐに顔を上げて後を追った。



 ゴーンゴーンと二回鐘が鳴る。無意識に「また寝過ごした」と思い、ゼロはぼんやりと身を起こした。
 カーテンから差し込む日差しの加減からして、一日目のナベかま亭のナイフの間だ。もはやすっかり見慣れた景色だった。だが、奇妙にがらんとしている。静かすぎるのだ。
 ゼロは部屋に一人きりだった。
「リンク……? アリス……?」
 呼びかけても誰も答えない。
「どうしたんだろう」
 もしや自分の寝ている間に何かあったのか。だんだん意識がはっきりしてきたゼロは、焦って身支度を整える。
 直後、ノック音とともにドアが開いた。
「あ、いたいた。おそようゼロ」『本当に十四時に起きたわね』
 入ってきたのはルミナとチャットであった。ゼロは服の裾を整えながら目を丸くする。
「珍しい組み合わせだね……?」
「まあ、いろいろあって」とルミナは苦笑いで誤魔化した。
「それで、みんな午前中はどうしてたの? リンクやアリスは?」
 無邪気に尋ねるゼロに、チャットが重い口調で答える。
『アリスは……町の大妖精様のお手伝いで、しばらく泉にこもることになったの。ムジュラの仮面をやっつけるためにね。三日目には間に合わせるって言ってたわ』
 ゼロは、きょとんとしてその話を聞いていたが、すぐ明るい笑顔になった。
「そうなんだ! 町の大妖精様、無事に復活したんだね。良かった……。アリスがいないのは正直寂しいけど、オレが邪魔しちゃダメだよね」
 ルミナは注意深く彼の表情を伺った。どうやら本心から言っているようだ。
 彼女は多少ほっとしながら、
「それで、リンクは山の鍛冶屋に行ったよ。チャットとはちょっと行き違いがあって、今は別れて行動してるの」
「行き違い?」
『ただの意見の相違よ』
 ルミナが意味ありげに横目で見るが、チャットはくわしい説明を避けた。
「これからわたしたちは、ゼロのお面を集めがてら、カーフェイを探してみようと思う」
「あ、ありがとう……」
 ゼロは深々と頭を下げた。多くの人を巻き込んでいることに対し、今更ながら申し訳なさがこみ上げる。
「にしてもお面の手がかりなんてあるの?」
「多分、タルミナで人助けすることがお面の入手に繋がってるんだと思うんだ」
 タルミナでは年一度の刻のカーニバルで手づくりのお面をかぶる習わしがある。つまり、住民一人一人が思い出の面を持っているのだ。そのうちのいくつかは、確実にゼロの記憶につながるだろう。そして、誰かを手助けすればお礼にお面をもらえる可能性は高い。
「だから、カーフェイを探すことも意味があるはずだよ。カーニバルの日に式を挙げる二人は、『めおとのお面』っていうのをつくる決まりだからね」
 ルミナがにやりとして取り出したのはカーフェイのお面だった。町長夫人から正式に人探しを頼まれたプロの証である。
「人助けが鍵になる、か……あっ」
 ゼロははっとして外を見た。窓から差す日は早くも傾きはじめている。
「オレにも一つ手がかりがある。今からそこに行ってみるよ」
『一人で?』
 と思わずチャットが尋ねる。ゼロはどこか寂しげに笑った。
「みんなそれぞれやることがあるし。それに、これはオレの記憶だから」
 彼は装備を整え、ナイフの間を出て行った。
 チャットはルミナに目線をやる。
『で、アタシたちはどうするの?』
「カーフェイのこと、とりあえずアンジュに話を聞いてみようかな。やっぱりあの子が一番心配なんだよねー」
 二人が階下に降りていくと、ナベかま亭のロビーではアンジュが「カーフェイから手紙が来た」と大騒ぎしていた。



 ゼロはクロックタウン北地区のすべり台に腰掛け、「その時」を待っていた。
 広場でボンバーズの団員たちが吹き矢で遊んでいる。誰かが浮かべたカーニバル用の風船を割れずに苦戦しているようだ。三人がかりで狙っているが、一度も成功していない。
 そんなのどかな光景を眺めていたゼロの前に、誰かが立った。
「……何やってるんだ。暇なのか?」
「あれ、リンク。やっぱり一人なんだ? チャットはルミナと一緒にいたけど」
 リンクは唇を噛んで答えない。彼は不都合なことを問われるとすぐに黙る癖がある。察したゼロは微笑を口の端ににじませた。
「もしかして、ケンカでもした?」
「別に……意見の相違だ」
「チャットも同じこと言ってたね」
 リンクは腕組みして夕日に目線を投げる。
「ちゃんと謝った方がいいよー?」
「俺が悪いっていうのか」
 リンクは心外そうだった。くわしい話も聞いていないのに何故断定できるのか、と言いたげだ。
「いや、先に謝る方が気分が楽だから。それに、こうやってケンカできるのは今のうちだけだろうしね」
 リンクはいつか故郷に帰るんだから。ゼロは奇しくもチャットと同じことを言った。
「……お前とアリスはケンカなんてしないんだろうな」
「もしオレがアリスとケンカしたら、悪いのはどう考えたってオレでしょ。だからケンカ以前の問題だよ」
「確かに」
 リンクが心底納得した様子なので、ゼロは苦笑した。
「そういえばその剣、どうしたの?」
 背中に帯びた立派な鞘について尋ねると、何故かリンクは眉を曇らせた。
「フェザーソードは山の鍛冶屋に預けてきた。これは、町の大妖精からもらった剣だ」
「へーすごい! どんな剣なの?」
 すらりと鞘から抜いてみせる。見る角度によって無限に輝きを変える美しい剣だ。リンクはそれを無造作にゼロに渡した。
「使ってみろ」
「いいの? ありがとう」
 リンクには長すぎるくらいだが、ゼロが持つにはぴったりのサイズだった。両手で構える姿も堂に入っている。リンクは物言いたげに素振りの様子を見つめていた。
 何度か剣を振ったゼロは、首をかしげた。
「あれ、この剣どこかで――」
 その瞬間、きゃーっとしゃがれた悲鳴が上がった。
「ああ、うっかりしてたっ」
 ゼロは剣を返しながら叫ぶ。地面にへたっているのは、腰の曲がった老人だ。
「モッ、モノ取りじゃ! ババの荷物返しておくれっ」
 リンクは鋭く声の方向を睨む。夕暮れの原っぱを、ひょこひょこと人を食ったようなフォームで駆ける男がいた。大きな風呂敷を背負っている。
「リンク、お願い!」
 二人は素早く視線を交わした。
 ゼロは盗人の正面へ、リンクは背後へと動いた。挟み撃ちにする形だ。物取りの男――スリのサコンは、迷った挙句リンクに突っ込んできた。
「リンク!」
 おそらく子供ならばどうにでもなると思ったのだろう。だが本当に手ごわいのはこちらの方だった。
 リンクはとっさにステップで脇に避けた。サコンとすれ違いざま、電光石火のスピードで剣を鞘走らせ、背負った風呂敷を切り落とす。
 風呂敷の中からは大きな革袋がこぼれ落ちた。よし、と心の中で呟いた瞬間、彼はサコンに突き飛ばされる。
 逃げていく盗人を追いかけようとしたゼロは足を止め、リンクを助け起こした。
「だ、大丈夫だった? 怪我は!?」
「いや、特には……」
 リンクは首を振る。だが、何かがおかしいと脳が警告していた。
 二人に小柄な老女が近づいてくる。彼女は町のバクダン屋のおふくろさんだった。
「ありがとよ、お二人さん。これでやっとウチでもボム袋をあつかえるよ。明日にでも店にならべようかね」
「いえいえ」
 ゼロは首を振る。彼は、目覚めたばかりの一日目に起こったサコンとの初邂逅を――アリスと出会うきっかけになった事件のことを思い出し、こうして張り込んでいたのだ。
「そうそう、お礼をしなきゃね。ちょっとアブナイお面だけど、祭りの花火だと思って使っとくれ」
 そう言っておふくろさんが取り出したのは、大きくドクロマークの描かれた丸いお面だった。
「あっ……」と躊躇するゼロを尻目にリンクが前に出る。
「俺が預かっておくぞ」
「うん、ごめん」
 ゼロは明らかに安堵した様子だった。
 リンクはお面をふところにしまい込んだ時、はっきりと違和感を覚えた。荷物を探る。
「まさか」
 顔面からみるみる血の気が引いていく。
「どっどうしたの……?」
 つられてゼロの顔も引きつった。リンクはかつてないほど狼狽をあらわにしていたのだ。
 彼の震える唇は、こう紡いだ。
「――時のオカリナがない。さっきの男に盗まれたらしい」


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