6-1.町の大妖精 『アイツのこと置いてきちゃって、本当に良かったの?』 一日目の明るい空を振り仰いだチャットが、隣を漂うアリスに尋ねた。 時を巻き戻したリンクたちは、復活を遂げたはずの町の大妖精が治める泉に向かっていた。今頃ナベかま亭で眠りこけているゼロをそのままにして。 何故かというと、彼を置いていこうと提案したのは、他でもない相棒のアリスであったのだ。 『ええ……ゼロさんが目覚めるまで、まだ時間がありますから』 取り戻した仮面――すなわち記憶の数だけゼロの睡眠時間は伸びている。おそらく、得た情報を眠りの中で整理しているのだろうが、リンクには少し不穏な兆候とも思えた。ただでさえ寝坊助なのに、悪化の一途を辿るのはよろしくない。そのうち永遠に眠り続けるような事態になっても困る。 だが、一番彼を心配しているはずのアリスがこう言っているのだ。リンクとチャットが口を挟めるはずもなかった。 三人はクロックタウン北地区の坂を上り、洞窟を目指す。ここを訪れるのも久々だった。 『確かに時間は無駄にできないけど……アイツが一番、町の大妖精様に会いたかっただろうにね』 はぐれ妖精集めをはじめたのはゼロだった。そのきっかけこそ「己の失われた記憶を取り戻すため」だったはずだが、仮面と記憶の結びつきに気づいてからは、純粋に人助けの気持ちで動いていた。何故、アリスはその当人抜きで先を急ぐのだろう。 『……』 重々しく沈黙したままの妖精に、リンクはそれ以上の質問を投げられなかった。 洞窟を奥に進んで、泉のほとりにやってきた。水面は淡く光を放ち、以前はいなかった無数の妖精珠が浮かんでいる。魔法に疎いリンクにも、そこに満ちた力は感じられた。 泉は無事に往時の力を取り戻した雰囲気だったが、 『町の大妖精様、いないわよ?』 チャットが不思議そうにあたりを見回した。 すうっと空を切ってアリスが泉の真ん中へ飛んでいく。 『……ここにいます』 その羽がまばゆい光を放った。 リンクはとっさに腕で目を覆った。眩しさが弱まるのを待ってゆっくり手を下げると、そこには可憐な花のごとき「大妖精」が出現していた。 墨色の長い髪を左右に垂らし、毛先にボリュームを持たせてふんわりと結んでいる。薄い羽が四枚、背中に広がっていて、澄んだ空を思わせる青い瞳がリンクたちを静かに見つめていた。 『町の大妖精様!』 歓声をあげるチャットをよそに、リンクが一歩踏み出す。 「……アリスだな?」 『え』 言葉を失うチャット。大妖精はうなずいた。 『ずっと黙っていて、ごめんなさい』 その声は確かにゼロの相棒のものであった。 『う、嘘……アリスが町の大妖精様なの!?』 一見平静にしているリンクとて、今の今まで気づかなかった。わずかに揺れる瞳を、幻想的な美貌を持つ大妖精に向ける。 「記憶がないと言っていたが、いつ自分の正体を思い出した?」 『各地の大妖精――お姉さまたちが力を取り戻す度に、少しずつ私の記憶は蘇りました。そこを含めて、くわしい事情をお話します』 チャットは混乱しながら、 『ちょ、ちょっと待ってよ。それこそゼロがいないとまずいんじゃないの!?』 一番真実を知るべき相手がいないではないか。ここまでくると、アリスは己の正体をゼロに明かしたくないのでは、と思えてくる。 アリスは長いまつ毛を伏せた。 『今はあまり混乱させたくないのです。いずれきちんと話します』 『な、ならいいけど……』 リンクは泉のほとりに腰かけた。長い話になりそうだった。 「とにかく話を聞こう」 『ありがとうございます。どこからお話しましょうか。私がずっと前に出会った、あの方のことから――が良いでしょうね』 人形のごとき顔に憂いが宿った。 * アリスは五人姉妹の末妹として生まれた。 たまたま同じ日に同じ泉から生まれた五つの妖精珠は、やがて成長して力をつけ、泉を治める資格を持つ大妖精となった。 末妹ながら一番の才能を持っていたアリスは、タルミナの中央部を治める一番重要な地位についた。持ち込まれるトラブルを滞りなく処理していた彼女はある日、東にあるイカーナ王国からの要請を受けた。 「イカーナ王国?」 話を聞いていたリンクが眉をひそめた。 『アリスってそんな昔から生きてるの!?』 『ええ、まあ……そのあたりもいろいろあるのですが、ええと』 聞く側の混乱も激しいが、話す側もなかなか事情が込み入っていて難儀そうである。 「お前の話しやすい順番でいい」 ありがとうございます、とアリスは相変わらずの敬語で頭を下げる。 ――イカーナからの要請はこうだった。我が国のある「秘宝」が、突如として現れた「魔術を操る者たち」に狙われている。我々は妖術の類は不得手である。どうか大妖精の助けが欲しい、ということだった。 アリスは姉たちと協議した。妖精はタルミナの生きとし生けるものに力を貸す存在である。イカーナ王国とその敵国、どちらか一方に肩入れするのはまずいのではないか、という議論になった。だが最終的に、その「秘宝」が敵国に渡ることによってパワーバランスが崩れたり悪用されたりする方が問題があるという結論にたどりつき、力を貸すことに決まった。 そして、彼と出会った。「鬼神」と呼ばれた客員将軍と。タルミナの神の一人であった彼も、その戦いに参戦していた。 『記憶をなくす前のゼロってことよね……アリス、ずっと前から知り合いだったんだ』 アリスは答えず、複雑な色を瞳に浮かべて唇を結んでいる。 リンクは「秘宝」とやらも気になったが、 「大妖精や神々が加勢すべき敵とは、一体どんな奴だったんだ?」 『強い魔力を持ってこの地を統治しようとする者たちでした。彼らは刺客を送り込んできたのです』 月を司る神、鬼神。太陽を司る神、死神。敵国には死神が加勢したという。 死神は己の旗色を偽ってイカーナ国に潜り込み、内部からガロたちスパイを手引きした。 『そして、死神はロックビルの神殿の扉を開きました』 四方の神である巨人の眠る地は、死神によって汚染された。イカーナ王国には心の病が蔓延し、王国軍は窮地に立たされた。疑心暗鬼により、内側から崩壊したのだった。 自らの首を締めるような戦いから、ただ一人難を逃れた鬼神は、大妖精とともに死神を追い詰めた。だが―― 『私たちは勝てませんでした』 アリスは力を奪われ、記憶をなくし、ただの妖精となった。鬼神も同じように……。 リンクの眉間にしわが寄る。 「鬼神と大妖精が揃っていても、勝てなかったのか」 アリスは深く息を吸う。 『かの死神はイカーナではムジュラと名乗っていました』 「ムジュラ……」『ムジュラの仮面!』 二人は息を呑んだ。スタルキッドの魔力の源と目される仮面だ。お面屋が追い求めているものでもある。 「つまり、その死神とやらが仮面になった姿が、ムジュラの仮面だと?」 『はい。私はお姉さま――他の大妖精たちと協力し、王国の音楽家シャープとフラットに頼って、いやしの歌を生み出しました。その歌の力でなんとか死神を仮面に封じたのですが、我々の傷も深く……結果は相打ちでした』 リンクは目を見開く。 (となると、いやしの歌を知っていたお面屋は一体何者なんだ……?) ますますお面屋が得体の知れない存在に思えてくるリンクであった。 『そしてつい一ヶ月前、ムジュラの仮面の邪気が復活したのです』 『スタルキッドがお面屋から奪った時のことね』 やっと話がつながった。リンクは難しい顔になる。 「ゼロがクロックタウンの外で倒れていたのも、一ヶ月前だったはずだ。そしてアリスはついこの前までマニ屋でビンの中にいた。二人とも、それまで何をしていたんだ?」 イカーナ王国の崩壊は大昔の話ではないのか。ムジュラの仮面はスタルキッドが手にしたことによって邪気を取り戻したのだろうが、瀕死であった鬼神と大妖精はいかにして復活したのか。何故、ゼロの記憶が仮面として各地に散らばっているのか。彼の頭は疑問だらけだった。 アリスはリンクをじっと見つめる。 『……分かりませんか?』 「ああ、判断材料がない」 視線を受けて、リンクはふと「もしや己の中に答えがあるのではないか」と考えた。 (いや……そんなはずはない。俺はタルミナの過去とは無関係だ) アリスはそっと目を伏せる。 『そうですよね。申し訳ありません、「内側」にいる私には、それについて語る権限がないのです』 内側。また耳慣れない概念が出てきた。質問したい気持ちは山々だったが、今や威厳すらまとう大妖精となったアリスには、それ以上の問いを封じる雰囲気があった。 「それならもういい。だが、何度も言うが今の話はあとでちゃんとゼロにした方がいい」 『はい……そうします。 それで、お二人にひとつ、お願いがあるのです』 アリスはふわりと降下してくると、泉の底に膝をついて頭を下げる。 『どうかあの月を止め、ムジュラの仮面を倒してください。お礼として……私にできる限りのことをいたします』 リンクとチャットはさっと視線を交わした。 『そんなの今更よ。アタシは弟を助けなきゃいけないし、スタルキッドだって放っておけないわ。まあ、戦うのはこいつだけど』 「俺も降りる気はない。お面屋にムジュラの仮面を返さないと、後々面倒そうだ」 それを聞いて、アリスの真摯な顔がやわらかく崩れた。 『ありがとうございます……!』 花開くような笑顔だった。正直、そういう表情はゼロに見せてやれと言いたくなる。 リンクは余計な考えを脳から追い出し、腕組みをした。 「ところで、ムジュラの仮面はずいぶん強いようだが、何か勝つ算段はあるのか」 『はい。私はこれからいやしの歌の完成を目指します』 魂を仮面に封じる歌だ。確かにムジュラの仮面への対抗手段にはなりうるだろう。 『あの歌、未完成だったの?』 『ええ。主旋律に伴奏をつけることでより効果を高めることができるはずです。 つきましては、その……ゴーマン一座のギターの方を、ここまで連れてきていただきたいのです』 「ルミナのことか?」 音楽に精通している上にこちらの複雑な事情を知っている彼女ならば、協力してくれそうである。ゼロのお面集めといい、意外なところで役に立つ人物だ。 『私はこれからここで力を蓄えます。三日目の夜までには必ず歌を完成させます』 言い切るアリスに、慌ててチャットは口を挟んだ。 『ちょ、ちょっと、それじゃあゼロはどうなるの?』 大妖精の長いまつ毛が伏せられた。 『彼が目覚めるのは今日の十四時ごろになるでしょう……。その時、リンクさんがいたら喜ばれると思います』 『そうじゃないでしょ。アリスがいなかったら不安になるに決まってるわよ、アイツ!』 チャットの叱咤が飛んだ。だが決意に満ちたアリスは唇を閉じたままだ。 リンクはため息とともに尋ねた。 「ゼロにはなんて言えばいい?」 『……アリスは町の大妖精のお手伝いをすることになった、とお伝えください』 「分かった」 『ちょっと、アンタも何言ってんの。こんなのおかしいじゃない!』 チャットの怒りの矛先はリンクへと向いたが、 「俺やお前が口出しできる問題ではない」 ぴしゃりと断言する。そして彼は顔を上げた。 「ルミナを呼んでくる」 『ありがとうございます』 ありえないわ、とチャットはムカムカした様子で直線的に飛んで洞窟を出て行った。 後を追うようにリンクも身を翻す。その背にアリスが声をかけた。 『待ってください。リンクさん、これを……』 と言って差し伸べた手のひらに光が満ちる。そこには一振りの剣が生まれていた。 『剣が折れていましたよね。どうぞお使いください』 光の加減によって絶妙に色合いを変えるまっすぐな刀身は、生命を断つためのものとは思えない優美さだ。刃渡りはゼロの剣よりも長いかもしれない。リンクの体格では両手で使うことになるだろう。剣の平には黒いバラの模様が刻まれていた。 『大妖精の剣です』 受け取ったリンクは二度ほど振ってみて、湧いてきた疑問を飲み込んだ。 (本当は、ゼロに渡したかったんじゃないのか?)と。 口に出す代わりに、彼は「助かる」と言ってから、 「……先ほどの、ムジュラの仮面を倒せば何か礼をするという話だが」 『はい、何でしょう』 「どこにいるか分からない『誰か』と、また会うための……手がかりを得ることはできるだろうか」 いつものリンクらしくない、ひどく曖昧で不安げな問いだった。だがアリスは力強く断言する。 『よほどのことがない限りは、できます』 リンクの眉がわずかに動いた。だが彼は「そうか」とだけ答え、大妖精の剣を背負う。 洞窟を出ると、チャットがまだイライラした様子で待っていた。 『おかしいわよ絶対。アンタもアリスも!』 「妙に突っかかるんだな」 リンクは不思議だった。チャットが他人のことでそこまで必死になる理由が分からない。 白い妖精は金属的な声を発する。 『だってアリス――ゼロのことが好きなのよ!』 不意を突かれ、リンクは目を見開いた。 好きというのはつまり、恋だの愛だのいうアレのことだろうか。妖精が人間に、恋を? いや、その正体は大妖精と鬼神だ。ならば釣り合いは取れているのか? 考えても考えてもよく分からない。恋愛などというものは、リンクが今まで全く触れたこともない分野だった。 『鬼神の頃からの付き合いで、今だってあんなに心配してて。それなのに、これで本当にいいの?』 未知の領域の話をされて混乱しかけたリンクは、ぐっとこぶしを握った。 「それこそ二人の問題だ。いいから、ルミナを呼びに行くぞ」 残念ながら、今はそれどころではないのだ。リンクはそれ以上の話を全身で拒絶しながらナベかま亭に向かった。道中、チャットは不満そうに黙りこくっていた。 どことなく気まずい雰囲気のままゴーマン一座が宿泊する大部屋を訪ねると、そこにいたのはルミナだけだった。 「おっはよう!」 何故か、満面の笑顔でドアから飛び出してくる。リンクは若干気圧された。 「見て、誰もいないでしょ。座長もみんなもカーニバルやる気満々で、練習に行ってるんだ。ほんと、ぜーんぶリンクのおかげだよ!」 「そうか」 リンクの脳裏に、一座の問題を解決するたびに手に入れたお面たちが蘇る。カマロのお面、座長のお面、それにルミナの持っていたブレー面。ボンバーズ団員手帳もずいぶん埋まったようだ。全てリンクのおかげと言うが、彼女自身の努力があったからこその変化だろう。 「いよいよあの月を止めるんでしょ? わたしにできることなら何でも言ってよ! そのためにここで待ってたんだ」 「ちょうどいい、頼みたいことがある」 リンクはかいつまんで事情を話した。ゼロの正体が鬼神だとか、アリスが実は大妖精だったことは伏せておいて(後者については早晩バレるだろうが)。 「町の大妖精様の頼み? わたしなんかに? 分かった、喜んでお手伝いするよ」 こうしてルミナを加えた一行は、来た道を戻りはじめた。 「リンクは三日目までは何して過ごすの?」 カーニバルの前夜にならないと時計塔の扉が開かない。巨人たちを呼ぶ誓いの号令は、タルミナの中心であるあの塔の上で奏でる必要があるのだ。 「とりあえず、この剣をどうにかする必要があるな」 リンクは長く愛用してきたフェザーソードを取り出す。ロックビルの神殿でツインモルドと戦ってから、見事に折れたままだった。 「そっちの長い剣があるのに?」 今、彼の背には大妖精の剣がある。リンクは整った形の眉を微妙に動かした。 「……この剣は扱いきれるか心配だからな」 「なんか珍しいね、リンクがそういうこと言うの」 リンクは言葉に詰まった。ルミナは気づかないようで、 「剣を直したいなら、山の鍛冶屋に行けばいいんじゃない」 「そうする。あとは……ゼロのお面でも探してやるか」 リンクは肩をすくめる。あののんきな寝坊助は、今もナイフの間で熟睡しているのだろう。こっちの心配も知らないで。 ルミナはぽんと胸を叩いた。 「わたしもできる限り探してみるよ。それと、アンジュとカーフェイのこともなんとかしないと!」 勢いよくこぶしを振り上げる。近くを通りかかった大工が、ぎょっとしたように振り向いた。 「今回こそカーフェイを見つけてあげたいんだ。三日後には待ちに待った結婚式なんだから」 『そうよね、そうすべきよねっ』 思わぬ方面から飛んできた同意の声に、ルミナは目を丸くした。 「あれ、もしかしてチャットも協力してくれるの?」 『まあね。タルミナの問題なんだし、なんとかしたいじゃない』 リンクは盛大に息を吐く。 「なら、お前はそうしろ。俺は山に行ってくる」 チャットは羽を震わせ金属的な音を鳴らした。どうやらカチンときたらしい。 『なにその言い方。別に命令されなくても勝手にするわよ』 「命令なんてしていない」 突如舞い降りた険悪なムードに、ルミナはおろおろするばかりだ。彼女は大妖精の泉でのやりとりを知らない。 「二人とも、いきなりどうしたの。ちょっと落ち着こう……?」 『よく考えたら、相棒だからっていつも一緒にいる必要ないわ。そもそもアタシとアンタの関係だって一時的なものだしね』 この台詞に、リンクの眉が急角度に跳ね上がり、唇が強く引き結ばれた。 『アンタはもうすぐ故郷に帰るんだものね。他人事でも仕方ないか。でもね……ここはアタシたちにとっては故郷なの!』 叩きつけるような言葉に、リンクの顔面から色が失われた。 彼は無言できびすを返し、 「三日目には顔を合わせるだろう」 と言って北門の方向へ早足で向かっていった。 「あ、ちょっと、リンク!」思わず追いかけようとしたルミナだが、 『ほっときましょ。大妖精さまが待ってるわよ』 チャットもすねたように飛んで行ってしまう。 その場に残されたルミナは棒立ちになり、 「ま、待ってよ。これじゃあゼロが起きた時、誰がそばにいてあげればいいの……?」 ←*|#→ (120/132) ←戻る |