そして――初めてナベかま亭にお世話になったあの日から、幾星霜。しみじみと女将が言う。 「まさか、ルミナちゃんが刻のカーニバルで演奏することになるとはねえ」 「わたしなんてミカウに比べたらまだまだですよ」これは本心からの言葉だ。 「そうなのかい? でも……今回は残念だったね」 ルミナから笑顔が消える。あの噂はあまねく町にはびこっているのだ――月が、落ちてくる。 「あの、町長公邸の会議って、まだ結論出てないんですか?」 カーフェイの父親でもある町長は、連日公邸に閉じこもって会議を開いていた。カーニバル強行派の大工ムトーと、避難推進派の自警団バイセンがアツすぎる議論を戦わせているのだ。いわゆる水掛け論を。 「そうさ。男共にばっかり任せてても何も決まらないから、うちは自主的に避難しようと思っていてね。申し訳ないけど……ナベかま亭もしばらく閉めることになる」 なるほど、だから毎回「三日目」になるとアンジュ一家は、クリミアの牧場へ避難するのだ。 「命には代えられませんよね」 うんうん、と頷きながらも、ルミナの心は疑問で満たされた。 本当に、あの少年――リンクは、この状況を丸ごと変えてしまうのだろうか。月の落下を阻止するなんて、一体どうやって? もしそれが可能ならば、どんなに素敵で、どんなに困難なことだろう。 (あー、こんなのわたし一人じゃ無理だ。変えられないよ。でも……何か、したい!) 水を飲んでアンジュの料理をかき込むと、女将に礼を言ってルミナは外に飛び出した。お昼もアンジュ作・塩加減を間違えたオムレツなので、外食しなくちゃな、と考えながら。 具体的に策があるわけではない。でも、何らかの形で人々の心にプラスになるように働きかけられたら、きっと少しずつ変わっていくはずだ。自己満足でもいいからやってみよう。昨日までの自分とは違う。 思い浮かぶのは、親しい人たちの顔だ。アンジュ……クリミア……どこにいるのかわからないカーフェイも。ゴーマン一座の中にも悩める人がいるし、そこの街角を行くポストマンにだって、きっと抱えている不安があるに違いない。 しかし、クロックタウンには無数に人がいる。全員のお悩みを解決するには一生あっても足りないだろう。 (まずは、誰がどんな行動をしてるのか把握しないと) リンクが時の繰り返しの原因である限り、ひとまず月の落下は免れる。次の「三日間」もあることを考えると、さしあたって自分が所属する一座の構成員から始めていくことにした。 ナベかま亭前の広場で、アカとアオが仲良く玉投げをしていた。ルミナが朝食をとっている間に起き出していたようだ。朝一番のストレッチだろうか。 「やっほー。二人は何してるの」 「あらやだ、見てわからない? タマをフワフワする練習しているのよ」 オホホホホ、とステレオで高笑いする二人。ルミナには理解しにくい高尚なジョークであった。 「えっとさ、アカとアオって悩みとかないのかな」 「いきなりどうしたのよ、ルミナちゃん」 器用に玉を投げながら首をかしげて見せる、アオ。 「まあまあいいから。教えてよ」 「そうねえ。悩みと言えばカーニバルと、座長のことかしら」 「さっき、浮かない顔して町長公邸から戻ってきたのよ」 ルミナははっとする。そうだ、ちょうどこのタイミングで、ゴーマン座長はトトというゾーラ族のマネージャーから、ライブ中止の知らせを聞いたのだった。 (そりゃ落ち込むよね……) ルミナも初回はものすごくショックを受けた話だ。ゴーマンだって、断腸の思いで決めたのだろう。 「お悩み解決と言えば、ルミナちゃん、知ってる?」 「な、なにを」アカが顔を近づけてきたので、きっちり一歩分ルミナは後退した。 「確か、ローザ姉妹は踊りの振り付けに悩んでいたわ。グル・グルさんも何かと鬱憤がたまってるみたいよ」 ……まるで知らなかった。いかに自分が他人を気遣っていなかったか、思い知らされる。 「めちゃめちゃ詳しいね、アカ」 「私たち、正直他人のことを気にしてるゆとりがないからね。ルミナちゃんだけでもそういうケアを心がけてくれると嬉しいわ」 そこで、はたと気がついた。ルミナはカーニバルが絶対に開催されないことを知っており、本番前の最終調整には神経を使っていない。その分、時間も心の余裕も十分にあるのだった。 ←*|#→ (98/132) ←戻る |