月と星

1-4.妖精アリス


 落日を追いかけるように、ゼロは声のした方向へ力いっぱい走った。バイセンの声が後ろへ流れていく。
 その時、再び助けを求める声が聞こえてきた。

「誰か、ババの荷物を取り返しておくれ!」

 視界にその人の姿を見つけた。腰を折って息をしている、おばあさんだ。
 ゼロは駆け寄ると膝をつき、覗き込むようにして尋ねる。

「どうしたんですか!」
「あのスリを捕まえておくれ、大切な荷物が……」

 おばあさんの示した先には、北門へ逃げていく白っぽい人影があった。
 ゼロはすっくと立ち上がる。

「待て!」

 ありきたりの台詞だが、この場合は逆に相手を牽制する効果をもたらした。びくっと肩を揺らしたスリは、明らかに動揺して歩調を乱した。
 しかし、いくらゼロが快足でも、距離のハンデがスリに味方した。このままでは逃げきられてしまう!
 その時、北門の前に立ちはだかる人影があった。あの兵士は……。

「バイセンさん!」

 精一杯ゼロは叫んだ。力強くうなずくバイセンを見て、スリがひるむ。
 ゼロは自分でも気づかないうちに、背中の剣に手を伸ばしていた。よくなじんだ感触がすべりこんでくる。

「その荷物を返せっ!」

 輝く刀身の一閃で、スリの背負っていたおばあさんの荷物が地面に落ちる。ゼロの顔はほころびかけるが、身が軽くなったスリを捕まえ損ねた。

「あっ」

 スリはクロックタウンの中央広場の方へ逃げていく。
 ゼロは剣をしまうと、荷物とおばあさんのことをバイセンに任せ、自分はスリの後を追った。





 広場で会ったムトーにスリの行方を尋ねると、西地区の方へ走っていったと言われた。ついでに、そのスリの名前はサコンといい、タルミナでは有名らしいことも教えてもらう。
 ゼロは、多少息を切らしながら追いかけた。

「どこに行ったんだ……?」

 ポストハウスや剣道場、銀行などが立ち並ぶクロックタウン西地区。死角も多く、スリのサコンは見あたらない。人影もまばらで目撃情報など集まりそうにもない。
 しばらくその場を行ったり来たりしたゼロは、迷った末に目についた店屋の扉に手をかけた。鈍い音をたてて開く。

「こんにちは……」

 もう日が落ちかけているというのに、灯りすらついていない。逆にこういう所に隠れているのかも、と勇気を出して踏み出す。
 ぎぃ、と床が鳴った。

「誰か、いませんか……?」

 ゼロの声は薄っぺらい闇に吸いこまれた。唾をのみこんで、また一歩。

 店の中はごちゃごちゃしている印象だった。看板は確認していなかったが、おそらく骨董品屋だろう。黒ずんだ銀で縁取られた鏡、値打ちのありそうな置き時計、紙のように薄いティーカップなどが棚に並んでいる。ゼロは一時、目的を忘れて見いってしまった。

 ふと気づくと、炎ではない、不思議な青い光が店内に満ちていた。

「え……?」

 光はどうやら、棚の一角から発しているようだ。物に触れないように注意しつつ、移動する。
 そして、ゼロは『それ』を手に取った。

「……」

 古ぼけた、しかしありふれたビンだ。しかし、中身が違う。これは……。

「なんや? 客かいな」

 突然の声に、危うくゼロは手に持ったビンを落としてしまうところだった。
 ばくばくいう心臓を押さえ、努めて平静に答える。

「あ、こんにちは」

 だが、声の主は返事など聞いていなかった。かわりに、明かりが灯って店内が明るくなる。
 改めて光の中で見ても、やっぱりビンは光っていた。夜光塗料なのでは、という仮説は崩れる。

「あの……これは?」
「ニイチャン、そんなんも知らへんの? それは、妖精や」
「妖精?」

 ゼロは訝しげだ。この店の主らしき人物は、表情の見えにくい黒硝子の眼鏡をついっと上げた。

「そうや。それひとつで夜道も安心、安くしとくで」
「いくら?」
「ニイチャンなら……200ルピーでええよ。ビンはオマケや」

 200ルピーと言われたら、普通は誰でも買わないだろう。ここの町長の月給の何倍だ、という破格のレベルである。
 しかし、ここにいる人物は違った。

「これで足りますか?」

 と言って、銀色に輝くルピーを財布から二枚取り出した。店主は我が目を疑った。

「し、シルバールピー!?」

 慌てふためくその姿を見て、ゼロは首を傾げた。そういえば、宿代を払った時もアンジュが腰を抜かしていた気がする。曖昧な記憶で、銀のルピーは一枚100ルピーだったと記憶していた。

「あの、足りませんでしたか……?」
「あ、イヤ確かに200ルピーやね。毎度、おおきに……」

 店主の動揺っぷりに釈然としないまま、ビンを大事に抱えながらゼロは店を後にした。





 外に出ると、ちょうど午後六時の鐘が鳴った。町のあちこちに灯りがともる。看板を確認してみると、今までいた店は『マニ屋』という名前だったらしい。

「結局スリのサコンって人、見つからなかったな……」

 仕方ない、そういうことは専門のバイセンに任せるとしよう。今はそのことよりも、もっと気になることがあった。

 ゼロは改めてビンの中の『妖精』を観察してみた。
 一見すると、ただのまるい青い光だ。しかしよく見ると、薄い羽が四枚、ゆっくりと動いている。
 見れば見るほど興味をそそられた。ゼロは思いきって栓を開けた。
 待ちきれなかったように、ふわり、と光が出てくる。

『やっと……外に出ることが、できました……』

 優しい声が聞こえた。周りを見回しても、ゼロの他には青い妖精しかいない。

「今、喋ったのは……?」
『私です。本当に助かりました。ありがとうございます』

 妖精は、きらきら光る粉を羽からこぼした。ゼロは目を白黒させる。

『……もしかして、あなた、妖精を見たことが』
「ない、と思う」
『思う?』

 そこで、ゼロは自分の記憶喪失について妖精に話した。光の玉と会話をするのは、なんだか奇妙な心地だった。どこをみて話せばいいのやら、よく分からない。
 そんな心情での説明だったが、妖精はいたく同情してくれた。

『そうなんですか……。それなら、お役に立てるかもしれません』
「え、本当!?」
『はい。この町の大妖精様にお願いすれば、叶えてくださるでしょう』

 大妖精。妖精すら初対面ゼロには、どんな存在か全く見当もつかなかった。この青い妖精の何倍も大きい、やはり光の玉なのだろうか。

「そうかあ。なんか、いろいろお世話になってごめんね。
 君、名前はなんていうの? どうしてビンの中に……」
『私は、アリスと申します。気がついたらビンの中でした』
「え、それって……」
『お恥ずかしいことながら、どうやら私も記憶喪失のようです……』

 妖精アリスの青い光がゆっくりと瞬く。ゼロは笑った。

「なんだ、アリスもオレと同じだったんだ。オレはゼロ。どうせだから、一緒に大妖精様にお願いしに行こう!」
『あ、はい! ゼロさん、よろしくお願いします』

 どうやら、結構気が合う二人のようだった。





「……いないよ? 大妖精様」

 クロックタウン北地区の、少し高台になった場所に、その大妖精がいるという洞窟はあった。
 ゼロは意気込んで入ったのだが、中はもぬけの殻だったのだ。

『まさか……!』

 アリスの光が白っぽくなった。人間でいうと、青ざめたのだろう。

『四方の大妖精様たちに、何かあったのかもしれません……』

 ゼロにはなんのことやら、全く話についていけない。
 それに気づいたのか否か、くるり、とアリスが振り返った(ように見えた)。

『ゼロさん、お願いです。私と一緒に、四方の大妖精様を訪ねてください! もしかすると、タルミナに大変なことが起こっているかもしれません……!』

 たとえ人間のように表情が見えなくても、ゼロにはアリスの必死さが伝わってきた。力強くうなずいてみせる。安請け合いだとか、そのようなことは全く念頭になかった。

「もちろん。アリスが困ってるのをほっとけないよ」

 アリスには、ゼロの柔らかい紅茶色の瞳がこの上なく頼もしく見えた。


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