1-4.妖精アリス 落日を追いかけるように、ゼロは声のした方向へ力いっぱい走った。バイセンの声が後ろへ流れていく。 その時、再び助けを求める声が聞こえてきた。 「誰か、ババの荷物を取り返しておくれ!」 視界にその人の姿を見つけた。腰を折って息をしている、おばあさんだ。 ゼロは駆け寄ると膝をつき、覗き込むようにして尋ねる。 「どうしたんですか!」 「あのスリを捕まえておくれ、大切な荷物が……」 おばあさんの示した先には、北門へ逃げていく白っぽい人影があった。 ゼロはすっくと立ち上がる。 「待て!」 ありきたりの台詞だが、この場合は逆に相手を牽制する効果をもたらした。びくっと肩を揺らしたスリは、明らかに動揺して歩調を乱した。 しかし、いくらゼロが快足でも、距離のハンデがスリに味方した。このままでは逃げきられてしまう! その時、北門の前に立ちはだかる人影があった。あの兵士は……。 「バイセンさん!」 精一杯ゼロは叫んだ。力強くうなずくバイセンを見て、スリがひるむ。 ゼロは自分でも気づかないうちに、背中の剣に手を伸ばしていた。よくなじんだ感触がすべりこんでくる。 「その荷物を返せっ!」 輝く刀身の一閃で、スリの背負っていたおばあさんの荷物が地面に落ちる。ゼロの顔はほころびかけるが、身が軽くなったスリを捕まえ損ねた。 「あっ」 スリはクロックタウンの中央広場の方へ逃げていく。 ゼロは剣をしまうと、荷物とおばあさんのことをバイセンに任せ、自分はスリの後を追った。 * 広場で会ったムトーにスリの行方を尋ねると、西地区の方へ走っていったと言われた。ついでに、そのスリの名前はサコンといい、タルミナでは有名らしいことも教えてもらう。 ゼロは、多少息を切らしながら追いかけた。 「どこに行ったんだ……?」 ポストハウスや剣道場、銀行などが立ち並ぶクロックタウン西地区。死角も多く、スリのサコンは見あたらない。人影もまばらで目撃情報など集まりそうにもない。 しばらくその場を行ったり来たりしたゼロは、迷った末に目についた店屋の扉に手をかけた。鈍い音をたてて開く。 「こんにちは……」 もう日が落ちかけているというのに、灯りすらついていない。逆にこういう所に隠れているのかも、と勇気を出して踏み出す。 ぎぃ、と床が鳴った。 「誰か、いませんか……?」 ゼロの声は薄っぺらい闇に吸いこまれた。唾をのみこんで、また一歩。 店の中はごちゃごちゃしている印象だった。看板は確認していなかったが、おそらく骨董品屋だろう。黒ずんだ銀で縁取られた鏡、値打ちのありそうな置き時計、紙のように薄いティーカップなどが棚に並んでいる。ゼロは一時、目的を忘れて見いってしまった。 ふと気づくと、炎ではない、不思議な青い光が店内に満ちていた。 「え……?」 光はどうやら、棚の一角から発しているようだ。物に触れないように注意しつつ、移動する。 そして、ゼロは『それ』を手に取った。 「……」 古ぼけた、しかしありふれたビンだ。しかし、中身が違う。これは……。 「なんや? 客かいな」 突然の声に、危うくゼロは手に持ったビンを落としてしまうところだった。 ばくばくいう心臓を押さえ、努めて平静に答える。 「あ、こんにちは」 だが、声の主は返事など聞いていなかった。かわりに、明かりが灯って店内が明るくなる。 改めて光の中で見ても、やっぱりビンは光っていた。夜光塗料なのでは、という仮説は崩れる。 「あの……これは?」 「ニイチャン、そんなんも知らへんの? それは、妖精や」 「妖精?」 ゼロは訝しげだ。この店の主らしき人物は、表情の見えにくい黒硝子の眼鏡をついっと上げた。 「そうや。それひとつで夜道も安心、安くしとくで」 「いくら?」 「ニイチャンなら……200ルピーでええよ。ビンはオマケや」 200ルピーと言われたら、普通は誰でも買わないだろう。ここの町長の月給の何倍だ、という破格のレベルである。 しかし、ここにいる人物は違った。 「これで足りますか?」 と言って、銀色に輝くルピーを財布から二枚取り出した。店主は我が目を疑った。 「し、シルバールピー!?」 慌てふためくその姿を見て、ゼロは首を傾げた。そういえば、宿代を払った時もアンジュが腰を抜かしていた気がする。曖昧な記憶で、銀のルピーは一枚100ルピーだったと記憶していた。 「あの、足りませんでしたか……?」 「あ、イヤ確かに200ルピーやね。毎度、おおきに……」 店主の動揺っぷりに釈然としないまま、ビンを大事に抱えながらゼロは店を後にした。 * 外に出ると、ちょうど午後六時の鐘が鳴った。町のあちこちに灯りがともる。看板を確認してみると、今までいた店は『マニ屋』という名前だったらしい。 「結局スリのサコンって人、見つからなかったな……」 仕方ない、そういうことは専門のバイセンに任せるとしよう。今はそのことよりも、もっと気になることがあった。 ゼロは改めてビンの中の『妖精』を観察してみた。 一見すると、ただのまるい青い光だ。しかしよく見ると、薄い羽が四枚、ゆっくりと動いている。 見れば見るほど興味をそそられた。ゼロは思いきって栓を開けた。 待ちきれなかったように、ふわり、と光が出てくる。 『やっと……外に出ることが、できました……』 優しい声が聞こえた。周りを見回しても、ゼロの他には青い妖精しかいない。 「今、喋ったのは……?」 『私です。本当に助かりました。ありがとうございます』 妖精は、きらきら光る粉を羽からこぼした。ゼロは目を白黒させる。 『……もしかして、あなた、妖精を見たことが』 「ない、と思う」 『思う?』 そこで、ゼロは自分の記憶喪失について妖精に話した。光の玉と会話をするのは、なんだか奇妙な心地だった。どこをみて話せばいいのやら、よく分からない。 そんな心情での説明だったが、妖精はいたく同情してくれた。 『そうなんですか……。それなら、お役に立てるかもしれません』 「え、本当!?」 『はい。この町の大妖精様にお願いすれば、叶えてくださるでしょう』 大妖精。妖精すら初対面ゼロには、どんな存在か全く見当もつかなかった。この青い妖精の何倍も大きい、やはり光の玉なのだろうか。 「そうかあ。なんか、いろいろお世話になってごめんね。 君、名前はなんていうの? どうしてビンの中に……」 『私は、アリスと申します。気がついたらビンの中でした』 「え、それって……」 『お恥ずかしいことながら、どうやら私も記憶喪失のようです……』 妖精アリスの青い光がゆっくりと瞬く。ゼロは笑った。 「なんだ、アリスもオレと同じだったんだ。オレはゼロ。どうせだから、一緒に大妖精様にお願いしに行こう!」 『あ、はい! ゼロさん、よろしくお願いします』 どうやら、結構気が合う二人のようだった。 * 「……いないよ? 大妖精様」 クロックタウン北地区の、少し高台になった場所に、その大妖精がいるという洞窟はあった。 ゼロは意気込んで入ったのだが、中はもぬけの殻だったのだ。 『まさか……!』 アリスの光が白っぽくなった。人間でいうと、青ざめたのだろう。 『四方の大妖精様たちに、何かあったのかもしれません……』 ゼロにはなんのことやら、全く話についていけない。 それに気づいたのか否か、くるり、とアリスが振り返った(ように見えた)。 『ゼロさん、お願いです。私と一緒に、四方の大妖精様を訪ねてください! もしかすると、タルミナに大変なことが起こっているかもしれません……!』 たとえ人間のように表情が見えなくても、ゼロにはアリスの必死さが伝わってきた。力強くうなずいてみせる。安請け合いだとか、そのようなことは全く念頭になかった。 「もちろん。アリスが困ってるのをほっとけないよ」 アリスには、ゼロの柔らかい紅茶色の瞳がこの上なく頼もしく見えた。 ←*|#→ (7/132) ←戻る |