やっと君の声で
...
機能回復訓練も無事に終わり、なまえは時透無一郎の私邸にいた。
継子にはしない。と言っていた無一郎。絶対に嫌だ、と拒否をし続けたなまえ。
機能回復訓練中に二人が顔を合わせる度に、無一郎は屋敷へ来いとしつこくなまえに迫っていた。
それを見兼ねたしのぶが、時透邸でお世話になる事を勧め、なまえは仕方なく時透邸へ足を踏み入れたのだった。
小柄ななまえは、速さを生かした戦い方のほうがいい。
無一郎はなまえの更なる基礎体力向上と共に、高速移動の稽古を組み込んだ。
無一郎との稽古は想像以上に過酷なものだった。
午前中は体力向上の訓練を行う。
基礎体力向上には音柱 宇髄天元の助言を借りて行われた。
無一郎が直接、出向き話を聞いて来たのだ。
時透がそこまで肩入れするとはどんな奴だ、と興味を持たれたのは言うまでもない。
なまえも宇髄とは一度だけ任務で一緒になった。
が、当時、宇髄から殺気丸出しで戦う面白い女と豪快に笑われ、痛いほど背中を叩かれた記憶しかない。
無一郎から渡された紙には体力向上の訓練工程が書かれており、それは宇随直伝の体力向上の訓練なんだとか。
それを見たなまえは宇髄の事を心の中で体力お化けと呼ぶ事に決めた。
午後からは無一郎との高速移動の稽古だ。
お互い竹刀を構える。
なまえは大きく息を吸って地面を蹴り込む。
無一郎を捕らえた!となまえは竹刀を振り下ろす。が、竹刀は空を切った。
なまえが気がつくと、無一郎は既にななしの後ろを取り、ゲシッと背中を蹴飛ばす。
めげずになまえも体勢をすぐに戻して構え、竹刀を振り下ろす。
しかし、それも無一郎に見切られて蹴飛ばされる。
それを何度も何度も繰り返した。
何度か無一郎に竹刀で受け流される事はあっても、一本を取る事が出来ない。
その速さに付いて行けないからだ。これでは助言を受けるどころではない。
なまえは膝と手を床に突いて倒れ込んだ。
ゼェゼェと呼吸して、酸欠に近い状態で肺に空気を送り込む。ポタポタと汗が額を伝って鼻先から床に落ちるのを見つめる。
「今日はここまでにしよう。無理しても身体によくないからね。」
「……ッ!!でもっ、まだやれますッ!!」
「休むのも稽古の一つだよ。」
「…………分かりました。」
なまえはまだ納得していない、といった顔をして拳を握りしめる。
早く、強くなりたい!!となまえから痛いほど伝わってくる。
その気持ちは無一郎自身が一番よく分かっていた。過去の自分と重なってしまう。なまえには無理をさせたくはない。
無一郎は手拭いをポイっとなまえに投げて質問をぶつけた。
「そう言えば、なまえはいつになったら僕の名前を呼んでくれるの?」
「…………は。」
なまえから間の抜けた声が出た。
「…前にもお話をしたとは思いますが、あなたは柱で、私は一隊員です。なので、「なら、三日で僕から一本取れたら名前を呼んでよ。」
呼べません。と言おうとしたが無一郎の言葉によって遮られた。
それどころか、三日で一本を取る。しかもなまえが勝てたらと無一郎は言った。
「それって私次第ですよね?」
「そうだね。でもなまえがズルして負けるとは思っていないし、僕だって負ける気はないから。あ、それとも五日にする?」
ニヤニヤと意地悪く笑う無一郎。なまえは完全に煽られている。
無一郎がなまえの性格を把握してこう言えば誘いに乗ってくるのをわかっていたからだ。
「ーーーッ!!!三日で大丈夫ですッ!」
なまえは竹刀を強く握りしめた。
その夜、
昼間の無一郎との稽古を思い出してなまえは竹刀を振る。
呼吸は深く、大きく。気持ちを穏やかに落ち着かせろ。大丈夫。私なら出来る。
その目には輝きが宿り、なまえは三日三晩訓練に明け暮れた。
約束の三日目、無一郎となまえは道場にいた。
前より落ち着いた表情のなまえを見て、無一郎は口角を上げる。
激しく竹刀同士がぶつかり、お互いが間合いをとる。
しばらく激しい打ち込みが続いた後、スパンと大きな音が道場に響き渡った。
「…はぁ、……はぁッ……、」
「おめでとう!なまえの勝ちだよ。」
「…...あ..ありがとう、...ございます!」
なまえ息を絶え絶えに御礼を言う。
ギリギリではあったが、なまえは無一郎から一本取る事が出来た。
なまえは無一郎に勝てた安堵と疲労で力が抜けて道場の床に吸い込まれるように座り込んだ。
なまえが全力で挑んだにも関わらず無一郎は涼しい顔をしている。
それどころかいつもより口角が上がり、どこか楽しそうにも見えた。
無一郎は手拭いを持って、なまえの元へ近づく。
目線を合わせる様になまえの正面にしゃがんだ。
「約束覚えてる?」
「....ええっと、......なんの、ことでしょうか…」
あはは、とわざとらしく笑い、なまえは無一郎から顔をそらす。
「僕の名前を呼んで欲しい。」
無一郎は真っ直ぐなまえを見つめる。そらされた顔を戻す様に、両手でなまえの頬を包んだ。
思った以上に無一郎の顔が近い事に驚きなまえは目が見開く。徐々に顔に熱が集まるのがわかった。
これはマズい、早く言ってしまえ!と頭の中の自分が叫ぶ。しかし喉からは上手く声が出ない。
「……ぇっと、…あ、…ぁの、…」
捉えられた無一郎の瞳に映るのは口を金魚の様にパクパクさせて、自分でも見た事のない表情をしたなまえだった。
どうして"無一郎"のたった五文字が言えないのか。
鬼殺隊の中で一番位の高い柱だから。
頬を包まれこんなに近くで見つめられた事がないから。
答えは後者だ。
大きな瞳に長いまつ毛、ほんのり桃色の薄い唇。美少年という言葉がよく似合う彼に迫られれば誰だってこうなるだろう。
「早く言わないともっと近づくから」
「......っ!ちょっ、ちょっと待ってくだっ…!」
無一郎の顔がどんどんと近づいてくる。
これ以上近づかれたら困ると反射的にギュッと瞳を閉じなまえは無一郎の胸を押す。しかし無一郎の身体は押してもビクともしなかった。
無一郎に聞こえてしまいそうな程、心臓がドキドキと鼓動を打つ。
もうダメ!!無理!!恥ずかしくて死ぬ!!と思った瞬間、頬をギュッと摘まれた。
「凄い顔してる。その顔、僕以外に見せたら駄目だよ。」
「............ぁい。てか、痛いれす。」
なまえが痛みに目を開ければ、少し柔らかい表情を見せた無一郎。
なまえの頬を強く引っ張り弾く様に手を離した。
無一郎の手が離れた代わりに今度はなまえが自分の頬を摩る。
「あっ!む、無一郎くん!!稽古ありがとうございました!」
見つめられる緊張から解放されれば言えなかった名前はすんなりと口から出た。
「.......うん。お腹すいたから早くご飯にするよ。」
無一郎は足を止めたが、振り返らなかった。そしてそのまま道場を出て行く。
道場から少し離れた場所まで来た無一郎は緩む口元を隠すように手を当てた。自分が思っている以上になまえに入れ込んでいた事を思い知ったのだ。
潤んだ瞳に紅潮した頬、自分だけに見せた表情がたまらない。
きっと初めになまえを見た時から心を奪われていたのだろう。
緩やかではあるが、坂を転がる雪玉のように気持ちは大きくなっている。
無一郎は、やっとその大きさに気づいた。
だからなまえを稽古と理由を付けて屋敷へ招いたり、自分の名前を呼ばせたかったのか。
「僕ってこんな女々しかったけ……」
つぶやいた言葉は鴉、銀子の"任務ゥゥ!!"と叫ぶ声にかき消されるのだった。
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