今にして思えば、一人で住むにはやけに広い家だ。何故なんの疑問も持たなかったのだろうかと、記憶にある黒子の家の前までやってきた黄瀬と青峰は揃って立派な一軒家を見上げた。
視線を交わし頷き合うと、黄瀬が門に設置されているチャイムを鳴らす。
程なくして玄関から姿を現したのは、ある意味予想通りの人物だった。

「なんだ、お前達か。家に何の用だ?」

まだ記憶に新しい赤い髪の男が、左右色違いの双眸を細めて白々しく問いかけた。
全てを知ったうえでそんな風に振る舞っているのだと、記憶の戻った今ならば理解出来る。
黒子に会いたいという想いが最高潮に達すると、静かに、けれど確実に目の前の男への怒りが沸々と湧いた。

「テツはどこだ」
「黒子っちに会いにきたんス」

挑むように真っ直ぐ目の前の相手を見据えながら、黄瀬と青峰は記憶に蘇った愛しい人の名を口にする。
二人の口から出た言葉に、赤司は形式的に驚いた風を装った。

「フッ、本当に思い出すとは思わなかったな」

まぁ上がるといい、と赤司は二人を家に招き入れた。その態度はあまりにもあっさりしたもので、黄瀬と青峰の方が困惑してしまうほどだ。
何か企んでいるのではないかと勘繰る二人の心を読んだかのように、なにも取って食いはしないさ、と赤司が嘲るように笑う。
もし仮に何かあったとしても、前回のことがあるのだ。もともとそれなりの覚悟を決めてきた二人は、ここで引く気は毛頭ないと赤司について懐かしい気のする家に足を踏み入れた。

リビングに通され、促されるままソファーに腰を下ろすと、机を挟んだ向かいのソファーに赤司も腰を落ち着ける。
纏わり付くような異様な空気に、ピリリと緊張が走る。

「それで、何か僕に聞きたいことがあるんじゃないのか?」

足を組み落ち着き払った赤司が、二人の心を見透かすような瞳で問いかける。
黒子に会う前に確認したいこと、知りたいことがあるだろう、と。

「アンタはいったい何者なんだ?」
「俺たちに何をしたんスか?」

赤司の言う通り、黒子に会う前に解決しなければならない問題がある。
二人は逸る気持ちを必死に抑え込んだ。
普通に考えれば記憶を操作するなど出来ることではない。仮にそれをできるとしたら催眠術師くらいだろうが、効果のほどはよく知らないし、目の前の男はどうにもそういう類のものとは違う気がした。

「催眠術師…ということにしてもいいんだが、後々面倒なので本当のことを話そう。まず前提として、僕は人間ではない」

勿体付けるように赤司がゆったりと告げる。
人間じゃない。その言葉は、本来なら何を言っているんだと笑い飛ばすところだが、この男が言うとすんなりと受け入れられるような気になってしまう。
黄瀬と青峰は続く言葉を待つように、ごくりと唾を呑みこんだ。

「世にいう、吸血鬼というやつだ」

ギラリ、と色違いの双眸が一瞬光ったように見えた。
二人は驚愕に目を瞠る。赤司が嘘を言っているという考えは不思議と頭になかった。
吸血鬼という生き物が実在したこと、今自分達の目の前に存在していることに衝撃を受けた。
そして、浮かんだ疑惑に鼓動がいっそう速まる。

「勿論、テツヤもな」

次いだそれは半ば予想していたことではあったが、それでも尚、言葉を失うほどの衝撃を覚える。
目の前に突き付けられた真実は、ここに至るまでの二人の想像を軽く上回る。
それでも、だからといって、不思議と黒子への気持ちは全く揺らぐ気配はない。

年齢不詳で何年経っても老けることのない黒子の、その理由。
気になっても聞いてはいけないものだと直感的に理解していた。それを口にすれば全てが終わってしまうんじゃないかと、不安があった。
もしかしたら病気のせいなのかもしれないと本気で心配していたことだってあった。
だから、そうじゃないのだと知れたことの方が、黒子が吸血鬼であるという事実よりも大きいようだ。
黒いカーテンの張り巡らされた室内も、異様なまでに蒼白な黒子の肌も、そう言われればすんなりと納得がいく。
そして、事実を受け止め、一つの可能性を考えていたところに、それを否定する言葉が投げつけられる。

「テツヤは別にお前達から血を取ったりはしていないぞ」

黒子が自分達を大事にしてくれていたことはちゃんと実感としてあるため、餌として見らていたなんて考えは毛頭ない。けれど、少しくらい血を吸われていたならば、それは黒子の中に自分達の一部が取り込まれているということで、何だか満更でもない気分だったのだ。
その考えを呆れ顔で一蹴され、どこか残念に思っている自分がいるのには気付かないふりをした。

それにしても、ここまで考えを読まれていると、記憶を操作出来るくらいなのだから、もしかしたら心も読めるのではないかと思えてくる。自分達の思考がただ単純なのだという考えは頭にはない。
しかし、思い返してみても黒子にはそんな様子はなかった。同じ吸血鬼ならば、力も同じようにあるのだろうが、もしそうなら傍らで邪な感情を幾度となく抱いてきた自分達にあんな態度で接することは出来ないだろう。

と、こうして赤司の言葉の一つ一つを捉えても悉く黒子のことを考え、思い出し、会いたいという気持ちが募る。
黒子が吸血鬼だろうと関係ない。二人の黒子を想う気持ちは変わらないのだと改めて確信する。

「そして、もう一つの質問だが、僕はお前達からテツヤの記憶を消し、別の記憶にすり替えた。それだけだ」
「それだけって…」

何でもないことのように赤司は言った。
それこそ明日の天気について話すかのような調子で。

「なんで、そんなこと…」
「人間であるお前達が吸血鬼であるテツヤのことを覚えていると不都合だからだ。それに仮に僕がそうせずとも、いずれテツヤが同じことをしただろう」

黒子が自らの手で共に過ごしてきた記憶を消す。
想像するとなんだかひどく胸が締め付けられる。しかし、黒子にそんな気配は全くなかった。つまりは赤司が現れなければ、その後も暫くはあの幸せな時間を送れていたのではないかと考えると、やはり全ては目の前の男が原因ではないかと思える。

「それなら、テツがそうするまで待てばよかっただろう」
「アンタが俺達の記憶を消す権利はないはずっス」
「あるさ。僕はテツヤのパートナーだからね。少しでもテツヤの苦しみを取り除いてやりたいと思うのは当然だろう」

パートナー、という言葉に胸がチクリと痛んだ。それは自分達が想像しているものとはまた別の形かもしれないが、特別な響きを持つそれには無条件に嫉妬心を煽られる。
同時に、それを苦しみだと言った赤司に驚く。黒子が二人の記憶を消し去るのが苦しみだと。つまり、赤司も黒子が二人を大事に思っていることは認めているということだろうか。
自分達の幸せを壊し、黒子との仲を引き裂いた目の前の相手を憎らしく思うと共に、その相手も黒子のことを想ってそれを実行したのだとすれば、どうにも憎みきることは出来なかった。

「今がまさに絶好のタイミングだったんだ」

二人が複雑な思いに駆られていると、独り言のように赤司がぼそりと溢した。瞳はどこか遠くを見ているようで、それまでの赤司の印象を大きく変えるような、切な気な、苦し気な、なんともいえない表情をしていた。しかし、それも一瞬で掻き消える。

「僕はお前達を試したんだ。この程度のことで本当に忘れてしまえるようなら、もう二度とテツヤに会う資格はないからね。まぁ、僕としては思い出さないでいてくれた方がよかったんだが」

戸惑う二人を余所に、赤司はまた表情を一変させ、底が読めない、残忍な色を瞳に浮かべる。
もし思い出せなければ、植えつけられた偽りの記憶を信じたまま、黒子の存在を忘れたまま一生を終えることになっていたのだと改めて実感し、ゾッとした。
そして、偽りの記憶で思い出した。彼女の存在。偽物の、想い人。

「そういえば、あいつは誰だったんだ?」
「彼女は、どうなるんスか?」

実際に存在した人間なのか。同じように記憶を操られていただけで彼女にも別の生活があったのだろうか。
彼女が誰であれ、もう会うことはないだろうが、無関心なままではいられない。

「アレは僕が作り出した存在だ。だから、用がなくなれば消える」
「そんな…っ」
「お前達がテツヤのことを思い出した今、アレはもう役目を終えたことになる。元々存在しなかった者が消えるだけだ。何の問題もない」

ただ事実を事実としてのみ述べる、何の感情も含まない声。
彼女が実在していたなら、自分達も被害者といえども、生活を歪めてしまったことを申し訳なく思うだろう。だからといって、存在しないなら構わないというわけでもない。
人間だから、吸血鬼だから、そんな言葉は使いたくはないが、赤司という存在は到底規格外に思えた。
赤司が人間を嫌っていることはこれまでの会話や行動から察することが出来る。
そして、赤司ならば自分達に気取られることなく完璧に事をこなしてしまえそうな気もしていた。だからこそ、黒子のことをよく知っているだろう赤司が、二人が違和感を覚えるような行動を彼女に取らせたことが気にかかる。
まるで、ヒントでも与えるかのように。思い出してほしくなかったと言っていたが、これではどうにも矛盾している。
そんなことを考えていると、二人の考えていることがわかったのか、赤司が口を開く。

「ただ、彼女にはベースを与えただけで僕が操っていたということはない。彼女はただ自分の意思で行動していた」

だから若干の誤差が生じたのだという。
彼女は彼女の意思で行動していた。それはつまり、彼女は意思のある存在だったということではないか。その存在を、あっさり消すという。

「あんた、何考えてんだよ」
「何も、感じないんスか」
「感じないな。僕の願いは一つ。そのためならどんなことでもするさ」

確固たる意志を秘めた赤司の瞳に、二人は何も言えなくなる。
それがなんなのか、教える気はないのだろう。赤司はそれ以上語ることをしない。

「さて、もういいだろう。そろそろ本題に移ろうか」

全てを知った上でお前達はどうするのかと、底の知れぬ笑みを浮かべる赤司の本心はわからない。
赤司の、彼女に対する考え方はおかしいと思うし、簡単に納得することは出来ない。
自分達は彼女のおかげで黒子のことを思い出せた。けれど、彼女への想いは完全に消えてしまっていて、自分達にはもう何もできることはない。本来の記憶を取り戻した今、黒子の存在こそが二人の中で一番大事で尊重すべきものなのだ。代わりは、いらない。
そう思ってしまっている時点で、もう自分達は彼女について何か言う資格もない。結局は自分達も赤司と同じなのだと感じる。
二人は、彼女に対する感情を、彼女の記憶を、少しの罪悪感と共に胸の奥深くに封じ込めた。

黒子とともに或る未来のために。




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