Short | ナノ


君に気づかされてからの物語【後編】(練白龍)


渋谷のホテル街で権兵衛を助けた夜。帰宅した俺は、湯船に浸かりながら何度も幼馴染の発言を反芻していた。

<モルジアナさんが転校してきてからの三年間、わたしを白龍が見てくれたことなんて一度もなかった>

<わたしには見向きもしないくせに、わたしの恋に口出ししないで!>

"幼馴染以上でも以下でもない"と俺たちの関係を形容したのは権兵衛自身。とはいえ涙を流す幼馴染を見てしまえば、居酒屋での彼女の言葉はとても鵜呑みにできない。自分事だから咀嚼に時間を要しているだけで、第三者の立場でこの一件を見聞きしていれば権兵衛が俺を好きなのは疑いようのない事実だ。

<わたしの幸せが何かも知らないくせに>

ずっと亡き蓮兄に権兵衛が想いを寄せていると思っていた俺は、十六年間彼女のそばにいたのに彼女の幸せを知らなかった。俺の学校を幼馴染が受験したのだって、俺の近くにいるためだと気づいたのは渋谷から帰る電車の中。そこに気づいてしまえば、中高六年間どんな思いで俺のそばに権兵衛がいたかは想像に難くない。

中高時代は俺の意思に反して女子生徒から声をかけられる機会が多かったし、権兵衛にはモルジアナへの想いも吐露していた。俺が同じことをモルジアナにされていたら、おそらく気が触れていたはずだ。

「…ん?」

いや、アリババとモルジアナが付き合おうが結婚しようが、俺の気が触れたことはない。交際を報告された当日こそショックを受けたものの立ち直りは早かったし、友人として結婚式に招待されるくらいには二人と親しくしている。

しかし、酔った権兵衛の肩を抱いて顔を近づける軽薄な男を見たときは血が沸騰しそうなほど腹が立って。あのときも意識して幼馴染からあの男を剥がしたわけではなく、気づけばあの男がアスファルトに転がっていた。

それに権兵衛にちょっかいをかけていた高校時代のアラジンも、LINEやSNSの交換をしようとしただけ。あいつのように明確に幼馴染を害する目的があったわけではない。むしろ仲良くなりたいという善意で権兵衛に近づいたのに、それを俺が遠ざけた。

よく考えればアリババも。幼馴染と彼を仲介したのは俺だが、二人の仲を縮めようとはしなかった。二人の初対面はアリババに初彼女ができる前で、アリババと権兵衛が恋に落ちればモルジアナと俺が付き合っていたかもしれない。蓮兄への想いを捨てて新しい恋を始めてほしい、と幼馴染に願い続けたのは他でもない俺だ。

亡き兄への権兵衛の想いも俺の恋路も、アリババと彼女が結ばれれば円満に解決したかもしれないのに。相手がアラジンに代わっても前者は実現できたはずだ。どちらの可能性も俺が潰した。

"幼馴染以上でも以下でもない"と俺たちの関係を形容したのは権兵衛だが、その考えは俺も同じ。とはいえ男関係で幼馴染に苦労してほしくないにせよ、アラジンやアリババのような異性との友達付き合いにまで口を挟むのは。

「どう考えてもやりすぎだ…」

なぜ過去の俺はそんなことをしたのか。何度考えても辿り着く答えは同じだが、それを素直に認められるわけではない。しかし十六年間を振り返れば、"そうだった"と思えるだけの出来事はあった。

<あれ…白龍に言ってなかったっけ?そもそもわたしが中等部受験したの、大学は国公立に行くのが条件だったから>

権兵衛に外部受験を告げられた高二の冬の動揺は今もよく覚えている。中等部から一緒の幼馴染とはクラスが違ってもほぼ毎日会っていたから、それが当たり前ではないことを痛感させられた。俺の大学から地下鉄で二駅の公立大学に権兵衛の進学が決まったときは、寂しさを感じると同時にすぐ会えると安堵したものだ。

先週の土曜も。結婚式を抜けた俺は居酒屋に幼馴染を呼び出している。月曜提出の課題があったのは本当で、課題を急ぐなら歌舞伎町で権兵衛と落ち合う必要はなかったし、初恋について前々から幼馴染に相談していたわけでもなかった。つまり俺が居酒屋に権兵衛を呼んだ理由は、"ただ会いたかったから"に他ならない。

<わたしだって諦める心積もりはできてるんだから>

十中八九権兵衛が"諦める"対象は俺。既にアプリで次の男を探しているかもしれない幼馴染を思えば、どうしようもない怒りが湧いてくる。かといって俺から連絡しようにも、きっかけが見当たらなかった。何より権兵衛への想いを自覚した今、彼女と顔を合わせた自分がどうなるか、まったく見当がつかなくて。

なす術はないのに気持ちだけが募る現状のやるせなさに、両手で湯船から掬った湯を顔にぶつけた。浴槽に足を入れたときは肌の表面に軽い痛みが走るくらいには熱かった湯は既に温く、湯船に浸ったままだった手の皮膚はふやけている。

「白龍ちゃん、いつまでお風呂に入ってるのよぉ?もう一時間も入ってるじゃない!二限があるから早く出てくれないと私が寝られないのよぉ!」

浴室とドアを隔てた洗面所から聞こえた気がした誰かの声は、俺の頭を簡単にすり抜けて行った。



渋谷での一件から四日後、つまり金曜の昼。都内の一等地にある瀟洒なマンションに俺は来ている。ここの上層階に住む姉に昨晩呼び出されたのだ。

エントランスの入口でコンシェルジュに挨拶すると、俺が鍵を出す間もなく扉を開けてくれる。ここに姉が越した四年前から隔週くらいの頻度で訪ねているため、すっかりコンシェルジュとも顔馴染みだ。コンシェルジュに会釈してエントランスを進み、三機のうち一階と上層階にだけ停まるエレベーターのボタンを押す。

一階に着いたエレベーターから出てきたのは、大臣経験者の大物与党議員とモデル体型の女性。両者の年齢は一般的な親子以上に離れているが、顔や距離感から二人の血の繋がりを感じない。大事な姉の住むマンション内での汚らわしい関係に吐き気を催しながら俺はエレベーターに乗り、いつものボタンを押した。

エレベーターから降り、一番遠いところのドアの前で俺は足を止める。通学用のキャンバストートからキーケースを引っ張り、合鍵として家主から渡されているカードキーを取り出した。

カードキーで玄関を開けると、一足のスニーカーが目に留まる。姉のファッション系統からは外れるが、街を歩けば絶対に一人以上は見かける定番中の定番。つまりこの白いハイカットが姉のものでも何らおかしくはない。ただ、外出の直前まで下駄箱から靴を出さない姉がスニーカーを出していることには違和感が募った。

同じブランドのローカットの靴紐を緩めて脱ぎ、白のハイカットの隣に並べる。リビングと玄関を隔てるドアに近づくにつれ、リビングから聞こえてくるのは姉の声。内容まではわからず、リモート会議でもしているのだろうか。そう思いながらなるべく音を立てないようにドアを開ける。

しかし、俺の予想は大きく外れた。姉は仕事などしておらず、リビングで存在感を放つ大きなL字型の本革ソファーでお茶をしている。権兵衛と二人で。

「ねえ、白龍」

月曜二十三時に渋谷で別れて以来、連絡ひとつ取らなかった幼馴染に、思わず眉間の皺が寄る。「どうして権兵衛が」と俺がつぶやくものの、ケーキを咀嚼中の彼女は答えられそうにない。そんな幼馴染と彼女に苦い顔しか向けられない俺に気づいたのか、「私が呼びました」と満面の笑みで姉。

ケーキが乗った皿を手に立ち上がった姉はキッチンに向かい、皿ごとラップで覆ったケーキを冷蔵庫にしまう。そのまま鏡を手に口紅を塗ると、バッグを持って姉は玄関に続くドアを開けた。嫌な予感がした俺は、慌てて姉に行き先を尋ねる。

「青舜と映画の約束がありますから、私はこれで」

踝丈のワンピースをふわりとさせながら姉が振り返ると、確信犯と言わんばかりのウインクを置き土産に彼女は出かけてしまった。確かに青舜、姉の専属秘書と映画を観に行くという話は聞いている。同じ映画を何度も見て何が楽しいのか俺にはわからないが、仕事とはいえ青舜はよく付き合ってるものだと感心してしまう。

姉の策略にはまった俺が悪いし、月曜日から連絡ひとつ取っていない権兵衛を置いて帰るわけにはいかない。観念した俺は黒のレザージャケットをリビングの端にあるコートハンガーに掛け、先ほどまで姉が座っていた席に腰を下ろす。

「…まったく姉上は何を考えてるんだか」

権兵衛に聞こえる声量でつぶやいたものの、彼女からの返事はない。いたたまれなくて帰りたいのか、幼馴染はそわそわしながら腰を浮かせようとする。さすがに露骨すぎると窘めれば素直に謝罪されるものの、再び沈黙が続いて。耐えられなくなった俺が月曜の件を蒸し返そうとすると、びくりと権兵衛の肩が跳ねる。

「権兵衛は俺を…」

本当に好きなのか?そう問おうとしたものの、わざわざ女性に言わせるべきではないと思い改めた。俺が権兵衛を好きなことに嘘はない。しかし何を思ったのか、俺の告白を権兵衛が遮ろうとする。

「言わないでってば!」

沈黙を続けていた想い人の大声に、今度は俺の肩が跳ねた。なぜ言わせてくれないのかを問えば、権兵衛は明らかに取り乱す。

「決まってるでしょう?振られるのが…今まで通りの関係性でいられなくなるのが怖いの!いくらわたしのこと眼中になくたって、それくらい幼馴染なんだからわかってよ!バカ白龍!どっか行って!」

「…!」

どっか行ってと言いつつ権兵衛を置いて俺が帰れないのを自覚したからか、彼女は起立した。しかし帰らせまいと権兵衛の左手首を掴み、彼女がバランスを崩したのを利用して彼女を腕の中に閉じ込める。

「ああ、本当に俺はバカだな。権兵衛が隣にいることがいつの間にか自然になってて、とっくに惚れてるのに気づかなかった。この前の件でようやく俺も気づいたが、俺にとっても今は権兵衛が一番大事なんだ」

腕の中の幼馴染は思っていたよりずっと小さい。権兵衛の背丈はモルジアナと変わらないか、少し権兵衛が大きいくらいだ。しかし昔から体育以外の運動習慣がない幼馴染は、筋肉質なモルジアナに比べてやわらかい。

思いがけないところで権兵衛の女性らしさに触れれぱ、どうも胸の鼓動が速くなる。腕の中の想い人に悟られないように、自分の気を紛らわせるように、窓際の観葉植物に視線を向けた。

「本当に?もう本当にモルジアナさんのこと好きじゃない?」

「ああ…だが困ったな」

両手で俺の胸を押して距離を取って顔を上げた権兵衛は、顔を真っ赤にして小首を傾げる。そのしぐさすら、権兵衛への好意を自覚した今はたまらなく愛おしい。

「俺は権兵衛と付き合いたいんだが、"今まで通りの関係性でいられなくなるのが怖い"って言われたから」

「やだ、前言撤回する!付き合ってよ!白龍…大好きっ」

その言葉と同時に俺の首に腕を回した権兵衛に引っ張られるように、俺はバランスを崩す。幼馴染に覆い被さるようにソファーに雪崩れ込むと、思いの外二人の距離は近くて。権兵衛と視線がぶつかったあと、身体を丸めてゆっくりと彼女に顔を近づけていく。

高校時代に経験した最初のキスは自分からの不意打ちだった。恋愛感情を向けられていない女子との勢い任せの口づけと異なり、今回は想いを通わせあった相手とのキス。視界いっぱいに映る権兵衛が瞼を閉じはじめたとき、チノパンの右ポケットからLINEのデフォルト通知音が鳴る。

「…誰だこんなときに」

文句を言いつつも身体を起こし、ソファーに膝立ちになった俺は発信者を確認してからスマホを右耳に押しつけた。

「白龍?まだ権兵衛と家にいますか?」

「ええ…そうですけど」

姉上からの通話に忘れ物でもしたかと思えば、俺たちの行動を監視していたかのように彼女は釘を刺す。

「私の家ってことを忘れないでくださいね。青舜と食事したら帰りますから」

「何を言ってるんです?そんなこと…あ、帰るのはわかりましたから」

呆れを隠さない返事とともに通話を終えると、ソファーに背中を預けたままの権兵衛が電話の相手を確認する。隠す理由もないため相手は正直に答えたものの、"ここで権兵衛を襲うな"と牽制されたなんて言えそうになくて。用件だけは適当にごまかした。

「ああ、暗くなる前に権兵衛を送れって」

ふうん、と興味なさげに返す幼馴染の奥に見える窓に視線を向けると、既に窓の外には茜色の空が広がっている。

「じゃあ帰ろうかな。今なら白龍に送ってもらわなくても帰れるし」

「いや、送る」と食い気味に俺が言えば、「いいよ」と権兵衛。ただの幼馴染だろうと想いを寄せる相手でなくても、刻一刻と暗くなる時間帯に女性を一人で帰すつもりはない。

「付き合いはじめたばかりの彼氏と少しでも長く一緒にいたい、と権兵衛は思わないのか?」

しばらく押し問答を繰り返したのち、先に痺れを切らせたのは俺だった。ソファーに倒れ込んだままの身体を起こした権兵衛は、姉上と飲んでいた紅茶を飲み干してから立ち上がった。



結局恋人を俺が送ることになり、俺の後ろにある三段式のキッチンワゴンにティーセットを乗せてアイランドキッチンまで運ぶ。今回使ったマイセンのティーセットはかつて姉上が食洗機を使わずに洗っていた記憶があり、俺もそれに倣ってシンクに置かれたスポンジに洗剤をつける。

俺が食器を洗う間、権兵衛は手土産のバスクチーズケーキの箱を畳んでいて。折り畳んだ箱をショルダーバッグにしまったのか、手伝うことはないかと手ぶらの幼馴染が俺に尋ねる。

俺が否定の意を返すのを待って、「先に靴履いてるね」と言って権兵衛は一足先に玄関に向かう。食器を洗い終えて忘れ物を確認しにリビングに戻ると、チョコレートブラウンのショルダーバッグがダイニングチェアに置かれたままになっていた。

「あ…ごめん、ありがとう!」

俺が玄関に向かうとスニーカーを履いている最中だった権兵衛は、履き終えるまで忘れ物を俺に持っているよう依頼する。スマホ一つで姉上の家にやってきた俺は、ショルダーバッグを彼女に預けてから自分のスニーカーを履きはじめた。

「この前は助けてくれたのにひどいこと言って…すぐに謝れなくてごめんね」

左足の靴紐を結ぶのに集中していると、頭上から謝罪が降ってくる。突然の謝罪に戸惑ったのは一瞬で、すぐに何のことかを把握した。右側の壁にある鏡越しの恋人は返事のない俺を不安げに見つめていて。何に謝られたかすぐ気づかないくらいには怒っていない俺は、安心させようと右足の靴紐に手をかけつつ振り向く。

「俺は気にしてないから権兵衛も気にするな。あの一件がなければ…権兵衛への気持ちに俺は無自覚なままだったから」

きゅっと最後に靴紐の端を左右に引っ張った後、権兵衛に俺は右手を差し出す。立つのを手伝ってもらうふりをしつつ権兵衛が左手を差し出すのを待って、左腕ごと彼女を勢いよく引き寄せた。引き寄せた権兵衛の右肩を掴んで、一瞬だけ唇を寄せる。顔を離すと恋人は軽い放心状態で、ほんのり色づく頬が可愛くて仕方がない。

「これから何度もするんだから、そんな顔するな」

「何度もするかもしれないけど…ファーストキスは二度とないんだよ!」

権兵衛の言葉に、大きな岩で思いきり殴られたような衝撃が走った。二十歳になっても権兵衛に彼氏がいなかった原因は俺で、俺が初めての彼氏。正真正銘これが初めてだったようで、姉上の家の玄関で雑に済ませたことに気づけば血の気が引いていく。権兵衛の家までの道中も俺が懺悔を繰り返したのは言うまでもない。



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