Short | ナノ


−×−=+?(ジュダル)


「あーーーーーっ!俺の3000円を返せよっ、ナナカイノハオー」



日曜の15時42分。自宅のテレビに向かって新聞を投げつける同棲中の恋人・ジュダルを、隣でわたしは見つめていた。

財布の有り金すべてを今日のメインレースに注ぎ込んだジュダルの敗因は、直近で出走したG1レースで7連覇中のナナカイノハオー。先週末から競馬新聞やウェブメディア、関連番組をくまなくチェックして購入した馬券は、もはや紙くずでしかない。

圧倒的1番人気の最強牡馬と3番人気のキサキニナルンダ、大穴の18番・キゾクノドラムスコで3連単を組んだまではよかった。しかし、どの有識者も確実視していたナナカイノハオーだけが、恋人の予想通りの順位で来なかったのだ。

「ナナカイノハオーの鞍上ってシンドバッドだよね?もうシンドバッドはおじさんなんだから、もっと若い騎手を選べばいいのに。…えっと、アリババとか?」

「はぁ?嫌だよあんなやつ。弱そうだし、顔に覇気がねーじゃん」

「でも…カシムノトモダチに乗ってたのも彼なんでしょう?」

新進気鋭のジョッキー・アリババの名を口にすれば、わかりやすくジュダルは顔をしかめる。別にわたしは競馬に興味があるわけじゃない。たまたま彼氏が投げた競馬新聞の見出しにその名があったから、口にしたまでだ。

競馬を知らない人にも絶大な知名度を誇る中堅の後継者との呼び声が高いことと、今日のメインレースの勝利ジョッキーが彼であること。それ以外、アリババについて何もわたしは知らない。

「権兵衛、まさかおまえアリババのファンとかいうんじゃねーんだろーな?」

「知らないよ、アリババなんて…。でも、さっきのインタビューで見た印象では、ジュダルが言うほど悪くないと思うけど」

テレビにCMに引っ張りだこのシンドバッド以外、誰一人ジョッキーの顔と名前が一致しないのに。シンドバッドとて、モデルや役者でも通用しそうな美丈夫だから辛うじて覚えているものの、そもそもわたしは人の顔と名前を覚えるのが苦手。それくらい、付き合いの長いジュダルもわかっているはず。

それなのに、まっすぐわたしを見下ろす恋人は、不機嫌を隠そうとしない。いや、わざと不機嫌を前面に出している。先程までテレビの前でアリババに文句を言っていたはずのジュダルは、いつの間にかわたしの対面に立っていた。

「…な…に?どうしたの?そんな顔して」

「おまえ、アリババなんかがいいわけ?」

意図のわからない発言に、一瞬わたしは面食らう。

「そんなこと一言も言ってないじゃん!ジュダルが悪く言いすぎというか、ボロクソに言うほどではないってだけで…アリババがいいなんて言ってないよ」

すぐに反論すれば、本当かとジュダルは尋ねた。声には出さず一度だけ頷くと、わたしの両肩に手を乗せたジュダルが口角をぐっと上げてわたしに目線を合わせる。

「じゃあ言えよ、"俺が一番だ"って」

その言葉で、ようやくジュダルの不機嫌の理由にわたしは気づく。歴代彼氏で群を抜いてやきもちやきのジュダル。ほかの男性のことをわたしが口にするのが、とにかく許せないらしい。

「もちろん、ジュダルが一番だよ。それくらい言わなくてもわかるでしょう?」

「わかんねーから聞いてんだよ」

「今言ったじゃん」

そう口にするものの、まだ彼氏の目は懐疑的。こういうときのジュダルには、行動で示すしかない。友達期間を含めた数年に及ぶ付き合いから、そうした恋人の性格はわかっていた。

彼氏の両肩に手を乗せて爪先立ちになり、短く唇を重ねる。すぐに顔を離そうとしたものの、ジュダルの両手に顔を掴まれてしまう。しばらくジュダルにされるがままの状態だったが、わたしの足指とふくらはぎが限界を迎えて。

フローリングに踵を着けると同時にようやく顔が離れると、先ほどまでわたしの顔に回されていた手が背中に回る。わたしの顔と自分の顔の高さが合うように背中を丸めたジュダルは、わたしの耳元でそっと囁く。

「さっきの重賞で有り金すっちまったから…金貸して」



「また貸したんですか?」

「…うん。わたしも悪いのはわかってるんだけど。消費者金融の利子もバカならないって聞くし、闇金に手を出して大変なことになったらジュダルがかわいそうだから」

その週の金曜日。一緒にランチをするのは、学生時代からの親友でジュダルと共通の友人・練白瑛。彼女を介してジュダルと知り合ったのがきっかけで、わたしたちは距離を縮めたのだ。

「権兵衛が貸したうち、いくらジュダルは返済したんでしたっけ?」

正直に返済額を告げれば、白瑛は声を荒げる。

「そんなの、もっと怒らないとダメですよ!」

「ちょっと…白瑛!」

もちろん周囲に人はいるわけで、人々の視線はわたしたちに集まった。慌ててわたしに謝罪した白瑛は、かなり声のトーンを落としてわたしに問う。

「催促しないんですか?」

「してるよ。でも"今日のレースで万馬券取るから"ってはぐらかされて、そのレースの馬券が外れてお金が足りなくなって、お金貸して…って無限ループで」

へらりと笑って重い空気を中和しようとするものの、真面目な白瑛には逆効果で。理由はわからないが、なぜかわたしに白瑛は謝罪する。

「権兵衛も相当問題ありですけど、ジュダルがひどすぎます!…あの頃はまだ競馬をやらなかったとはいえ、ジュダルを権兵衛に紹介したのは私ですから」

責任の一端は自分にあると白瑛は言うが、当然そんなことはない。これはジュダルとわたしの問題で、白瑛が悪くないのはわかりきっていた。

「でも…権兵衛以外の女性でしたら、とっくにジュダルを振っていますよ。別れないにしても、一度借金は完済させるべきです。結婚も考えているんでしょう?」

白瑛の問いにわたしは頷く。半年の同棲期間を含め、彼氏との交際は3年続いている。白瑛を含む仲良しグループの卒業旅行中、ジュダルに告白されたのが交際のはじまり。同じ業界の違う企業に就職したわたしたちの交際は順調で、結婚も視野に入れはじめていた。

しかし、半年と少し前にジュダルの両親が強盗に殺されたのだ。わかっているのは主犯が女性ということだけで、今も犯人は捕まっていない。

生前のご両親にはわたしも会ったことがあるが、彼らはジュダルを愛していたし、彼もまたご両親を大切にしていた。突然2人を失ったショックからジュダルは鬱になり、それ以来休職している。

休職中に自暴自棄になっていた彼氏を立ち直らせるべく、わたしから提案したのが同棲。より広かったわたしの家にジュダルが転がり込む形で同棲が始まり、同時期に彼は競馬と出会った。

ジュダルの競馬に対するのめり込み方は、今思えば少し異常だったかもしれない。それでもご両親を失った傷が少しでも癒えるのなら、一瞬でも悲しみを忘れられるのなら、とわたしは目を瞑ってきた。

ジュダルと結婚したい気持ちは確かだが、競馬にハマってからの彼の金銭感覚に問題があるのは事実。それでも依存症一歩手前の競馬好きとやや過剰なやきもちやきを除けば、彼氏のことは大好きで。

ご両親のことがあったとはいえ、恋人を甘やかしすぎた自覚もある。しかし、白瑛が言うところの他の女性のように、ジュダルを振ることは考えていない。とはいえ、借金問題をクリアしない限り結婚なんて絶対にありえなかった。

「権兵衛…私に案があります」

白瑛の案は悪くないが、ジュダルがかわいそうな気もする。正直に零すと、「そうやってジュダルを権兵衛が甘やかすからこうなったんですよ!」と白瑛は顔をしかめた。

「…権兵衛とジュダルを引き合わせた私がすべての元凶ですね」

「白瑛」

まったく悪くないのに自分を責める白瑛の姿に、罪悪感が全身を駆け巡る。このまま借金問題が解決せず、自責の念に白瑛が駆られるのはもっとかわいそう。そう思い直したわたしは、心を鬼にしてジュダルに返済を迫ることにした。



「あっ、シンドバッド」

土曜日の夕食後。何気なく見ていたテレビで、シンドバッドの出演する新しいCMが流れた。一切の他意なく気づきを口にしただけだったが、ソファーの隣でテレビを見ていた彼氏は大きく臍を曲げる。

「先週はアリババで、今日はシンドバッドなの?」

「違うってば、好きなのはジュダルだけだって何度も言ってるでしょう?」

「ふーん。"好きなのはジュダルだけ"、ね。今のおまえの発言で、俺すごく機嫌いいんだわ」

どう考えても本音は真逆。行動にも本心は現れていて、うつ伏せになるようわたしをソファーに押し倒したかと思えば両手を後ろに束ね、腰辺りにジュダルが腰を下ろす。右手でわたしの頭をソファーに押さえつけ、自身の脚でわたしの両手を押さえて身体の自由を奪った状態でジュダルが問う。

「俺のことが好きなら、して欲しいことあるんだろ?言えよ」

「…言えたら、ちゃんと…最後までしてくれる?」

「誰に聞いてんの?何十回でも何百回でも…満足いくまで何度でもしてやるよ」

ソファーに額を付けていて彼氏の表情は見えないものの、口角を上げてニヤニヤしているに違いない。

「…お金返して」

わたしの要望に、「はぁ?」とジュダル。いつものわたしなら、「キスしてほしい」とか「抱き締めてほしい」とか言っていただろう。そういう言葉を彼氏が期待していたのは、わたしもよくわかっていた。

「てめーふざけん」

「ふざけてるのはジュダルでしょう?彼女とはいえ、他人から給料の手取り一月分以上も借りて1円も返さないんだから!」

さすがに返す言葉がないようで、ただわたしをジュダルは睨んでいる。恋人が休職している今、2人の生活費は全額わたしの給料から支払っていた。2人分の生活費を高給取りでもないわたしの給料だけで賄おうとすれば、もちろん赤字になるわけで。

少しずつ貯金を切り崩しながら生活しているものの、ジュダルにお金を貸して生活費も多く払えば、来年には貯金も底を尽きる見込み。そう口にすると、ジュダルの顔には罪悪感が宿りはじめた。

「今日からはベッドも別ね。ベッドはジュダルが使っていいから」

「…おまえどーすんの?このソファーじゃ狭いだろ?」

彼氏の問いに、リビングにある小さな段ボールをわたしは指さす。その中にあるのは、昨日Amazonで購入した寝袋。

「いや、寝袋なら俺が入るから…権兵衛はベッド使えよ」

いくら全面的に非をジュダルが認めようと、硬い床に敷いた安物の寝袋で恋人が寝るとは思えない。思ったままを口にすると、「俺だって反省してるんだよ」と弱々しい声でジュダルは返す。

その声色に絆されそうになったものの、白瑛の顔が脳裏をよぎった。わたしの決心が揺らがないように、寝袋購入の場に居合わせてくれたのだ。

「反省の気持ちは現金以外では受け取りません。…それに、ベッドでわたしが寝てたらジュダルが潜り込んでなし崩しになるの、わかってるんだから」

「寝袋だって同じじゃねーの?剥いだら一緒じゃん」

ジュダルの発言は一理ある。なぜそこに白瑛もわたしも気づかなかったのか。

「…そっか、そうだよね。じゃあジュダルがお金返してくれるまで、実家に帰るよ。分担してた家賃や生活費は変わらず出すから安心して」

都内に実家があるわたしにとって、実家に帰るデメリットは通勤時間が長くなることくらい。両親との関係は良好そのもの。1人暮らしを始めるときだって、引っ越し当日まで"実家にいればいいのに"と親に言われ続けていた。

帰宅すればすぐにご飯が出てきたり、日中に洗濯物を取り込んだり畳んだりしてもらえるのだから、むしろメリットしかないと感じている。しかし、ジュダルにとってはそうでないらしい。恋人からは明らかな動揺が見て取れる。

「権兵衛、俺のこと好きなんだろ?だったら…俺を1人になんかするな。確かに借金は悪かったと思う。でも、親を殺されちまったのも全部俺が悪いっていうのかよ…?」

涙目でそう口にするジュダルの発言は、泣き落としでも何でもない本音。さっきの弱々しい声よりもずっとわたしの心を揺さぶるが、ぐっとわたしは堪える。これは白瑛のためでもなければジュダルのためでもなく、わたし自身のため。

「そんなこと言ってないし、思ってもないよ。ジュダルの気持ちはわかるけど…好きだから心を鬼にするの。わたしの親には借金のこと言わないから。だからちゃんと返してくれるまでバイバイ」

多少の痛みを覚悟してフローリング側に身体を捻れば、思いのほかあっさりとジュダルから解放されて床にわたしは転がり落ちる。寝袋には目も留めず、仕事用の荷物や1週間分くらいの洋服をスーツケースにまとめてわたしは家を出た。



わたしが実家に帰っている間、頻繁にジュダルに探りを入れてくれたのは白瑛。すぐに復職したジュダルが借金を完済したのは、実家に帰って三月後だった。ずっと踏み倒していたお詫びと言って、結構な割合の利子もつけてくれて。

2人で住む家にわたしが戻ってからは、月の上限額を決めたうえでジュダルは競馬を楽しむようになった。その半年後にプロポーズを受けたときの婚約指輪の資金源が、100円を元手に復職直後のジュダルが当てた100万馬券だったのは、わたしの知らない話。



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