Short | ナノ


ずるさと残酷さで春を呼んで【前編】(シンドバッド)


「また明後日に来るから!じゃーなー、バカ殿!」

「おいっ、待てよジュダル!」



三月三十一日の昼下がり。私室のテラスの柵にもたれた俺の声で真っ先に駆けつけたのは、書簡の束を両腕に抱く文官だった。その文官は、書簡の束を部屋の入口に置く。簡易厨房で蛇口を捻ってグラスに水を注ぎ、それを俺に手渡した。

「王よ、どうされたのですか?」

「…その声はゴンベエか。ジュダルが来て、変な魔法を俺にかけて逃げやがった」

肩で呼吸する俺は、目の前の文官を識別できないほど消耗している。いい印象のない黒い"マギ"の名に、ゴンベエは舌打ちした。当然それは俺の耳にも入っていて、おいおい、と声をかける。

「大人しくしていればゴンベエは美人なんだから、舌打ちなんかしたら台無しだろう?早く結婚相手を見つけて子供を産んで、シンドリアと家庭を繁栄させなさい」

ゴンベエから受け取った水の半分ほどを喉に流し、息を整えた俺はそう告げる。俺の言葉に、わざと一回り大きな音を立ててゴンベエは舌打ちした。

「今の俺の話、聞いて」

「ほっといてください。独り身でも、わたしは十分人生を楽しんでいますから」

目に見えて不機嫌になるゴンベエに、可愛くないな、とつい俺は漏らす。小声でつぶやいた一言を聞き逃さなかった文官は入口に戻り、書簡の束を両腕に抱えていて。そそくさと室内に戻ってきたかと思いきや、ドスンと音を立てて眉間に皺を寄せたゴンベエが書簡の束を机に置く。

「二十二時頃に取りに参りますから、それまでに調印なさってください。年度末なのに仕事が滞っている、とジャーファル様がお怒りですよ」

幾分棘を含む声で事務連絡を告げる文官に、気落ちしつつ俺は腰を上げた。ゴンベエは俺に宛がわれた文官だが、彼女の直属の上司はジャーファル。てきぱき働くゴンベエは、同い年の政務官からの覚えもめでたい。ありがたくないことに、上司に似て俺の扱いにもゴンベエは長けている。

"七海の覇王"の名に大きな瞳をキラキラさせたのは、最初の数日だけで。今のような無愛想な面も、可愛げのない態度も、就労して間もないうちから隠さなくなった。

「あっ、王よ。一つ…私的な報告が」

俺の私室を出ようとした文官が、ぴたりと扉の前で止まる。ゆっくり振り返ったゴンベエは、表情を変えず静かに告げた。

「…わたし、近々寿退職するかもしれません」

口元の筋肉だけを使って結婚報告した文官に、俺の思考は完全に停止する。黙っている俺を、表情を変えることなくゴンベエは見つめていて。その視線に気づいた俺は、咄嗟に祝いの言葉を返す。

「よかったな、おめでとう。正式に決まったら報告してくれよ」

俺の言葉に、わずかに文官の眉間の皺が深くなる。何も言わず、表情も変えず、ゴンベエは部屋を去った。



「王サマも素直になればいいじゃないですかァ。ゴンベエチャンのこと、好きなんですよね?」

「…確かにゴンベエは優秀だし美人だし、王宮でも狙っている男が多いと聞きます」

日付も変わろうとしていた時間帯。終業時間直後のシャルルカンとスパルトスを捕まえた俺は、市街地のバルにいた。文とともに調印済みの書簡の束は部屋に置いてあり、いつ文官が取りに来てもいいようにしてある。

「いくら美人でもさ、あんなにつっけんどんだと可愛げないけどな〜」

このバルは三軒目にもかかわらず、普段の倍以上のピッチで酒は進んでいて、来店から二十分足らずで一樽を空けた。その大半を一人で消費しているのは俺だ。

「つっけんどん?何言ってるんですかァ。"あいつ"なんかと違って、ゴンベエチャンはいつもニコニコしてて、すごく可愛らしいじゃないですかァ」

俺が抱くゴンベエの印象と正反対を口にするシャルルカンに、麦酒を口に運ぶ手を俺は止めた。

「いつも優しいし、多少仕事でヘマしても笑って許してくれて。"あんなに美人で性格もいいゴンベエチャンに彼氏がいないのはおかしい"って、王宮の野郎どもの間ではシンドリア七不思議に数えられているんですよ」

俺の知るゴンベエは優しくなんかないし、ちょっとした記載漏れや誤字でも政務官並の雷が落ちる。シャルルカンが口にする"シンドリア七不思議"とやらを知っているかとスパルトスに問えば、すぐに彼は頷く。

「彼氏はいないったって…"近々寿退職するかもしれません"って、さっき俺に言ってきたんだぞ」

自棄になって私的な報告を口外してしまえば、今度はスパルトスが口を開いた。

「その寿退職…本当でしょうか?」

「えっ…おまえ、何言ってんの?」

ゴンベエの発言を疑うスパルトスの言葉に、俺の思ったままをシャルルカンが吐く。まさかササンの騎士もゴンベエ狙いだったのかと頭を抱えれば、俺の思考を読んだスパルトスが即座に否定した。

「"寿退職するかもしれません"ということは、まだゴンベエは婚約状態にない可能性が高いと思われます。婚約が決まっていれば、退職の有無は別として婚約の報告が先にくるはずですから」

スパルトスの指摘はもっとも。もし婚約していないなら、何のためにゴンベエは寿退職をちらつかせたのか。しばらく三人で考えていて、最初に意見を口にしたのはまたしてもスパルトス。

「ゴンベエも王を慕っていて、王の気を引こうとして嘘をついた可能性は?」

「何言ってんだよ、スパルトス。そんな子供じみたこと、ゴンベエチャンがするわけ…王サマへの"つっけんどん"って、そういうことかァ」

シャルルカンとスパルトスは共通の解に到達したものの、まだ俺は懐疑的だ。本当にゴンベエが俺を慕っているとしよう。もし"舌打ちなんかしたら台無し"と想い人に言われれば、直後に一回り大きな音で舌打ちなどしない。少なくとも、俺の知る女性たちはそうだ。

「とりあえず、本当に婚約しているかどうか確認したほうがいいっすね!」

シャルルカンの言葉に、それは無理だと俺は返す。一度本人から告げられた婚約を疑うような真似は、王としてできないから。まして、"かもしれません"とゴンベエが言った以上、婚約していなくても彼女を責められない。

「王よ、落ち着いてください。本当に婚約するなら、直属の上司にも報告しているはずです」

「そうか!それなら今から政務室に行こ」

一筋の光を見いだせば、あとは行動あるのみ。早速俺が動こうとすると、その双肩にふわりと袖余りの官服が乗せられた。その正体を悟った俺の左隣のシャルルカンは、カタカタ震えている。右隣のスパルトスは、大きなため息をついて天を仰ぐ。

「あんたは仕事を放って何をやってんだ!さっさと王宮に戻れ!」

バルだろうと周囲に客がいようとお構いなしに声を荒げるジャーファルに、俺は待ったをかけた。

「何言ってるんだ。書簡は机に置いといたし、文も残してあ」

「部屋が施錠されているうえに、どこにもシンがいない。そうゴンベエが言ってたんですよ!」

優秀な部下の手を煩わせるな。そうジャーファルは言うものの、部屋を施錠した記憶が俺にはなくて。

一国の王としてはあまりに身の回りのものに無頓着な俺は、国を留守にするとき以外で私室を施錠しない。貴重品にあたる"金属器"は身につけているし、政務官に隠れて飲む酒を除けば、他人に見られて困るものは置いていなかった。



「ゴンベエ、シンを連れてきました。待たせてすいません」

「気になさらないでください、ジャーファル様。お忙しいのに…わたしのために、ありがとうございます」

俺の私室の前には、すでにゴンベエが立っていて。ジャーファルが謝罪すれば、シャルルカンの言うとおり、嫌な顔一つせずゴンベエは対応している。どんな呆れ顔を文官が見せるかと気が気でなかったものの、俺に彼女は目もくれない。

恋愛対象だろうと対象外だろうと、顔のいい人間の笑顔に人類は弱いもので。ゴンベエの笑顔には、恋愛とは長らく無縁のジャーファルもへらりと微笑む。見たことのない文官とその上司の表情に、俺は形容しがたい苛立ちを覚えた。

「俺は施錠なんかしていな…んっ?」

施錠なんかしていない、と言いながらドアノブを回すものの、時計回りに回そうとする手の力にドアノブが逆らう。何度試しても結果は同じ。早く鍵を出すよう政務官が眉を顰めるものの、施錠していないから鍵など持っていなくて。

「わたし…魔導士を呼んできます!」

俺たちにそう告げたゴンベエは、黒秤塔のほうに駆けていった。視界から文官が消えれば、「やっぱゴンベエチャンは可愛いなァ」とシャルルカンが鼻の下を伸ばす。

「ジャーファル。ゴンベエが婚約するって話、聞いてないか?」

冷静さを取り戻した俺が問えば、「ご存知でしたか」とジャーファル。政務官曰く、ゴンベエに恋人がいるわけではないものの、見合いをしろと彼女の両親がうるさいらしい。

毎月のように縁談の案内を送りつける両親に嫌気がさし、一度だけ縁談を受けることにしたゴンベエ。近々その見合いの予定があり、明日からしばらくの間、故郷である北国に帰るためゴンベエは暇をもらっていた。

「本当だったんだな…」

「えっ?何がです?」

事情を知らず、恋愛方面にはめっぽう疎い政務官は、頭上にクエスチョンマークを浮かべる。

「王、ジャーファル様!魔導士を連れてきました!」

ゴンベエの声に振り返れば、黒秤塔詰めの男性魔導士。優秀な七型魔導士とヤムライハが絶賛していた人物で、無意識のうちにシャルルカンが敵対心を抱く相手だ。文官の連れた魔導士が軽くドアノブに魔力をこめれば、ガチャリと音が鳴る。

「ありがとうございます!すごく助かりました」

しっかり目を見つめてゴンベエが礼を言うと、わかりやすく七型魔導士の頬が染まっていく。しかし、その直後に我に返った魔導士は、急いで黒秤塔のほうに引き返していった。

「シン、書簡を取らせていただきますよ。…もう遅いし、ゴンベエは休みなさい」

残務は政務室に運んだ書簡を再確認するだけ。そう言って部下を気遣う素振りをジャーファルが見せるものの、ゴンベエは自分で運ぶと言う。

「わたしに運ばせてください。王から書簡を受け取って政務室に運ぶのは、わたしの仕事ですから」

上司の返答を待たずに俺の部屋に入った文官は、机上の書簡の山を両腕に抱える。ゴンベエが部屋を出る間は左手で扉を止めていた俺は、政務室に書簡を置いたらここに戻って来るよう彼女に告げた。

「急用でしょうか?」

ちらりとゴンベエが壁時計に目配せすれば、新しい一日の始まる五分前。昼間から働いていたゴンベエが疲れているのもよくわかる。

「時間は取らせない。だから、このあと来てくれ」

発言中は視線を俺に向けるものの、ゴンベエの表情筋は微動だにしない。俺の誘いに承諾も拒否もせず、書簡の山を抱えるゴンベエは直属の上司の元に向かった。



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