毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


実踏(番外編)


「わたしが…ですか?業務について料理長と調整していただければ、わたしは命令に従うまでですが」

「ああ、頼んだよ。この前ゴンベエが紹介してくれたエリオハプト料理屋の近くの居住区、また拡張することになってな。例年は文官たちに行かせてたんだが、今年は居住区の件でそれどころじゃないんだ」



ここは主不在の政務室。せわしなく動き回る文官たちをよそに、国王からある任務をわたしは頼まれていた。政務官お気に入りのコーヒーセットで淹れたコーヒーを啜りつつ、三人掛けのソファーで隣合う国王から任務の詳細を聞いている最中だ。

「ただいま戻りま…ゴンベエ、なぜあなたがここに?」

本来なら厨房での勤務真っ只中のわたしが政務室でくつろいでいることを指摘する恋人は、さも当たり前のように国王とわたしの間に腰を下ろす。頼まれた件について説明すれば、わざわざわたしにそれを依頼した理由を政務官は国王に問う。

「そりゃあ、さすがに慰安旅行にゴンベエを連れて行くわけにはいかんだろう?だからせめて同じ旅館で羽根を伸ばしてくれればと思って…」

「だからって…八人将の慰安旅行の下見なんて、王宮副料理長に頼まないでください!」

国王に突っかかったと思うと、「ゴンベエも一緒に来ればいいのに」とジャーファルはわたしに視線を向ける。子犬のような目で見つめられれば、わたしはたじたじになってしまう。少し大きく、速くなった胸の鼓動を二人に悟られないように、一呼吸置いて平然を装いつつわたしは答えた。

「ヒナホホさんの家族やサヘルさんだって行けないんでしょう?気持ちは嬉しいし、行けるならわたしだって行きたい。でも、家族が我慢してるのに…付き合ってるだけのわたしが行くなんてダメだよ」

わたしが遠慮を伝えると、ゆっくりとジャーファルは俯く。ヒナホホさんの子供たちやピピリカちゃん、サヘルさんの旅費まで捻出できないのは、先ほどの国王との会話でわたしも知っていた。旅費をケチって、車両も旅館も貸し切らないと聞いている。

国王と八人将にしかない絆があるから。そう言って、サヘルさんやピピリカちゃんたちが自費での帯同を遠慮しているのもわたしは知っていた。

そもそも私費での帯同が許されるなら"八人将の慰安旅行"は形骸化するし、家族でも恋人でもない参加希望者が後を絶たなくなるのは目に見えている。そうなれば、わたしが慰安旅行についていく選択肢なんて存在するはずがない。

「…わかりました。そうしたら、あと一人は誰が行くんです?普段は二人一組で行かせているでしょう?」

ジャーファルが口にしたのは、わたしの知らない話。国王から聞いた限り、てっきり一人で行くものだと思っていたわたしにとって、誰かがいるのは大きな安全材料だった。

「はあ?ゴンベエ一人に決まってるだろ。文官たちはそれどころじゃないの、おまえが誰よりもよーくわかってるだろう?文官から人手を捻出できるなら、初めから副料理長の手など借りていない」

「なっ…」

国王の一言に、ジャーファルとわたしは同時に反応する。左手を自身の口元に宛がう国王は真面目な顔を装うものの、どう考えても顔の下半分は緩みきっていて。シンドリアに来て二年半以上が経つわたしの脳は、嫌な予感を察知していた。

「しょうがないよな、ジャーファルを含め文官たちは忙しいんだから。でも…考えてみろよ。一人でゴンベエが温泉宿。街で出会ったり同じ宿に宿泊したりする男たちがゴンベエを放っておくとは思え」

「誰も見向きしないに決まっ」

「私が同行します!」

罠にかかったと言わんばかりにニタニタする国王は、その間の仕事について政務官に問う。ピピリカちゃんに代行させればいいし、何より国王が働けば自分が不在でもつつがなく国政は務まる。そう言い切ったジャーファルに、「…わかった」と国王は口元を緩ませつつ政務官の不在を承諾した。



「ジャーファル、ここじゃない?"○×温泉旅館"って」

「うん…さっそく入ろうか」

政務室での出来事から数週間後の夕方。ジャーファルとわたしは慰安旅行の下見に来ていた。電車で駅弁に舌鼓を打ってから二人でひと眠りし、目的地に到着してから真っ先に目指したのがこの旅館。

今日は下見で来た旨を仲居さんに伝えると、宴会場や大浴場に案内してくれる。ヒナホホさんやドラコーン様、マスルールの体格を考慮しても、二つある宴会場はどちらも九人の宴会には十分な広さだ。

そして大浴場は三つ。一通り案内してもらってから宿泊する部屋に戻ると、気まずそうな視線をわたしたちに仲居さんが向けていた。

「てっきり恋人か夫婦だとばかり思っていたので、一部屋にしてしまったのですが…今からでも別室をご用意しましょうか?」

「い、いえ!だ、大丈夫です…布団は別の部屋に敷くなり何なりしますので…」

「は、はい!今から部屋を用意していただくのは悪いですし、別料金もかかりますから…」

申し訳ないと思いつつ気遣いを断ると、何かあったら連絡するよう伝えて仲居さんは仕事に戻る。廊下から仲居さんが見えなくなるのを待って、ジャーファルとわたしは一息ついた。

「例年は同性二人組で行くから、こういうことは起こらないんだ。異性の風呂場はさっきみたいに入浴時間外に見せてもらえばいいから」

そう口にする向かいの恋人に相槌を打ちつつ、部屋に用意されていた給湯器でお茶を淹れる。この部屋は二人部屋で、慰安旅行では国王は一人で、八人将は4組に分かれて宿泊するらしい。男性陣の部屋割はどうするのかとわたしが問うと、体格差を考慮するため、ドラコーン様と相部屋になるはずと政務官は微笑む。

給湯器と一緒に置かれている温泉まんじゅうを、急須で茶葉を蒸らす間に恋人の正面に置く。温泉まんじゅうの礼に続けてわたしを呼ぶジャーファルは、まっすぐわたしを見つめていて。何か重大な話が続きそうな雰囲気に、思わずわたしは身構える。

「このあと…混浴温泉に行かない?」

「え…?」

思いがけない誘いに、わたしは拍子抜けした。しかし、目の前の政務官の表情は真剣そのもの。この温泉旅館に大浴場は三つある。男性浴場と女性浴場、そして混浴温泉。仲居さんに案内してもらったときから、混浴温泉はわたしの頭の片隅でもちらついていた。とはいえ、まだ窓からは西日が射し込んでいる時間帯だ。

「ダメだよ、わたしたちは仕事で来てるんだから」

「そうだけど…この時間なら他の客はいないし、ゴンベエの背」

「ヤムちゃんやピスティちゃんと慰安旅行で混浴するの?」

わたしの問いに、ふるふるとジャーファルは首を振った。女性陣二人と恋人の間にやましい感情がないのはわかっていても、混浴となれば心中穏やかではない。即答での否定に安堵しつつも、あくまで仕事なのに"混浴しよう"だなんて言いだす政務官には疑問が残る。

「せっかくの温泉をジャーファルと楽しみたいのはわたしも同じだけど…まだ食事の下見も…わたしには残ってて…。嫌じゃないけど、とりあえずご飯前は別々に入ろうよ」

ジャーファルが頷くのを待って湯呑の前に戻ったわたしは、だいぶ色が濃くなったお茶を急須から注いだ。



「ご飯すごくおいしかったね!ここなら八人将のみんなも喜んでくれるよ」

「ゴンベエのお墨付きなら間違いないな。それより、お酒はよかったの?」

「うん…銘柄がわかれば味もわかるから十分。一人で飲んでもおいしくないし、ジャーファルを飲ませるのは…」

食事の匂いが残る部屋で感想を共有するわたしたちは、部屋の隅に立っている。部屋には仲居さんたちが来ていて、布団を敷いてくれている最中。"ただの同僚が男女同室"と情報共有されているのか、御膳を片づけたばかりの大きい部屋と卓袱台が運ばれた小さな畳の部屋に一組ずつ布団が敷かれていった。

「ありがとうございました」

部屋の入口の前で頭を下げて、隣の部屋に布団を敷きに行く仲居さんたちを見送る。廊下側のドアノブにかけた"起こさないでください"と書かれた札を確認してから入口の扉を閉め、項に自分の両手を回した。



欠伸しつつ大きい部屋に戻ると、ジャーファルがいない。洗面所の灯りは消えているし、テラスにも恋人の影は見えなくて。部屋全体を見渡していると、突然背後から腰を掴まれて引き寄せられた。

「きゃっ…ジャーファ…んんっ」

恋人に引っ張られた先は、灯りが消えた畳の小部屋。ジャーファルに背中を預けるようにして、彼の腕の中にわたしは納まっていた。自分の置かれた状態を把握したとほぼ同時に顔を左に捻らされれば、唇が重ねられる。思わずジャーファルの両胸を手で軽く押して距離を取り、正常な向きに顔を戻した。

「いつもと違う香りがする」

わたしの左耳の裏に鼻を寄せたジャーファルは、犬のように匂いを嗅ぐ。恥ずかしいからやめるよう言っても逆効果で、むしろ腰に回されていた腕に力がこもる。夕食のとき浴衣の袖から覗いていた赤い縄はいつの間にか外されていて、腰回りにはダイレクトに温もりを感じていた。

恋人の顔がわたしの後ろ髪に触れた拍子に漂うのは、彼の言う通りの"いつもと違う香り"。旅館の大浴場に備えつけの石鹸の香りで、しっかりチェックするようピスティちゃんに念を押されていたのを思い出した。そんなことに気を取られているうちにジャーファルに身体を反転させられて、彼の膝に乗せられる形になる。

「浴衣のゴンベエ…すごく可愛い。ちゃんとこっち向いて、もっと見せてよ」

男湯と女湯の入口前で風呂上りに合流した後も売店からの帰り道も、わたしの浴衣姿を恋人は散々褒めてくれた。それでも息のかかる距離で言われると全然違って。

思わず顔ごと右に向けて視線を逸らすと、いつもより低い声で「ちゃんと目を見て」とジャーファル。おそるおそる視線を戻せば、首まで真っ赤なわたしが黒目がちな瞳に映っていて。

「…っ」

腰に回されていたはずのジャーファルの左手は枕のそばに、右手はわたしの後頭部に回され、徐々に体重をかけられていく。重力に従って頭が着地したのは、王宮の私室のものより高さのある枕。後頭部と枕の間から恋人の右手が引き抜かれれば、もう一段頭が深く沈んだ。

布団に倒される間も黒目がちな瞳に目を向けたままでいると、ふとジャーファルの顔がこわばる。それは、恋人の右手がわたしの浴衣の袷を少しだけ開いたときだった。

「ゴンベエ。ゆ、指輪は…」

ジャーファルが言う"指輪"とは、偽装婚約時に国王から頂いたお揃いのもの。その後晴れて政務官との交際を始めてからも、わたしたちは宝物のようにそれを大切にしている。

もっとも料理人という仕事柄、それをわたしが指にはめることはない。普段この指輪はアバレイッカクの角と一緒に鎖に通し、首飾りとして肌身離さず身に着けている。

しかし、今のわたしの首元にはルルムちゃんからの贈り物だけ。ジャーファルとの時間を過ごすときですら普段指輪は首元から離れないのだから、遺失を懸念した彼が青ざめるのは無理もなかった。

不安げに鎖骨周りの鎖をなぞる政務官をよそに、彼の右手の下に自分の左手を潜らせて指を絡める。恋人の手を握る左手に軽く力を込めれば、ようやく薬指の異物に彼は気づいたようで、元より大きな瞳を丸くした。

「ここにしてみたの」

今日の仕事は夕食の下見で終了。明日の朝食の下見まで、少なくともわたしの仕事はない。仕事仲間だが仕方なくわたしたちは同室になっていると従業員に伝わっていたため、布団を敷き終えるまで指輪を着けるのを待っていたのだ。

「指輪なのに普段は全然指に着けられないから、こういうときでもないと指にできないかなって。…あ、安心して!ちゃんと朝ご飯のときは首にするから」

今は仕事がなくてもこの旅館を発つまでが、シンドリアの王宮に戻るまでが仕事。そう言いかねない政務官を牽制するつもりで繕ったものの、わたしに彼は何も言い返さない。黒目がちな瞳から顔全体にズームアウトすると、ようやく暗がりに慣れてきたわたしの目でもわかるほどジャーファルの顔は紅潮していた。

「…"王宮に戻るまでが仕事"って言い聞かせてる私の身にもなってよ」

予想通りの言葉が返ってきたことに面食らいつつ本人に悟られぬよう、彼と繋がれた右手にもう一度わたしは力を込める。

「まったく説得力ないんですけど」

明らかに分の悪い指摘に、さらに顔を赤らめる政務官。彼に絡めた指を解いたわたしは、くすくすと声を漏らしながら空いた左手で首元の鎖を摘む。

親指から中指までの三本を使って優しく左に引っ張ると、アバレイッカクの角と敷布団、鎖の擦れる音が畳の小部屋に響く。目当てのものが鎖骨の間にあるのを確認してから、先ほど離したばかりの恋人の右手をそこへ戻す。

「首飾り…ジャーファルが外してくれる?」

普段恋人との時間を過ごすとき、湯浴みの前に外した首飾りはその時点で懐中時計にしまってしまう。交際歴数年で首飾りをつけてもらったことこそあれど、外してもらったことはない。返事の代わりに短く唇を吸ってから、わたしが正面に回した首飾りの留め具にジャーファルは右手をかけた。



「ゴンベエ、朝風呂に行こうよ」

身体を恋人に揺すられて目を覚ましたのは、毎朝シンドリアの食堂が開く時間。気づけば一組の布団に一つしかない枕の真ん中にわたしの頭が乗せられていて、もしかしたら枕を独占したまま寝てしまったのではないかと不安になる。

そんなわたしをよそに、上半身を起こしてわたしの髪を触るのはジャーファル。元々の体力差か三年の歳の差か、原因は定かでないが、政務官の声は微塵も疲れを感じさせない。持てる力を振り絞って恋人の腰にしがみついたわたしは、いやいやと首を振った。

「まだ眠い…」

「温泉で汗を流せばすっきりするし…もう一組布団はあるんだから、そっちで二度寝すればいいよ」

"でも"と言いかけたわたしは、昨日の出来事を思い出して口を噤む。夕食前に一度混浴温泉に誘われていたものの、仕事を理由に断っていた。これから朝食の下見があるにせよ、夕方までに王宮に戻らなくてはいけない都合上、朝食後に湯船に浸かる余裕がないのは明らかだ。

「…わかった、行くから起こして」

恋人に抱きあげてもらおうと、だるさの残る両腕を恋人に向けてわたしは伸ばした。



「朝風呂って初めてだけど、気持ちいいね」

「よかった、"疲れが取れない"って言われたらどうしようかと」

湯船に浸かりながら安堵を口にしたジャーファルに、「そんなことないもん」とわたしはむくれる。幸い混浴温泉に他の宿泊客はいなくて、恋人と肩が触れそうな距離で目いっぱい手足を伸ばし、血流を促していた。ジャーファルに言われた通り、温泉に浸かれば起床時の身体の重さは軽減されていて、いい具合にリフレッシュできている。

「まだ朝食が残ってるけど…慣れない下見お疲れさま、ゴンベエ」

「ありがとう…仕事でもジャーファルと一緒に来れてよかった」

「私も。こうしてゴンベエの背中を流して今回の外勤を労えたし、混浴温泉の目的を達成できてよかったよ」

混浴温泉のお湯は少し熱めで、体温の上昇に伴い脳の回転も緩んでいく。そこに違和感のある発言を放り込んだのは、他でもないジャーファル。

「え…背中を流すのが目的だったの?」

「そうだけど、それ以外に何が…えっ?ゴンベエ、もしかして混浴温泉でいやらしいことを私がするとでも?」

冗談でも何でもなく本気でわたしの発言に驚くジャーファルに、"穴があれば入りたい"と身を隠せる場所を無意識のうちにわたしは探す。しかし、そんな場所が都合よくあるはずもなくて。恥ずかしさのあまり両手で顔を覆うわたしをよそに、「公共の場でそんなことを私がするわけないでしょう?」と、呆れたように恋人はため息をついた。

言葉通り、混浴温泉に来てからのジャーファルは肩の触れそうな距離にこそいるが、背中を流す以外では指一本わたしに触れていない。視線が合うのすらわたしに相槌を打ったり話しかけたりするときだけで、恋人の視線は基本的に男性側の脱衣所の扉に向いている。

「私はシンドリアの政務官なんだから」

わたし以上の仕事人間で、わたし以上に自分の立場がどう見られるかを考えているジャーファル。国外ならシンドリアを代表している自覚が普段以上に強いはずなのに、恋人のそうした性格をすっかりわたしは忘れていて。

昨日混浴温泉に誘われたときは、二人きりの旅行にジャーファルが舞い上がっていると思っていた。しかし、本当に舞い上がっていたのはわたし。耐えられず恋人から距離を取ろうとすれば、わたしの右肩を抱いて短く口づけられる。

「!」

"公共の場で何もしない"と言ったばかりの恋人に視線を向けると、したり顔で口角だけを上げていた。



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