毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


周知(番外編)


「ゴンベエ、最近リハビリどう?」

「倒れる前には程遠いけど、だいぶよくなってきたかな…」



ウイスキーボンボン事件を機に医務室で入院生活を始めて二週間。面会許可がおりてからは毎日誰かが来てくれて、医務室に籠りきりでもわたしは退屈していない。今日も今日とて、王宮料理人の同僚三人が見舞いに来てくれていた。

「本当にありがとう。もうだいぶ回復したし、みんなで来てくれなくても大丈夫だよ」

見舞いに来てくれるのはありがたいが、同僚たちには彼らの生活もある。わたしたちは王宮で暮らしで、会おうと思えばいつでも会えるわけで。順番に来ているとはいえ、まとまった時間を毎日誰かに取らせるのは申し訳なく思っていた。

「そんなこと言わないの!普段なら毎日のように厨房で顔を合わせてたのに週一日になって、みんな寂しい思いしてるんだから」

そう言うのは数少ない女性の同僚。ほぼ同年代の彼女は一番仲のいい同僚の一人だ。彼女の発言に「そうそう」と乗っかるのは、入宮直後に指導係を引き受けてくれた年下の先輩だった。

「それとも…俺たちが来たら困る理由でもあるの?」

同僚の言葉に、わたしは言葉を詰まらせる。彼らが来て困ることなど何一つない。強いていえば、早く仕事復帰するためにリハビリの時間を増やしたいくらいで。

同僚たちがいてもリハビリできるが、弱音を吐いたりへばったりする姿を見られたくない。本当にそれだけだ。わたしの返答を待つ同僚二人の表情は不安げに曇るが、迷惑だとか退屈だとか、彼らとの時間をネガティブに捉えたことはなかった。

「そんなことはないけど…」

「ゴンベエ、パパゴレッヤできたよ!」

わたしが顔を上げると、先ほどまでパパゴレッヤを剥いていた同僚が戻ってくる。採用面接直後の"社肉宴"で真っ先に声をかけてくれた彼は、わたしと一番入宮時期の近い先輩だ。

わたしに彼が差し出した手には、料理長レベルには及ばないものの、わたしのそれより美しい飾り包丁が施されたパパゴレッヤ。皮まで使いつつ芸術性を損なわない腕前は言わずもがな、食べやすいように刺された楊枝の位置にすら隙がない。

自分にない技術への嫉妬や努力不足に対する不甲斐なさが、胸のなかで大きく燻る。こんな飾り包丁を見たら世界の大半が目を輝かせるのに、わたしの目は輝きを失っていく。

「…あ、ありがとう」

わたしのために時間を割いてくれた同僚に顔を向け、意識的に目を細める仕草をした。しかし、先ほどの光を遮断した目を見ていた彼は小細工を容易く見抜き、何事かと同僚たちに問う。

「聞いてよー!さっきゴンベエがねっ」

「あ、違うから!」

同僚たちの説明を聞いた同僚は、"彼らが来て困る理由を言い当てられたくない"からわたしが沈んでいると解釈した。本当の理由が嫉妬だなんて知られたくないわたしにとって、勘違いは好都合なはずだったのに。

「…わかった!ゴンベエ、男でしょ?」

「え?」

パパゴレッヤを切ってくれた同僚の唐突な発言に、わたしは素っ頓狂な声をあげた。二週間前に付き合いはじめた恋人が頭をよぎると、顔が熱くなっていく。

自他ともに認める思考が顔に出やすいタイプとはいえ、こんな反応は露骨すぎる。恥ずかしさのあまりパパゴレッヤに伸びていた手を引っ込め、慌てて頭から掛布団をかぶった。

「本当に…?ついに彼氏できたの?」

掛布団をかぶったまま頷くと、三人は思い思いの感想を口にする。

「王宮厨房のモテ女がついに…!」

「男性王宮料理人の半分がふられたって噂のゴンベエを射止めた男性って…?」

「ゴンベエの彼氏、俺たちが知ってる人?」

わたしに返答の隙を一切与えず、好き放題口にする同僚三人。少なくとも"男性王宮料理人の半分がふられた"は言いすぎで、正しくは約三分の一だ。今ここにいる男性王宮料理人の二人が運よく三分の二側と気づいたわたしは、三人に気づかれぬよう胸を撫で下ろす。

「そもそも相手ってシンドリアの人?」

「いつから付き合ってるの?」

「色々な人に告白されてきたのに、どうしてその人を?」

矢継ぎ早に聞いてくる同僚たちに反して、わたしは俯く。口を噤んだままのわたしに、「言っちゃえよ」と三人が肘で頭や肩を小突いてくる。三人の性格上、全貌とは言わなくても部分的には話さないと引き下がらないだろう。この状況をどう打破するか考えていると、寝台を囲むカーテンが開いた。

「すいません、これからゴンベエさんは検査なので」

助け船を出してくださったのは医務長。今から検査があるのは本当で、この部屋に来て早々に三人にも伝えてあった。壁時計を見た女性の同僚が「もうこんな時間」とつぶやいたのを機に、三人は寝台を囲む椅子を片づけて荷物をまとめる。

「今度ちゃんと紹介してね!」

そう言い残し、同僚たちは医務室を去った。検査ということは、せっかく切ってもらったパパゴレッヤも検査後までお預け。一旦検査を待ってもらってから、手をつけていないパパゴレッヤを保冷庫にしまう。医務長と二人きりの医務室で、何度目かわからない検査が始まった。



「こんばんは」

「…ジャーファル様」

交際二週間の恋人が医務室を訪れたのは、検査が終わった直後。疲労からか政務官の眉間には皺が寄っていて、いつもに比べて不機嫌そうに見える。

「お疲れなのに…今日もありが」

「どうして隠すんですか?」

礼を遮った恋人の問いに、わたしの思考は停止した。わたしの回答を待つ間に部屋の隅からジャーファル様は椅子を取り出し、定位置に腰を下ろす。

「隠す…?ジャーファル様に黙ってたこと、何かありましたっけ?」

身に覚えがない旨を素直に伝えると、「"私に"ではない」とジャーファル様。政務官に限らず八人将や国王に黙っていたこともあるが、ここまであからさまに彼の機嫌を損ねることはないはず。答えを乞うような視線を恋人に向けると、大きなため息をついて彼はわたしを見つめ返す。

「…あなたの仲間の王宮料理人たちです。検査前にここに来ていたでしょう?」

「えっ、どうして…」

ジャーファル様がそれをご存知なのですか?と続けようとしたわたしの口は、緩やかに動きを止めた。おそらく正解に辿り着いたから。

「もしかして…お付き合いのこと、ですか?」

わたしの問いに、ジャーファル様は小さく頷く。眉間の皺やため息に続き、黒目がちな恋人の瞳は光を遮断していて。もはや機嫌の悪さを隠そうとする素振りすらない。

「私の恋人と言うのは嫌ですか?」

ジャーファル様の問いに、ふるふるとわたしは首を振った。気まずさから、「ならばなぜ」と言いたげな顔でわたしを見つめる恋人から視線を逸らす。

「だって…勝手に言ったら、ジャーファル様に迷惑がか」

「迷惑なわけないでしょう?」

国王の影に隠れているが、八人将だって世界的に知名度のある人たち。みんな子供たちのヒーローで、小国の王族以上の影響力を持つ人だっていて。そんなジャーファル様との交際を勝手に宣言するなんて、"一介の官職"の立場ではおこがましいにも程がある。たとえ交際が事実だとしても。

「むしろあなたを狙う悪い虫を寄せつけないためにも、ちゃんと言ってください。私もそうしますから」

「…いいんですか?」

わたしの問いに大きく頷いたジャーファル様は、この部屋に来て初めて笑顔を見せた。やっぱり笑っている恋人が好きだ、なんて思っていると、医務室の外から彼を文官が呼ぶ。

「五分で終わらせますから」と告げた人は、すでに政務官の顔つきに戻っている。文官の元に向かった政務官が後ろ手で医務室の扉を閉めると、部屋はわたし一人になった。

恋人との会話を反芻していると、無意識のうちに頬を涙が伝う。気づいたときには自制できなくなっていて、視線の先の掛布団の端に小さなシミができていた。

涙の理由は考えなくてもわかっている。まさかジャーファル様との交際を公言できるなど、つゆも思っていなかった。誰かに知らせるにせよ、せいぜい八人将やサヘルさん、ヒナホホさん一家に留まるだろうと思っていて。

その理由は、ジャーファル様の前に唯一お付き合いした人にある。立場の重さは政務官以上で、婚姻なんて到底考えられなかった。彼の弟と従弟の二人以外、誰にも明かせずに関係は終わったのだ。

立場のある彼との恋愛を大っぴらに自慢したかったわけではない。ただ、市井の恋人たちのように手を繋いで城下町を歩いたり、ときには恋人との関係を女友人に相談したりしたかっただけで。"立場ある人との恋愛はそういうもの"と思っていたわたしにとって、ジャーファル様の提案はまったくの想定外だった。

「ゴンベエさん!…どうして泣いてるんです?医務官を呼びましょうか?」

文官との用事が終わったのか、再び開いた扉の先には焦りの色が浮かぶ政務官。目にも留まらぬスピードで寝台の脇にやってきたジャーファル様は、優しく背中をさすってくださる。

「どこか痛むんですか?」

否と伝えたくて、わたしは俯いたまま首を振った。背中を上下していた手は動きを止めたものの、その手は依然として背中に置かれたまま。

「違うんです…わたしとの関係を公表しようと仰っていただけたことが嬉しくて…。ごめんなさい、こんなことで泣いて心配おかけして」

謝罪を口にすると、左側から温かい感触に包まれる。恋人の腕に閉じ込められたと気づいたのは、顔を上げてから。少し首を左に傾けても、見えるのはクーフィーヤの緑だけ。わたしと見つめ合うべく腕の力を緩めて顔をこちらに向けた恋人は、すぐに腕の力を込め直した。

「"公表"は少し大袈裟ですけど…隠す必要はありません。私の恋人としてゴンベエさんは堂々としてください」

ジャーファル様の発言に、再び視界が滲んでいく。おろおろとする政務官の姿はぼやけた視界でもよくわかる。嬉し泣きと言われようと、目の前の恋人が涙すれば気が気じゃないはず。

ジャーファル様はそうではないかもしれないが、わたしは少なくともそう思う。できるだけ心配させないよう、精一杯の笑顔をわたしは浮かべた。

「ありがとうございます。今度…王宮料理人の仲間たちに、"わたしの恋人"としてジャーファル様を紹介させてくださいね」

ぼやけていた視界が明瞭になっていき、ジャーファル様の表情がよく見えるようになる。目の前の恋人は茹でダコのように顔を真っ赤にして目を泳がせていて、わたしの視線には気づいていない。ジャーファル様が我に返ったのは、何度かわたしが名前を呼んだあと。

「…ゴンベエさん」

いつもより艶のある少し低い声で呼ばれると、今度はわたしの顔に熱が灯る。おそらく茹でダコのように顔は真っ赤で、恥ずかしさから恋人を直視できない。

顔ごとそっぽを向こうとしたものの、ずっと背中に置かれていたジャーファル様の両手が顔に回される。そのまま両手で顔の輪郭を掬われて顔を上に向けさせられた。この続きを一瞬でも想像してしまえば、急に胸の鼓動が早くなる。

「やっ…」

「嫌…なんですか?」

衝動的に声が出ただけで、嫌なわけがない。不安げにわたしの返事を待っていた恋人に正直に言えば、頬を染めつつも真剣な眼差しで彼はわたしを見つめる。緊張でジャーファル様より上方に視線を向けると、視界に入ったのは壁時計。時刻は間もなく十八時を迎えようとしていた。

「ジャーファル様、待ってください…」

「目の前の恋人より気がかりなことでも?」

時間が。蚊の鳴くような声で短く口にすると、背後に顔を向けて恋人は壁時計を確認する。"時間など興味なし"と言いたげに即刻わたしに向き直ったジャーファル様は、先ほどよりもさらに顔を近づけた。

「まだ十八時です。面会終了は二十時でしょう?」

「そうです、けど…」

すでに互いの息がかかる距離で、視界いっぱいに映るのは恋人の顔。彼の黒目がちな瞳に反射するわたしは見たことのない顔をしていて。恥ずかしさから顔を背けようとしても、両頬を包むジャーファル様の手がそれをさせてくれない。

全身が心臓になったように鼓動がうるさくて、壁時計の針の音すらかき消していく。これ以上は身も心ももたないと観念したわたしが、そっと目を瞑ろうとしたときだった。

「ゴンベエちゃーん!頼まれてた巻物を借りて…きた…よ」

スパーン!と勢いよく医務室の扉を開けたのはピスティちゃん。読みたい巻物があったため、黒秤塔で借りて十八時に持ってきてもらう約束をしていたのだ。

扉を開けたまま医務室前の廊下から動かないピスティちゃんは、遠くからでもわかるくらいニタニタしていて。わたしから顔を離したジャーファル様は、首まで赤く染めながら固まっている。

「ジャーファルさん、ゴンベエちゃん!私に構わずチューの続きをどうぞ!」

「できるか!」

ピスティちゃんが先約と告げれば、あっさりとジャーファル様は仕事に戻ってしまう。もちろんこの件は、二十時までピスティちゃんにいじられ続けたのだった。



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