毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


軍師(181)


紅玉様の演説から一月が経った。王宮料理長として多忙を極めるわたしは、演説以降煌帝国に一度も足を運べずにいる。

"煌帝国商会"の旗揚げに多忙な紅玉様への負担を考慮し、わたしから連絡するのは控えていた。そうでなくても、紅玉様は煌帝国の皇帝陛下。他国の"一介の官職"が気軽に通信していい相手ではない。

皇帝陛下の代わりに連絡を取るのは、アリババ様や夏黄文。あの演説以降、団結した"元煌帝国軍人"による国の再興が本格的に始まったと聞く。

非番の今日は、朝から予備の厨房で果物のタルトを作っていた。皇帝陛下たっての要望で、禁城まで持ってくるよう頼まれている。あくまで他国の官職でしかないわたしを、わざわざ陛下が指名してくださったのだ。

自分の腕を認めてもらえることは、相手が誰でどんな関係だろうと、一料理人として嬉しくて。依頼があったのは昨日の就寝直前にもかかわらず、朝市で食材を調達してすぐ調理にとりかかり、午後一番の飛空艇で出発できる状態になっている。

「よし…完璧」

予備の厨房の窯から取り出したタルトの焼き加減はばっちり。あとは粗熱を取って包装するだけ。粗熱を取る間に出発準備をすべく、一度わたしは私室に戻った。



「ゴンベエちゃん、本当にありがとう。おいしいわぁ」

果物のタルトを召し上がる紅玉様は、かなりお疲れのようだ。まとまりも艶も御髪からはなくなっているし、よれたファンデーションの隙間からは大きな隈が窺えた。適度な長さに切り揃えられてこそいるものの、爪紅は塗り直されておらず、根本には何も塗られていない爪が見える。

いくら若くて健康とはいえ、適度な休みは取るべき。存続の瀬戸際に自国が立たされた陛下に他国の官職が進言するなど、正論だろうともってのほか。一時でもいいから、目の前の課題や疲れを忘れてほしい。その気持ちをタルトに託すのが、今のわたしの精一杯。

本当なら日々の食事から支えたいところだが、シンドリアの官職としての立場もあって。したいことを実現できる力量だけはあるのに、それを実現できない立場にわたしは歯痒さを感じていた。

「夏黄文、あなたも早く食べなさい!早く来ないと私が食べちゃうわよぉ」

どうやら果物のタルトは紅玉様のお気に召したようで、自然とわたしの頬が緩む。実際に夏黄文たちの分を召し上がらなかったとしても、その言葉だけで十分すぎるほどのやりがいを感じさせた。夏黄文や文官たちも机を離れ、タルトに手を伸ばす。夏黄文たちが茶器に群がるなか、ある異変にわたしは気づいた。

「紅玉様。そういえば、アリババ様は?」

禁城に来てから姿を見ない友について問うたものの、なぜか陛下は言い淀む。紅玉様の発言を待つうちに、部屋の扉が開いた。扉の先に視線を向けると、アリババ様と仮面をつけた男性。陛下やわたしたちの視線は、当然アリババ様が連れた男性に集中する。

「新生・煌帝国軍の、"軍師"とでも思ってくれ!」

アリババ様が連れてきたのは助っ人。"流刑地"から連れ帰った正体を明かせぬ人物、と文官たちから聞く。ちらりと両袖から覗く腕飾りに、少し癖のある扇の持ち方。記憶に残る姿と一致する特徴に、長い髪を切った彼と確信する。

「…」

言わずもがな、彼の正体には他の者も気づいていて。ぐっと唇を噛み、誰もが涙をこらえていた。なかには、堪えきれず静かに涙を流す人もいる。紅玉陛下とて、例外ではない。

「新入り!私の方が偉いであります。"夏黄文様"と呼ぶよーに!」

「きっ、気づかないんですか?」

「嘘でしょう?夏黄文…」

軍師殿の正体に気づかない夏黄文に、どよめきが起こる。「わかりました、夏黄文さま」と、夏黄文に軍師殿も乗っかっいて。従来の2人ならあり得ない会話に、わたしは言葉を失う。煌帝国の秘密について、さっそく軍師殿にアリババ様が問うた。

「さぁ、軍師殿。あなたしか知らない煌帝国の秘密を、教えてくれますよね?」

「"魔導研究施設"は、今どうなっていますか?」

軍師殿が口にした施設に嫌な記憶が蘇り、音を立ててその場にわたしはへたり込む。もう15年も前のことなのに、恐怖に身体が支配されてうまく呼吸できない。アリババ様と再会してから夏黄文相手に起きていた拒否反応も、もう起きなくなっていたのに。

「ゴンベエちゃん、大丈夫?」

わたしを抱き起してくださったのは紅玉様。しっかり両脚で立てるものの、まだ呼吸が浅い。いつまでも皇帝陛下に縋り続けるわけにもいかず、彼女の肩から両手を離してわたしは頭を下げる。

立ち上がったときに一瞬視界に映った軍師殿は、当然のように城内にいる南国の官職に少なからず驚いていらっしゃった。仮面を着けていようと、10代の頃から彼を存じ上げているわけで。3兄弟でも群を抜いて表情の変化に乏しい次男の表情の変化は、仮面に隠れていない部分で十分に把握できる。

「…は、はい。少し立ちくらみがしただけです」

罰の悪い表情を浮かべる夏黄文と、施設とわたしの関係を思い出した軍師殿。改めて視線を上げると、わたしに視線を向ける2人と目が合った。

「あそこでは…あなたに怖い思いをさせましたね」

軍師殿の言葉に、「なぜそれを新入りが知っている?」と言いたげな夏黄文。紅玉様とて存在を知らない施設について、外部に露見せぬよう情報を分散させたと軍師殿は言う。

すると、謎の部署の存在を思い出した、と夏黄文が声をあげた。"いつか必ず役に立つから予算を回し続けろ"、と白龍様の御代から命じられてるらしい。

「どこにあるんですか?その秘密の施設は」

アリババ様の問いに、軍師殿は短く答えた。

「…地下です」



地下の施設から戻ったアリババ様と軍師殿は、"煌帝国商会"のために施設の技術を使おうと提案する。紅明様の"ダンダリオン"を基に開発された"転送魔法陣"と、魔導士以外も簡単な魔法を利用できる"八卦札"。建築資材、燃料、人員、なんでも一気に現地に飛ばせる代物だ。部外者から見ても、非常に魅力的に映る。

紅玉様や夏黄文も、アリババ様たちの提案に目を輝かせた。国内の食料生産が済んですぐ輸出できるよう、急いで各国に掛け合わねば。そう言って議論を始めた彼らに水を差すのを承知で、わたしは右手を挙げる。

「あの…あくまでわたしはシンドリアの人間です。別に誰かに口外するわけではありませんが、他国の官職がいる場で手の内を大っぴらに語らうのは、さすがにいかがなものかと…」

わたしの発言に、皇帝陛下も夏黄文もびくりと肩を震わせた。まさかわたしの存在を念頭に置いていないとは思わなかったが、本当に忘れていたとは。しかし、陛下とその従者とは異なる反応を示すのが2人。アリババ様と軍師殿だ。顔を見合わせて小さく頷いたあと、2人はわたしに向き直る。

「ゴンベエにこそ聞きたいんだよ!"煌帝国商会"の商館と転送魔法陣をシンドリアに置きたいって言ったら、"シンドリアの官職として"ゴンベエはどう思う?」

アリババ様の問いに、どくりと心臓が音を立てた。煌帝国の官職ではないわたしにできることなんて、何もないと思っていたのに。それに、アリババ様からの問いに対する回答は、他国の官職であるわたしにしかできない。

「南の孤島にあるシンドリアの立地上…転送魔法陣はとても魅力的です。シンドリア商会の飛空艇も、シンドリア行の運賃はかなり高額ですから。わたしがドラコーン王なら、即答で許可します」

わたしの回答に笑顔を見せたアリババ様は、商売のプロにも意見を聞きたいと口にした。アリババ様に呼ばれたのは、彼との再会時に食卓を囲んだ葡萄酒商人・ブーデルさん。彼の意見はわたしと同じで、転送魔法陣に対してかなり好意的なものだった。



軍師殿曰く、転送魔法陣には"起点"と"終点"が必要らしい。"起点"は国内に設置するとして、諸外国に"終点"を設置する必要がある。その交渉を各国とするために、アリババ様が旅に出た。ついでに"煌帝国商会"商館の設置許可も取り付けるという。アリババ様が外交官役を担うのは、軍師殿たっての希望だった。

「ゴンベエ殿」

どんなに"軍師殿"と頭で意識しても、その声や顔は第二皇子と変わらないわけで。この城で暮らしたときと同じように身体が反応し、無意識のうちに背筋が伸びる。"軍師殿"に名前を呼ばれたのは、これが初めて。かつての主に呼ばれる敬称には、寂しさを感じずにはいられない。

「"シンドリアの官職"ではなく一個人として、あなたにしか頼めないことがあります」

「なんでしょう?」

思わず身構えたが、何てことのない依頼だった。アリババ様の交渉の頓挫に備え、予備の輸送手段を検証したいという。

「先ほども申し上げましたが…アリババ殿の交渉が頓挫して、食材が無駄になることは何としても避けたいのです」

「それは、わたしも同じ気持ちです。一料理人として、食材の廃棄はできるだけ少なくしたいので」

具体的な検証内容を問えば、懐から取り出した手袋をはめた左手で軍師殿は"八卦札"を取り出す。手袋をしていない右手で赤い札に触れると、勢いよくその札が燃えた。説明を聞いただけではピンとこなかった"八卦札"の威力は、間近で見ると想像以上。

「船の燃料として1型の札を、食品鮮度の維持に2型の札を使えるか検証したいのです」

「なるほど…"八卦札"の検証ですね」

軍師殿が頷いたあと、二つ返事で協力をわたしは申し出た。煌帝国から遠いシンドリアで検証できれば、他国での実用性も証明できる。1型の検証はともかく、2型の検証は職業料理人のわたしが検証するのが最適だ。

「ゴンベエ殿の意見があれば伺いたいのですが」

「そうですね…鮮度の重要性に応じて、輸送する食品を何種類か用意してください。日持ちする加工食品と生鮮食品…といった具合に。それと、それぞれの食品は複数用意して、それぞれに使う2型の札の枚数を変えてください。そうすれば、"魚は2枚だと腐っていたけど根菜は2枚でも新鮮"など、輸送距離に応じた札の必要量を把握できるでしょう?」

「かしこまりました」

頭に左手を添えながら答える軍師殿に、かつての姿を思い出す。第二皇子の左手にかかっていた長い髪はもうない。遠い日の白蓮様を彷彿とさせる姿に、再び視界が滲む。

「もうお会いできないと思っていました。内戦で負傷されたと伺ったときも、流刑されたと伺ったときも。…なので、こうしてお会いできて本当に嬉しくて」

「…ゴンベエ殿」

声も眼差しも変わらないのに、"殿"の一言だけで皇子ではないと思わされる。寂しさは拭えないが、瀕死の重傷を負ったと聞いた彼が元気でいるだけで十分だった。

涙が零れないよう顔を上げると、テラスから戻った陛下と宰相補佐と目が合う。わたしの姿に紅玉様は慌てふためき、首根っこを掴む勢いで軍師殿に突っかかるのは夏黄文。

「おまえ…!新入りの分際でゴンベエさんを泣かせるとは…!」

「やめて、夏黄文!」

紅玉様と2人がかりで、急いで軍師殿から夏黄文を引きはがしたのは言うまでもない。



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