毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


逃亡(番外編)


魔導研究施設に着いたのは、事情聴取の翌日の夕刻。目隠しを外すと、おどろおどろしい世界が広がっていた。不気味な色の液体で満たされた試験管のなかで、肉体か何かも分からない物質や三つ目の生物などが蠢いている。

「おまえは"迷宮生物"の移植手術の実験台になる予定だ」

わたしを連れてきた兵士にそう告げられたものの、"迷宮生物"自体が何なのか理解できていない。正直に告げると、にやりと兵士は口角を上げた。

「これをおまえの脳と四肢に移植する」

指さされた先を見ると、形容しがたい化け物。脳と四肢に化け物を移植となれば、移植手術の結果がどうであれ、人間としてのわたしは死ぬ。

「嫌です!そんなの、絶対に嫌!」

魔導研究施設に連れられるまで一切の抵抗を見せなかったわたしが歯向かうと、兵士の裏拳で身体ごと吹き飛ばされた。わたしは今も両手を後ろ手に縛られていて、抵抗できなければ衝撃にも耐えられない。

兵士に身体を蹴り起こされて数歩進むと、近くの柱に立ったまま縛りつけられる。再びわたしに目隠ししたあと、兵士はその場を立ち去った



魔導研究施設に連れられて半日。口に押し込まれた水浸しのパン以外、何も口に含んでいない。いや、迫りくる死期と手術への恐怖で、とても食欲なんて湧かなかった。

"迷宮生物"の移植手術の成功率は五厘、とあの兵士に告げられていて。もはやわたしに抵抗する気力などない。夏黄文が非を認めたのに、彼が紅玉様の従者というだけでわたしが処分される。

一度は皇帝陛下を諫めようとしたものの、両親は何も手助けしてくれない。もちろん、料理長の父とて"一介の官職"には変わりなくて。皇帝陛下に抗うなど、両親にとっても容易でないのは、わたしもよくわかっている。

それでも、夏黄文の裏切りや皇帝の処分をあっさり受け入れた両親。彼らに対する絶望が、禁城を出てからのわたしを支配していた。

「…?」

絶望から涙が頬を伝ったとき、柱に括られていた手足に訪れたのは開放感。目隠しが外されて視界に薄っすらと光が宿ると同時に、誰かの手で口が塞がれる。恐怖でびくりと身体が跳ねたものの、間もなくして聞き覚えのある声が右耳から降った。

「声を出さないでください、ゴンベエ。逃げますよ」

声の主は紅明様。事態を飲み込めないし、まだ光に目が慣れなくて第二皇子の表情は窺えない。しかし、紅明様が味方と理解したわたしは小さく頷く。

「…この施設の責任者は私です。皇帝たちに知らせていない抜け道も熟知していますから」

紅炎様ならまだしも、なぜ紅明様がわたしを手助けするのか。そんなことを考えながら紅明様に連れられるがまま進むと、誰かの足音がした。重い金属音から、兵士の足音と紅明様はつぶやく。

「右側の階段の奥にゴンベエは隠れていなさい」

耳元で告げられた紅明様の命令に従い、わたしは階段の奥に身を隠した。

「おや、紅明様。夜半にこんなところで何を?」

その声は、ここにわたしを連れてきた兵士。彼曰く、わたしが抜け出さないよう見回りに来たという。

「魔導研究施設は私の管轄ですから。研究の成果を確認しているだけです。夜行性の"迷宮生物"もいますからね」

兵士は第二皇子を怪しんでるようで、わたしを話題にして圧をかけてくる。いくら紅明様とはいえ、陛下の御心に従って動く兵士と対抗するのは分が悪いはず。

この事態をどう紅明様が切り抜けるのか心配していると、誰かがわたしの右肩を叩く。急に背後に意識を取られて驚くものの、ここまで来てくれた第二皇子の足を引っ張らぬよう息を飲んで振り返った。

「ゴンベエ殿、ここは私たちに任せてください。紅覇様のところに行きましょう」

「紅炎様の命令で私たちはここに来ていますから。紅明様が時間稼ぎしてくださる間に急ぎましょう」

わたしの背後に立っていたのは、普段から親しくしている仁々殿と麗々殿。紅明様の身を案じずにはいられないものの、紅覇様が待っていると言われれば"一介の官職"として立ち上がるしかない。音を立てないよう細心の注意を払いつつ、三人でその場を離れた。



魔導研究施設を抜ければ、魔法の絨毯に乗った純々殿が合流する。

「ゴンベエ殿、心配しましたよーっ!早く港へ!」

上空から煌帝国を一望するものの、我が身に起きていることを未だに理解できていない。先ほどの麗々殿は"紅炎様の命令"と言っていた。紅炎様の指示で三人や紅明様が来た、と考えるのが妥当だろう。しかし、命からがら逃げていたわたしには、現状を確認する余裕すらなかった。

魔法の絨毯が洛昌近郊の港に着くと、そこには生活物資を運ぶ船と紅覇様。口を開く前に、早く船に乗るようわたしを紅覇様が急かす。魔導士の三人に謝意を告げてから、すぐ船にわたしは乗り込んだ。このあとわたしが煌帝国本土の土地を跨いだのは、白龍様の即位式に出席した八年後。



「おまえさぁ、禁城で何やらかしたの?」

目的地を告げられないまま乗った船が出航して間もなく、紅覇様が疑問をぶつける。

「何を聞いても炎兄は教えてくれないし、それどころか"詮索したら許さん"って一喝されちゃったんだよ〜。今おまえに聞いてるのも炎兄に内緒ね!」

そう言うものの、言いたくないなら言わなくていいと第三皇子は続けた。吐き出してわたしが楽になるなら吐き出していい、と紅覇様はいうことだ。しかし、精神異常者呼ばわりされたショックから、白雄様とのことを口外する気にはなれなくて。わたしは、沈黙を選ぶ。

「それより…これ。中身は知らないけど、"ゴンベエに渡せ"って炎兄から」

紅覇様に手渡されたのは、一通の書簡。表面には"バルバッド国王"と記されていて、裏面には封緘印が押印されている。依然として書簡の中身はわからないものの、この船の目的地がはっきりした。あの事件から一日と少ししか経っていないのに、ひどく疲れた気がする。重力に逆らうことなく、わたしの瞼は下がった。



二週間続いた船旅は、バルバッド到着とともに終わりを告げる。第三皇子から預かった書簡を握りしめ、海洋国家に初上陸した。

「紅覇様、逃がしていただきありが」

「勘違いするなよ、ゴンベエ。僕の任務、まだ終わってないからね〜」

そう言いながら、第三皇子が港に停まっている馬車を呼ぶ。バルバッド王宮まで行くよう運転手に告げた紅覇様と一緒に、わたしは馬車に乗り込んだ。



豪華すぎないものの、品格を感じられる調度品が誂えられたバルバッド王宮。そこに着くなり、国王に謁見したいと第三皇子は言った。紅覇様は自身の懐からもう一通の書簡を取り出し、警備兵に手渡す。どうやら第一皇子からの書簡らしく、「国王の元に案内する」とそれを見た警備兵は告げた。

事前連絡なしでの来訪とあり、わたしたちは国王の登場を待つ。待ちくたびれた紅覇様が痺れを切らしはじめた頃、ようやくサルージャ家の現王が大広間に姿を見せた。紅覇様とわたしは、膝を折って頭を下げる。

「煌帝国第三皇子、練紅覇です」

おそらく逃亡中と思われる自分を、どう名乗っていいかわからない。しかし、紅覇様に同行している以上、"煌帝国の王宮料理人"と名乗るのが妥当とわたしは判断した。

「…煌帝国の王宮料理人、ゴンベエ・ナナシノでございます。王よ、こちらを」

一歩前に出たわたしは、船内で紅覇様から預かった書簡をラシッド王に手渡す。手元に渡ってからこの手を離れるまで、とうとう書簡の中身はわからずじまいだった。書簡の中身を知らずに他国の王に手渡すなんて、非常識にもほどがある。封緘印を破って中身を確認したラシッド王は、短くわたしの名を呼んだ。

「紹介状、しかと受け取った。たった今より、おまえはバルバッド王宮の料理人だ」

書簡の中身は紹介状。一定の技術を必要とする王宮料理人は、先人の紹介状が必要になる。つまり、紹介状を書いたのは両親だ。どんな過程を経て書かれた紹介状であれ、それは間違いない。

しかし、これは両親の意志ではなく、"白雄様の恋人"を助けようとした紅炎様によるものだろう、とわたしは考えた。それに比べて、一人娘の命の危機に両親は何もせず、事件前と変わらず禁城で働き続ける。

そんな二人を思えば、お別れもできずに離ればなれになった申し訳なさより苛立ちが勝って。わたしにとって、この時点で両親は憎悪の対象に変わっていた。

わたしは"バルバッドの王宮料理人"。ラシッド王の言葉を脳裏で反芻した。

「ゴンベエ・ナナシノ。聞いてるのか?」

「…はっ。もちろんでございます。感謝申し上げます」

我に返ったわたしは、ラシッド王に拱手するとともに頭を下げる。左隣の紅覇様は「よかったじゃん」と微笑んでいた。

「これで炎兄に僕も報告できるよ。"任務達成"って」

ラシッド王に一言謝意を告げると、立ち上がった紅覇様は煌帝国に戻ると言う。

「じゃあね、ゴンベエ。元気で」

「紅覇様、ありがとうございました。紅炎様や紅明様、みなさまにもよろしくお伝えください…!」

煌帝国から逃亡したわたしは、こうしてバルバッドで王宮料理人として働き始めた。ラシッド王の隠し子だった第三王子と出会うのは、この一年後の話だ。



それから八年後。アリババ様の葬儀で訪れた煌帝国領バルバッドで、紅炎様たち三兄弟と顔を合わせた。そこでわたしの両親について問うたのは紅炎様。

「二年以上前にシンドリアに来たので、そのときに会っただけです。子供じみていると思われても仕方ありませんが、紹介状を書いただけの両親がまだ許せなくて」

「"紹介状を書いただけ"?何を言ってるんだ、おまえは」

紅炎様と認識の擦り合わせを行うと、わたしの大きな勘違いが発覚した。

娘が処分される以上、事件の当事者でないにせよ、一般的に何らかの処分が両親にも下る。しかし、この一件では例外的に両親に処分は下されなかった。自身の非を認めている夏黄文がお咎めなしなのに、被害者の両親に処分が下るのはおかしいと判断されたのだろう。

魔導研究施設にわたしが連れていかれたあと、急な視察から戻られた紅炎様に両親が懇願した。

「自分たちの退官、もしくは命と引き換えにゴンベエを助けてくれ、と」

「うそ…」

「事実だ」

夏黄文の嘘の交際報告を鵜呑みにしたり、わたしを守れなかったりしたことで、自身を責めた両親。紅徳様に正攻法で掛け合っても無駄と判断し、紅炎様に頼み込んだという。

「殿下とゴンベエの関係も、俺に確認してきた。少なくとも…おまえの親はおまえの証言を信じていた」

「そんなこと、シンドリアで会ったとき一度も言ってくれなかった…」

バルバッドに届いた文を無視したり、せっかくシンドリアに会いに来てくれた両親に冷たく接したりした。なんてことをしてしまったんだろう。そう思えば、バルバッドに来て何度目かわからない涙が目から零れた。

「紅炎様、紅明様、紅覇様…その節は、本当にありがとうございました」

「俺たちでは紹介状を書けないから、おまえの親に書いてもらった。それを紅覇に託し、紅覇の魔導士と紅明がゴンベエを逃がした。俺はそれを城内から指示しただけだ」

「それとゴンベエ。私たちの父と"組織"が大変失礼いたしました」

頭を下げるのはわたしだけで十分。それでも紅炎様は謙遜するし、紅明様に至っては彼らに代わってわたしに詫びる。頭を上げるよう第二皇子様に頼み込んで頭を上げてもらえば、彼は窓の外に視線を移す。

「そろそろ行きますよ」

背後からわたしの肩を叩いた紅明様は、魔装姿に切り替えた。紅明様の転送魔法でシンドリアに戻る道中、わたしはある決断をする。遠くない未来に両親の住むミスタニア共和国に行き、両親に謝ろう、と。



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