毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


処分(番外編)


「十一年前のわたしに夏黄文がしたことは…今も許せない。でも、それとこれは別でしょう?今は"宰相補佐・夏黄文"を信じることにした。どんなに努力したって…シンドリアの人間に煌帝国の再建はできないから」



わたしが応答してくれないかも、と紅玉様の通信器で通信してきたのは夏黄文。五年前にシンドリアで再会して以来、一貫して冷たい態度を取っていた。しかし、煌帝国の再建に向けて私情を挟まない選択をしたわたしは、十一年ぶりの対話を選んだ。

十一年前の一件が原因で、わたしは煌帝国を去った。伝聞が繰り返されるうちに、その一件はかなり脚色されたらしい。"紅炎様をたぶらかしたうえに夏黄文を切り殺そうとし、挙句の果てに煌帝国から逃走した"、と現皇帝がかつて信じていたのもその影響だ。

「あの件以外なら尊敬できるのは、嘘じゃないんだけどな…」

寝所でぽつりとつぶやき、わたしは十一年前の一件を振り返った。



紅炎様がわたしを探している。そう夏黄文から聞いたのはある日の夜。親しい同僚に礼を告げて第一皇子のところに向かおうとしたところ、首に鈍い痛みが走った。そこからの記憶は曖昧で、十一年経った今でも正確なことは思い出せない。

意識が戻って最初に感じたのは、唇に重なるやわらかくて温かい感触。わたしと口づけを交わす殿方など、四年前に亡くなった白雄様しかいない。夢でもいいから白雄様が戻ってきてくださったと思えば、わたしの頬を涙が伝った。

涙は指で拭われると今度は少し強く、押しつけるように唇を重ねられる。少しでも気持ちに応えようと首に腕を回せば、項にかかる髪の質感が記憶と異なる気がして。しかし、そんなのは取るに足らないこと。どんな形であれ四年ぶりに会えた嬉しさに、愛しい人の名をわたしは口にした。

「ん…は…くゆ…うさ、ま…っ」

「はっ…白雄様ぁ?」

唇に吐息がかかる距離で叫ばれた声は、白雄様のものではない。急に起き上がった声の主によって、首に回した腕が寝台に落ちた。声の主を知ろうと目を開けば、視界には天井とわたしに跨る夏黄文。事態を飲み込めないわたしの身体が恐怖で震えはじめると、夏黄文と視線がぶつかる。

「きゃあああああああ!」



悲鳴を聞いて駆けつけた兵士によって、間もなくわたしは保護された。"皇帝お気に入りの料理長の娘"として、わたしは禁城の中心に近い位置に私室を与えられている。遠くない距離に私室を構える紅炎様が日付を跨がないうちに駆けつけたのも、私室の位置が大きな理由だった。

「夏黄文。貴様、ゴンベエに何を…?」

わたしの恋人ですらない"炎帝"の鬼の形相に、その場の空気が張り詰める。懐から抜いた紅炎様の右手には、寝所での護身用と思しき短剣。それを夏黄文の喉元に紅炎様が宛がえば、張り詰めた空気は凍てつく。ともに戦地に赴く兵士たちですら、第一皇子の剣幕に瞬き一つできず二人を傍観している。

「答えろ」

地を這うような"炎帝"の声に、夏黄文の身体がぶるりと震えた。その拍子に刃先が首の皮を掠めたのか、第八皇女の従者の首元にはうっすらと赤い線が滲む。

「紅炎様、落ち着いてください…。その、まだ…何も…」

あくまで"白雄様の恋人"だから紅炎様がよくしてくれるのは、わたし自身が一番よくわかっている。"辛味巡り"と称して毎月城下町に出かけて白雄様の話をするのも、"ちょっかいを出すな"とジュダルや紅覇様を諫めてくれるのも。

"現第一皇子"にとってのわたしは"前第一皇子"ありきなのに、わたしのせいで刃傷沙汰なんてあってはならない。そう思って声を絞り出すと、紅炎様の視線が第八皇女の従者からわたしに移る。

「落ち着けだと?"まだ何もされていない"なら、なぜ悲鳴をあげた?」

「そ、それは…」

わたしよりもずっと必死な紅炎様を宥めようとすれば、かえって逆効果。夏黄文を庇う気はないが、本当に何度かキスされただけ。とはいえ、"何もされていない"と言えるほど軽い行為ではなくて。次の言葉を紡げず言い淀む時間の長さこそが、わたしにとっての事の重大さを証明していた。

「相手がゴンベエじゃなくても許されない行為だ。何より…おまえに何かがあったら、おまえを守れなければ…俺は顔向けできん」

「ですが…剣はいけません!夏黄文だって出血してるんです…紅炎様、剣をお納めください」

「…この期に及んでまだそいつを庇うか。中央の近くに部屋があって、すぐ駆けつけられる者がいたからよかったものの…」

紅炎様の声は呆れの色を隠さない。相手が誰であろうと許されない行為なのも、たまたま部屋が近かったからすぐ助けてもらえたのも、紅炎様の言う通り。反論できずにいれば、紅炎様は大きなため息をつく。

「誰も駆けつけなければ自分がどうなっていたか…わかったうえでそれを言うんだな。それとも、そんな身なりで普段からおまえは城内をうろついてるのか?」

「そんな身なり…?」

ただでさえ気が動転していたわたしは、衣服の袷なんて気にも留めなかった。紅炎様に指摘されて初めて自分の身体に視線を落とせば、本来見えるはずのない胸元が露になっていて。

恥ずかしさのあまり顔は火を噴きそうなくらい熱く、目には涙が溜まるのがわかる。慌てて両手で胸元を隠したわたしは、部屋の角に身体を向けた。部屋の角で小さく身体を丸めて袷を直す。

袷が開かれた以外に、官服が乱された形跡はない。おそらく、想像しうる最悪の事態は起きていないだろう。もっとも、最悪の事態を免れたからといって、信頼する友に襲われたショックが消えることはなくて。頭はいたって冷静なのに、だんだん視界が滲んでいく。

「夏黄文。然るべきところにこの件は伝え、然るべき処分を下す。いいな?」

「…は、はい」

紅炎様の言う"然るべきところ"とは、おそらく紅徳様のこと。官職は皇帝の名の下に雇用されている。たとえ第一皇子だろうと、皇帝の許可なく官職を処分するわけにはいかない。

皇帝陛下が公式に処分を下すということは、御触れが出て城中にこの一件が知られるのと同義。夏黄文の返事を待って部屋を立ち去ろうとする紅炎様の袖を、わたしはぎゅっと掴んだ。

「こんなの、両親に知られたく…ありません。この件が皇帝陛下預かりになれば、両親だけでなく…城内のすべての人に知られてしまいます…」

「しかし…それではこいつの処分が」

「それでも、です。両親を悲しませたくありません。お願いです、紅炎様…」

涙交じりの声で訴えれば、紅炎様も怒りを鎮める。夜番の両親はまだ仕事中。勤務時間中の厨房はかなり騒がしく、よほど大きな爆発音でもなければ外部の音は聞こえない。少なくとも、わたしの悲鳴ごときが耳に入らないことくらい、厨房で働くわたしがよくわかっていた。

とはいえ、意図せず紅炎様を巻き込んだことで、この時点で多くの人に知られてしまって。わたしを保護した兵士や悲鳴を聞いて集まった野次馬たちに、紅炎様はその場で箝口令を敷いた。この部屋に駆けつけてすぐの"炎帝"の剣幕を目の当たりにしている彼らなら、箝口令を破る心配はないだろう。

この日は夜も遅い。夏黄文とわたしを対象に、皇帝には内密に日を改めて事情聴取すると紅炎様は言う。私室で一人眠るなんてできっこないわたしは、紅炎様とともに仁々殿の部屋に向かった。

わたしを一晩泊めてほしいと第一皇子から命じられれば、仁々殿に断る選択肢はない。突然のことにもかかわらず、仁々殿はわたしに何も聞かないでくれて。元から仲のいい同僚の優しさに感謝しながら、わたしは一晩を過ごした。



両親に知られず穏便に解決を図るつもりだったが、翌午前のうちに不可能となる。わたしの両親も事情聴取に呼ばれたから。不可解なのはそれだけではない。この一件は、なぜか紅徳帝預かりになっていた。

事情聴取の場で、夏黄文とわたしは昨晩の出来事を話す。紅炎様がわたしを探していたのは嘘で、わたしを昏倒させたのも夏黄文だった。そこまでは予想の範疇だったわたしが耳を疑ったのは、両親への嘘の交際報告。

「何で…?わたし、夏黄文に嫌われるようなことした?」

「ゴンベエさんを俺が嫌うわけないでしょう?す…好きだったから、好きゆえであります」

"紅玉様の従者"だけでは権威に欠けると考えた夏黄文は、権威を持つ女性を娶って権威を手に入れようとした。そこで白羽の矢が立ったのが、有名な王宮料理人を両親に持つわたし。しかし、わたしが夏黄文を弟としか見ていないことは、彼もよくわかっているはず。

城内のゴシップを鵜呑みにしたのか、夏黄文は紅炎様とわたしの仲を疑っていたようで。わたしとの関係を既成事実化しようと、外堀を埋めるべく両親に挨拶したらしい。

「…最初から、出会ったときから、そうやって利用しようと…夏黄文はわたしに近づいたんだ」

夏黄文の供述を聞いたわたしは、どん底に突き落とされる。わたしたちの出会いは二年前。紅炎様の手助けや充実した仕事のお陰で、その二年前に白雄様を失った悲しみから立ち直りかけていた頃だった。

軍事戦略や政治の話、バカ話もできる夏黄文は友達であり弟同然。"宰相閣下になりたい"と将来像が明確で、そのための苦労は厭わない。将来のために自分に正直に生きる夏黄文を、わたしは素直に尊敬していて。白雄様との関係に蓋をしようとした過去を持つわたしには、そういう夏黄文が眩しく映ったのに。

「ち…違うであります!最初からゴンベエさんを利用する気はなかったし、権威のために好きになったわけじゃありません。信じてもらえないかもしれないけど、本当であります…」

そう夏黄文は言うものの、わたしには何も響かない。信頼していた友人による両親を巻き込んだ裏切り以上に、個人として一番わたしが気にしている"偉大な両親の娘であること"を利用されたのが許せなかった。

「ゴンベエ。おまえ、紅炎と仲がいいらしいな。実際のところはどうなんだ?」

わたしと夏黄文の供述を一通り聞き終え、そう問うたのは紅徳様。男女の仲ではないと返せば、城内で多数あがっていた紅炎様とわたしの目撃情報や、毎月の"辛味巡り"を指摘される。こんなときに限って、郊外にある施設の急な視察で紅炎様は不在。わたしの証言が事実と証明できる人は、紅炎様以外にいないのに。

そもそも、今回の事情聴取は何かがおかしい。この一件を皇帝に通す気はない、と昨晩の紅炎様は言っていた。ああいった場で嘘をつく御方ではないし、たとえ最終的に第一皇子の判断で皇帝預かりにしても、彼が事情聴取を欠席すると思えなくて。

とはいえ、状況証拠になりうる情報が皇帝に集まっている以上、しらを切り通すのは不可能。毅然と紅炎様との仲を否定するしかない。かといって、紅炎様との関係を問われれば、白雄様への言及は避けられないだろう。そう思いつつ”炎帝”との恋仲を否定すると、案の定密会の目的を問う流れになった。

「…信じていただけないかもしれませんが、わたしは…白雄様と…交際しておりました」

「!」

夏黄文や両親はもちろん、さすがの紅徳様もわたしの発言には驚きを示す。わたしが白雄様とのことを端的に説明すれば、紅徳様は彼との関係を示す証拠を求めた。

「そ、それは…」

わたしたちの関係を示すものはない。それを告げれば、「十八歳の誕生日を一緒に過ごしたのに、何ももらわなかったのか」と陛下は仰る。陛下の問いに、小さくわたしは頷く。

あの日の白雄様にもらったのは、宝物のような時間だけ。思い出さえあれば何もいらないと思っていたわたしにとって、物証の必要性など感じたことはなかった。物証を出せるはずもなく俯くしかないわたしを、皇帝陛下が呼んだ。

顔を上げると、鼻の下に生えた髭が特徴的な男性が皇帝に何かを耳打ちしていた。その男性との面識はないものの、何度か玉艶様と宮中を歩く姿を見たことがある。名前は確か"銀行屋"。

「一晩の夜伽で皇太子の恋人気取りか。白雄様が亡くなられた今なら、何を言っても嘘だとわからんからな。四年も妄想し続けておかしくなったか、精神異常者め」

「!」

この紅徳帝の発言が自身の発言か"銀行屋"の進言によるものかは定かではない。しかし、紅徳帝の口から出たことに意味があるわけで。たとえ各国を漂う王宮料理人だろうと、練家に忠誠を誓う気持ちに偽りはない。雇用主であって忠誠を誓う対象の皇帝陛下から精神異常者扱いされるなど、あまりに耐えがたい仕打ちだ。

皇子様との恋愛は、そんな風に言われないといけないことなのか。身分違いも甚だしいのは、わたしもよくわかっていた。自身の恋と忠誠心の両方を否定されれば、わたしも冷静ではいられなくて。紅徳帝の発言を耳にした瞬間から、わたしの頭は真っ白になった。

「おっ…おやめくださいませ!」

父が皇帝陛下を諫めようとするが、陛下つきの兵士たちに父は取り押さえられる。紅炎様との仲を疑っていたはずの夏黄文の表情を確認する余裕などはなく、わたしにはその場で俯いて震えるしかできなかった。



「"皇女が一番信頼を置く従者"と"一介の官職"。どちらを処分すべきかは自明だろう?」

紅徳様によって処分が下されたのは、その日の昼下がり。処分が下されたのはわたしだけ。自身の非を夏黄文が全面的に認めているにもかかわらず。

洛昌のはずれにある"魔導研究施設"で、わたしは実験台にされる。その施設がどんなところで、何をされるかはわからない。しかし、皇族に忠誠を誓うわたしには、事情聴取中のあの発言以上の仕打ちはなくて。告げられた処分内容に反発する気さえ起きず、わたしは首を垂れたままその場に立ち尽くす。

しばらくして陛下つきの兵士にその場で目隠しされたわたしは、そのまま魔導研究施設に連れていかれた。



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