毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


対峙(番外編)


「マスルール。もしかして、この人が"ジャーファル"?」

「…ああ、あなたが"ヤクート"でしたか」



ここは俺と家族の部屋だ。妻子の出払った部屋にいるのは、尊敬する人物と同僚、そして俺。なぜ俺は家族と暮らす部屋で、一人の女性を巡る二人の争いを見せられているのだろう。

事の発端は、俺の第三子の誕生だった。かつての主と右腕に報告したあと、レームを訪ねたのは後者。もっとも、世界一多忙な前者が来てくれるとは端から思っていなくて。シンさんに会えなかったところで、さほど落ち込んでいない。

上の子を連れた妻は、末っ子を俺に預けて"ファナリス兵団"の仲間とともに出かけている。子供が生まれるたびに会いに来てくれるジャーファルさんとは、二人の妻もすっかり打ち解けていて。それゆえ、シンドリアの前政務官とのすれ違いを妻も残念がっていたくらいだ。

「本当に子供は可愛いね。癒されるよ」

人差し指を握ってすやすや眠る息子に、ジャーファルさんは優しく微笑む。子供に好かれやすい前政務官は自他ともに認める子供好きで、率先して上の子たちの遊び相手にもなってくれる。

「人の子供も可愛いですけど、自分の子が一番っすよ」

「へえ。君の親バカを見れる日が来るとはね…」

息子に温かい眼差しを向けていた前政務官は、意外そうに目を見開く。俺たちがシンドリアを去って約二年半が経ったものの、まだジャーファルさんのなかで俺は"八人将の末弟"らしい。ヤムライハさんや先輩を差し置いて俺が親になるとは思わなかった。前政務官は何度目かわからない話を口にする。

「親になればわかりますよ」

「親、か…」

そう口にするジャーファルさんは、ふう、とため息をついた。ゆらゆらと自身の右手を動かし、眠りについた赤ん坊の手から前政務官は人差し指を取り出す。

「ゴンベエに似た子なら、可愛いんだろうな」

ぽつりとつぶやいたジャーファルさんの声を、俺は聞き逃さなかった。

「…それなら」

それなら、早くゴンベエさんとの間に子供を設ければいい。そう言おうとしたとき、勢いよく部屋の扉が開いた。

「マスルール!ミュロンとロゥロゥが喧嘩してんだよ。団長は留守にしてるし、おまえも早く止めに入ってくれよ」

「…うるさい。息子が寝てる」

入室するなり痴話喧嘩を止めるよう俺に求めたのはヤクート。室内を見渡してようやくジャーファルさんに気づいたファナリスは、「客?」と俺に問う。ヤクートの問いに俺が答える前に視線が合ったのか、前政務官は柔和な笑みを浮かべる。ファナリスも同様で、初対面の客人に対して歓迎の言葉を並べていた。

「それで、マスルール。この人は?」

「えっと、シンドリアでお世話になった…」

自身の名をなかなか口にしない俺を、ジャーファルさんは小首を傾げて眺めている。普通に紹介すればよかったのに、言い淀んでしまう。その理由は簡単で、ヤクートの慕う女性の彼氏こそが目の前の客人だから。

二人にとって俺の沈黙は不自然に映ったようで。その理由をあっという間に悟られてしまった。"ファナリス兵団"きっての楽天家・ヤクートのこういうときの勘は異様に鋭い。

「マスルール。もしかして、この人が"ジャーファル"?」

「…ああ、あなたが"ヤクート"でしたか」



殺気を感じた赤子が泣き出せば、二人は即座に気配を弱める。ジャーファルさんに至っては、目に見えておろおろしていて。息子を泣かせた罪悪感に苛まれていた。

「マスルール!ミュロ…えっ?何この殺伐とした空気」

ヤクートに続いて、痴話喧嘩の制止を俺に求めに来たのはラゾル。ただならぬ気配を察したラゾルは、「やっぱりいい」と要求を退けた。しかし、俺にとってラゾルは渡りに船。

「…頼みがある」

泣き止まない息子をラゾルに預け、男三人で室内の椅子に腰を下ろす。目の前の二人は、先ほど鎮めた殺気を再び強く宿した。

「…俺と家族の部屋なんで、戦闘態勢に入るのはやめてください」

万が一に備え、物理的に二人が戦わないよう牽制する。しかし、あくまで物理的な戦闘をやめただけで、二人が終戦したわけではない。むしろ、戦いは始まったばかり。

「よくも私のゴンベエに言い寄ってくれましたね」

「ゴンベエさんはあんたの所有物じゃないですよ」

ノータイムで返されたヤクートの正論に、ジャーファルさんは言葉を飲み込む。

「今はあんたの彼氏でも、ゴンベエさんが俺を選べばいいだけでしょう?」

「それはそうですけど…それで、ゴンベエのどこをあなたは好きになったんです?」

しばらく間を置いてから、ジャーファルさんが問う。真っ先にヤクートが口にしたのは、ゴンベエさんへの禁句。

「じゅ、熟女…?」

「悪い言葉じゃないですよ。"熟れた女"って言葉のエロさ、たまらなくないですか?」

ヤクートの言葉に、開いた口が塞がらないジャーファルさん。その反応は、俺たち"ファナリス兵団"のそれと同じ。

「女性に対して、なんてデリカシーのないことを…」

「熟女って言われるの、ゴンベエさんも気にしてましたから」

俺の言葉に、再びジャーファルさんは殺気を見せる。手癖で縄票に手を伸ばそうとする前政務官を宥める俺は、内心気が気でない。熟女なら誰でもいいわけじゃない、と元暗殺者の殺気が収まるのを待ったヤクートが繕う。

「言わずもがな料理上手だし、おいしそうに料理を食べる顔もいいですよね。あと、思考が顔に出やすいところも可愛い」

「…よくわかってますね」

"それくらい私はとっくに知っている"と言いたげに、ジャーファルさんは相槌を打つ。ヤクートの口にするゴンベエさんの好きなところを、何度も俺は聞かされた。しかし、本人の恋人相手に話すだけあり、いつもに増して彼の声色は熱を帯びている。

「胸が大きいのもいいっすよね〜。ファナリスの女性はみんな筋肉質だから、やわらかそうなゴンベエさんの胸に惹かれるんですよ」

「ゴンベエを卑猥な目で見るな!」

「…誰よりもすけべな目でゴンベエさんを見てるの、ジャーファルさんですけどね」

ぽつりと思考を漏らすと、殺意の塊のような眼差しを元暗殺者が俺に向けた。さすがに今のは悪かったと思い、俺は謝罪を口にする。

「でも、俺が一番好きなゴンベエさん、あんたは知らないと思いますよ」

ヤクートの挑発的な発言に、まんまとジャーファルさんは乗せられた。そんなわけない、何年一緒にいると思っているんだ。そう口にする前政務官は苛立ちを隠さない。

「"可愛い"、"好き"って、それを見た男が思うかは別として。あんただけですよ、あんなに可愛いゴンベエさんを見たことないの」

ジャーファルさんを挑発しているにもかかわらず、どこかヤクートは悔しそうだ。

「それ、俺も知ってる?」

俺が問うと、間髪容れずにヤクートは頷く。マルガですら知っている、とファナリスは続けた。

「マルガ?ねえマスルール、そいつはどこの馬の骨なの?」

「ジャーファルさん…落ち着いてください。マルガはこんなに小さい女の子ですから」

普段マルガと並んだときに彼女の頭がくる位置に右手のひらを出して見せれば、シンドリア商会の会長室室長は安堵の色を見せる。ゴンベエさんのことになると見境がないジャーファルさんを目の当たりにするのは久々。シンドリア時代に戻ったようで、無意識のうちに俺の口角が上がっていた。

「本当に可愛いんですよ、あのゴンベエさん」

ヤクートの挑発に堪忍袋の緒が切れたのか、彼が一番好きな自身の恋人について説明するよう、ジャーファルさんが促す。

「一番ゴンベエさんが可愛いのはね、好きな男の話をするとき。残念ながら、彼女の脳裏にいるのは俺じゃないけどね」

「…っ」

「ああ、なるほど」

それなら、マルガですら知っているのも納得だ。ジャーファルさんだけが知らないのも。

「俺と二人で出かけても"今度はジャーファルと来たい"って言うし、食堂でご飯を食べても"ジャーファルが好きそうな味"って。それに…」

ヤクートの発言は、ジャーファルさん以外なら心当たりのあることばかり。"俺と二人で出かけても"に前政務官は一瞬顔をしかめる。しかし、すぐにジャーファルさんの表情は緩んでいく。

「俺がゴンベエさんのためにプレゼントするって言うのに、俺に聞くのは"ヤクートくんはどっちが好き?"じゃなくて、"ジャーファルはどっちが好きかな?"なんですよ。物を贈るときくらい、贈り主の俺基準でもよくないすか?」

恋敵経由で聞かされる恋人の発言に、ジャーファルさんは頬を赤くした。そんなゴンベエさんの彼氏に、冗談めかした口調でヤクートが言う。

「俺、あんたの彼女にめちゃくちゃ傷つけられてるんですけど」

「…"ファナリス兵団"相手に深傷を負わせるとは。私の自慢の恋人です」

ふふふと微笑んだあと、胸に閉まっていた真鍮色の懐中時計を取り出したジャーファルさん。それは確か、ゴンベエさんがシンドリアに来て最初のクリスマスに彼女からもらったものだ。ゴンベエさんも前政務官と色違いの懐中時計を所有している。

「ごめん、マスルール。飛空挺の時間が迫ってる」

愛おしそうに懐中時計に視線を移したあと、そう言ってジャーファルさんはレーム王宮を去った。



「ヤクート、あれでよかったのか?」

「ゴンベエさんがあの人の名前を出すたびに、俺が傷ついたのは本当だから…そろそろゴンベエさんを諦めて、レーム貴族の貴婦人での逆玉狙いに本腰入れようと思ってさ」

目の前のヤクートは、どこか吹っ切れたように見える。ラゾルの元に息子を迎えに行こうかと考えていると、俺の通信器が鳴った。発信者は渦中の女性。通信は手短に終わり、まだ部屋にいたヤクートに一応の報告で声をかける。

「…ゴンベエさん、出産祝いで今度レームに来るって」

三人目となると気を遣わせるのも悪く、断るつもりだった。しかし、懐妊中のトトの様子を見に行くから、と言われた俺に断る術はない。

「えっ、ゴンベエさん…またレームに来るの?俺のほうがいい男だって、今度こそ気づいてもらわないと」

さっきまでのセンチメンタルは、一瞬で消える。ゴンベエさんに会えると喜びながら、ヤクートは俺の部屋を去った。



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