毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


派遣(171)


「ゴンベエ料理長!ご相談があります」



朝番を終えて厨房から出ると、現八人将の1人に声をかけられる。別に急ぎの用があるわけでもないため、その場でわたしは話を聞こうとした。しかし、立ち話をするには込み入った内容らしくて。ちょうど昼食時のため、食堂でご飯を食べながら話を聞くことにした。

「…なるほど。不可能ではありませんが、なかなか大変そうですね。文献を探す必要がありますし、何より責任重大ですから」

現八人将の提案に、思わずわたしは天井を見上げる。彼の話は、五月後に王宮で開かれるとある宴の料理について。

その宴に招くのは、"トランの民"。シン様からドラコーン様にシンドリア王が代わり、2年以上が経っている。シンドリアと"トランの民"の変わらぬ交流を祝い、両国の永遠の繁栄を願う宴を開くらしい。

その宴に際して、"トランの民"を一晩だけシンドリアに招く。"トランの民の島"にシンドリアの者が赴いても、その逆は建国以来初めて。宴が開かれるのはドラコーン様の即位3周年のタイミングであり、それを祝う目的もあるという。

「シンドリアの文献で足りなければ、他の国の王宮にも問い合わせる必要がありますね。"トランの民の島"の存在もありますし、シンドリア以上に近代研究が進んでいる国はそうないと思います。しかし、なんせシンドリアは歴史の浅い国ですから…」

「確かに。その場合、問い合わせ先の当てはあります?」

「かなり古い文献を遡るなら、少なくともレームは問い合わせが必要でしょう。あと…エリオハプトも」

詳しい話は聞いていないものの、暗黒大陸にほど近い大陸南部での出会いを機に、"トランの民"との交流が始まったと聞いている。

「ゴンベエ料理長、"トランの民"の民族料理を作られた経験は?」

八人将の彼からの問いに、アバレケブガニのソテーを口に含んだままのわたしは首を振った。アバレケブガニを飲み込んでから、対面の相手に事情を説明する。

「"トランの民"の民族料理は解明されていない部分が多く、文献の大半はトラン語です。少なくとも、わたしはトラン語の読み書きは不得手で…」

その民族料理を食べたことがない以上、"再現"は不可能だ。それでも"再現"が不可能なら、文献に忠実な料理を作るのがわたしの役目。

翻訳された文献と食材さえあれば、わたしに断る理由はない。"トランの民"の民族料理に挑戦できる機会なんて、滅多にないわけで。むしろ志願してでも、今回の宴の料理選定に携わりたかった。

「おそらく、他の料理人も…トラン語を解読できるとは思えませんが」

「それなら…"トランの民の島"の考古学調査団を派遣しましょうか?それか、"トランの民の島"にゴンベエ料理長が赴くのもありかと」

未知の島への訪問に、わたしの食指が動く。しかし、彼の提案は辞退した。迫害の歴史から、他の民族との交流に"トランの民"は消極的だと聞く。現在のシンドリアと"トランの民"の関係は、シン様たちの努力の賜物。彼らのお陰で成り立つ考古学調査団や駐在員の仕事を、わたしの粗相のせいで奪いたくない。

「考古学調査団の方を1人派遣していただければ、仕事の傍らで文献の翻訳や料理の再現に付き合っていただきます」

「ありがとうございます!さっそく、団員の派遣を要請しますね」

彼の言葉で、"トランの民"の料理研究が始まった。



1週間後の非番。市街地の飲食店に足を運ぼうと考えていたところを、例の八人将に呼ばれた。考古学調査団の者がシンドリアにやってきた、と彼は言う。

「どんな方なんですか?考古学調査団の方にお会いするのは、修行を終えてから初めてで…」

「港から王宮までの道で少し話しましたが、とても優しそうな方でした。…とにかく、ゴンベエ料理長と文献を探すパートナーとして申し分ないと思いますよ」

緑射塔の廊下を歩きながら問うと、1を聞いて10が返される。しばらくすると、その団員が滞在する部屋に到着した。八人将の彼が扉を叩き、団員の返事を待って扉が開かれる。

「…サブマド様」

「ゴンベエ」

扉の向こうにいたのは、かつて仕えた国の元王子。亡命した先のシンドリアで、考古学調査団として"トランの民の島"に常駐していた。お会いするのは久々だが、あまりお変わりないように見える。

サブマド様とわたしを交互に見て、知り合いだったのかと八人将の彼は問う。現在の八人将で、彼はシンドリア在住歴が最も浅いうえに年齢も若い。バルバッド出身でもなく、サブマド様が元王族と知らないのかもしれない。

「ええ…かつてお世話になったお方です」

元副王の出自を伏せて返答したものの、納得した様子を八人将の彼は見せる。

「それなら、私の仲介は不要ですね」

仕事があるからと言って、一足先に八人将の彼がサブマド様の部屋を去った。緑射塔の広い部屋には、置き去りにされたサブマド様とわたし。シン様が国王だった頃、一度だけ考古学調査団の一員としてシンドリアにいらっしゃった元副王とお会いしたことがある。

しかし、それは4年以上前の話。何を話せばいいのか、サブマド様もわたしもわからない。気まずい雰囲気ではないものの、2人の間に沈黙が流れる。

「…サブマド様、すでに昼食は召し上がられましたか?」

わたしの質問に、考古学調査団員は首を振った。それなら一緒に昼食を摂らないか、わたしが誘う。二つ返事で誘いに乗ってくださったサブマド様とともに、緑射塔の廊下にわたしたちは出た。



「ま、まさか、また王宮でゴンベエと過ごせるとは思わなかったよ…」

「わたしも驚いております」

サブマド様とわたしがやってきたのは、市街地のとあるバー。シンドリアのバーでは珍しく昼間から営業していて、楽団の生演奏に定評がある。バルバッド時代から知っているバルバッドの楽団も、度々演奏に訪れていた。

「しかし、サブマド様に教わったトラン語を忘れたせいで、サブマド様をお呼びすることになるとは。…お恥ずかしい限りです」

バルバッド時代、サブマド様からトラン語を教わったことがある。王族の教養としてトラン語を学ぶアリババ様の学習仲間として、わたしが宛がわれたのだ。わたしのトラン語学習は本業の片手間で、アリババ様から常に遅れを取っていた。

第三王子の学習ペースに追いつくべく、こっそりわたしの講師役を買ってくださったのがサブマド様。しかし、アリババ様の失踪に伴い、サブマド様との時間は自然消滅した。それ以降、わたしはトラン語を学んでいない。

「宴の話の前に聞きたいんだけど、アリババやバルバッドのこと…ゴンベエは知ってるの?」

サブマド様の質問に、わたしは大きく頷く。元副王には弟の葬儀への参列も許されなかった。それに、故郷の土を踏むことは今後も許されないだろう。しかし、知る権利くらいはあってもいいはずで。葬儀の様子や再興中の共和国について、一通りわたしは説明した。

「…バルカークがいるなら、僕は安心だよ」

信頼を置ける従者の名に、わかりやすくサブマド様は安堵の色を浮かべる。

「国のいいときも悪いときも…父さんの時代からバルカークはバルバッドを知り尽くしている」

バルバッドが王政を廃止するとき、アブマド様に直接退位を進言されたのがサブマド様だった。そのときにサブマド様を支えたのがバルカーク殿。そうアリババ様から伺っている。

バルカーク殿なら権力や地位に流されず、バルバッドを守ってくださるだろう。その思いは、わたしたちはもちろん、アリババ様にも共通していた。

「"バルバッド共和国に特権階級はない"、か…」

説明でわたしが触れた故郷の合言葉を、1人サブマド様は反芻する。

「僕も…この合言葉、すごくいいと思うよ」

少し時間を置いてから、どこか寂しそうに元副王は口にした。



「そういえば、サブマド様。アブマド様は…」

兄君についてわたしが尋ねると、今もシンドリアの考古学調査団に在籍してる、と元副王は返す。

「当初の予定では、シンドリアに行くのは兄さんだったんだ。でも、兄さんに懐いた子供たちが駄々をこねたから…代わりに僕が来たんだよ」

意外な兄君の姿に感心すると同時に、心のどこかでサブマド様でよかったと思ってしまう自分がいる。わたしにとって忌むべき存在だった、かつてのアブマド様。彼の御代の圧政は、シンドリアにわたしが移る大きなきっかけになった。

「サブマド様には…本当に感謝してもしきれません。あのときに頂いた金品のおかげで、今のわたしがあるんです」

サブマド様に、改めて感謝をわたしは告げる。4年前の宴で再会したときも、考古学調査団員に謝意を告げていた。それは、バルバッドからシンドリアに向かう鈍行船に乗る直前。王宮を抜けたサブマド様が、"一介の官職"の見送りで港に来てくださって。

船の乗船券と1泊の安宿代で精いっぱいのわたしに元副王が手渡したのは、巾着いっぱいの金品。当時のバルバッドでは煌帝国の通貨が流通していたものの、すでにその価値が下がっていた頃で。だからこそ、移住先を問わず換金できる金品をサブマド様はくださったのだ。

「あれは…あのとき僕にできることをしただけだよ」

そう仰るサブマド様に、もう一度お礼を告げる。あのときの金品は、わたしの大きな心の支えだったわけで。何度感謝を伝えても、伝え足りないのだ。

シンドリア行の鈍行船は、荒天によって大幅に到着が遅れた。荒天が理由とはいえ、遅延期間分の追加乗船料も発生していて。サブマド様からいただいた金品がなければ、一時的に停船していた国でわたしは下船を余儀なくされただろう。



「ゴンベエ。シンドリアに来て…君は幸せかい?」

そろそろ王宮に戻ろうというとき、わたしにサブマド様が問うた。元副王の問いには、裏の意図があったかもしれない。しかし、わたしにはそれが見えなくて。思ったままを考古学調査団員に返す。

「ええ、とても幸せです」

わたしの言葉に、「よかった」とサブマド様は目を細めた。



[ << prev ] [ 171 / 248 ] [ next >> ]
[ Back ]
[ Bookmark ]

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -