毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


愚痴(170)


「もうさすがに限界だよ…」



ある非番の朝。少し早めに起きて食堂に行くと、サヘルさんに会った。いつものサヘルさんは、ドラコーン様と一緒に朝食を摂る。しかし、今朝からシャルルカン様のところにドラコーン様は向かっているらしい。そういうわけで、今日の朝食をサヘルさんと一緒に摂っていた。

「ジャーファル様、政務官時代から誰よりも忙しそうだったもんね」

サヘルさんの言葉に、こくこくとわたしは頷く。端的に言えば、王妃を相手にわたしは愚痴をこぼしていた。愚痴の内容は、わたしたちの遠距離恋愛。

シンドリア・パルテビア間の移動は、飛空挺の存在があれど容易ではない。船舶に比べて所要時間が短縮された代わりに、交通費は跳ね上がっている。そもそも"一介の官職"にとって、近距離だろうと飛空艇の運賃は決して安くない。他国と海を隔てた立地上、シンドリア発着の飛空挺は輪をかけて割高で。

「ジャーファル様にも、シンドリアに会いに来てほしいよねぇ」

「ううん…わたしが会いに行くのはいいの。仕事で忙しいジャーファルの負担になりたくないし、非番が増えたわたしは時間に余裕あるから」

会いに行く手間をわたしが一手に担うのは構わない。ただし、わたしにも限界がある。交通費の捻出だ。

魔法道具の導入で非番は増えたものの、ドラコーン様の計らいで王宮料理人の給料は据え置き。そのうえ王宮料理長に昇進したため、料理修行前に比べてわたしの給料は増えていた。しかし、王宮料理長になったところで、"一介の官職"に変わりなくて。好き放題飛空艇に乗れるだけのお金は持ち合わせていない。

「今のほうがジャーファルは忙しくて、わたしが非番だからって会いに行けないし…」

飛空挺でパルテビアにわたしが行くのは、多くて月2回。ジャーファルの多忙さゆえ、パルテビアに行ったところで日帰りで、ゆっくり過ごすのもままならない。会えても数時間ともに過ごすだけ。急な仕事が入ってしまえば、5分顔を合わせただけで帰国することもあった。

「月に数時間しかドラコーン様と会えなかったら、私は耐えられない。ゴンベエちゃん、よく我慢してると思うよ」

ティースプーンでカフェオレに沈めた角砂糖を溶かしながら、サヘルさんは言う。

「サヘルさん…ありがとう」

謝意を告げれば、サヘルさんは顔を綻ばせる。

「でも…遠距離恋愛をジャーファルに強いてるのは、わたしのエゴだから」

ドラコーン様の厚意に甘えて休職して料理修行に出たのは、他の誰でもない自分の意思決定。"彼が忙しいせいで会えない"、"彼がシンドリアに来てくれない"と不満を漏らす権利は、わたしにない。逆に"パルテビア宮殿でも働けるのに"、"パルテビアに来れば一緒に暮らせたのに"、とジャーファルに思われても仕方ないのだ。

「会えなくても、通信器で連絡は取れてるから。毎日ではないけど、お互い時間を見計らって通信してるんだよ」

重さを含んだ話題を切り替えようと、通信器越しの会話をわたしは強調する。

「会えるに越したことはないけど、飛空艇や通信器がなかった時代に比べたら贅沢な悩みだと思う」

「ゴンベエちゃん…」

心配そうなサヘルさんを尻目に、わたしはコーヒーを飲み干した。



約1時間後の人が増えてきた食堂。何杯目かわからない"食後のコーヒー"とともに、サヘルさんとわたしはお喋りを続けている。主な話題は、お互いのパートナーとの関係について。

「…自分が遠距離恋愛に向かないって、この2年で気づいちゃったんだ」

唐突なわたしの告白に、訳がわからないと言いたげな様子のサヘルさん。当然のように王妃は説明を求めるわけで。言葉を選びながら、自分の思考を形にしていく。

「自分でいうのもアレだけど…八人将時代のジャーファルって、わたしに対して…少し心配しすぎなところがあったでしょう?」

惚気?とおどけつつ、すぐにサヘルさんは真剣な表情を見せる。

「…シンドバッド様や前八人将は、散々"嫉妬深い"って仰ってたよね。ゴンベエちゃんモテるし、心配してたんだよ。で、それがどうしたの?」

「今のジャーファルって、そういう感じじゃなくて。修行中に他の男性に言い寄られてないか気にしてくれたことはあったけど、そういう不安をほとんど口にしてくれないというか…。もちろん仕事が忙しいのはわかってるし、信じてくれてるのは嬉しいけどね」

「…珍しい。ゴンベエちゃんって、前はそういう感じじゃなかったでしょう?」

どっちかといえば、ジャーファルのほうがわたしを心配していて。"わたしが好きなのはジャーファルだけ"とわたしが受け流す。そういう印象、と口にするサヘルさんは正しかった。ただし、それはジャーファルが八人将だった頃の話。

「今はわたしが不安で仕方ないの。パルテビアで他に好きな人ができたんじゃないかとか、パルテビア中の女性に言い寄られてるんじゃないかとか…」

「他の女性と仕事することはあっても、ゴンベエちゃん以外ジャーファル様には見えてないと思うよ。ジャーファル様を狙う女性がいれば、ピピリカさんが目を光らせてくれるだろうし」

「そうかな…?シンドリア商会のNO.2なら、パルテビアに限らず世界中の美女から言い寄られたっておかしくないでしょう?」

ぽろりと不安を漏らして対面に視線を向けると、きょとんとした顔でサヘルさんがわたしを見つめていて。別に浮気を疑っているわけではない、と慌ててわたしは繕う。

「シンドリアにジャーファルがいたときは、そばにジャーファルがいたから安心してたんだけど。通信器越しの声しか今はわからないし、会いに行っても会える時間が短いから」

「それはジャーファル様とゴンベエちゃんの違いだと思うよ。ゴンベエちゃんが遠距離恋愛に向かないのは本当だと思うけど」

どういうことかと問えば、不安を感じるポイントの差だとサヘルさんは指摘した。

「確認するけど、ジャーファル様に会えないからゴンベエちゃんは不安なんでしょう?」

その通りだとわたしが頷くと、おそらく恋人は逆なのだとサヘルさん。

「ゴンベエちゃんが近くにいるからこそ、ゴンベエちゃんに近づく殿方が視界に入ってジャーファル様は不安だったんじゃない?…その殿方が異性としてゴンベエちゃんを見ていたかどうかは別としてね」

「ピピリカちゃんや他の女性と一緒でも、わたしは何とも思わなかったけど…。顔も声もわからない女性がジャーファルと一緒にいると思うと…」

事実でもないのに、口にしただけで嫌なほうに想像力を掻き立てられてしまう。思いの丈を正直に吐露すれば、やはり遠距離恋愛には向いていないと言って王妃はため息をついた。

「一緒にいたときは安心しきってたのに、離れて初めてジャーファルがこんなに大きな存在だったって気づいて…。10代みたいなことで悩んでる自分が恥ずかしいよ」

年齢相応の恋愛経験を積んでいれば、こんな悩みなんて10代や20代前半のうちに経験していたはず。元々、年齢に対して恋愛経験に乏しい自覚はある。それどころか、人生初の恋人と交際1週間ほどで死別してからは長らく恋愛を避けてきて。人並に男性と付き合ったのは、ジャーファルが初めてに等しかった。

「別にいいんじゃない?確かに30代の恋愛の悩みではないけど…10代のうちから30代みたいな悩みを、仕事でゴンベエちゃんは抱えていたでしょう?」

「えっ…?」

「ゴンベエちゃんにその意識はなくても、一般の王宮料理人が20〜30代、ひょっとしたら40代で悩むことを、10代のうちにゴンベエちゃんは乗り越えたんだから。ちょっとくらい恋愛で遠回りしたって、気にすることないよ」

サヘルさんの言葉に、すっと胸が軽くなるのを感じる。今は"王妃と官職"だが、王宮勤めの官職として同じ境遇にあったサヘルさんとわたし。

偉大な両親の元に生まれ、幼少期から徹底的に料理を叩き込まれたわたしは、大きな重圧を背負ってきた。"皇女つきの従者"だったサヘルさんも、一般の官職とは比べ物にならない重圧を背負ってきたはず。

今の立場こそ異なれど、ある程度わたしたちの人生経験や価値観は似ていて。"ドラコーン様夫人"だけでは、ここまでサヘルさんと仲よくなれなかったと思っている。

「それに…今のうちに気づけてよかったじゃない。ジャーファル様に振られてからじゃ遅いんだし」

「そうだね。でも、サヘルさん…縁起でもないこと言わないで!」

わたしがむくれれば、ごめんごめんとサヘルさんは謝罪を口にした。もちろん、わたしも本気で怒っていたわけではない。冷めたコーヒーのおかわりを取りに行くためにわたしが立ちあがると、自身のマグカップを対面のわたしに王妃が差し出す。

「ゴンベエちゃん…私のもよろしくね」

「仰せのままに、王妃様」

冗談っぽく言ってサヘルさんのコーヒーカップを受け取り、わたしは席を立った。



食堂で顔を合わせてから、気づけば数時間が経過。長居しすぎたと2人して笑ったあと、どちらからともなく退席の準備を始める。

「ごめんなさい…朝から心配かけちゃって」

「気にしないで。むしろ嬉しかったから」

サヘルさんの真意がわからないわたしは、思わず首を傾げた。

「ゴンベエちゃんがシンドリアを発ってから…ううん、その少し前から、"王妃様"になっちゃったから。シンドバッド様がいた頃のように、気軽に話しかけてくれる人は少なくて…」

「サヘルさん…」

立場が変われば、周囲の接し方が変わるのは当然だ。しかし、今まで近くにいた人たちが離れていったり、距離を置いたりするのは、残された側にすれば"当然"では済まない。

<"国民と楽しく幸せに暮らせる国を作ろう"と思っても、王になると国民が離れていくんだ>

そんなことを、かつてのシン様も仰っていた。王妃とて、それは同じなのだろう。

「だから…昔と変わらずジャーファル様のことをゴンベエちゃんが相談してくれて、すごく嬉しかったんだよ。ゴンベエちゃんが悩んでるのに"嬉しかった"って言うのは、どうかと思うけど」

「わたしは大丈夫。サヘルさんに相談に乗ってもらえたし、前の八人将やピピリカちゃんがシンドリアを離れた今、こうしてサヘルさんと一緒に過ごせるのはわたしにとっても幸せだから」

今日は非番で、飛空艇に乗ってどこかに行く用もない。そのため、午後にお茶会でもしよう、とサヘルさんに提案する。サヘルさんとお店選びに勤しむ最中、こちらに新任の八人将がやってきた。

「王妃様。来週の晩餐会について打ち合わせしたいので、午後にお時間をいただけますか?」

八人将の言葉に、サヘルさんは気まずそうにわたしを見る。王妃にとっての晩餐会は、仕事の一環だ。つまり、わたしとのお茶会とは優先順位が違う。

「…サヘルさん、打ち合わせを優先して」

「絶対にこの埋め合わせはするから。ありがとう、ゴンベエちゃん」

決まりかけていた午後の楽しみが、白紙になってしまった。申し訳なさそうに眉毛を八の字に下げるサヘルさんの肩を叩き、食堂を出ようと改めてわたしは声をかける。

各国の王や商会の重鎮となった前八人将と同様、サヘルさんも今では王妃。シン様がいた頃と異なり、気軽に遊べなくなった。"国際同盟"加盟国の王たちも、気軽に会える身分ではなくて。

ただ友達と会いたいだけなのに、さまざまな手続きを取らねばならない。仕方ないこととはわかっていても、寂しさを感じるのは当然で。八人将が去ったあと、席を片付けたわたしたちは紫獅塔の廊下で別れた。



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