毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


夫婦(番外編)


私はシンドリア商会の会長室で働く男。パルテビアのクシテフォンで生まれ育ち、『シンドバッドの冒険書』を愛読してきた。残念ながら、著者のような主人公タイプの人間ではない。

同郷出身の冒険者に希望を見出しながら故郷で生きてきた私にとって、運命の出会いは一年半前。世界一の冒険者・シンドバッドが故郷に戻り、一商人として"シンドリア商会"を立ち上げるという話を小耳に挟んだ。

居ても立ってもいられなかった私は採用に飛びつき、運よく採用された。最初は下働きだった私も、商会の発展とともに昇進していって。今となっては、シンドバッド会長直属の精鋭部隊・会長室の一員だ。

数年前まではパッとしなかったのに、今は世界一の商会の花形部署に勤める私。パルテビアで指折りの美女を妻に迎えるまでになった。



「あと四十八時間です。みなさん、コーヒーでも何でも摂って耐えましょう」

新型通信器発表会が翌日に迫った昼下がり。会長室の音頭を取るのは、シンドバッド会長の右腕・ジャーファル室長だ。顔を見なくてもわかるくらい疲労感漂う室長の声が、広い会長室に響く。

仕事の鬼・ジャーファル室長は二徹中で、我々会長室の者も大半が徹夜明け。会長を含め誰よりも仕事に励む会長室室長は、私の憧れの上司でもある。

「明日は各界の著名人がこの商会を訪問します。我々が過労で倒れては、会長の労働管理能力が疑われます。空き時間があったら積極的に仮眠を取り、しっかり食事を摂ってください。倒れるのは新型通信器発表会が終わってからですよ」

拡声魔法の商品で、会長室中に聞こえるようジャーファル室長が告げた。新商品発表会に私は何度か立ち会っているが、発表会直前の労働環境は決まって真っ黒。数日間家に帰れないなんて当たり前で、仮眠室に宿泊する者も多い。今回だって、明日の未明に軽く湯浴みをするくらいでしか身体は休まらないだろう。

「ジャーファルさんもしっかり食べてくださいね」

「ありがとう、ピピリカ。元々私は食が細いから…少しくらい食べなくても大丈夫だよ」

「シンドリアにいたときは、もっと食べていたじゃないですか」

働き詰めで丸まった背筋を伸ばしていると、室長と彼の秘書・ピピリカさんの会話が聞こえた。シンドバッド会長と二人は、十年以上一緒にいると聞く。この商会でも数少ない、会長と直接会話できる人たちだ。

「ジャーファル室長とピピリカさん、いつデートしてるんだろうな」

「さあ?あんなに室長が忙しいと、仕事以外では会えないだろ」

仲睦まじげに会話する二人を見ながら、近くにいた同僚たちと井戸端会議を始めた。手元の仕事が片づいた私たちは、自分の鞄から昼食を取り出して、会長室の入口近くの机を囲む。

男の私から見ても、ジャーファル室長は素敵な男性だ。シンドバッド会長の右腕というスペックはもちろん、頭もいいし優しい。童顔は好みを選ぶかもしれないが、世界一の商会のナンバーツーをみすみす女性が放っておかないだろう。

実際、ジャーファル室長を紹介するよう、妻の友人に頼まれたこともある。もちろん室長にそんな話を振れるはずもなく、妻の友人の依頼は断っていた。

誰よりも働く室長には、一切の女っ気がない。普段はもちろん、クリスマスもジャーファル室長は働き詰め。恋人らしき相手と通信器で会話する素振りもなくて。ある日通信器で親しげに女性の名を呼んだと思えば、シンドリア王国時代の元同僚でアルテミュラの女王・"ピスティさん"だった。

あまりに女っ気のない室長と彼の秘書に疑惑が生じるのは、ある意味当然。ピピリカさん以外では、実はシンドバッド会長との男色を噂する声もあった。しかし、会長の女好きに手を焼く室長の姿に、すぐその線は立ち消えになって。

ジャーファル室長が気を許していそうな女性は、ピピリカさんくらいしか考えられない。秘書が恋人だろう、と最終的に私を含めた周囲は判断していた。

「今日明日は仕方なくても、新型通信器発表会が終わったらちゃんと食べてくださいね!そうじゃないと、シンドバッド様や私が怒られるんですから」

気になる一言を残し、会長室を去ったピピリカさん。彼女が乗った昇降機の扉が閉まると、あっという間に下降していく。室長秘書のいなくなった昇降機乗り場から視線を外した私たちは、ようやく落ち着いて食事を始める。

"しっかり食事を摂れ"とジャーファル室長は言ったのであり、"ゆっくり食事を摂れ"とは言っていない。新型通信器発表会を目前に控えた我々は、食事すらゆっくり摂れないほど忙しいのだ。



黙って食事を口にかきこんでいると、昇降機が下りてきた。ここは上から二番目のフロアで、最上階はシンドバッド会長のいる会長室および会長の私室だ。そこから下りてくるなら、シンドバッド会長か、最高顧問の練白瑛殿に違いない。最上階に頻繁に出入りする直属の上司は、この会長室にいるのだから。

しかし、扉の開いた昇降機から出てきたのは、見ず知らずの女性。やけに畏まった服装をしている彼女は、私と同年代か年下に見える。シンドリア商会やパルテビアの街中では、見たことがない顔だ。

そんな女性は、何かを探すようにキョロキョロと視線を移す。風呂敷に包まれた何かを両腕に抱きかかえていて、右手には水筒らしきもの。誰かの家族と思われる一方で、差し入れを装って毒を盛りに来た可能性もある。

新型通信器発表会が目前に迫った今、問題を起こしてシンドバッド会長に迷惑をかけるわけにはいかない。そう判断した私は、女性に話しかけた。

「すいません。どうかされましたか?」

「えっと…お弁当を届けに来ました」

相手を問えば、あろうことか女性は室長の名前をあげる。しかも、"ジャーファル"だなんて呼び捨てにして。シンドリア商会で会長室室長を呼び捨てるのは、シンドバッド会長しかいない。室長の恋人ですら、"ジャーファルさん"と呼ぶのに。

「お名前を伺っても?本当にあなたと面識があるかどうか、室長に確認せねばな」

「ゴンベエ!…うそ、本当にゴンベエ?」

背後から聞こえた大声に振り返れば、両腕に抱えた書類をバサバサと落とすジャーファル室長。落とした書類には目もくれず、室長は勢いよく駆けてくる。女性が手荷物を落としそうになるほど勢いよく、ジャーファル室長は彼女に抱きついた。

「この十月、ずっとゴンベエに会いたかった」

「わたしも会いたかったよ、ジャーファル」

"ゴンベエ"と呼ばれた女性から身体を離した室長は、彼女に唇を寄せようと顔を近づける。しかし、室長の口元を右手で押さえてゴンベエさんは制した。

「ダメだよ、こんなに人がいっぱいいるでしょう?」

ゴンベエさんの発言に、ジャーファルさんは会長室を見渡す。先ほどまでてんやわんやしていた会長室は静まり返り、自身と彼女に部屋中の視線が集中している。ようやくジャーファルさんは会長室の変化に気づいたようで。ぱっとゴンベエさんから顔を離した室長の顔は真っ赤だ。

「ご、ごめん…ゴンベエに会えて嬉しくて、つい…」

「気にしないで、わたしも嬉しかったから。それより、ジャーファルにお弁当を作ったの。忙しいからって食事抜いてるの、わかってるんだからね」

「ありがとう、ゴンベエ。一緒に食べよう」

口づけに続いて、ゴンベエさんは室長のお誘いを退けた。

「明日に向けて忙しいんでしょう?ジャーファルの仕事を邪魔したくない」

「積極的に仮眠を取るよう、さっき部下に言ったんだ。一時間の仮眠よりゴンベエと過ごす十五分のほうが私は回復できるんだけど。それに明日から修行が始まるんでしょう?そうすればゴンベエと会えなくなる…今くらい、一緒にいてよ」

切なげな声で室長がゴンベエさんに囁けば、彼女は観念する。"観念する"といっても、表情はとても嬉しそう。それに、職場だから当然と言えばそれまでだが、直属の上司のあんなに熱のこもった眼差しを見るのは初めてで。見ているこちらが恥ずかしくなってくる。

「…ジャーファルの言う通りだね。一緒に食べようか」

ゴンベエさんの言葉に、ジャーファル室長がはにかむ。私の座る位置から見える室長は、見たことないほど幸せそうだった。



「ジャーファル室長、結婚してたって本当?」

「さっき奥様を見たから、本当だよ。どうりで浮いた話を聞かないわけだ」

「あんなに仲よさそうなら、何で通信器で連絡しないんだろう?」

どうやら、ゴンベエさんはジャーファル室長の妻らしい。あれだけハイスペックな室長に恋人もいないなんて、不思議な話だと思っていた。妻帯者だったなら、浮いた話がないのも納得だ。

「ゴンベエと一緒に、ゴンベエの料理が食べられるなんて…」

「そんなに喜んでもらえるなんて、思ってなかったよ」

室長夫妻が昼食を摂るのは、会長室の応接間。久々に対面する二人に配慮して、扉を閉め切っている。しかし、夫婦を一目見ようとする野次馬が、部屋の外に列をなしていた。私もその一人。室内は見えないものの、応接間の前に佇んで小さく漏れる声を拾う。

「奥様と腕を組んで、室長が何かを話しています」

「話の内容はわかりませんが、奥様が照れています」

扉の覗き窓のそばにいる者が、私たちのために応接間の様子を実況する。もっとも、ここにいる全員がジャーファルさんの調印待ち。つまり手持ち無沙汰なのだ。別に室長たちの見物で仕事をサボっているわけではなくて。

「あっ、奥様が室長の口元に卵焼きを…!」

「ジャーファル室長、午前中までの殺気がまったくありません。別人のようにニコニコして卵焼きを頬張っています」

いつも自分を厳しく律して働くジャーファル室長の緩みきった表情に、野次馬一同は驚きを隠せない。密かに室長を狙っていた女性社員も少なからずいたようで、彼女たちは揃って肩を落としている。

「コーヒーを飲んだ…と思ったら、奥様が室長に抱きつきました!室長のお顔、真っ赤です」

「あっ…!ついに室長が奥様にキ、キスしました!」

「なあ、ジャーファルはここか?」

実況に群がる我々の背後から、聞き慣れない声がした。振り返れば、会長室に滅多に姿を現さないシンドバッド会長。

「は、はい。しかし、今は奥様と…お取り込み中で…」

たまたまシンドバッド会長の近くにいた私が回答すれば、彼は勢いよく吹き出した。

「そっか…そうだよな。知らない人からすれば、"ジャーファル夫人"にしか見えないのは当然だ」

くくくと声を堪えて笑う会長に詳細を尋ねれば、今まで"奥様"と実況された女性はジャーファルさんの妻ではないという。室長の"恋人"・ゴンベエさんは、シンドリアの王宮で働く料理人らしい。

「シンドリアにいた頃から、あいつらのお取り込み中に俺は何度も邪魔しているからな。今更そんなこと、二人も気に留めないよ」

笑いを止めて野次馬を押し退ける会長は、扉を叩くことなく応接間に入った。

「ジャーファル!打ち合わせの時間だ」

「シン!扉を叩けと何度言えば…!」

会長の入室と同時に、ジャーファル室長は恋人から顔を離す。南国の正装に身を包んでいた室長の恋人の衣類は、遠巻きに見ても首元が乱れていて。仕事の鬼で女っ気のない室長の知られざる一面に、野次馬は言葉を失う。

「ゴンベエとおまえのイチャイチャなんて、とっくに見飽きているんだよ」

なぁ?と仰って、シンドバッド会長は私たちに同意を求める。大勢の野次馬に気づいた二人もまた、顔を真っ赤にして言葉を失った。



このあと、シンドバッド会長から改めてゴンベエさんが紹介される。"夫婦かと思いました"との野次馬の発言に気をよくしたジャーファル室長は、恋人との短い逢瀬のあとも、新型通信器発表会が終わるまで馬車馬のように働き続けた。



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