その姿は大輪に咲く花のように艶やかだった。





あでやかなひと





あやねにとって、それはほんの気紛れだった。
ただ、見慣れた京の町並みに洋装が増えてきたから。それだけの理由だった。時代の移り変わりを象徴するように、洋装に身を包む人間が目に付くようになってきた今日この頃。
その町中で目にする洋服は、もちろん彼女の時代の物とは多少違っていた。だが、故郷を思い出させるには十分だったのだ。
そして今朝方、彼女は制服に身を包むことにした。
久々に着たセーラー服は動きやすく、なんとも軽い。スカートのせいで足元がすかすかとするのに違和感を感じたが、ハイソックスを履くとしっくり来る。
ああ、懐かしい。
鏡の前でスカーフを結んでから、あやねは部屋を後にした。

「おやおや、初めて出会った頃に戻ったようだ」

朝食に向かう途中、あやねは声をかけられた。多少驚いた声色の本人も、今ではすっかり洋装姿が身に付いている。

「でも今は、桂さんも洋服ですね」

そう言ってあやねが微笑むと、つられたようにして桂も微笑んだ。
二人一緒に朝食が用意された部屋に入ると、すでに高杉が膳の前で今か今かと陣取っていた。二人から見えるのは彼の後ろ姿だけだったが、空腹に耐えている様子が手に取るようにわかった。辺りには味噌汁のいい香りが漂っている。

「遅い!俺はもう、お腹ぺこぺこのぺこちゃんだ!」

後ろ姿のまま高杉が叫ぶ。そして勢いよく振り返ったところで、はたと動きが止まった。
すると、高杉はどこか訝しげな目で、あやねの姿を無言で見つめ始めた。
その視線を受けて、あやねは答えた。

「えっと、桂さんも晋作さんも洋装だし、たまには私もこれにしようかなって」

短いスカートの端を手で押さえながら、照れ隠しのように笑って見せる。また何か言われるものかとあやねは思ったが、その予想は見事に外れた。
高杉は何か考えるそぶりを見せてから、ゆっくりと箸に手を伸ばし、答える。

「そうか。……さっさと食うぞ、メシだメシ!」

いつもと違う素っ気無い反応に戸惑いながら、あやねと桂は席に着いた。そのまま高杉は無言で、がつがつと米をかっ込み、味噌汁をあっと言う間に飲み干してしまう。いつの間に焼き魚も食べ終えたのか、一瞬で彼の膳は空っぽになっていた。
そして高杉は席を立つと、のんびりと朝食をとる桂に視線を向ける。

「小五郎!今日の分の仕事を終えれば、後は何をしようが文句は無いな」
「あぁ、それはかまわないよ」
「用事が出来た!昼から出掛けてくる」

そうとだけ言って、後ろ手で襖をピシャリと閉めた。
いつもなら和気あいあいとした食事風景だと言うのに、普段との落差にあやねはすっかり縮こまってしまう。
隣で淡々と朝食を食べる桂に、小さく声をかけた。

「……今日の晋作さん、何か変ですね」
「さぁ、どうだろう。変なのはいつも通りだからね」

そう言って彼は、至っていつも通りに茶をすすった。

*

桂の言葉と反して、高杉の様子はいつもと比べ、ずいぶんと変わっていた。
それを誰よりも肌で感じたのは、他ならぬあやねである。
仕事を抜け出してあやねの元に遊びに来ることも無ければ、仕事の場に無理矢理あやねを連れて行こうともしない。
それは普通のことであるが、高杉にとっては普通ではない。
限りなく非日常で、むしろ非常事態だった。
ああ、ずいぶんと静かな日だ。それなのに、少し寂しいのはなぜだろう。
そう思いながら、あやねは庭先で洗濯物を干す。
その後ろに、人影がひとつ。

「あやねさん、大福は好きかい?」

振り返ると、にこやかな表情をした桂が佇んでいた。

「は、はい。好きです」
「それは良かった。もらい物の大福が二つだけあってね。晋作は午後から出掛けるらしいから、二人でおやつに食べよう」

そう言ってから、彼はあやねの耳元に顔を寄せる。

「晋作には秘密だよ」

ずいぶんと優しい声音だった。冗談めかした物言いと、耳元のくすぐったさに自然と微笑んでしまう。
そして身体を離した桂に視線をやる。その顔は悪戯をした子供のような、楽しげな笑みが浮かべられていた。

「誰に秘密だって?」

するといつの間に居たのか、高杉が桂の後ろに立っていた。当然とばかりに、彼は二人の間に割り込んでみせる。その様子に桂は苦笑した。

「ふふ、出掛けたんじゃなかったのか?」
「金を忘れてな。誰かに盗られたらまずいと思って戻ってきたんだが、他のモノを盗られそうになっていて驚いた」
「それはひどい言い草だ」

互いに顔を見合わせて、一見楽しげに笑いあう二人にあやねはすっかり置いてけぼりにされていた。何のことかと不思議そうな顔で二人を傍観していると、急に高杉が振り返る。
あやねを見るその顔は、不機嫌そのものだった。

「……だから、お前はっ!」

そこまで言って、高杉は言葉を止める。そしてくるりと身を返し、その場から離れていった。最初の言葉通りどこかへ出掛けるのだろう。その後ろ姿を、あやねは呆然としながら見つめていた。

「桂さん!私、何かしましたか?」

訴えかけるように聞くと、桂は困ったように首をかしげた。

「何もしていないからだろうね」

*

嬉しいはずのおやつ時。あやねの頭は、大福ではなく高杉のことでいっぱいだった。桂が煎れてくれたお茶と、美味しそうな大福を目の前にしても、どうも気持ちが切り替わらない。
そんなあやねを横目で眺めながら、桂は大福を頬張り、茶をすすった。さてどうしたものかなと、あやねの表情を伺う。

「桂さん」

不意に名前を呼ばれた。

「あの、大福を買ってきたいんです。それで、三人一緒に食べたいなって。そしたら晋作さんの機嫌もよくなるんじゃないかと思って。きっと晋作さん、仲間外れにされたから怒ってるんですよね」

その可愛らしい言葉に、桂は頬を緩ませる。本当に君には、君達にはかなわない。
あやねの手元から大福を奪い取り、桂はそれを頬張った。驚いた様子のあやねに、大福を頬張りながら桂は呟く。

「柳の下にある大福屋がいいかな、あそこは美味しいからね」

その言葉に、あやねの表情はぱっと明るくなった。
そして大福を食べ終えたところで、桂は巾着にいくらか小銭を入れる。じゃらじゃらと重たくなった巾着を、あやねに手渡した。

「好きなだけ買っておいで。あやねさんに大福を買って来て貰えるなんて、晋作が羨ましいな」

まるで娘と息子が、二人同時に嫁と婿に行ってしまったような心地だ。そう考えてから、我ながら馬鹿だなと桂は笑った。

*

沢山の大福が入った包みを胸に抱えながら、あやねは帰り道を歩いていた。辺りは夕日に包まれて橙色に染まっており、少し眩しい。
三時のおやつには間に合わないけれど、夕食の後にみんなで食べよう。きっと晋作さんのことだから、一人で沢山食べてくれるだろう。それで、機嫌も良くなってくれたら、嬉しい。
そう考えながら歩いていたところで、あやねは人にぶつかった。

「ご、ごめんなさいっ」

この世界は、あやねの居た世界とは話が違う。
それを散々、身をもって体感してきた彼女はすっかり萎縮した。けれど、ぶつかった人の顔を見て、少しばかり安堵する。

「私は大丈夫だよ、お嬢ちゃんこそ大丈夫かね」

相手は白髪まじりの優しげな老人だった。裕福そうな着物に身を包み、あやねを穏やかな瞳で見つめている。

「あっ、はい」

ほっとして微笑むと、老人も同じく微笑み返してから、拳を振り上げた。

「それは良かった」

ガツンと脳髄に響き渡るような、重い衝撃を頭に受けた。





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