indigo blue 4
湾内の船着き場に舷梯が降ろされる寸前、数人の黒服が足場を取り囲んで彼らの行く手を阻んだという話は、奥の船室に閉じ籠りきりだったその艦の責任者にもすぐに報せがいった。息を切らせて駆け込んできた少佐にのんびりと視線を合わせ、億劫そうに腰を上げた黄猿がうんと伸びをした頃、揃いも揃って何の表情も読み取れない男たちが扉の前に姿を現した。その中の一人が慇懃に礼をし、海兵とも民間人とも違う雰囲気を纏って室内に足を踏み入れる。無礼だぞ、と声を荒げる少佐を指の一本で黙らせた黄猿は、相手をよく見るために腰を曲げてゆっくりと目をしばたかせた。一度どこかで見たことのある顔だった。言葉を交わしたことはなかったが。

「遠征でお疲れのところ申し訳ございません。黄猿大将におかれましてはもう少々こちらに留まって頂きたく…」
「疲れてるのがわかってんなら早く用件を言いなァ。わっしだけに用があるんだろう?部下たちも暇じゃねえんだ、さっさと下船させなさいよォ」

口調に反して黄猿はごく穏やかな笑顔で相手を見下ろした。ポケットに両手を突っ込み、まるで気心の知れた旧友に軽口を叩いているかのような気さくさで応じる。相手が彼でなければこうはいかなかっただろう。己の艦の上で部外者に好き勝手されるのがどれほど不愉快なものなのか、黒服の男は十分に承知していた。しかしそんな感情の欠片を微塵も感じさせない大将には、得体の知れない不気味さがある。男が多少の気後れを悟らせない程度に落ち着き払った声音で人払いをと言うと、黄猿は顎をわずかに上向けて少佐を退室させた。閉じられた扉の向こうから遠ざかっていった足音は一対分だけだった。
椅子を勧める大将に長居をするつもりはないと男が告げると、黄猿はそれ以上は何も返さず一人ゆったりと腰を下ろした。ご到着が少し遅れたようですがと尋ねられ、一日二日くらいは誤差の範囲でしょうと軽く流す。しばらくの間を置いて世界政府の役人と名乗った男は、「さるお方」の遣いで来たと静かに口を開いた。

「青い髪の女をご存じありませんか?」
「さぁねえ」
「ジョアナという名の…」
「ああ、あの“魚”のことですかい?」
「…そうです。貴方ご自身が連れていったという目撃情報と、貴方のコードで彼女の身元照会をされた履歴があります。彼女は何処ですか」

その問いに答えることなく、何故今更、と黄猿は問いの形でもって返した。長い足を組み、両肘を肘掛けについて指を絡ませた奥から視線を投げ掛け、相手をじっと見据える。黒服はあえてその視線を外し、大将の背後でぴたりと閉じられている次の間の扉に目をやった。

「彼女の持ち主は、彼女を今一度手元に置きたいと望んでいます」
「正確には持ち主だった、だよねェ。ふつうは奴隷の首輪を外して放逐した時点でそれを捨てたことになるでしょうが」
「確かに多くの場合がそうでしょう。しかし単に慣例的にそうなっているだけで、首輪を外しただけではその権利を放棄したことにはならないのです」
「おかしいねえ…権利だのなんだの、そもそも法の埒外の話じゃねえか、奴隷ってのは」
「売りに出されていたものを買い取った以上、私有財産には変わりありません」
「なら一度処分したものに対して所有権も何もねえよなあ」

ほんとうに、さもおかしそうに彼は笑った。声こそ上げないが、その笑い顔はひとを困惑させる奇妙さがあった。偶然の拾い物を我が物にしようと手を尽くしていると言うより、当たり前の事実を並べ立てているにすぎないという口振りで、何の執着も感じられない。そちらに居るのでは、と黒服が問いかけつつも扉から目を放さずにいると、黄猿は横目で一度後ろを窺っただけでまたすぐに男を真正面から捉えた。

「今はもう居ねえよォ、来るのが遅かったねェ。なんなら開けて見てみな〜」
「貴方がそう仰るのなら結構。今何処に居るのかだけ教えてください」
「教えられねえなァ」
「隠しても貴方に利するところは何もありませんよ」
「隠してる訳じゃあねえ、ありゃあ死にましたよ。わっしが殺しました」

だから何十海里も向こうの海で棄てた、と言葉を続ける黄猿に、黒服は初めて狼狽えた表情を見せた。片眉を上げるにとどめただけだったが、十分すぎるくらいに男の心情を表している。凪の帯に近かったから今頃は海王類の餌にでもなっているだろうと黄猿は笑みを浮かべ、人魚は魚を食わねえらしいが魚の方ではどうなんだろうかと身を固くした男へ話を振った。

「何故、そんなことを…」
「何故って、元々死にかけだったしねえ。それでもあんまり綺麗だったもんだから、そのまま捨てるのも惜しくて。まあ…わかりますよねぇ」
「何を…」
「わっしは最中に相手の首を絞めるのが好きでねえ…ちょ〜っと力が入りすぎて、気づいたらぽっきり折れちまってましたよ」

黒服の能面のような無表情が嫌悪でわずかに歪められた。終始笑みを絶やさず、ことさら愉快そうに語る大将の態度に何も返せず、しかし胃の底からこみ上げる言い知れぬ不快感をぐっとこらえて相手を見返す。聞いてもいないのに彼の話は止まらなかった。如何にして追い立て、楽しみ、蹂躙し、しかし事切れたあとはどれだけ退屈な思いをさせられたことかと生々しく畳み掛ける。そうしてついに相手が顔を背けるのを見とめると、黄猿は満足そうに口の端をねじ曲げて喉の奥から低い笑い声を上げた。

「これくらい、たいしたことねえよなあ。そのお方とやらも似たようなもんだったんだろう?帰ってそいつに伝えな、あれはもう死んだって」
「しかし…ひと一人殺しておいてただでは済みませんよ…」
「ひと?観賞用の魚じゃなかったのかい?そんなものの末期を気にするやつなんざ、誰一人としていねえでしょう。それに…」
「……」
「どうせゴミだったんでしょうがァ」


もうすぐ日も暮れる頃、大将は小さな箱を手に本部の薄暗い螺旋階段を昇っていた。相変わらず口許には笑みを浮かべたまま、道を開ける将校たちの挨拶に応えながら執務室を目指す。建物の上に行けば行くほど、ひとの姿はまばらになった。踊り場から長い廊下に足を向け、あと十数メートルと言うところで向こうの角を曲がってきた同僚に気づき、黄猿はわずかに歩調を緩めた。互いに目線を合わせると、ひどい顔だなと言って青雉が苦笑する。

「間に合った?」
「まあね〜」
「そりゃよかった」

すれ違いざまに口の端を上げた同僚を横目で捉え、二日前に連絡を寄越してきた時とは打って変わった彼のいつも通りの調子に笑みを返した。ただそれだけだった。

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