little things
とりたてて気にするほどのことでもないけれど、ふと視界に映り込むものだから気づけば日に何度か手や足を止め見入ってしまうことがある。
それは分厚い絨毯の上に転がる金平糖であったり、ソファに張り付く蜂蜜色の硬い毛であったり、とにかくあの娘の痕跡とすぐにわかるものばかりだった。
彼の事務官に言わせれば部屋を散らかす「不要物」で、ここに持ち込むべきではないと何度か言い聞かせているのを目にしたこともあるが、赤犬はそれらを「落し物」と一括して放っておいた。彼が何かしなくとも、自分で片付けなさいと声を荒げる事務官の手によって落とし主のもとへ返されることがほとんどだったからだ。
しかし時々、片付けられずにずっとそのままになっていることがある。つまり二度目に見たときもまだそこにあり、三度見たときはわざわざ腰を曲げて大将みずから拾い上げるくらいで、そういったことが何度も続けば自然と気にかかるようにもなる。

そうして彼が気づいたのは、今日のように残されたままになっているのは決まって小さな草花で、ことが起こるのは事務官が非番の日だということ。当然彼が手にしなければいつまでもそのままだったが、一度席を外して戻ってきたころには、落とし場所がより無視しづらい椅子の上やデスクの隅に変わっていることがあるということだった。だから落としたのではなく意図的に置いているのかとも考えたが、その意図がさっぱりわからないのだから仕様がない。

今日は青色も鮮やかな露草だ。春の頃はタンポポや土筆だったこともある。赤い梅の花だったときは、流石に枝を手折ったのではなく落ちたものを拾ってきたらしいが、いずれの場合も束ではなく一輪だけぽつりと置かれていた。
ただの花なのだからジョアナの痕跡とは言いがたいが、こんなことをするのはまず間違いなくあの娘だけだし、そもそも大将の執務室に花を置きに来るものなどそうそう居ないだろう。それに、彼女がここに来る以前はこんな出来事など一度としてなかったのだと、今日もまたぼんやりと眺めてはしばし思いに耽る。
不思議なのはジョアナが何も言ってこないことだった。黙っていられない性分なのか、いつもは聞いてもいないことまでよく喋るのに、これについては一切触れてこなかった。意図や目的があるのならなおさらだろうに、放置したまま姿を見せないことがほとんどだ。気まぐれと言ってしまえばそこまでだろうが。

「どうした」
「…?」

最近ではちゃんとノックをするようにしていたから、以前のように非礼を咎められたわけではないし、訪れるときにヒトの姿なのも割とあることだからそれについてでもない。
大将の執務室のドアを開けたジョアナがきょとんとしたのは彼の台詞が唐突すぎたからで、こちらこそどうしたんだと聞き返したいくらいだったが、デスクの上、赤犬の手元を見て彼女はにんまりと満面の笑みを浮かべた。
バレましたか、と言うジョアナに、バレていないと思っていたのかと大将が鼻を鳴らす。小さなグラスに無造作に生けられた露草は、今朝彼女が本部の裏手の公園で見つけてきたものだったのだ。

「赤犬さんお花がお好きでしょう?だから、プレゼントです」
「…特別好きとも嫌いとも思っちょりゃせんが」
「え、でもいつもポケットにささってるじゃないですか」

ああ、と応えた大将は、それこそ好きでも嫌いでもなくただの習慣だと思いながら胸元を見下ろした。ひとからはそう見えているのかと驚き、いやそんなことを考えるのはこいつくらいなものだと頭の中で完結させる。
何かのおりに貰うことがなかったとは言わないが、きっと贈る方だって「花が好きだろう」とは考えていなかったはずだ。

「それに、大将はおっきいですしね」
「でかいのと花好きとは関係ないじゃろ」
「じゃなくって、背がすっごく高いから地面のお花なんて見えてないと思って。私もヒトのときはあんまり気づかないんですけど、獣型のときは目線が低いからよく目に入るんです」

ね、と言いながらぱっと獣に化けたジョアナが赤犬を見上げて笑った。
四つ足で歩けば確かに目線は下がるだろう、しかし四六時中走り回っていてよく気がつけるものだと感心する。赤犬はそうとは言わなかったが、彼の眉の動きに気づいたジョアナは散歩のときに、と言葉を続けた。朝早く起きたときや休みの日なんかに時々出かけて歩いてみるのだと。

「この姿だと街のひとに見られるとびっくりされちゃいますけどねー。でも地面が近いと楽しいですよ、ちっちゃい虫とかもよく見つけられるし」
「まさか食っとりゃせんだろうな…」
「カタツムリなんか特にカリっとして…冗談ですよ!」

眉間の皺を思い切り深くした赤犬の膝の上に飛び乗り、彼の肩に前足をついて目線を合わせる。粗相をしても叱る兄は居なかったし、大将は大将でこの頃はこれくらいでは何も言わなくなっていた。それをいいことに今度はがら空きの彼の顎の下に頭を擦り付け、もはや反射と言っていいほど自然に伸ばされた大きな手に撫でられながらジョアナはごろごろと喉を鳴らす。

「贈り物をするって楽しいですねえ」
「ほうか」
「だって、赤犬さんどんな顔するかなーって、考えると楽しくって!でも私からって言うと変な顔しそうだから秘密にして、こっそり向こうから見てました」
「見とったんか…」

赤犬さんの優しい顔、と節をつけるように言うジョアナは彼の膝の上で身を丸め、飛び出した尻尾を機嫌よく振った。
大将は撫でていた手を止めてデスクに向き直り、書類の束を取り上げて花のグラスを向こうに押しやる。

「もう持ってこんでええぞ」
「あ、もしかしてご迷惑でした?」
「…お前はこれを咥えて持ってきとるんじゃろうが。毒を持っちょるんも…」
「えー、これくらい大丈夫ですよ。それか普通に手で持って…」
「咲いているところに連れて行ってくれりゃええ。座るか寝そべるかすりゃあワシにも見えるじゃろ」
「それってデートですか?デートですね!いつ行きますか?今からですか?!」

ことさら嬉しそうにじゃれつくジョアナを彼は呆れ顔で見下ろし、もうちいと待っちょれ、とため息交じりに呟いた。


休み明けの朝、清々しい気分で本部の廊下を行く事務官の後ろから彼の名を連呼する妹が飛び付いてきたとき、トニーは一瞬にしてうんざりとした表情を浮かべてジョアナを見やった。
いつになく上機嫌な彼女は兄の思惑をつゆとも気にせず、見て見て、と何やら手にしたものを差し出して弾けんばかりの笑顔を彼に向ける。

「何だよ」
「リボン!貰ったの!つけて!」
「…お前のどこにそれをつけるって?」

誰からの、とは聞かなかった。手渡された赤い絹のそれは、わざわざ聞かなくとも贈り主を容易に想像できたからだ。
妹の癖のある短髪を指先でつまみ、あのひとはきっと、贈る相手の性別と年齢しか考慮しなかったに違いないとトニーはこころの中でひとりごちる。ものを贈り慣れているようにはとても見えない上官が何処でどんな顔をしてこれを買い求めたのか、それについてはあまり想像したくはない。
数時間ののち、尻尾の先で揺れる赤い蝶結びをそこらじゅうで自慢気に見せびらかす獣の噂を聞いたとき、トニーはやはりうんざりとした面持ちでため息をついた。

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