いちとに 4
行儀悪く頬杖をつき、フォークの先でミニトマトを転がしながら物思いに耽る同僚の姿はヤマカジの目にも奇異に写った。
話には聞いていたけれど、なるほどこれでは部下たちも話しかけづらい。心ここにあらずなのもそうだが、いつもより深く刻まれた眉間の皺の所為で相当機嫌が悪そうにも見える。
食堂に向かう途中でずいぶん弱った顔をした中尉に呼び止められ、どうかお願いしますと託されたファイルを手に彼はモモンガの向かいの席へ腰を下ろした。

「よう、疲れてんのか」
「いや、別に」
「にしてもひどい顔だぞ」
「もとからこの顔だ」

本気で腹を立てているわけではなさそうだ。
不機嫌になるとまったく口を利かなくなるのが常だから、受け答えできるだけまだ余裕があるのだろう。
テーブルの上でファイルを滑らせれば一応指先で受け止めはするし、水差しを傾けてお前もいるかと問いかければ、ああと答えながらグラスを差し出す。

「嫌いだからって食い物で遊ぶなよ」
「んぁ?」
「…それ、半分潰れかかってる」
「ああ…いや、嫌いなわけじゃあない。ただあんまりうまくなくてな…」

丸々二分観察していたが、モモンガは相変わらず険しい表情でトマトを弄ぶだけだった。
その様子も間の抜けた声も彼らしくなくて、こりゃあだいぶ、と顎を掻きながらヤマカジが苦笑する。だいぶ参っているようだ。理由は知っているけども、まさかこれほどとはね。

ついにはフォークを放り出し、頭の後ろを両手で支えて椅子にのけぞるモモンガに、大丈夫かと念のため聞いてみる。私はな、と短く答えたあと、長い間を開けて再び口を開いた彼はこれ以上ないくらいに眉根を寄せてため息をついた。

「子どもたちは駄目だ。エレノアがな、あの子…すごく怯えた顔をしていた。半年かけてやっと慣れてくれたのに…ニコライもアデルも皆…」
「そりゃあ、でも…」
「あの子らにしてみたらあの男も私も変わらんのだろう、暴力は暴力なんだ」

平和に暮らしていた故郷で海賊と海軍との戦闘に巻き込まれ、家も家族もすべて亡くした子がいる。
立派な将校だった父親が大きな戦から帰ってきた途端酒に溺れて暴れるようになり、保護されたときには肋骨にヒビが入っていた子もいる。
なんの前触れもなく命を脅かされ、目の前で突然家族を失い、帰るべき家を焼かれ、ひとりぼっちになり、それでも笑顔を見せてくれるようになったのに。

ジョアナに手を上げたあの男も、二月前まではある島の港町で宿屋を営んでいたごくふつうの男だった。
それがある日、海賊に家も宿も奪われ、財産を失い、妻と子に逃げられ、マリンフォードにいるはずの知人を頼って訪れるも消息不明、自棄になって浴びるように酒を飲んだ。ふらふらと歩くうちにかもめの家にたどり着き、そこで政府や軍に保護され、幸せそうにしている子どもたちを見ていたら無性に腹が立った、と。

手元の報告書を見なくても、大体は一昨日の時点で知らされていた。
拘束時、男の財布の中には小銭が少しと一枚の写真が入っていただけだった。海賊が悪い、取り締まらなかった海軍が悪い、国が、時代が。酒が抜けきらないままそう怒鳴り散らし、終いにはべそべそと泣きはじめてしまったという。
しかし、どんなに不幸の中であろうと、あの男のしたことは許すことができない。捕らえられて当然だ。
それなのに後悔が付きまとう。

「もう少しやり方があっただろうと思うよ。あの子らの前であんな…もう笑ってはくれないだろうな…それが何よりもつらい」
「いやあ、考えすぎだと思うがなあ…子どもたちだってわかっているだろうよ、お前はなんにも間違っちゃいないさ」
「なぜそう言いきれる?あんなに怖がって…」
「さっきそこでそう聞いた」

そのままの姿勢でぴたりと動きを止めたモモンガは、は?と大きな声を上げて同僚の顔をまじまじと見つめた。
日替り定食に箸をつけながらにこやかに微笑むヤマカジは、いやだからそこで聞いた、と同じ言葉を繰り返す。

「子どもたちに会ったのか…?」
「いいや、子どもらじゃなくて。ほら、あの…ジョアナ先生、だったか?彼女から聞いた」
「は?ジョアナ…?」
「ああ、門の前で困っていたから案内した。お前の部屋に通しといたよ」
「なぜ先にそれを言わんのだお前は!」

話には順序ってものがあるだろ、あの様子じゃ会わす顔がないとかなんとか、言ったに違いない。
そうヤマカジが言うより先に、モモンガは物凄い勢いで立ち上がり走り出した。これは、と残されたサラダを指差し声をかけるヤマカジを振り返りもせず、やる、とだけ言って食堂を出ていく。
潰れかけたトマトを仕方なく頬張り、そう不味くはないがなあ、とのんびりとひとりごちたヤマカジは、同僚が向こうの廊下を全速力で駆けていくのを窓硝子越しに眺めていた。


ジョアナとは一昨日の昼間に別れたきり、連絡も何もせず今に至っていた。
怪我のなかったことは人づてに聞いていたけれど、直接言葉を交わしたわけではない。
会ってもなんと言えばよいのかわからなかったし、むしろなんと言われるのかと考えると会いに行くことなどできなかった。
彼女にも幼いころのつらい記憶がある。だから暴力には人一倍敏感で、極度に恐れてしまうのだと聞いていた。
その彼女の前で、子どもたちの見ている前で、男を力ずくで押さえつけ、刀があれば殺していたかもしれないとまで言ってしまったのだ。頭に血が上っていたとはいえやり過ぎた。

それなのに今モモンガの頭には、そういった一切が綺麗さっぱり消えてなくなっていた。ただ彼女の顔が見たいと、それだけで階段を三段飛ばしで駆け上がり、すれ違う同僚たちを跳ね飛ばしていった。

「ジョアナ、すまん、この前は…」
「モモンガさん!」
「ほんとうに、あれは…」

執務室の扉を勢いよく開き、驚いて立ち上がったジョアナを見るなり彼は深々と頭を下げた。やはりなんと言えばよいのかわらなかったが、なにか言わずにはいられなかった。
頭の中で考えがまとまる前に口にしたものだから、彼女にも自分にもなんと言っているのか理解できなかった。
もう一度すまないと言ったきり黙り込み、大きく息を吸い、しかし下を向いたまま結局彼女の顔をまともに見ることができず、小さなため息を漏らす。

そのとき急に、ほんとうに唐突に、彼の視界になにか白いものが入り込んだ。少しだけ頭を上げ、よくよく見るとジョアナの小さな両手が白いケーキボックスを差し出していて、どうぞ、とこちらを見上げる彼女ににっこりと笑みを向けられる。

「私に…?」
「はい」

ジョアナが箱を開けると、中にはケーキではなく一切れのパイが入っていた。果物のパイではなく、黄色い生地にミニトマトやほうれん草が入っている。一度かもめの家で食べたことがあった。子どもたちと一緒に食べた。

「キッシュです。前に美味しいっておっしゃってたから」
「ああ、うん…よく覚えてたね…」
「アデルちゃんが言ってて、それで私も思い出したんです」
「アデルが…」
「はい、なにかモモンガさんにお礼をしなきゃって、皆で作ったんですよ」

パイ生地はニコライが、野菜を切るのはリビィが、火を使う仕事はイレーネ先生が担当した。
レオとマキシンの兄妹が交代で混ぜ合わせ、ナオミが型に流し込み、小さなエレノアは仕上げにミニトマトを乗せた。

「私は結局オーブンに入れただけで…あとはここまでお届けに。子どもたちは連れてこられなかったですけど」
「そうか…」
「でももうお昼食べちゃいましたよね。海軍の中って入ったことなかったから迷っちゃって…」

ヤマカジさんが、と言いかけたジョアナの手と箱とを大きな両手で包み込み、彼はもう一度項垂れた。しかしすぐに天井を仰いだ。色々溢れてしまいそうだったから、一、二度両目をしばたいて喉の辺りに力を込めた。

「ありがとう…」
「いいえ、こちらこそ、ありがとうございます」
「もう会えないと…」
「皆会いたがってますよ」

私も、とはにかみながら付け足したジョアナの手を取ったまま、モモンガはソファに座り込んだ。全身の力が抜け、情けなくも立っていられなかった。もうこれ以上聞かなくともじゅうぶんだ。

慌てたジョアナに大丈夫だと答え、深呼吸をして徐々に落ち着きを取り戻す。
そうしてあるひとつの仮定を確かめるため、脇に避けられていた箱を手にしてモモンガはパイにかぶり付いた。食堂の飯がなぜあんなにうまく感じなかったのか、すぐに気づいて苦笑する。

「…うまい」
「よかった、それを聞いたら皆も喜びます」
「なあ、ジョアナ…」
「はい」
「うまく言えそうもないから…おかしなことを言うかもしらんが…」
「え?」
「私は、君ともっと一緒に居たい。もちろん子どもたちとも一緒に居たいが、君はまた別だ。これからもずっと…君ともっと関わって生きていきたいと…そう思うんだが…」

どうだろうか、と尻すぼみになったモモンガの言葉を数度、ジョアナは頭の中で繰り返した。頬の火照りもうるさい鼓動も収まらない。
恥ずかしさもあるし、照れもある。しかし驚きが何より大きかった。こんなに眉尻の下がった彼の顔は初めて見た。

「あの…先にこの前の続きを…」
「続き…?」
「どこかにお出掛けするんですよね、ふたりきりで」
「ああ、そうだった…」

これじゃまるでプロポーズみたいだ。
そうは思っても彼は口にはしなかった。
それはいずれまた、しかるべきときに。

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