同じ思いで
午前の業務に一区切りつけたペルが書庫を訪れると、王女が椅子に深く腰をかけて本をぱらぱらとめくっているのが目に入った。
彼が声をかける直前、大きなあくびをひとつした彼女が入口の気配に気づき、見られちゃったわねと悪戯っぽい微笑みを向ける。
手にした分厚い文献をそのままに、王女の左脇まで近づいた副官は控えめに彼女の顔色を窺った。

「お疲れのようですね」
「ううん、最近ちょっと寝付きが悪くって。それだけよ」
「そうなのですか…少し横になられては?」
「まだお昼前よ?それに、そんなに心配しなくても大丈夫だわ。気になっていた本も沢山読めるし」
「眠れないときの読書ほど厄介なものはありませんよ…あまり酷いようなら一度御典医に診てもらってはいかがですか」
「相変わらず心配性ねえ。ほんとうに大丈夫だから」

勢いよく立ち上がり、閉じた本を抱えてにっこりと笑った王女を一礼して見送った副官は、少し気がかりに思いながらも古い書の匂いが立ち籠める棚の奥へと向かっていった。


その日の夜、北の港町から近海に不審な船が停泊していると報告が入ったとき、真夜中近くにも関わらずペルは偵察の為にひとり空を飛んだ。
駆けつけてみると隣国の貿易船が舵の不具合に時間をとられていただけだと言うことがわかり、救援の手配をして現場が落ち着きを取り戻したことを確認すると彼はそのまま都へと戻っていった。
宮殿の入口に降り立ち、夜警の門番に軽く労いの言葉をかけながら自室へと向かう。
しばらく歩いていくと夜風に吹かれてすっかりと冴えてしまった目が遠くの物見台に人影を見つけ、兵士にしては小柄な誰かが上空を見上げたまま身動ぎひとつしない様子に彼は眉根を寄せた。

「ビビ様…?」
「ペル!」

気配を殺した彼が静かに階段を登ってたどり着いた先には、寝衣に薄いカーディガンを羽織っただけの王女がいた。己の身体を両腕で抱き締め、じっと立ち尽くしている。
呼ばれて驚いた彼女がさっと振り返り、結われていない長い髪が月明かりに照らされて美しく舞った。
それに一瞬気をとられつつもペルは足早に近寄り、上着の留め金を外すと震える王女をそれで包み込んだ。

「こんな時間に…一体どうしたんです…」
「だって…あなたが飛び立つのが見えたから…」

今にも泣き出しそうな王女は力なくペルへと寄りかかり、彼の服の端をぎゅっと掴むとその胸に顔をうずめた。
冷えていたはずの頬や首元が急激に熱くなり、ペルは王女の細い肩を柔らかく掴んでなるべく優しく引き剥がす。
俯いた王女を見つめて再度問いかけると、夢をみるのよと小さな声がそれに応えた。

「夢、ですか…?」
「そう…ルフィさんが、クロコダイルに敗れる夢…」
「それは…しかし夢なのですから…」
「それだけじゃないの…パパやコーザが死んでしまったり、チャカがぴくりとも動かなくなったり…イガラムは戻らないまま、目の前から飛び立ったあなたも二度と帰ってはこないのよ…」
「それで…眠れないと…」

昼間王女が漏らした不眠の理由がわかり、ペルは切なげに顔を歪めた。
反乱の後も国や民の為に自ら復興作業へ尽力し、快活に振る舞っていた王女が眠れぬ夜を過ごしているなど誰が予想しただろうか。
いの一番に気づかなければならなかったのに、昔通りの明るい笑顔で背筋をピンと伸ばした王女を見て、お強い方だと口にしたことすらある。
ほんとうは、こんなにも脆く崩れてしまいそうになのに、誰に語るでもなくひとりで抱え込んでいた。

敵の懐に潜り込み、仲間になった海賊たちと帰還した勇敢な王女は身を呈して国を救った。
しかし、何もかもが助かったわけではない。怪我をしたもの、死んでしまったもの、崩壊した建物や荒れた土地。
もう元には戻らないものもあるし、失われたものは余りにも多い。
偉大なる王はその上に立ち、生きてみせよと言ったという。
その先頭に立ち、国を思う一心で仲間と別れ、今日までを過ごしてきた王女のその表面だけを見て、こころの内側まで見通すことはしなかった。

「あれ以来…あなたが飛び立つと不安になるの…またあんなことになるんじゃないかって…」
「戦いは終わりました…どうかご安心なさってください」
「でも、ペルは護衛兵だから…何かあったらきっとまた私の前からいなくなって…」
「確かに、あなたや国を脅かすものが現れたら、いつでもこの命を投げ出すでしょう」
「それが嫌なのよ…もうあんな思いをしたくない…誰も失いたくないのに…」

何処へも行かないでと言った王女から、一滴の涙がこぼれた。
それを親指の腹で拭い、ペルは目の前の女性とその母親をふと重ね合わせた。
とても思いやり深く、自分のことは二の次で、周りのことしか考えられない優しいひと。

「何処へも行かないで」と、それはペルの方こそ言いたかった。
あの二年間、どれだけその姿を探し求めたのか、彼女は知らないだろう。
やっと見つけたと思ったら、大勢の敵に囲まれて戦っていた。宮殿からまっ逆さまに落ちていった。大きな砲弾の前でうずくまっていた。
心臓が握りしめられたような感覚に、生きた心地がしなかった。このひとの身に何かあったら、もはや自分は生きる理由を失ってしまう。
なんとしてでも守らなければならないひとを、二度と危険にさらすわけにはいかない。己の身も省みず、敵の中へ飛び込ませるようなことはさせない。
もう、何処へも行かせはしない。

「ずっと昔、この国の中であれば何処へでも飛んでいけると言ったことを覚えておいでですか」
「あなたに初めて出会った時ね…」
「そうです。あれは…今思うと少し間違っていました」
「え…」
「私は、あなたが住まうこのアラバスタ以外の空を飛ぶことができないのです。もう何処へも行きません」

自分が生きて留まることが王女の望みであるのならば、力の及ぶ限りそれを叶えたいと思う。
強くあらねば。どんなことがあっても守り抜き、尚且つ己も生き抜かなければならないのだから。


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -