海の果て
「それにしても、姫に嘘とはいただけない」
「嘘じゃないさ」

先ほどの王の間でのやりとりを肴に酒を酌み交わし、2年振りに都へ帰還した同僚の肩を叩く。
あの頃はまだ目の周りだけだったのに、今や顔全体に施された化粧のせいで顔色は伺えない。
しかしそう強い方ではない隼の、耳が常より赤みを帯びてきていることにジャッカルは目ざとく気づいていた。

「おれは見たことがあるがな」
「港でだろう?王女は『海の果て』と仰っていたじゃないか」
「いや、だから、遠く彼方に飛び去るのを見た。ずいぶん前に」

いつのことなのかさっぱりわからないと言う感じに間の抜けた顔をしたペルに、チャカは人の悪い笑い方をした。
鳩が豆鉄砲ならぬ隼の…と言いかけて、おいと大きな声でやりかえされる。
なるほど本人すら忘れていることなら、嘘とは言えないかもしれない。
しかしチャカは彼が大きな翼を翻して飛び立つのを実際に目にしていた。
誰も居ない桟橋をふらりと歩いていた彼が、突然隼に姿を変えたのを覚えている。

「覚えていないのか?お前がまだ隊に入りたての頃、南の港に演習に行ったろう」
「ああ、あれか…」
「なんだ、覚えているじゃないか。しばらく経っても戻ってこないから、伯父上が心配なさってた」
「確かに飛んだが…あれは数の内に入らない」

どういうことだと問い返すと、いや、まぁ、と妙に歯切れ悪く言葉を濁すものだから、チャカは空いたグラスに並々と酒を継ぎ足してやった。
酔うといつもより少し饒舌になることを知っていたから、こうしてやるのが一番だ。
注がれた辛い酒を無意識に口にするペルを見て、この作戦がうまくいきそうなことを悟る。

「…ろくに遠くまで行ってないんだよ。島の気候空域を抜ける手前で引き返した」
「へえ、その割りに中々帰ってこなかったな」
「港の向こうに高台があるだろ。あそこにいた」
「何でまたあんなとろこに」
「遠くまで見通せるから…」

遠くまで見通せるならそれこそ飛んでゆけばいい話なのに、わざわざ地上に舞い戻ってきたというのはなんともおかしな話だった。
何をそんなに見たかったのかは知らないが、普段だってひとより長けた視力と翼でなんだって見つけてしまうペルなのだから。
ただ、もしかすると、その卓越した能力そのものが原因なのかもしれない。
陸の上ならいざ知らず、海の上で墜落でもしたら彼にとっては命取りだ。
チャカ自身にとってもそれは同じだが、いきなり足場の無い海に突っ込んでしまうような心配は余程無い。
それに比べるとペルの能力はかなり危ういものに思える。
力尽きて海に落ちれば、常人であればまだ助かる見込みがあっても彼では絶対に無理な話だ。
仮に自分に翼があったとしても、能力者である以上海の果てまで飛んでいくことはなるべくなら避けるだろう。
何か強い目的でもなければ。

「いったい何を見ようとしてたんだ」
「…つまらん探しものだ」
「見つかったのか?」
「いや…」

それ以上ペルは語らなかったが、チャカも無理に聞き出そうとはしなかった。
グラスに口をつけたまま動かなくなったペルとあの日遠目に見た彼の姿が重なって、またふわりとどこかに行ってしまいそうな気がしたから。
薄く軽い身体を、風がさらっていってしまいそうな、中身がすっぽりなくなって、脱け殻のような無表情。

しかしその心配は無用だった。
ペルが探し求める船が到底見つからないことは、彼自身が一番よくわかっている。
だから、海を越えて空を飛ぶようなことは、これからも二度と無い。


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