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「……その、さっきの……アレ……どういう意味っショ」


 静まり返った廊下の先から、カツンコツンという躊躇いがちな足音が近付いてくる。
 がちゃりと開けた扉からそっと覗いた巻島は、やはりおどおどとはしていたものの幾らかマシな目つきに戻っていた。

 多大なる不安を押し隠し、私はなけなしの勇気を振り絞って見つめる。
 おかえり、巻島。私の前に立った彼は、ちらちらとこちらを見て昼飯はと小さな声で尋ねた。
 パン持って来てたから、と私は笑う。嘘だった。
 ついでに言えば、さっきから食欲なんて微塵もわかないでいる。
 そっかそりゃよかった。そんなよく分からない言葉で場を持たせようとした巻島は、やっぱりすぐに諦めて……そして口にしたのがこの言葉である。

「……その、さっきの……アレ……どういう意味っショ」

 どういう意味ってあんた、そりゃないわ。あれ以上何をどう簡潔に言えと言うのだ。

「いや、まあ、言えと言われれば、正直今更だから何回でも伝わるまで言うけどさぁ……好きなのよ」
「……お、おう……ショ」
「言い捨てとか嫌いなのよ、私。告白するからにはOKもらって付き合いたいし、付き合うならずっと続けたいのよ」
「いや、だからオレ、イギリス行くって言って……」
「だ、か、ら、遠距離恋愛しませんか言ったんだけど?」

 ……いかん。言ってしまって気が付いたけれど、今のは結構喧嘩腰だったかもしれない。
 切るのなら一思いに切れこの野郎!と思って覚悟していたのに、核心を突かずわかりきったところばかり突かれたから、つい。案の定、巻島はびくりと仰け反ってしまったのだけれど、それでも私が何か言う前にもごもごと口を開いた。

「あー……その、おまえさァ、一年の頃うちの先輩の告白断わってたショ」

 え、いきなり何の話?
 正直なところかなり困惑しつつも、ああそうねと答える。
 残念ながら、告白を受けるだなんて経験はまあ滅多にあったことではない上に、一年の頃と指定付き。
 記憶を掘り返すまでもなく、あの時かと見当がつく。
 卒業式の日に、まだ咲かない桜の下で。
 盛り上がる状況ではあったのだが、内容的にはノー以外の選択肢を持たない告白だった。

「ああ。だってあの先輩、確か大阪の学校だったでしょ? しかも、『最後に言っておきたかった』とか言われても、私どうしたらいいのよ」

 あ、デジャヴ。あの時は確か、田所に言われたんだった。「最後とは言ってもよォ、おまえが頷きゃそこから始まるバラ色の生活ってやつじゃねぇのか」って。けれどそう言った田所自身も苦笑いだったから、きっと本当は思っていたんだろう。どうせ、仮にうまくいったように見えても長続きなどしないだろうと。

「あれは、終わらせる為の告白ってやつ。言われた私が言うんだから、間違いなく、ね。そんでもって私がしたのは、始めるための告白。そこはOK?」

 言うだけ言った私は、震えそうになる足を懸命に使って静かに席を立つ。
 そして追いかけてこない巻島を置いて、先ほどの地球儀に指を這わせそっと撫でる。
「だったら……私からは、以上。後は、巻島が私をどう思っているか、だよ」
 時間は少なかっただろうけど、こんなに早く戻って来てくれたってことは一応のケリはついたのでしょう?

「オレは……オレは……その……そりゃ、田中のことは……くそッ! オレだって、好きだったショ!」

「……はい?」

 ぱちりと、自分の瞼がやけにゆっくりと動いた気がした。



  ***



 Q. 今、私の耳は何を聞きましたか。
 A. 巻島が、好きだって。……私のことを、好きだって。

「え、ごめんもう一回言ってください」
「ショ……オレだって……ずっと、田中が好きだったショ」

 だァァ、もうどうにでもなれっショォォ!
 自慢の美髪を乱暴に掻き上げながら、巻島がいつもより荒く言い放った。

「そりゃ、おめーみてェな女に側に居られて、あんな風に撮られててみろよ。好きになんねーわけがねぇショ! 一緒に入った一年がどんどん辞めてって、ついにオレらだけになっちまっても、おまえは相変わらず部室に来てよォ。寒咲先輩格好良いだァ富田先輩頑張ってだァ撮りながらも、いつだってオレらのこともちゃんと見てたっショ。学校でもなんかつったら構いに来て、結構雑に応えちまっても、変わらずまた来て、笑って、ンなの……オレのこと好きになんねェかな、とか思っちまうショ!」

 はぁはぁと荒い息の巻島は、そこで一度言葉を切る。
 私はというと、珍しくよく喋る巻島を前に呆気に取られていた。
 いや、まあ、嫌われていないという自信はあったよ……っと、此の期に及んでこんな謙遜は意味がないのでやめよう。強気なことを言ってしまえば、恋愛対象と見られているか怪しいとは常に思っていたけれど、同時に、その認識をずらすこともそう難しくはないだろうと思っていた。
 仮に巻島が夏の終わりに居なくならない未来があったのなら、きっと私は攻めていた。
 けど、今の巻島の言葉はどう聞いても、前から私のことを……いつから?
 そんな素振りがあっただろうかと思わず記憶を探り始めそうになった私を、今度は少しだけ小さくなった巻島の声が呼び戻す。

「……なのによォ。遠距離は向いてねぇだとか、離れるのが決まっているのに告白って無いよだとか言う奴に、オレが言えるわけねぇっショ」
 
 ……ああ、そうか。そこで、さっきの先輩の話に繋がるのか。ようやく腑に落ちる。
 別れを前にして、最後に言っておこうと諦めきっての告白。
 そんな自分が楽になるための「告白」に、何度も「転校生」をやっていた私は飽き飽きしていたのだ。
 それまで幾らでも触れ合うチャンスはあったのに、勝手に諦めていて、それで最後の最後にろくな接点もないままで「好きだった」という告白をしてくる彼ら。
 例えば今回の巻島のようにギリギリまで伏せていたなら(私にとっては違ったけれど)まだしも、最初からリミットが分かっている時までそうなら……。気持ちを伝えられてよかったと傷付きながらもどこか晴れ晴れとした顔をする彼らは、先のない思いを突然ぶつけられた私のことなど考えてもいない。
 告白自体は、もちろん嬉しい。好かれることは、当然嬉しい。
 けど、最終日にどこからともなく現れて好きだと言われても、私に振り返るような記憶はないのだ。
 自転車競技部の先輩は、そりゃ歴代の「彼ら」に比べると幾らか接触はあったけれど……でも、結局のところは大きくは変わらなかった。

 そして、セオリー通りの断り文句を口にした後とぼとぼと放送室に向かっていた私は、金城くんたちに捕まったのだった。

 ああ、そうだ。間違えようがない。
 フった側なのに泣きそうな私を心配してくれる同学年の男子達に、一年の私は余計なことまで確かに言ったのだった。



(タイトル:otogiunion)

 

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