35.予感
最近、具合が悪い。
ほとんど常に気分が悪く吐き気がして、そして軽い頭痛もある。理由は分からないし、心当たりも特にない。
……否、あるにはある。それを私が認められるかどうかは、別として。
漠然と嫌な予感がする。何か取り返しのつかないことが起きてしまったような、そんな予感が。
私の人生なんて、とっくに終わったも同然だと言うのに。
レースが始まってから、二ヶ月弱。九月末に始まったレースも、もう十一月だ――そんな中、4thステージではディエゴが着外だったと聞いた。確か3rdステージでは三位で、一位ではなくても上位に入っていたのだが。
嵐の次の日に、愛馬と共に歩いてゴール地点に入場するディエゴの新聞写真を、呆然と眺める。
レース上で何が起きているのか――私は知らない。私には分からない。もしかしたらレースの優勝以外の何かを求めているのではないかと、そんな予感すら感じる。
それでも私は、私にできることをするしかなかった。
『優勝はこのDioのものだ。それを忘れるな、ナマエ・ミョウジ』
彼が優勝して戻ってくるのだと、憎い人が優勝して世界の頂点に立つのだと。矛盾した願いを持つしか、私には道がなかった。
嵐の夜は厳しかったらしく、レースからリタイアしている人も多い。この1st〜4thステージの間で、優勝候補と言われたウルムド・アブドゥルやマウンテン・ティムも含め、既に三千人以上がリタイアしているのだ。現在行っている5thステージの参加者は、四百人程度しかいない。
上位でなかったにしろ、リタイアしなかっただけ良いだろうと、自分にそう言い聞かせる。
賭けも盛り上がっているが、ディエゴの人気は落ちている――そんなことはどうでもいいのだけど。
新聞記事を畳み、静かに息を吐いた。
この部屋には、私以外の誰もいない。ディエゴの部屋に私が向かうことも、ディエゴが私の部屋に入ることも、もうないだろう。多分、二度と。
今の私は、孤独だ。とてつもなく。義母は死んだ。私が殺した。友達と呼んでいた人も、誰もいなくなった。使用人は一応いるが、私に仕えているつもりはないだろう。そして私は、残った父親と、ディエゴのことを殺そうとしている。
ちらり、と手元の本に目を向けた。最近、気休めに読んでいる乗馬の本。今まで興味も持ってこなかったことだ。馬の乗り方が分かったとしても、レースで何が起きているかなんて、私には分かるはずもないけど。
『なあ、ナマエ』
目を瞑ると、ディエゴの声が聞こえてくるような気がする。当然彼はこの場にいないから、私が勝手に作り上げた幻聴だ。
私は私の身体をディエゴに刻みつけた。それなら、ディエゴの全てが私に刻みつけられることも、同じことだったから。私は容易に、ディエゴの思考と声とその仕草を、脳裏に再生することができた。
本物のディエゴがそんな言葉を言うかどうかは、知らないけど。
『その指輪に誓っただろう? オレは君に復讐する。君はオレに復讐する。そのために、オレは優勝する。……何を心配する必要がある?』
――分かっている。分かっているわよ。だけどあなたが、レースの上位でなかったことは気になるでしょう?
『フン、愚問だな。確かに、個々のレースでは一位を取れていないこともあるが――ああ、気に食わないが、認めるしかないようだな――だが、重要なものは、全てのレースでのポイントの結果だ。最終的に優勝さえすればいいと、そう思っているのは君の方だろう?』
――そう、そんなことは分かっているのよ。だけど、レース上で何が起きているのかは、私は知らない。単に嵐によって疲労しただけなのか、それとも、新しい目的ができてしまったのか。私には分からないじゃない。あなたと私が誓ったのは復讐と優勝で、だけどあなたが違うことを考えているんじゃないかって、それが不安なのよ。
『それがどうした? 君には関係ない話じゃあないか。オレは優勝する。この世に復讐する。それは何があっても変わらないんだぜ。それなら、このDioがレースで何をしていようと、どうだっていいと、そう思わないか?』
そこで、私は目を開いた。当然ディエゴはどこにもいなくて、私はひとりきり。だけど、彼の嘲笑するような、それでいて鋭く美しい瞳が、どこかに見えた気がした。
そう、悩んでいても仕方ない。ディエゴが優勝するのだと、そう思うしか、わたしには道がない。
復讐方法は、もう決まっているから。
彼が栄光を得た、帰りの船。
海上という逃げ場のない場所で、その船を沈める。
それから、塵となって消えてしまえばいい。私も、私の父も、……ディエゴも。何もかもが。
この終わりが、今度こそ、私の終わる道になりますように。
私たちの終わりに、なりますように。