23.騎手の過去

 三人で食卓テーブルを囲む。彼女の誕生日まで、私達の運命が決まる日まで、あと一ヶ月。
 私はこの光景を、ぼんやり眺めていた。ディエゴが義母におべっかを使うのも、義母が上機嫌になるのも、それを見てなんとなく私の気分が悪くなるのも。
 あと、ほんの少し。

 義母は食事の前、最初に紅茶を一口啜る。
 ディエゴは途中で、度々コーヒーを口に運ぶ。
 最後の晩餐、私はどんな飲み物を用意しようなんて、ぼんやり思った。家での食事ではいつも紅茶だけれど、最後くらいはコーヒーでも飲もうかしら。
 なんて、どうでもいいことを考えながら、私は紅茶を口にした。彼らが交わしている会話を、どこか遠くで聞いているように感じながら。
 今日も食事は粛々と、何事もなく終わろうとしていた。


「今日は出かけなくていいのかい、お嬢様」
「……」
 書庫で本を探していると、時間でも持て余したのか、ディエゴに声をかけられた。それに対し私は、淡々と返答する。
「今のうちに読めるものは読んでおきたいって、そう思っただけよ。私がこれからどうなってしまうかなんて、あなたにはわからないのでしょう? 私の時間の使い方は、私だけのものよ」
「君があの人に毒を盛って、オレについていく道を選べば、いくらでも続きなんて読めると思うがな」
 そう言っているが、彼は本気で私の行動を動かそうとしている風ではない。おそらく彼は、私がもう、何を言われようと、道を決めていることは知っている。その上で、彼は私の行動を特に制限しているようには見えない。
 彼は、私がどの道を選ぶと思っているのかは、私にはわからないけど。それならそれでいいと、ただそう思った。

「そうだ。ディエゴ、聞きたいことがあったのよ」
 ふと思い出すことがあって、一旦本を書棚に戻す。するとディエゴは、やや意外そうな顔をしてこちらを見た。
「君がオレに聞きたいこと、か」
「あなた、私の過去は聞くだけ聞いておいて、自分のことは話そうとしなかったじゃない」
「……ああ、そうだったな」
 それから、少しの沈黙。ディエゴが今の私に全てを話すとはあまり思えなかったが、少しくらいは話してくれるのではないだろうか。だって私は、以前彼に私の過去を話したのだから。
 彼は黙って、少し考えているようだった。それから――やがて、少しずつ口を開いていった。

「……オレは、貧しい家に生まれた。母と二人で、オレが幼児の頃には、既に牧場で仕事をしていた」
 全く知らない話だった。今まで聞いたこともないこの男の過去に、思わず彼の顔をまじまじと見つめる。まさか、本当に彼の話を聞けるとは。
 だが、その表情からは、これといった感情が読み取れなかった。彼は一体、何を考えているのだろう。何を思って、この二十年の人生を歩んできたのだろうか。
「……あなたのお父さんは?」
「知らない。オレの記憶の中に、父親なんてものはいなかった。やがて、母親も病気で死んだ。それから、オレはのし上がってやろうと思ったわけさ」
「貧しい家庭に生まれた。……だから、お義母さまの遺産が欲しかったの?」
 貧しい家庭に生まれた少年が、富と栄誉に焦がれて、騎手としてのし上がりながら、富を求めて、貴族と結婚した。それ自体は理解できる。
 だが、彼がどうして私にこんなことをさせるのか。どうしてこの私に、私の母を殺させようとしているのだろう――それだけが、どうしてもわからなかった。

「そんな殊勝なもんじゃあないさ。遺産が欲しいだけなら、他にいくらでも居るんだ。わざわざコブつきの老婆なんて選ぶ必要は無い――天涯孤独の女のほうが、よっぽど都合がいいんでな」
 コブとは、私のことだろう。身寄りのない孤独な人間を騙すほうが、確かに、遥かに簡単で手っ取り早い。
 だけど彼は――それでも、私の義母のことを選んだ。同時に、私に運命を握らせた――
 考えてみればおかしなことだ。つまり、それは。
「あなたは――私がいたから、私のお義母さまと結婚した、ってこと……?」
「言っただろう? 『オレと君は仲良くしなければならない』、『君と出会ったことは運命だと思っている』とね」
「そういえば、そんなことも言っていたかもしれない、けど」
 ディエゴ・ブランドーが私の義母と結婚した理由は、この私。そう言わんばかりの彼の言葉には、正直戸惑った。
 しかし。それでも彼が、私ではなく義母と結婚した理由自体は明確だ。年老いた老婆の方が誑かしやすいと判断したのかもしれないが――義理の息子となるより、夫となる方が遺産の配分は多くなる。遺産が彼の目的であるのも、事実なのだろう。
 同時にそれは、決して、私を愛しているからミョウジ家に近づいたというわけでは無いということも表している。そして、彼は遺産以外にも目的があって、それが私だったとして――私に良い感情を持って近づいたとは、とても思えない。
「……何故、あなたは私に近づいたの?」
 その理由を聞いても、ディエゴは冷淡にこう言うだけだった。
「今、それを話すことはできないな。言っただろう? 『彼女を殺せば全てを話す』と。ナマエ――君が彼女を殺せば、喜んで話してやるさ」
「……私が目的なことは、否定しないのね」
「…………」
 そして、彼は黙って肩をすくめるだけだ。だから私も、無言でため息をつくことしかできなかった。


 彼がこれ以上のことは話すつもりがないというのなら、仕方ない。考えても仕方のないことだ。できれば知りたいと思っていたけど、それはきっと、もう叶わないのだろう。
 運命の日まで、あと少し。それがわかった上で私達は、それ以上何も言わなかった。

[prev] | [List] | [next]

- ナノ -