18.終わりに向けて

 ふ、と息を吐いて、私は自室の引き出しの中に『あるもの』をしまい込んだ。
 それは、私達の運命を握るもの。私以外の誰にも握らせてはならない、私達の運命そのもの。
 その重みを、一時的にも手放したことで、ふと心が軽くなる。この重さをまた手にするときは、そのときは私たちの運命が決まる日なのだと、そう理解しながら。

 自室にはこっそりと戻ってきたので、使用人の他には誰にも会っていない。ディエゴはともかく、後で義母に連絡をしなければならない。また、偽りの縁談の報告をするのは胸が痛むが、その胸の痛みにも慣れてきたような気がしてしまった。


「おい」
「……何かしら?」
 ふと部屋から出たところで、ディエゴに待ち伏せされていたことに気がついた。
 特に予想していたわけではない。だけど、別に驚きはしなかった。
「ナマエ。……君、どこで何をしていた?」
「……さあ。使用人に聞けば教えてくれるんじゃないの」
 別に答えてやってもよかった。使用人に答えられても、別に困ることもないと思っていた。私があの街に行ったことがバレたところで、大した問題ではない――『あるもの』さえ見つからなければ。だから、こんな答え方をした。
 ディエゴはやや不愉快そうな顔をしたが、やがて髪をかきあげて、どうでも良さそうに息を吐いた。その様子は色っぽくすらあったが、そこに快も不快もなかった。
「フン、まあいいだろう。君がこのDioに隠れてコソコソやってようと、オレには関係のないことだからな。せいぜい、『あの日』までの準備と覚悟を、しておけと言いたいところだが――」
「……何かあったの?」
「――少々面倒なことが起きた。また彼女が倒れて、病院に運ばれた。命に別状はないそうだが」
 彼が告げた言葉には、多少驚いた。だけど、以前ほどの衝撃はなかった。
 彼女は以前も倒れたばかりだった。……せめて、『あの日』までは、できるだけ元気に生きていてほしいとは思うのだけど。
 それがたとえ、運命の決まった道に、進んでいるだけだったとしても。
「命に別状がないのならいいわ。できるだけ早く、元気になって退院してくれればいいけど」
「そこの心配はするな。特に問題がなければ、明後日には退院できるそうだ。それで、伝言だが――あの人が、退院したら君と出かけたいと言っている」
「お義母さまが?」
 何故? という感情が真っ先に出てきてしまった。……彼女と久しぶりにゆっくり出かけられる機会に、そこまでの喜びを感じられなかったのは、『娘』としては失格かもしれない。
「医者によると、彼女の命は、もって後一年だそうだ。医者は、彼女にはそう言っていないはずだが、彼女もそれを身体で理解しているようで――君と、二人でゆっくり話す機会が欲しいとのことらしい」
「……そう」
 彼女は結局、私達が何もせずとも、一年の命――
 そんな彼女の運命を、私は独断で決めようとしている。そんな私が、今更彼女と何を話せばいいのだろう。
「……フン。オレも、後で彼女から、君とあの人が一体『何』を話したのか――じっくり聞きたいところだがな」
 つまり彼は、彼女に何か余計なことを言うな、と釘を刺しているのだろう。別に、言われなくても、彼女には何も言うつもりはない。
 彼女には、何も知らせない。それは、私のエゴに過ぎないけれど。


「ところでナマエ、明日の予定はお決まりかい?」
 今日、私が勝手に出ていったことを皮肉っているのだろう。だが、私はあの街には、もう用はない。
「別に。明日も明後日もその先も――『あの日』まで、私には予定なんて無いわよ」
「そうか。彼女は明後日には退院するが。明日、オレと君とで、街にでも出ようじゃあないか。君にとって数少ない、街に出かける機会になるかもしれないんだからな」
 彼のこの提案は、少々意外に感じられた。そんな提案をして、彼に何かメリットがあるのだろうか? そんなことを思いつつも、結局私は頷くことにした。
「別にいいわよ。……あなたが何のためにそんなことをするのかは、聞きたいところだけど」
「『親子』の会話に、理由なんて要るのかい? ――君は、あの人にも同じことを言うのかな」
「私とあなたが『親子』になったことが一度もないことくらい、あなたが一番わかっているじゃない」
「そう言うなよ。オレはこの先は二度と、『父親』になんてなるつもりはないんだ――『娘』には、優しくしたっていいだろう?」
 そうやって皮肉っぽく笑った彼に、私は言い返さなかった。もはや、何を言っても無駄な気がしたから。
 それよりも――このとき彼が口にした『父親』という響きに、並々ならぬ感情が込められているように思えたのが気になったが――実際のところはどうなのだろう。それは、私にはわからない。
 そういえば、私は彼の家族のことを何も知らない。彼が彼の父親とどんな因縁があろうと、私には何もわからないのだ。
 一瞬、私と血のつながった両親――私を生んだだけで捨てた人たちの存在を思い出す。見たことも聞いたこともない、顔も名前も、存在すら不明瞭なひとたち。
 だが、どうだっていい。彼だって、私が義母に引き取られた経緯を、そこまで詳しく知っているわけではないのだろう。私から詳しく言った覚えもないし、義母も彼にそこまで詳しく話しているとは思えない。
 過去のことに、自分の出自のこと。彼が話したいと言うのなら聞いてもいいし、彼が聞きたいというのなら、話してしまってもいいのかもしれない。
 そんなことを話したところで、私達の運命はもう、決まってしまっている。道というものは、すでに作られつつある。

 あの日、あと五ヶ月もない、彼女の誕生日。その日に、全て決まってしまうのだから。
 全て終わってしまうのだから。

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