8.主人の問い

「わあ、すごい……これが自動車、ですか」
 百年の時は文明を発展させた。エジプトのカイロという都市の夜は、私の知らないものが多くあった。
 街に出ると、あらゆるものが目新しくてくらくらする。
 百年の時を経て目覚めたばかりのときは状況が呑み込めていなかったため思い出せないが、故郷イギリスも変わっているのだろうな、と思う。
「そしてあれが携帯電話……電話が普段から持ち運べるだなんて、不思議ですね。スタンドなら、そういったものもあるのかもしれませんが……」
 落ち着かず、ディオさんの隣にいながらも思わずきょろきょろしてしまう。百年前のイギリスの夜は、こんなに明るくも、人が多くもなかった。私の知らない現代のエジプトの文明に、私は立っていた。

「クク……珍しいな、ナマエ。そこまで子供のように目を輝かせるのは」
「そんなにおかしいですか? ディオさんだって、数年前に最初に見た時には同じように思いませんでした?」
 思わず少しむっとして見上げたが、ディオさんはどこか機嫌良さそうにこう言うだけだった。
「どうだかな。人間とは知恵を絞って文明を発展させるものだが……しかし、このDIOには追いつけまい」
「……確かに、いくら技術が発展しても、人間は不老不死にはなれそうにないですよね」
 あの石仮面は破壊されたため、本物の吸血鬼はこの世にディオさんだけ。そんな彼を、私はぼんやりと見上げる。
 百年後の世界に、私と彼は立っている。それを今更のように実感しながら、私は一九八八年のエジプトに降り立っていた。


 ――あの、ヌケサク(結局彼の名前を聞くことはなかった)とヴァニラ・アイスの騒動から、一週間。私がこのカイロにやってきてから、一ヶ月と少しが経っていた。
 ディオさんはスタンド使いを仲間にする旅から戻ってきたかと思えば、その次の日の夜に、何故か私を夜のカイロに連れ出していた。
「街だ。このDIOが連れて行ってやる。悪くないだろう?」
 その言葉を言われた途端、面食らった。
 このカイロに来て以来、私は一度もこの館から出たことがなかったというのもあるが、それ以上に。
 百年前のことを思い出したからだ。
 ――街だ。このディオが連れて行ってやる。悪くないだろう?
 百年前と全く同じことを言っていることに、気付いているのかいないのか、それとも故意であるのか。
 どちらにせよ、私は頷くしかなかった。
 百年ぶりにディオさんとお出かけできるということは、少し、楽しみになるような気持ちもあったけど。


 少し歩き、バーに入っていく。百年前と同じだな、と思う。ただし、あのとき入った酒場よりは明るく、治安もそこまで悪くなさそうだ。
「百年ぶりの酒の味はどうだ? ナマエ」
 本当に久しぶりだ。少しずつ飲んでみるが、百年前に飲んだ酒はこんな味だったろうかと、ワインを飲みながら思う。口当たりよく飲みやすいワインだ。
「百年前の私は、何を飲んだか……忘れてしまいました」
 ぼうっと、夢見心地のような気分になりながら飲み干す。目の前の彼が、百年前のディオさんに重なった。
 あのときのディオさんが、ブランデーを飲み干していたことは思い出せる。百年前のディオさんは確か、計画が失敗しかけて、自棄になっていた――あのときの私はそれが恐ろしかったわけだが、しかし、今思えば懐かしい思い出だ。
 私は密かに、笑みを浮かべた。酔っているのかもしれない。

「さて、ナマエ――折角の機会だ。百年前と同じことを聞いてみることにしようか」
 そんな私を見ながら、ディオさんは静かに言う。ぼうっとしながら私は、ディオさんの言葉を待った。
「……? なんでしょう?」
「おまえは、わたしが怖いか?」
 ――おまえは、おれが怖いか?
 これも、百年前の言葉と同じだ。ディオさんも、百年前のことを思い出しているのだろうか。百年前、初めて私たちが、二人で街に出た日のことを。
「……どうでしょうね」
 百年前、初めてそれを聞かれたとき、答えられなかった。次にそれを聞かれたときは、恐れを感じつつも主人はあなただけだと、恐れ以外の感情も抱いているのかもしれないと、そう言ってしまった。
 今は、どうだろう。私は慎重に答えた。
「恐怖を、感じなくなっているのかもしれません。恐怖ではない、違う何かを感じている……否、探している、待っているような……」
 百年前の私は、何を恐れていたというのだろう。どうも彼の血で蘇ってからの私は、人間的な感性が消えていっているように思う。……それは私が、人間ではなくなったからか。

 私の答えを聞いたディオさんがどう感じたかは、正直なところよく分からなかった。ただ彼は、「そうか」と短く答え、百年前と同じようにブランデーを飲み干した。


 それから、二人で館に帰ってきたとき、ペット・ショップという名のハヤブサに出迎えられた。数ヶ月前からこの館の番犬ならぬ番鳥として、館の警備をしているらしい。彼もスタンド使いのようだ。鳥とは思えない鋭い瞳が、じろじろと私のことを見る。
「このペット・ショップはどのようなスタンド使いなのでしょう?」
「知る必要はないだろう。わたしがいれば、館を出入りする者にこいつが危害を加えることはない」
 ――暗に、私を一人でこの館の外に出す気はないと言っているのだ、私の主人は。いつの間にそんなに過保護になったのだろう。あるいは、スタンド使いとなった私を常に監視下に置きたいだけか。

「……百年前は私が、買い出しに出ていたのですけどね」
 思わず、拗ねるような気持ちになる。こんな気持ちも、百年前は抱かなかった気がする。
「今は状況が違う……。ナマエ、おまえだって昼間は外に出れない身なのだ」
「それは、そうですけど……」
 そして私はカイロの夜を見上げた。
 曇り空に隠され、星はあまり見えなかった。
 もっとキラキラと輝いてくれればいいのに。私はもう、太陽の光を浴びることすらできないのだから。
 最も――雲の隙間から、月の光の輝きが見えていた。だから今はそれでいいかと、そう思った。

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