2.再契約条件

「ダービー、戻ったぞ」
「お帰りなさいませ、DIO様」
 エジプトに辿り着き、ディオさんに連れられた館に入ると、恭しく出迎えられた。
「ああ、その方が以前仰られてたナマエ様ですか。……テレンス・D・ダービーと申します。以後お見知りおきを」
「……ナマエと言います。よろしくお願いします」
 返答しつつも、ダービーと名乗った男が、ディオさんだけでなく私に対しても丁寧な態度だったことに戸惑う。
 ディオさんは一体、この館の人間に私のことをどう言っているのだろう?


「……あの方は?」
 廊下を少し進み、ディオさんの顔を見上げる。
 ……百年前よりも少しだけ背が高くなったような、と思い、すぐ合点がいった。ジョジョさんの身体だからだ。
「この館の執事だ。館のことは大抵彼に任せている」
 執事という言い方に引っかかった。
 その執事が、私に対しても恭しい態度を見せるなんて、変だ。

「……使用人は、私ではないのですか?」
 同じ使用人であるのなら、あの男が私のことも主人であるかのように振る舞う必要はない。
 だが――人間としての生をディオさんに仕えることを誓った私は、しかし、既に人間ではないということも確かだ。
 つまり、私の存在は曖昧だ。契約と誓いは無効となっている。
 私はディオさんの使用人なのか? そうではないのか?
 それはまだ決まっていない。だが、その状態であのダービーという執事に恭しく扱われるのも違和感だ。
 惑う私に、ディオさんは淡々と言った。
「ナマエ……込み入った話は後だ。まずは、わたしの元に付いて来い。わたしの部屋へ案内する」
 有無を言わさないその雰囲気に、思わず口を閉ざした。今ここで問答するのは無駄だと、そう思ったから。


「――さて、ナマエ。わたしとおまえの百年前の契約を覚えているか? ナマエ――『おまえは人間のまま、生涯をこのDIOに仕える』」
 彼の部屋に案内される。自室のベッドに寝そべるディオさんの横に、私は控えるように立った。
 忘れるはずのないその契約を思い出しながら、しっかりと頷く。
「……はい。確かにそうでした。だから、迷っているのです。人ならざる者になってしまった私が、ディオさんに仕えるべきなのか。それとも、別の生き方をすべきか」
「……フン。ナマエ、このカイロで君が、一人で生きていけるとは思わないが?」
「それは、そうですけど……」
 ダービーと名乗った執事は英語を話していたが、この地で生きている人間が全て英語を話せるとは限らない。学んだこともないエジプトの言語を使えるようになれるか、私には自信がない。
 そもそも、私は――使用人だ。使用人としての誇りを持ちながら生きてきた。仕える主人のために、かつての主人を裏切ったことすらあった。
 私は百年前に、「人間としての生涯」をディオさんに仕えることを誓った。私が人間ではなくなった時点で、その契約は切れているが、それでも。私は使用人のままだ。
 それなら、新たな誓いを立てるまでだ。使用人と主人の。
 使用人は、主人がいなければ生きる意味がないのだから。

「ナマエ。わたしは百年前にこう言ったはずだ。おまえは、使用人と主人との立場に拘る必要はないと。ナマエ、君が人間でなくなった以上は、なおさらそうだと思うが?」
 有無を言わさぬような鋭い口調。ディオさんの言うこと自体は、最もだと思う。
「……そうですね。確かにそうだと思います。私は『人間として』あなたに仕えたかった、人間でなくなった以上、使用人という立ち位置に拘る必要はないのかもしれません」
 だが、私は首を振る。
 人間をやめて彼に永遠を仕えるのは下僕ではないかと、そう思う気持ちもある。私の中に、他の生き方をしたいという感情が本当に全く存在しないのか、それを検討したい気持ちもあるかもしれない。
 だけど。私の感情がどうあれ、私は使用人と生きて、そして死んだ。その上で蘇らせられたのなら、使用人として蘇りたかった。
 少しだけ迷ったが、それでも。私はやっぱり、使用人だ。
「それでも……一度死んだ私が、ディオさん、あなたに再び生を貰ったのなら。私は生前と同じく使用人として生きたいと、そう思ったのです。それが、私の誇りです」

 私のその言葉に、ディオさんは少々呆れたようだった。
「フン……人間をやめた今、使用人として以外の生き方があるとしてもか?」
「私は、ジョースター卿と約束したのです。それはジョースター卿と、ジョジョさんが死んでしまっても、たとえ百年経っても変わりません。私は、使用人なんです」
 仕える人が変わったとしても。
 私はジョースター家に使用人として雇われることで、生きる意味を見出した。――私がディオさんに対して何か、違う感情を抱いていたとしても。それは変わらないはずだ。
「それに、ディオさん。先ほど、目覚めたばかりの私は、確かに言いました。私は使用人だと。私の主人はディオさん、あなたであると」
 それが答えだ。私はあの時、既に誓っていた。
「だから私は、あなたに仕えたいです。百年前の契約は切れているので――新たな契約を。ディオさん」


 ディオさんは少し思案に耽っていたようだが、やがて、少々機嫌悪そうにこう言った。
「……チッ。まあいいだろう。ならば、わたしが提示する条件は――おれの傍で好きにしろ。それだけだ」
 私の主人から発せられた言葉に、思わず目を瞬かせる。
「……好きにしろ、とは?」
「掃除をしたければすればいい。紅茶を淹れたければ淹れればいい。それが、ナマエの使用人としての生き方ならな。――その上で、おまえはこのDIOの傍にいろ。それだけが条件だ」
 彼の提示した条件を反芻しながら、百年前の契約内容を思い出す。
 館の掃除をすること。紅茶を淹れること。
 人間としての生涯を、彼に仕えること。
 対価は、少しの休暇とお給料。
「……仕事内容も、休暇やお給料も、好きにしていいということですか?」
 ――それはつまり、私が『いつまで』ディオさんと仕えるかの期限は定めないと、そういうことになるのだろうか。
 これが彼に仕える条件だとは、なんだか信じ難い。だがディオさんは、つまらなそうに頷いた。
 私が彼に永遠に仕えるという契約にはならなかった。ディオさんは百年前、私に対して「永遠を仕えないか」と、そう言っていたこともあったのに。
 ディオさんは暗に、私が永遠に仕えなくていいと、そう言っているのだろうか。その先にどうすべきなのか、今の私にはわからないけど。


「だが、百年待ったんだ。ナマエ。百年前の言葉を、取り戻そうじゃあないか」
 少しの沈黙の後、ディオさんは不敵な眼差しを私に向けた。
「百年前の、言葉?」
 彼の言葉に、眉をひそめる。百年前のディオさんは、私に何を言っていただろう。昔の記憶は、薄れかけている。

 私が昔のことを思い出そうとする前に、ディオさんはただ、淡々と告げた。
「そして。これも以前言ったが、おまえはこのDIOに対し、使用人と主人としての立場に拘らなくても良い。主人たるわたしがそう示したのだ。この命令は、聞けるはずだぞ?」
「……変な話ですね。『使用人と主人の立場に拘るな』という、主人から使用人への命令なんて」
 百年前も同じようなことを言われた気がするが、矛盾している。『使用人と主人の立場に拘るな』と言うのに、主人は命令しているなんて。
「ナマエ、君が使用人として生きたいのなら、わたしはそれを今は否定しないが……しかし、『使用人らしさ』に縛られ、おまえがおれの思うままにならないことは気に入らない」
 そして私の主人は、ぞっとするほど美しい瞳で私のことを見下ろした。
「わたしの命令は聞いてもらうぞ、ナマエ」

 私はただ跪き、彼の顔を見上げた。ディオさんはそんな私のことをつまらなそうに見下ろしたが、しかし不意に、上機嫌に笑った。
「フン……時間はタップリある。おれにも、おまえにもな。もはや有限の時間などという制限は、このDIOには皆無ッ!」
 私も不老不死になってしまったのだなと、彼の言葉を聞きながらぼんやり思った。私はまだ、目覚めたばかりであまり実感が持てていないが、しかし。いつかは、実感することになるだろう。
 彼の首から下を除けば、およそ百年も経っているのに、姿の変わらない私たちは。時を越えて、百年後の世界にやって来てしまったのだと。


「……と、その前に。飢えているだろう……食事が必要だな」
「食事、ですか」
 そういえば私も吸血鬼だ。人間の血を吸わなければならない。目覚めたときから、ずっと、渇きを感じていたのだった。ディオさんに連れられるまま、私は移動した。渇きと飢えを、満たすように。

 私は館にいた女を食い殺した。血の味を美味と感じたのは、私が本当に人間でなくなってしまったという証なのだろう。
 口許を朱で染めた私を、ディオさんは満足そうに見ていた。死体の片付けは大変そうだなあと、ただそれだけ思った。

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