■キャンプファイヤー
「はぁ……」あれから数日後、キャンプファイヤーの日。あと一週間で合宿も終わるというのに、私は彼と仲直りできていない。
否、私が一方的に避けてしまっている。カムクラ君もそれで私のことを追いかけたりはしないものだから、あれ以来、彼とは一切話すことができていない。
絶対に、このままでは良くないということくらい、わかっているのだけど。
燃える炎をぼんやり眺めながら、いろいろなことを考えた。
希望とは何か。才能とは何か。私の、彼の、新しい可能性とは何か。
私と彼が付き合ったことに、何か意味はあったのか。――考えれど考えれど、答えは出なくて。
花村君お手製のカレーの香りも、怪談噺にも、フォークダンスにも、どれにも心惹かれない。
そういえば、彼は今、何をしているのだろう。そう思って辺りを見回してみたら、クラスメイトに囲まれているカムクラ君の姿が見えた。
「……そっか」
やはり彼にとって、私の存在は、ツマラナイものに過ぎなかったのだろう。
合宿の答えを、予想できない未来を、私は与えられなかった。少なからずそれに期待して、彼は私と付き合ってくれたはずなのに。不甲斐なさと申し訳なさ、悲しさに、膝に顔を埋めた。
「……苗字さん」
その時。ふと、声が頭上から降り注いだ。
間違えるはずもない。平坦な、静かな声。だけど、彼に名前を呼ばれたのは、そういえば初めてのような――
「……カムクラ君?」
恐る恐る顔を上げた。そこには、感情の読み取れない瞳で私を見下ろす、カムクラ君の姿があった。
「カムクラ君、どうして」
さっきまで、彼のクラスメイトと共に話をしていた様子だったのに。そう思って周りを見渡してみると、数名がこちらの様子をちらちらと伺っているようだった。
もしかして、みんなに心配させてしまったのだろうか。そして、みんながカムクラ君を焚き付けてくれたのだろうか。
そう思うと、嬉しいと思うと共に、なんだか申し訳なかった。
「あの日のことですが」
彼は、私の隣に座って、唐突に話を切り出した。私はただ、混乱しながら彼の顔を見るしかなかった。
「あなたにあのようなことをしたら、あなたがそんな顔をするのは分かっていました」
「……どんな顔?」
「あなたにも伝わるように話すと、捨てられた子犬のような顔です」
「……わかんないよ」
私がどんな顔をしているのかなんて、知らない。
それより私は、カムクラ君のことを知りたい。
カムクラ君がどうしてあんなことをしたのか――それが、知りたかった。
「なんで、カムクラ君があんなことしたのか、わかんなかったの」
いつでも、わからないことだらけだった。
私は、彼のことを知らない。学園が生み出した希望であり才能の塊である、大天才であることは知っている。
でも、それの詳細は、私達には知らされていない。
ただ、幼少期から特別な英才教育を施されていたなど、なんとなくそういう認識は持っていた。彼が自分から話さない以上こちらからは詮索しない、という暗黙のルールはできていたが――
それでも、私はいつでも、彼のことを知りたかった。
それは、単なる好奇心以上の感情だ。
彼のことが気になるから。カムクラ君のことが好きだから、知りたいと思うのだ。
「……いいでしょう。取り除かれた『僕らしさ』について、少しだけ話します」
「カムクラ君、らしさ?」
彼が今まで口にしなかった、彼の真実。それを、彼はいつも通りの淡々とした口調で、葉を紡いでいく。
カムクライズルと呼ばれている男の真実は、私の想像と倫理を遥かに超えた、希望として、ある種の神として生み出された存在だった。
「――ということです。つまり『僕らしさ』というものは、本来失われたはずでした」
衝撃は隠せなかった。カムクライズルと呼ばれている男は、私の今目の前にいる男は、希望ヶ峰学園の人体実験の結果生み出された、人工の希望であるということに。
だが、それ以上に――彼の真実を、彼自身の口から聞くことができたということに、驚きが出た。私は彼に、自分のことを話してもいいと、そう思わせることができたのだろうか。
「……それが、カムクラ君があんなことをした理由に、どう繋がっているの?」
放心しながらも、私は彼に問う。私が今一番気になっていることは、結局そこだったから。
「今の僕に、感情や趣味嗜好などはない。そのはずでした。ですが僕は、予想できないことを渇望しました。全てが予想できる、全てが予定調和だからこそ、それを壊すような存在がどこかにないものかと」
「カムクラ君の行動は、予想外のことを求めているからこその行動ってこと?」
彼は無言で頷いた。
全てのことが予想できてしまうということ。全てのことが予想の範囲内であるということ。それがとても、ツマラナイという感情。
全てが予想の範囲内であることを予想しながらも、それでも予想外の何かが起きるのではないかと、期待して行動してしまう、超高校級の希望。
「そっか。カムクラ君は、予想外のことが起きるんじゃないかって、私に期待してくれていたんだ。そっか……」
だから彼はあの時も今も、能動的に動いたのだろう。彼が自分から動くのは、滅多にないことだけど――それでも、意味はあったのだ。
そしてお互い、その結果については触れなかった。きっと私は、彼の真の期待には応えられなかった。ただ、彼の予想の範囲内の行動しか、できなかった。
それでも。彼は今、ここにいる。私の隣に、居てくれている。
それで充分なのではないかと、自然とそう思った。
「カムクラ君がそうやって行動することこそが――カムクラ君らしさ、なんだと思う。本来のカムクラ君らしさは失われた、なんて言ってたけど、私にはそうは思えないな。だって、こんなに変な人、見たことないもん」
私がこんなに好きになれた人は、今目の前にいる、カムクライズルしかいないのだから。
「……そうですね。『今の僕』らしさというものは、僕自身が決めるものではなく、周りの人が決めるものなのかもしれませんね」
「きっと、そうだよ。今目の前にいる人以上に、カムクラ君らしい人なんて、どこにもいないよ」
そして、私は笑う。そして、彼の顔を覗き込みながら、もうひとつだけ質問を投げかけた。
「……でも、ちょっと聞いてみたいことあったんだけどさ。カムクラ君って、誰に対しても敬語だけど、素の話し方ってないの? もっと楽に話したりすることって、ないの?」
「僕は、僕として生み出されてから、ずっとこの喋り方です。特別畏まった話し方をしているつもりはありません」
「そっか、それなら良かった」
それがきっと、彼にとっての、彼らしさの一つなのだろう。
彼は私に対しても、彼なりに楽に話してくれている。それが知れただけでも、良かったと思った。
だけど。
私は彼の予想の範囲内のことしかできなかったとしても、彼はいつも、私の予想できないことをする――
「ですが、もし、あなたが想像するような楽な喋り方というものをするとしたら」
え? と顔を上げた。彼の顔を見ると、そこには、見たこともないくらい無邪気に、照れくさそうに笑う『彼』の姿があった。
「そうだな、こんな感じか? こういう話し方するって、少し違和感があるんだけどな」
一瞬、息が止まる。一度も見たことのない彼の笑顔に、思わずドキリとしてしまったのは否定できない。
だけど。それでも、どうしようもなく変な感じがしてしまった。
「……うん。なんだか変な感じだよ。だって、それって――カムクラ君の、カムクラ君なりの喋り方ではないでしょ?」
「そうですね。俳優の才能で表情を作って、演技してみただけですから」
彼はすぐに表情を消し、平坦な調子の声に戻る。それに少し寂しさも感じたけど、それ以上にホッとした。
これが、私のよく知るカムクラ君なのだから。
「『本来のカムクラ君らしさ』が失われる前の、カムクラ君にも会ってみたかったとは思う。でも、それは、今のカムクラ君じゃない。私が好きになったのは、今のカムクラ君だから。私は、カムクラ君のことが、好きなんだから。……でも、気まぐれだったとしても、そうやってくれたのは嬉しかったよ。ありがとう」
そうして、ぽつぽつと声が消えていく。燃え盛るキャンプファイヤーの火が、煌々と私達を照らしている。
彼は何も言わなかったが、それで良いような気がした。
もうすぐ、この時間も終わってしまう。もうすぐ、合宿が終わってしまう。
終わりの時は、終わりの始まりは、あと少しだ。
「ねえ、カムクラ君。私のこと、どう思う? 今でも、ツマラナイって思ってるかな」
こうして彼と二人でゆっくり話すのも、今日が最後なのかもしれない。そう思ったから、思い切ってこう聞いてみた。
彼は、どう返してくれるだろう。彼にとって、この合宿での時間はツマラナイものだったのか、それとも、少しでもそうではないと思ってくれただろうか。
予想の範囲内にいる私と居て、それでも何かが変わったと、そう思ってくれているだろうか――
少し、間が空いた。そして、彼が答えた言葉は。
「……想像にお任せしますよ」
これだけだった。そして彼は、おもむろに立ち上がって、私に背を向けて歩き出してしまう。
「え? ……ちょっと、カムクラ君!?」
慌てて私も立ち上がった。そして、今にも立ち去ってしまそうな彼を追いかける。
すると、カムクラ君は立ち止まった。そして、私の方を向き直る。
彼はまっすぐ私のことを見つめながら、確かにこう言った。
「苗字さん。少なくとも、あなたと過ごした時間は、悪くはありませんでした」
その言葉に、息が止まる。
ああ、彼は――私との時間を、少なくとも悪くないと思ってくれていた。
「あなたはどうですか。希望は、新たな可能性は――見つかりましたか」
それから、そうやって彼に問いかけられたことで。私の新たな道が拓けたような、そんな気がした。
「うん。見つかったよ。私の希望が」
今、見つかった。
否。今、気がついたのだ。自分の中の希望に。
それは、カムクラ君と過ごして生まれた希望。確かにここに存在している、ひとつの希望のカケラ。
今の気持ちがある限り、カムクラ君との絆がある限り。
きっと私は、諦めないだろう。素直にそう思えた。
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