■どちらでもなくても

 五十日の合宿も、あと十日。長いこの合宿も、もうすぐ終わりが見えてきている。
 そんな中、私はやってみたいことがあって、こうして今、カムクラ君のホテルの部屋にお邪魔していた。
「お邪魔します。今、大丈夫だよね?」
「ええ。時間はありますので」
 そうやってベッドに腰掛ける彼を、なんだか直視できない。なんとなくかしこまりながら、私は椅子にかけて、ドギマギしながら彼に言葉をかけていく。
「あのね。私達がこういう関係になってからも、あまり二人きりで過ごせなかったからさ。たまには二人でゆっくり話してみたいなって、そう思ったんだ」
 相変わらず、彼からの反応は薄い。だけど、私は――意を決して、その言葉を言った。
「いつも、私がカムクラ君に聞いてばかりだからさ。たまにはカムクラ君から、私に何か聞きたいことってない?」

 少しの間、沈黙が訪れた。その空気が、なんだかいたたまれない。
 それでも、私は彼のことをまっすぐ見つめる。それが、彼に対する気持ちだから。
 私がじっとカムクラ君のことを見つめていると、彼は、そっと口を開いた。
「特に質問しなくても、あなたのことは予想できているので必要ありません」
「……だよね」
 その言葉に、脱力と共に、少し拍子抜けする。
 ある意味、予想通りとはいえ――なんだか悲しくなった。やはり私では、彼にとっての特別な人にはなれないのだろうか、と。
 その瞬間のことだった。彼はゆっくりと、私に向かって言葉を投げかけた。
「……ですが、あえて質問してみましょうか。あなたは、僕に何を求めているのですか」
「――えっ?」
 それは、どこまでも予想外の言葉だった。
 彼が口にした質問文は、私達の曖昧な関係に、白黒つけさせようとするものだった。

 私は、私は――カムクラ君に、何を求めている?
 一言で答えられないでいる私に、彼はただ、追い詰めるように言葉を続ける。
「課題の答えですか。才能ですか。『希望』ですか」
「えっと、私は」
「それとも、『こういうこと』ですか」
 何も答えられないでいる私に――カムクラ君は静かに、顔を近づけてきた。
 こんなに彼の顔を至近距離で見るのは初めてだ。彼が近づいてきたという事実に驚いて、身体が跳ねる。
「ちょっと、カムクラ君!?」
 長い髪。大きな瞳。大人びた雰囲気を纏っている彼だが、こうしてまじまじと顔を見ると、意外なほど童顔であるということに気がついた。
 でも、私には分かっている。今から行われようとしている行為は、子供らしさとは無縁の行為であるということに――
「……あなたが何を求めているのか、あなたが僕に、『何をされたがっているのか』。僕には分かっているんですよ」
 そのまま近づいていけば、もうすぐ触れてしまいそうなほど、彼の顔は近づいてきていた。
 理性がなくなりそうになる。このまま受け入れてしまいたいと思っている自分も、確かに存在している。
 だけど。
「――っ」
 私は、両手で彼の身体を押しのけた。すると彼は、特に抵抗した様子もなく、そのまま身を引いた。
 そして、彼の身体から逃げるように立ち上がって、走って彼の部屋から飛び出す。その場から走って立ち去ってしまったけれど、カムクラ君は追いかけてこなかった。
「……ツマラナイ」
 ただ、そんな一言が、どこからか聞こえてきた気がした。


 確かに、心の奥で考えてはいた。
 カムクラ君が私のことを特別だと思ってくれたら、どんなにいいだろうって。
 私の好きという気持ちに呼応して、カムクラ君が私のことを好きになってくれたら、どんなに素敵だろうって。
 彼と触れ合ってみたいって思ったのも、一度ではなかった。何度も何度も考えて、そしてその度に、気持ちを押さえつけてきた。
 それに――さっき、『流されてもいいかも』って思った私も、確かに存在していた。
「でも、それじゃ、駄目だよね」
 ぽつり、言葉が飛び出てくる。それは、どうしても抑えきれない、私の言葉だった。
「カムクラ君は、私のこと、好きでも嫌いでもないんだもんね」
 自分に言い聞かせるように、言葉を紡ぐ。彼と私が交際しているというのは、限りなく彼の気まぐれのようなものに過ぎないのだと。何度もそう言い聞かせる。
 ――じゃあ、さっきの彼は、一体なんだったんだろう?
 はっきりしているのは、彼は私のことが特別に好きだからああしたというわけではない、ということだ。彼のことを見てきたから、少なくとも、それはわかっているはずなのに。
 涙声になっていることには、気付かないふりをした。

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