◎誕生日(妖縁)
「…」
匂宮は朝から憂鬱だった。 何度も机に置いてある暦の紙を見ては、ため息をつきながら机に突っ伏す。
その様子を眺めていた澪は、どうしたのかと匂宮に訪ねた。
「何か心配事があるの…?」 「心配事、というか…何というか…その」 「…?」 「今日妖狐の里に行かなければいけない…」 「今日?」
今日は10月5日だ。 京の都では特に行事も何もない普通の日だ。 何故その日が匂宮にとって憂鬱になるのだろう、澪は気になって聞いてみた。
「何か、妖狐の里であるの?お祭りとか??」 「そんな可愛い物じゃない…」 「じゃあ、何?」
匂宮はうー、と唸りながら答えた。
「誕生日なんだ」 「誕生日?」
澪は驚きの声を挙げた。 確か匂宮の誕生日は6月だったはずだ。玉藻も匂宮の誕生日は6月だ、と言っていたし玉藻の誕生日も12月だ。
「宮って6月だよね…?10月ってだ、誰の?」 「…父親」
匂宮の表情が優れない理由がなんとなくわかった。 以前、澪は匂宮と玉藻と一緒にいた時に「あまり父親の事が好きではない」と2人が言っているのを聞いたことがある。玉藻に至っては普通に父親の悪口にもとれる愚痴を言っていたことも思い出した。
「お父さんの誕生日…?」 「生物学上父親のな。…顔出さぬと、後からうるさく言われるのは想像つく」 「そ、そうなんだ…。」 「行きたくない…」
よっぽど嫌な事があるのだと思っていたが、そんな事かと澪は安心した。 そして、親の誕生日に対して悩んでいる姿を見ると何故か匂宮が大人ではなく子供っぽい雰囲気に見えて来て、澪は思わず微笑んだ。
「でもお祝いの言葉だけでも言いに行った方が良いと思うよ」 「…うーー」 「言える時に言わないと…いざいなくなった時に後悔すると思う」 「…」
澪は両親を鬼によって、目の前で殺されている。 その為、澪の言葉は非常に重く響いた。匂宮はいろいろ言い訳を紡いでいた唇を閉じた。
「宮、行ってきて」 「…」 「私の事なら、大丈夫だよ。靖紀兄様のお家にお邪魔するから」
澪はにこにこ笑いながら匂宮の背中をぺしぺし、と優しい力で叩く。
「じゃあ、行ってくる…」 「行ってらっしゃい」
渋々了承した匂宮は、逢魔神社に向かうことにした。 逢魔神社に向かう理由はただ一つ。ここが化野国に繋がる道の一つだからだ。
逢魔神社の社に入り、薄暗い道に着いた。 洞窟のような場所だが、きちんと道は舗装されていて歩きやすい道だ。
ここを4,5分ほど歩くと化野国の入り口の一つである神社の社に繋がっている。匂宮は左手をかざして狐火を出す。
すると赤くて小さな炎が出た。いつもならば青い炎だが、今回ばかりは道を照らす明かり代わりなので赤色でちょうどいい。照らされた道をとぼとぼ歩く匂宮。
やがて扉に辿り着き、匂宮は扉に手を掛ける。 扉を開けると、妖狐の里の入り口に繋がる道が現れた。
「…泊まらずにさっさと帰るか」
匂宮は狐火を消して、少し寄り道をした後に自分の実家である妖狐の里の大きな屋敷に向かった。
***
屋敷に着いた。 城とも言えるし大きな武家屋敷とも言える規模の屋敷だ。 悪趣味な飾りや模様が入った門を通り過ぎて、匂宮は屋敷内に入った。
匂宮は寄り道した先で購入した酒瓶を持ったまま頭領の部屋に向かった。父親であり、妖狐の里の頭領が政務をしている部屋である。大抵父親はこの部屋にいる。
廊下を歩いていると、年老いた女性が声をかけてきた。
「これは匂宮様。お久しぶりでございます…お元気でしたか」 「久しぶりだな、彪悟はいるか?」 「部屋にいらっしゃいますよ。」
その女性…妖狐なのだが、彼女は匂宮を案内する。 そして大きな襖のある部屋まで来ると、匂宮が来たことを伝えた。
「入れ」
襖の向こうから淡々とした重厚な声が聞こえた。 匂宮は無言で部屋から入る。女性は匂宮が部屋に入るのを確認して襖を閉めた。
「帰って来たのか、匂宮」
父親…彪悟は机に積んでいる冊子をパラパラと捲りながら言う。 息子が帰ってきたというのに、顔をあげたり匂宮の顔を見ずに書類に目線を落としている。その態度にカチンときたがもうこんなことは慣れっこだ。 一切視線を動かさない辺り、忙しいのか面倒くさいのかよくわからない。
彪悟というのは。 他者への気遣いがほとんどないような男なのだ。 それ故に、性格が悪いと言われてしまうこともしばしばだ。 こんなヤツと血がつながっているのすら、面倒くさいと思う匂宮。
玉藻であれば「うざっ」と血縁切りたくなるくらい彪悟の事は苦手意識を持っている。 玉藻がいたら一触即発だろうな、と匂宮は思った。
「む、お主人間臭いぞ。どこぞの人間と一緒にいたのだな?」
彪悟は眉間にしわを寄せながら裾から鉄扇を出した。 パタパタと仰ぎながら気難しそうな顔をする。
彪悟のその仕草に思わず匂宮は怒りの気持ちを込めて嫌味を零した。
「はいはいすみませんねえ、京の都に住んでますので人間臭くて当たり前だ」 「せめて服くらい着替えてくればよかろう。何じゃ、我に対する嫌がらせか?」 「は!?子どもじゃあるまいし。嫌がらせとか阿呆のすることだ」
彪悟はかなりの人間嫌いなタチだ。 京の都の人間の匂いにもかなり敏感で、鉄扇でひゅんひゅん仰ぐ。その仕草にイラっとする匂宮だがそのまま机越しに彪悟に向かい合って座る。
「ほんとは帰る気なかったけれど…。せめて誕生日だけは祝ってやろうと思ってな!ほら何歳か知らんがおめでとう。」 「む」 「これ誕生日の贈り物」
匂宮はふくれっ面になりながら、机の上に酒瓶を置いた。 彪悟は物音を聞いて、鉄扇を外す。扇を開いたまま自分の鼻と口元を隠すようにすると彪悟の瞳が匂宮をとらえた。気難しそうに細められた二色の瞳が大きく見開かれた。
「…お前、その姿は何だ」 「は?…え…??あ!!!」
匂宮はきょとん、とする彪悟の視線を見て自身の服装を見た。 赤い上着にひらひらのスカート。細い足と手。そういえば髪の毛も少し軽いような…と思考が進んだ所で気づいた。
女装を解いていなかったことに。
「あ!えっとこれは…」 「…」 「いや、趣味じゃないからな!これは事情があってその女装し」 「女装??女に化けてるのではなく??」
彪悟はそこまで言うと顔を背けた。 そして彪悟の肩が震え、くっくっく…と笑う声が聞こえた。
「笑うな彪悟!!」 「ぶっ…ふふ、ははははははは…!!!」
匂宮は慌てて指を鳴らして、元の姿に戻る。 それでも、彪悟は腹を抱える勢いで大笑いをしている。
たっぷり5分から10分ほどは大笑いしただろうか、 彪悟は目じりの涙を拭いながら匂宮に向き直った。
「あーーー、笑った笑った。まさかの女装姿とは…」 「うるさい。事情があるんだ事情が!」 「事情ねえ…趣味ではないのか?」 「趣味ではない!!」
彪悟は匂宮が怒るのを楽しむように何度もからかった。
「そこの酒より面白すぎる贈り物を有難う、匂宮。また見せてくれてもよいぞ」 「不本意だし絶対やだ」
匂宮は不機嫌な顔のまま、頭をがしがしと掻いた。 元の姿だと髪の毛が長くて重いので、手首に巻いていた髪を結う用の紐で一つに結ぶ。
「すっぽかされると、思った」 「…」 「玉藻はするだろうが、お前はそういう所が律儀だな」 「…」
珍しく、というより初めて彪悟の口から褒める言葉に匂宮はなんだかむずがゆくなった。匂宮の目じりが少し赤くなる。もし彼に人間の耳が有れば、そこの部分は真っ赤になっていただろう。
彪悟は自分と全く同じ顔立ちの息子が無言で照れているのを見て、笑みをこぼした。一瞬だけ、彪悟は「父親」の顔になる。
「祝いに来てくれて、有難う。匂宮」 「…どういたしまして」
匂宮は贈り物の酒を嬉しそうに飲む父親の姿を見て、「祝いに来てよかった」とほんの少しだけ思ったのだった。
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