アンダンテ


2月14日。
男なら誰しも期待せざるを得ない、一大イベントの日。
そして同時に、幾多の女子が最上の勇気と愛を以てして勝負に臨む、決戦の日。


「エルシド、すまないが今日は送ってくれないか」
「その両手の紙袋は何だ」
「…チョコレート?」

何故語尾に疑問符が付くのか。
まるで福袋のように膨れ上がった紙袋からは、赤やピンクといった可愛らしい色彩が覗いている。
一体いくつあるのか、果たして中身は何なのか、外側からでは全く検討もつかない量の戦利品を両手に、シジフォスは苦笑いを洩らす。
はたしてこの中に、一体どれだけの本命が詰まっているのだろうか。
相手が教師と言えど、この機を狙って告白を持ち掛ける女子は多い。
特に卒業を控えた三年生は“教師と生徒”という禁忌の枠組みから外れる。
そんな一大チャンスをモノにしたい生徒達が、我先にと手作りの菓子をシジフォスに贈った結果が、これだ。

「健康のため電車通勤にしたんじゃなかったか」
「さすがにこの荷物で電車は迷惑だろう」
「それは占有面積的な意味でか。それとも惨敗した戦友達の精神衛生上的な意味でか」
「惨敗した戦友?」
「いや、何でもない」

シジフォスの後ろに見える男子生徒達の恨めしそうな視線が気になって皮肉を言ってみたが、教師の鏡のようなこいつにそんな皮肉が通じるわけなかった。
俺は別段恨めしく思うつもりもないし、羨ましく思ったりもしないが、この荷物を自宅まで届ける手伝いをするには抵抗がある。
しかし見捨てるわけにも行かず、結局、後部座席に紙袋二つと助手席にシジフォスを乗せて、マンションまで送り届けてしまう俺はきっとお人好しなんだと思う。


「食べきるのに一体何日かかるのだろうな」

見慣れたリビングのテーブルに、色とりどりの箱や袋が並べられていく。
大半が市販のラッピングとは違う、手作り特有の包みだ。

「あまり日持ちしないだろうから、何日もかけれんよ」
「そうだな、大半が手作りのようだし」
「甘いものは苦手なんだがな」

そう言いながらもこの男は全部食すのだろう。
気持ちの籠もったそれに応えることは出来なくとも、無碍にもしない。
シジフォスはそういう男だ。

「ならば先に言っておけば良かったものを…」
「そうだな、気を付けるよ」
その台詞はクリスマスにも聞いた気がするが、適当に流しておく。


「全部返すのか?」
「え?」
「ホワイトデー」

あぁ、と言いながら贈り主の名前をメモしながら中身を確認していくシジフォス。
律儀なこいつのことだ、きっと一人一人違うものを用意するのだろう。
恐らく今日もいくつか食す羽目になるであろうシジフォスの為に、俺は夕食を作ってやることにした。


生チョコ、トリュフ、ガトーショコラ、チョコチップクッキー、フォンダンショコラ。
軽めの夕食を平らげ 鮮やかな玉手箱を開封してみれば、中から出てきたのはどれもこれも黒く佇む糖分の塊。
市販品顔負けの出来映えの物もあれば、恐らく初めて作ったであろう歪な物まで、レパートリーに富んでいる。

「見事にチョコレートばかりだな。」
「エルシド、半分とは言わないが、手伝ってくれないか」
「俺が貴方以上に甘いもの嫌いなのを知っての発言か?」
「和菓子は食べれるじゃないか」
「それとこれとは話が別だ」

仮に、
仮に俺が甘いものが大好きでチョコレートが大好物だったとしても、だ。
何が悲しくて恋人が貰ったバレンタインチョコ(それも大半が本命)の処分に付き合わされなくてはならんのだ。
シジフォスには随分劣るとはいえ、俺だって収穫が無いわけではない。
それの対処にさえ困っているというのに!

「そうか、すまない」
「…全部食べるのか?」
「捨てるのは忍びないだろう? それに、食べ物は粗末にしたくない」


大量のチョコは一人暮らし用の冷蔵庫に到底収まり切らず、少しでも日持ちしそうなものは玄関の暗所に置くことになった。
それでも厄介なのが、テーブルに残された、これ。

「フォンダンショコラ…か」
「詳しいな、エルシド」
「割と有名じゃないか?」
「ただのチョコレートケーキとは違うのか?」
「電子レンジで温めると中のチョコが溶ける仕組み…だった気がするが」

写真でしか見たことのないそれに戸惑いつつも、取りあえず電子レンジに入れてみる。
チンッと軽快な音が鳴り、ふんわりとした甘い香りが室内に漂った。
皿に乗ったそれにシジフォスがナイフを入れると、中からトロリと黒い液体が零れ出た。

「エルシド、これは凄いな!」
「あぁ、手が込んでる」

初めて見るフォンダンショコラに感動したのか、子供のように目が輝いていた。
こういう無邪気な顔をしていると、甥っ子のレグルスによく似ている。
生徒の前では教師として、教師達の前では学年主任として、いつでも先に立って生真面目な顔をしているシジフォスが、こういう顔を晒すのは珍しい。
それだけ信頼されているということだと思うと、口元が緩んだ。

カチャリ、と音を立てながらナイフで切り取られた欠片が、シジフォスの口に運ばれる。
寸前で垂れたチョコがシジフォスの唇を汚した。

「…美味い!」
「相当甘いんじゃないのか」
「いや、ビターチョコかな。そんなに甘くないよ。エルシドも一口どうだ?」
「…そうだな、」

返事を聞いて嬉しそうに俺の分を丁寧に切り分けるシジフォス。
口端のチョコが気になったので顎を持ち上げて唇を舐めてやると、困惑した目で俺を見上げた。

「……っ、エル、シド…?」
「唇に付いていた」

少し紅潮した頬で上目遣いはやめてくれないだろうか。
理性的に? 無理な話だ。
テーブルの反対側、つまりシジフォスの横に移動して、そのまま唇を奪えば割り込ませた舌にほろ苦く甘いチョコレートの味が伝わる。
あぁ、確かにビターチョコだ。

「…ぁ、ふ、……ん…ッ…」

何度も角度を変えて貪ったお陰で、離れ際に透明な糸が引く。
重力に負けたそれは弧を描いて切れた。

「これなら甘いもの嫌いな貴方でも平気そうだな」

そう言って笑ったら、ナイフの柄で殴られた。


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