「喜助さ〜んっ!」
ぶんぶんと手を振りながら走って来るゆず乃に、喜助は呆れた顔をする。
横にいたジン太は、眉間に皺を寄せて「また来たのかよっ!」と言う。
そんなジン太をゆず乃は無理矢理抱き上げて頬ずりした。
「おっ…何しやがんだよっ!」
顔を赤らめながら叫ぶジン太を他所に、ゆず乃の服の裾を引っ張るウルルにゆず乃は顔を緩める。
ジン太を落とすと、今度はウルルを抱き上げた。
「痛ってぇ〜! この野郎…っ」
ゆず乃に掴みかかろうとするジン太を喜助が宥め、ゆず乃と向き合う。
「ゆず乃さぁ〜ん…。頼むっスよ。ここに来たら駄目だって何度言えば…」
「何を言われても来るって、何度言えば分かってくれるの?」
喜助の呆れた顔に対し、ゆず乃はふて腐れた顔をする。
ゆず乃の腕に抱かれたウルルは、ゆず乃が作る大好物のゆず乃特製グラタンが食べたいと呟いた。
それを聞いたゆず乃は、喜んでウルルを抱きながら浦原商店へと入って行った。
「…良いのか? 店長。確かに、あいつの作るグラタンは旨ぇけど…」
複雑な顔で喜助を見上げるジン太の頭を撫で、喜助は笑う。
「気にしなくて良いんっスよ! 満腹になるまでゆず乃さん特製グラタン食べて下さい」
ジン太は、少し気まずそうにしながらも嬉しさを隠し切れずに走って家の中へ入って行く。
「子供を味方につけるとは…ゆず乃さんもなかなかっスね」
そう苦笑しながら、喜助も中に入って行った。
浦原家の晩御飯の時間は、とても賑やかだった。
ジン太のグラタンを、ウルルがこっそり横取りし、ジン太が切れる。
それによってウルルは泣き、ジン太はテッサイに怒られる。
それをゆず乃と喜助は笑って見ているのだ。
「ゆず乃! おかわりっ」
「…あたしも…」
「やだ、嬉しいっ! 実はね、まだまだあるのよっ」
ご機嫌で台所へ行くゆず乃を見て喜助は、どうしたものかと苦笑する。
追放される前だったのなら、何も問題はなかった。
むしろ、喜んで頼みたいくらいなのだが、今の状況ではそうもいかない。
お互いに、危険が及ぶのだ。
むしろ、ゆず乃の方が立場は悪くなる。
喜助なら、何が起こったとしてもどうにでも出来る。
決して、良いことなど1つもないのだ。
夕食が終わり、ゆず乃はテッサイと共に食器を洗っている。
毎回のことなのだが、今日の会話の内容は違った。
「ねぇ、テッサイ」
「どうなさいました?」
「喜助さんは、私が来ると迷惑かしら?」
ゆず乃は、どこか悲しそうな顔で食器を洗い続けている。
しかし良く見ると、泡だったスポンジは皿の同じ場所だけを擦っている。
「…そんなことは…」
そこまで言うとテッサイは口を閉ざす。
喜助が来たからだった。
「ゆず乃さん、ちょっと良いですか?」
「あっ…うん」
そう言ってゆず乃は、洗いかけの食器を置き手を洗い喜助の元へ走って行った。
テッサイは、ゆず乃の気持ちが分かっている。
むしろ、ジン太もウルルも分かっているはずだ。
ただ成り行きを見守ることしか出来ない3人は、ゆず乃を可哀想に思っていた。
「喜助さん、どうしたの?」
外へ出て、寒さに凍えそうになる指を息で暖めながらゆず乃は喜助の背中に話しかけた。
喜助の大きな背中は、見ているだけで安心する。
いつか、その背中に抱きついてみたいと淡い想いを胸に抱く。
すると、それを考えるだけで頬を染めていたらしく、振り向いた喜助が見て驚いた。
「そんなに寒いっスか!? 仕方ないっスねぇ〜、これ着て下さい。ほらっ」
そうして渡されたのは、後ろに丸『喜』と書いてある羽織で。
ゆず乃は嬉しくて更に頬を染めた。
それを見ると、喜助は言おうと思っていた「もう来ても入れません」という言葉を言うことは出来なかった。
情けない――と喜助は苦笑する。
「で、どうしたの?」
「あ〜…、何でしたっけ?」
ゆず乃は目を丸くしたが、吹き出した。
喜助に関しては、もはや苦笑いしか出てこない。
結局2人は、空に輝く星を眺めて他愛もない話をしたのだった。
そしてゆず乃は帰って行く。
そう。
ゆず乃の帰る場所は、ここではない。
喜助は、深く溜め息を吐くと何も変わらない状況を、どう解決するか考えながら家の戸を閉めた。