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「ここよ、どう? 隠れるところがいっぱいありそうでしょ?」

 ジョディさんの誘いにぴらぴらと手を振ることで不参加表明を示した秀一さんを残して移動し、ジョディさんに先導されて着いたのは、元々高い天井につきそうなほど大きな棚がいくつも並ぶ、倉庫や物置のような雰囲気の場所だった。
 デスクやチェアもあるけれど、秀一さんたちがいつもいるフロアとはその数というか比率が違う。棚を置いた余りのようなスペースにちょこちょこと肩身が狭そうに置かれていて、あそこに座ると棚の圧迫感がすごそうだ。
 しかしそれがあるということは当然そこを仕事場にしている人がいるようで、ジョディさんよりもやや年を重ねていそうなお兄さんが、棚の影からひょいと出てきた。
 やあ、来たね、と手を上げるお兄さんにジョディさんが軽く挨拶を交わし、わたしや零くんさんともはじめましてをすると、どうぞ楽しんでと、お兄さんはわたしたちがやってきた入り口の方へすたすた向かった。

「あの、いいんですか?」
「ジョディとあんたがついてるなら大丈夫だろ。シューイチより三倍良い子だって評判だしな。お嬢ちゃん、箱の中のものは触らないようにな」
「う、うん」

 ちょっぴり驚いた顔をした零くんさんも、お兄さんがそうして出て行ってしまうと、それまでのジョディさん同様にかりと笑った。

「さすがスターリング捜査官。人望が厚くていらっしゃる」
「そうでしょ?」

 零くんさんの言葉に自然な調子で返したジョディさんはすごい。わたしならテレテレとしてまた気持ち悪い笑みを浮かべてしまうこと必至である。
 綺麗な人どうし見つめ合っているととってもさまになるけれど、わたしがいる隙間が全くないような心地がしますね先生。

「れ……れーくん」

 直接触れる勇気がなかったので、代わりに先生につんつんつついてもらうと、零くんさんはすぐさましゃがみこんで来て、わたしの頭を撫でてくれた。

「うん。なによりありすちゃんが日ごろ良い子でいてくれたおかげだね」

 ちょっぴり仲間にいーれてと思っただけなのに言わせてしまった感がすごかったけれども、零くんさんの優しく温かな眼差しを受けてしまうと、もうわたしにはニヤつくorニヤつくの選択肢しかないのであった。ちょろ……。

 じゃんけんの結果、鬼はジョディさんである。頑張ろうと言う零くんさんと二方に別れて棚の間を走り、隅の方に段ボールの山を見つけ、その影に隠れてしばらく。
 すぐそばでほんの小さく、コツ、という靴らしき音と、カサリとビニールのような音がした。
 ちらりと窺ってたところ、視界に映ったのはそれなりにヒールの高いパンプス。もう見つかってしまった、こないだのあれは秀一さんバリアーのおかげか、流石にもうちょっとヒネった隠れ方をした方がよかったか。
 なんて思いながらのそのそ這い出たものの、頭上から振ってきたのは、ジョディさんとは違うの女の人の声。

「あら」

 見上げてみれば、背格好は似ているけれど、ジョディさんよりも鋭い顔つきの美人さんだった。
 毛先がふわふわとした黒のミディアムヘアに、日に焼ければ赤くなりそうな白い肌、薄く澄んだような輝きの虹彩に、彫りが深くはっきりとして、整った顔立ち。

「巡り合わせってやつかしら」

 どうやらお姉さんはわたしを知っているらしい。ということは、お姉さんも秀一さんの同僚さんなのだろうか。
 やっぱり普通は子どもを連れてきたりしないようで、物珍しさがあって噂になってるのかかはたまた秀一さんがみんなに話を通しているのかその両方か、えふびーあいの人たち、特に秀一さんの知り合いらしき人たちと会うと結構な割合で、初対面でわたしが知らずとも向こうはわたしの存在は知っている、ということがあるのだ。
 それをお姉さんも分かっているのか、恐らく間抜けな表情をしているだろうわたしを見下ろしてくすりと笑うと、わたしの目の前に片膝をついてしゃがみこんだ。

「私は――そうね、クリスよ」

 くりすさん。顔が違うし流暢な日本語だしで当然例のクリスさんではない。日本で言う花子さん幸子さんみたいに、こちらではよくある名前なのだろうか。

「……ありす、です」
「知ってるわ」

 さらりとそう返されてしまった。やっぱりそうだったらしい。
 クリスさんは、わたしのつま先から頭の天辺までを、どこか見定めるように軽く目だけで見遣ると、ジョディさんに負けず劣らず短いスカートのポケットから、細く黒いものを取り出した。ヘアピン、しかも波打ちもない真っ直ぐでシンプルなものだ。それを迷いのない手つきでわたしの髪の、米神あたりに差し込む。

「あ、あの……」
「もし会えたら渡そうと思ってたの」
「ありがと、です……?」

 ううん、何か意味があるんだろうか。ブラシで梳くだけはするようになったけれど、きれいなお姉さんからしてみればそれでもまだみっともなかったとか。
 しかし特に理由を言い添えることもなく、クリスさんはわたしに付けたヘアピンをやや目を細めて眺め、小さく息をついた。

「同情で動くようになっちゃ女は終わりよねえ……でも恩知らずな女はより悪質な生き恥晒しだわ。そういう信条を持って生きるのは、己を保ち己で立つために、いずれ必ず益になると思うのよね」
「え、えと……」
「――いい? 研ぎ澄まされた神経はあらゆるものを拾い上げる。過敏になっている人間は、些細なことでも大げさに感じるものなのよ、お嬢さん」

 眉を跳ね上げ、くっと口角も上げて、皮肉げともいえそうな表情を作って、クリスさんはそう言った。理解や反応は求めていなかったのか、一体何の話なのかと首を傾げるわたしをさして気にもしていない様子でさっと立ち上がってしまう。それから、そばの棚にしまわれたダンボールのうちの一つから、掌ほどの大きさのビニール袋を掴んで、肩に掛けていたバッグに仕舞った。手早いもので、袋の中身が何だったのか、わたしには見えなかった。
 用事はそれだけだったようだ。こつりと一歩、身を翻しかけて――不意に、クリスさんは足を止め、ちらりと振り返ってわたしを見下ろした。

「親の罪悪は子に継がれていく。その事実と刻印は消せないけれど、別に濯いたり償ったりする必要はないわ。子である以前に、一個体としての人間には不幸を拒む権利も、それを齎す人間を厭い恨む権利もある。――それに、したたかな子はそう嫌いじゃないの。自らのために死んでいった者たちを忘れ、産みの親も育ての親も捨て、新たな親へとすぐに懐いて楽しく呑気に過ごせるなんて、素晴らしいことだわ。その屍が糧となり養分となり、此岸を往く渡しになったとあれば、彼らも死に甲斐があったと冥府で笑っているはずよ」

 翡翠のような色の瞳は、確かにわたしを見つめている。

「せいぜい報い続けてあげることね」

 降り注がれた、浴びせられたその言葉を噛み砕けずにいる間に、彼女はさっと姿を消してしまった。
 足音は遠ざかる前に掻き消えて、しんと静寂が身を包む。
 呆けたまま立ち竦んでいると、少しの後に「探しに行くよ」という、ジョディさんの声がどこかから響いた。カツカツというパンプスの音も。



「そのピンはどうした?」

 身の入らないままかくれんぼを終えて戻ったわたしを出迎え、予想に反して、秀一さんはすぐさまそれを指さした。
 普通のよりも小さいものだし、留めてまとめるというよりは本当にただ差し込んだという風で、耳と垂れてきた横髪に埋もれてしまって、零くんさんもジョディさんも気づかなかったのに。

「あ、あの、くりすたん、が」
「……クリスが? 礼は言ったか?」
「い、いった……です」
「ならいい」

 わたしを横目で捉えながらも、秀一さんはさかさかとデスクに広げていた書類を纏めて片手に抱える。
 午後から少し別所で仕事があるらしい。バトンタッチするよう間を置かずやってきたキャメルさんと、その背中を見送ることとなった。


 突然もたらされた言葉たちは、少しも歯を立てられず溶かせもしないまま、かといって出ていってもくれず、ただただ得体の知れない恐ろしさと、じりじりと焼くような、心がざわめくような感覚を纏って、ずしりと重たく胸のうちに座するばかりだった。


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